第10話 テオドール、愛妻の過去を知る。
いつの間にかヴァイスの背後に回っていたロレントが一気に彼の胸を刺し貫いた。そのあまりにも鮮やかな手際に、会議室は一瞬にして静まり返る。
ロレントはいつになく優しい、それでいてどこか寂しげな表情を見せながら、ヴァイスの耳元で何か囁いた。
それに応えるかのようにヴァイスの表情も徐々に穏やかなモノに変わっていく。
ロレントは一つ溜め息を吐くと歯を食いしばるような表情を見せ、乱暴に剣を引き抜いた。
血しぶきがあがり、力を失ったヴァイスの身体がゆっくりと崩れ落ちる。
彼の身体からおびただしい量の血が流れ出し、床を真っ赤に染めていく様を私たちは沈黙のまま眺めていた。
ヴァイスの言いたいことは十分過ぎる程に伝わった。
さぞかし無念だったに違いない。
彼ら軍人はいつも私たち貴族に振り回され、挙句謂われない責任を取らされる。
そして権力争いのとばっちりを受けて処分される。
ロレントはその筆頭のようなモノだった。
ここにいる面々で彼以上にヴァイスの気持ちを理解できた者はいないだろう。
……だがあのままヴァイスが喋り続ければ、レジスタンスという枠組み自体が崩れてしまいかねなかった。
ゴールドはそれ相応の報いを受けるべきだが、それは今ではない。
だからロレントの判断は正しかったのだ。
「……まさかとは思うが、あのような妄言に耳を貸すような馬鹿はいないよな?」
ロレントは無表情のまま亡骸を見下ろし、低い声で呟いた。
元皇帝直属親衛隊長の殺気が部屋内に満ちていく。
そんな中、女王が静かにヴァイスの亡骸に近づくと、思いっきりそれを蹴り飛ばした。
物凄い音がして物言わぬ彼が床を転がる。
彼女の綺麗に磨かれた靴が血まみれになった。
「……もちろんですわ。本当に見苦しい男だこと。やはり罪もない民衆に虐殺を命じるような男は、最期の最期まで品性下劣でしたわね。……それだけでは飽き足らず、自らの罪をゴールド卿に擦り付けようとするとは。……何という恥知らず!」
女王が吐き捨てるように呟く。――ロレントと同じく無表情で。
そんな彼ら二人の表情と態度こそが何より雄弁に語っていた。
――ヴァイスの暴露したことは紛れもない真実なのだ、と。
しかし今はその真実に意味などないのだ、と。
レジスタンスの首領であるロレントと水の女王国のアリシア女王がそう言うのだから、皆は黙ってそれに従えばいいのだ、と。
――従わないものはこうなるのだ、と。
……やはりこの娘は恐ろしい。
ヴァイス将軍の為の席を用意してほしい。
女王からそんな要請を受けた時から、私は心の奥底で何か嫌なモノ、途轍もなくドス黒いモノを感じ取っていた。
例の書状をゴールドに書かせたときには、今の状況を想定していたと考えて間違いない。
――ヴァイスが破れかぶれになって実情をブチ撒けるところまで、全部だ。
この一件で間違いなく長兄殿下派の権威は地に落ちた。
担ぐべきレオナール殿下は捕虜になり、派閥の重鎮でもあるゴールドは裏でやってきたことを暴露された挙句、敵視していた女王に借りまで作ってしまう有様。
こんな形で庇われることなど望んでいなかったかもしれないが……。
少なくとも彼らは二度と女王国に歯向かえないだろう。
それだけにこんな醜い権力争いに巻き込まれたヴァイスが哀れで仕方なかった。
おそらく私たちと宰相のどちらが勝者になったとしても、彼は悪逆非道の将軍として歴史に名を残すことになるのだから。
そのまま閉会の合図もなく会議は終了し、女王は憮然とした表情のまま部屋を後にした。
クロエも無言でそれに続こうとするが、ふと立ち止まるとこちらまで引き返してくる。
そして私ではなくロレントの耳元で何かを囁いた。
その表情は私の知っている妻とは決定的に何かが違うように感じた。
私は悶々とした気持ちを抱えたまま、執政官の部屋まで戻ってきた。
勝手に私の後ろを付いてきたロレントが、どっかりとソファに身を預ける。
ケイトは私たちの為に飲み物の準備に向かった。
そして二人きりになった。……この機会を逃せばもう二度と聞くことが出来ないだろう。
私は意を決してロレントに先程のことを尋ねてみた。
「……クロエはお前の耳元で何と言ったのだ」
「ん? ……何だ? いい歳こいて嫉妬か?」
ロレントが心底疲れ切った顔を見せながらもニヤリと笑う。
「頼むからはぐらかさないで欲しい。……嫉妬も否定はしないが……」
私の真剣な表情にロレントも真顔になった。
そしてガリガリと頭を掻く。
「……『女王陛下からの伝言です。損な役回りを引き受けさせることになってしまい、申し訳ないと仰られていました』、だ」
彼はポツリと呟くと、大きく息を吐いて天井を見上げる。
それは今日のヴァイスに対する処理の件だけではないだろう。
ロレントはあの決起集会の際、アリスの主張に反対してまでこの道を選んだ。
その後も彼は事あるごとに何度も「俺が選んだ」という言葉を口にしていた。
――まるで自分自身に言い聞かせるように。
だがその言動も含めて、女王からすれば『損な役回りを引き受けさせた』ということになるのだろう。
