第9話 ヴァイス、責任を取らされる。
あれだけ激しかった敵の反撃が突如として止んだ。
それと同じくして、馬に乗った女王国軍の将軍らしき人物が「停戦だ! 攻撃するな!」と叫びながら戦場を全速力で駆け回っていくのが遠目に見えた。
女王国兵たちは呆けることなく、すぐさまそれに従って武器を下していく。
そして彼らは近くにいる上官の指示を仰ぐと、潮が引くかのように一斉に戦場から離脱し始めた。
私は驚きとともにその光景を見ていた。
こちらと大違いだった。
本当によく教育されていると心の底から感心した。
まるでこんなことも起きると想定していたかのような動きだった。
しばらくして我々の元にもヴァルグラン領主と女王国軍総大将の連名による停戦命令書が届いた。
ヴァルグランでの一切の戦闘行為を認めないと。
守れないものは女王の名において敵と見做して排除するとのこと。
「……武器を下せ! 停戦だ!」
私もそれに従い号令をかけた。
――これでようやく一息つける。
何とかヴァルグランを敵に奪い返されずに済んだようだ。
この戦果は誇ってもいいはず。
……レジスタンスの勝利だ!
私は部下たちと顔を見合せて笑った。
停戦命令の書状はユーミルの司令部にも届いたらしく、ロレントからレジスタンス軍の即時撤兵命令が出た。
その後我々は、女王国軍とヴァルグラン領軍双方に追い出されるような形で戦場を去ることになった。
勝者として、そして何よりヴァルグランを守り切った将軍としては、女王国に美味しいところを全部持っていかれてしまったという気がしてならない。
我々が大打撃を受けてから援軍を寄越し、疲弊していた帝国軍を大した被害もなく蹴散らす。
それで勝利者面をされても到底納得できない。
しかも今はヴァルグランの守護者面して駐軍しているという。
――女王国を敵に回す気はないので、黙ってそれに従うが……。
そういったイマイチ釈然としない思いを抱きながらも、私は数か月振りにポルトグランデへと戻ってきた。
帰還して数日の間、私は各方面への報告に飛び回っていた。
……蛮行した私兵団を処分した件も含めてだ。
容赦なく処断したことで彼らの親族が怒っているとの話もあったが、それは私の知ったことではない。
こうでもしないと規律を保つことが出来ず、かの地の守護も上手くいかなかったと断言できる。
ゴールド卿にも毅然とした態度でそう伝えておいた。
彼は何か隠しているかのような、誤魔化すかのような曖昧な態度を見せていたが、いつものことだと私は気にも留めていなかった――。
そして本日、女王が宰相と詰めてきた停戦交渉の件で、各陣営の主だった人間が大会議室に集められる運びとなったのだ。
今回は私も出席が許されている。
部屋に入ることが出来ず、外で待機していた貴族たちの嫉妬に満ちた視線を全身に感じつつ、私は悠々と部屋に入っていた。
入口に立っていた女性に名前を告げ、席まで案内してもらう。
別に名誉を求めて戦ってきた訳ではないが、それでも成果を認められるというのは嬉しいものだ。
これで部下たちに肩身の狭い思いをさせなくて済むだろう。
しばらく周りを落ち着きなく見渡していると、徐々に雑談の声が小さくなっていき、やがて完全に静まり返った。
――いよいよ会議が始まる。
進行役のテオドール殿が開会の挨拶もそこそこに、一通の書状を頭上にかざした。
皆の視線がそれに集まる。
「こちらの書状は女王国アリシア女王陛下と帝国宰相ニール=アンダーソンとの間で練られた停戦合意案です。すでに両者の署名は記されております。……そして残る我々がこれに合意すれば半年の停戦期間に入ることが決定致します。……そうですね女王陛下?」
女王は彼の問いかけに無言で頷いた。
間違いなく夜警任務中に何度か見かけたアリスだった。
だが、あのときの少女と同一人物だとは思えない程の威厳を纏っている。
……やはり女王は侮れない。
「それでは――」
「お待ちください!」
テオドール殿が読み上げようとした瞬間、冒険者のくせに出席が許されているクロードが勢いよく立ち上がり叫んだ。
そして不遜にも女王を指差す。
「アリスは宰相と密会していました! 僕たちがその証人です! 絶対に何か裏で取り決めがあったに違いありません! 皆さん彼女を信用してはいけません! その合意案は破棄すべきです!」
クロードが一気に捲し立てると、皆の視線が女王に集まった。
彼女は目を見開いたまましばらく沈黙した後、苦笑いを浮かべる。
「……まぁ、確かに密会ですわね。諜報部隊を使って宰相殿の居場所を探り、この私が直接彼の元へと向かいました。なるべく早く停戦交渉を始めたかったものですから。……当然のことながら宰相殿と顔を合わせないとまともな交渉など出来ませんよね?」
女王は溜め息をつき、こちらを見渡す。
そして何を今更と言いたげにクロードを一瞥した。
「彼ら冒険者一行は、この国の行く末を決める大事な交渉中に突然現れ、今のように何やら喚きだしまして。……それが宰相殿の怒りを買い、親衛隊長のシーモア殿が彼らを捕えた、と。……確かそのような流れでした」