誰よりもロレント本人がそれに気付いていたに違いない。
「……なぁ、テオドール。……お前、俺の過去をどこまで知っている?」
天井を見上げたまま、ロレントは誰に聞かせるでもなく――今この部屋には私だけなのだが――呟いた。
「……いきなり何を?」
ロレントは笑みを浮かべているが、目元は真剣だった。
「丁度いい機会だな。ケイトにも聞いてもらうとするか……」
そんな会話をしていると、当のケイトが紅茶を持って部屋に入ってきた。
彼女が席に着くまで、ロレントは無言のまま目を瞑っていた。
そしてロレントはケイトの淹れた紅茶を一口含むと、静かに語り出した。
彼の親父さんは要人警護の武官をしていたが、秘密裏にとある一族の間諜もしていた。
――その名はアンダーソン一族。
言わずと知れた歴代宰相を何人も輩出しているあの一族だ。
ロレントも将来は父と同じ仕事をするように徹底的に教育され、子供の頃から彼ら一族の人間と一緒に過ごしていたらしい。
当時のアンダーソン家当主は先々代の宰相だった男で、すでにその地位を息子に譲り悠々自適の隠居生活を送っていた。
一見優しそうな爺さんだったが相当な切れ者で、その上途轍もなく性格が悪かったという。
帝国の裏の裏まで知り尽くし、ありとあらゆる要人の弱みを握っていたらしい。
彼の息子やその息子たちは幸運(?)にも彼に似ることなく真っ当な人間だったが、たった一人だけ、孫娘のメルティーナだけは見事にその本性を受け継いでいたらしい。
彼女は幼少期から大人顔負けの知性を見せつけていた。
先を読む力、周りの大人を意のままに動かす力は、ケタ違いだったという。
……私はそこまで聞いて一人の人間を思い浮かべた。――アリシア女王。
だが彼女ではない。どう考えても年齢が合わないのだ。
ロレントは再び口を潤すと笑みを浮かべて話を続けた。
彼はその娘を含めて孫三人に仕えていた。
といっても彼らの遊び相手になれる程、頭は良くなかった。
だからといって自分の得意な外遊びをしてケガをさせる訳にもいかない。
彼の役目はもっぱら毒見と護衛とお使い、そして恐怖の対象として誰も近づこうとしないメルティーナの話し相手だった。
そんな日々の中でメルティーナは周りの大人の想像通り、美しい器に獣の本性を詰め込めるだけ詰め込んだ才媛に育った。
その彼女がある日忽然と姿を消したのだ。
間諜を駆使して帝国中に網を張り巡らせているアンダーソン一族を尻目に、完全に跡形もなく。
戸籍ではすでに死んだことになっていた。
彼女は完全に一族を出し抜いてみせたのだ。
「――それから数年経って俺の古いツレが結婚すると言ってきてな」
ロレントが口元を歪めながら遠い目をした。
「妻になる女性だと紹介された人間がメルティーナだった。もちろん新しい名前と経歴を手に入れて完全に別の人間になりすましてな。……幼馴染の俺の前でも平然としていたよ。俺はあまりの驚きに何も言えなかったがな。……まぁ、どうせ指摘しても他人の空似だの何だのと突っ撥ねられただろうがな」
……そのツレというのはもしかして。
私はケイトと二人で顔を見合わせた。
「それと同時期にソイツが議会でイロイロと揉めて、本領の寂れた港町に執政官としてトバされた。メルティーナも躊躇いなくヤツについていった。……それからしばらくして娘が生まれたと手紙があったから、どんなモンかと暇を作って会いに行ったんだが」
ロレントは一呼吸おいてケイトを見つめた。
「……俺はあの日、自分の娘を愛おしそうに抱く彼女の姿を見て、ようやく、コイツはメルティーナではなくクロエなんだと理解できた」
ロレントが絞り出すように呟いた。
ケイトが呆然としていた。
私も同じような顔をしていただろう。
もうぬるくなってしまった紅茶を一気に流し込んだ。
そして娘の前で恥ずかしいが、ずっと昔から棘のように胸の奥に刺さっていた想いを口にする。
「……私はずっとお前たち二人の空気に嫉妬していたよ。……何か自分だけが知らない絆のようなものを二人に感じていた」
――やっと口に出すことが出来た。
もう二十年以上抱えてきた想いだ。
しかしロレントは私のそんな告白を聞いて噴き出すのだ。
「……お前は頭はいいのに、ホント馬鹿だな。……確かに俺たちに繋がりはあったが、主従関係のそれだ」
それは嘘だろう。
今でもロレントは妻を愛しているのだろう。
絶対に口に出さないだけで。
「……それにしても、俺もクロエも随分と衰えちまったモンだ。俺は半ば隠居してしまったことで。アイツは夫と娘に囲まれるという人並みの幸せを見つけたことで」
ロレントが何やら吹っ切れたような笑顔を見せた。
「俺たちは二人とも牙を研ぐのを怠ったんだ。だからアリスみたいな小娘に全部持って行かれちまうハメになった。……もしクロエがお前と出会わなければ。結婚してケイトを産まなければ。……メルティーナがメルティーナのままだったならば、きっとアイツはアリスのように悪魔が乗り移ったかのような先読みを見せていただろうよ」
彼女にそんな能力が?
私の知っているクロエと全くの別人だ。
しかしロレントは何を今更と言いたげな表情を見せて続ける。
「もしアイツがその気になっていたら、今頃陣営問わずあらゆる人間を好き勝手に振り回して、戦死者の山を積み上げていたぞ。……セカイの頂点で悠々と紅茶でも飲みながらな」
ロレントがクツクツと喉の奥で笑う。
それではまるでアリシア女王そのものじゃないか!
妻に対して幾らなんでもその扱いは酷過ぎるだろう。
「……そして俺はそんなアイツに心からの忠誠を誓っていただろうな。正直ポルトグランデに流れ着いてからも何度かそんな未来を夢見たこともあった。……今となっては詮無いことだがな」
一転してロレントは少し寂しげな笑顔を見せた。
「……お前もこれ以上アイツのことを探るのはやめてやってくれ」
その言葉にケイトが思わず目を見開いた。
ロレントは大きく伸びをして立ち上がり、ケイトの頭を軽く撫でる。
「アイツは全てを捨ててお前たちを選んだんだ。今回俺が無理やり表舞台に引っ張り出しちまったが、それまではお前たち家族との穏やかな幸せを噛み締めていたんだ。……アイツに無理を言って悪かったなと伝えておいてくれ」
そう言い残してロレントは静かに部屋を後にした。
私たち親娘はそれを無言で見送ることしかできなかった。
――彼は今日、この瞬間、確かに何かを諦めたのだ。
「……ケイト?」
私が少しだけ寂しい思いを抱えたまま隣に座ったままの娘を窺うと、彼女は何かを考え込んでいる様子だった。――口元だけに薄く笑みを浮かべて。
それは今まで私たち両親に見せたこともないような表情だった。
アリシア女王のようにも、ごくまれに妻が見せる横顔のようにも見えた。
「……ケイト?」
私はもう一度問いかけた。
すると彼女はいつもの娘に戻り、可愛らしい笑顔を見せる。
「いきなりあんな話されてもね……、ちょっとビックリしたよね」
娘はそう言うと困ったような顔を見せながら立ち上がり、茶器を片づけ始めた。
無事書状とヴァイスの首があちらに届いたのか、帝国軍がイーギスからの撤収を開始した。
それと同じくしてレオナール殿下も無事解放された。
これをもって半年の停戦期間に入ることになる。
誰も口に出さないが、おそらく全員が理解していただろう。
――この停戦はただの凪でしかないのだと。
ここから両陣営とも態勢を立て直すことに注力していかなければならない。
失われた兵や物資が戻ることはない。
……だからどこからかそれを補充する。
この状況からどう力を取り戻すかで、勢力の優劣が決まる。
そしてこの停戦期間中の主役も間違いなく女王国だった。
停戦発効直後、女王自らヴァルグラン入りして派手な式典を開き、その中でカイル=マストヴァルに統治権を返上した。
女王の要請を受けて、ロレントも宰相も両陣営を代表してその式典に立ち会わされることになった。
民衆は大歓声で新領主の誕生を祝ったらしい。
女王国からの援助物資も続々運び込まれ、戦争で荒らされた耕作地を女王国軍兵士が領民に交じって修復しているらしい。
ヴァルグラン復興に注力する女王国を領民たちは歓迎していると聞く。
私たちもあちらも多大な犠牲を被った中、女王国だけがほぼ無傷だという。
――金銭的な負担は別にして、だが。
間違いなくこの内戦の勝者は女王国だった。
皆も冷静になれば気付くときが来るだろう。
アリシア女王だけが、最初から、この突発的な内戦が起きることを前提に動いていたのだということを。
そして次に何が起こるのかを想定して動き始めているのだということを。
これで9章が終了しました。
ようやくここまで来ましたね。残すは『結』の3章のみです。
次話から10章『魔王復活』編が始まります。
……章タイトルからしてネタバレやっちゃってますね。
ここから締めに入ります。
それでは皆様、これからもよろしくお願いします。