女王が彼らを馬鹿にするように口元を歪めた。
……シーモアか。
ヤツとも一度だけ戦ったことがあるが、正直勝てる気がしなかったのを思い出す。
クロードも無事生きていられるだけでありがたいと思わないと。
「……お前がそう命じたのだろう!?」
「いいえ、私は黙らせてくださいとお願いしただけですよ。……そんな些末なこと、どうでもいいではありませんか? ……そんな感じで捕虜になってしまった彼らのような無名の冒険者一行を助けるために、こちらも幾らか譲歩せざるを得なかった次第でして。……本当にいい迷惑でした」
人質に取られて、交渉材料に使われたと言ったも同然だ。
彼らが余計なことをしたせいでレジスタンスが不利益を被ったのだと。
出席した面々から「余計なことを……」という視線を感じたのか、クロードは俯き黙り込んだ。
そして先程の威勢はどこへ消えたのか、静かに着席する。
テオドール殿が咳払いして静寂を促すと、再び皆が息を潜めた。
「まず、ヴァルグラン関連――」
彼が読み進めていく。
ヴァルグランは引き続きマストヴァル家が管理すること。
領主はカイル=マストヴァルであることを承認し、その後見に女王国のアリシア=ミア=レイクランド女王がつくこと。
復興の為に必要な資金や物資等は女王国が全て肩代わりすること。
停戦期間中はどちらの軍もヴァルグラン領内に立ち入らないこと。
侵入を確認次第、陣営問わず女王国軍は確実にそれを迎撃すること。
女王国軍が責任を持って領内の治安を守ること。
領民に危害を加えた兵士を陣営問わず、帝国法にて速やかに処罰すること。
教会は聖職者をヴァルグランに戻すこと。
停戦期間終了後、たとえ戦争が再開されたとしても、ヴァルグラン領内においては一切の戦闘を禁じること。
その戦いがいかなる決着を迎えても、この地におけるマストヴァル家の治政を約束すること。
女王国は『帝国の為政者』よりヴァルグラン委譲の要請があり次第、速やかにそれに応じること。
――これらがヴァルグランに関することだった。
条文にある『帝国の為政者』とは、この戦争の勝者となった陣営を指す言葉だろう。
つまりどちらが勝っても女王国はヴァルグランの所有権を放棄すると。
かの地を無償で復興させるというのと同義だ。
だが、それだけに女王国の価値が高まる。
勝者はきっとヴァルグランの恩人でもある女王国と友好的な関係を望むだろう。
それこそが女王国の狙い。
二股を掛けるという堂々たる意志表明だった。
皆もそれを悟っただろうが、誰も異を唱えようとはしなかった。
その主張に見合うだけの出費だ。……誰も文句は言えまい。
「次にイーギス関連――」
我々からすれば、本題はこちらだ。
皆がテオドール殿の言葉を聞き逃すまいと真剣な表情になっていた。
停戦合意発効後、宰相側はレオナール殿下を解放すること。
帝国軍は速やかにイーギスから撤退し、その後は女王国が責任を持って管理すること。
女王国は戦争の終結後『帝国の為政者』よりイーギス委譲の要請があり次第、速やかにそれに応じること。
レオナール殿下の私財は賠償金として全て没収し、ヴァルグラン復興資金として国庫に入れること――。
そこまで読み上げられた時点でゴールド卿が椅子を倒しながら立ち上がった。
「ふッ、……ふざけないでいただきたい!!!」
そして力の限りに吠える。
「……今、賠償金と!?」
賠償金は負けたほうが支払うのが常識だ。
それを殿下が支払うという意味。
「……ヴァルグランで罪なき人々が虐殺されたのですよ?」
彼の問いかけに返事したのは女王だった。
その表情には余裕の笑みが浮かんでいる。
「その件でレオナール殿下に咎は無いと。……あのときに、……そう決めたではありませんか?」
ゴールド卿が女王に縋るような口調で言い募った。
……以前二人の間に何か密約のようなモノがあったのだろうか?
「……えぇ、確かにレオナール殿下にはこの件に関して直接的な監督責任はありません。あのとき確かにそう取り決めました。我々もそこを追及するつもりは毛頭ございません。……ですが束ねる者としての道義的責任ぐらいはあるのでは? 仮にも皆様方の私兵団なのですから」
「詭弁だ!」
「……まぁ、単純に身代金だと思ってください。この交渉が決裂してしまえばレオナール殿下の御身に何が起きてしまうのか、という話です。……無事に戻られるのであれば安いモノですよね?」
女王は挑発するように嫣然と微笑んだ。
殿下の財は相当あるはず。
だが御命と引き換えであれば、ということだ。
もしこれでまだ何か言おうものなら、それは殿下の命よりも財の方こそ価値があるのだと主張するも同然。
臣下にあるまじき言動だ。これ以上の不遜はないだろう。
ゴールドは悔しさを表情に滲ませ、何度もテーブルを叩いた。
それでも未だ納得できず立ち上がったままのゴールド卿を、テオドール殿は横目で見ながら咳払いをする。
「――もしこの合意案をレジスタンスが飲めない場合、女王国はこの戦争から一切の手を引くこと、とあります」
そして更に続けた言葉によって会議室が凍りついた。
――これこそが女王と宰相の切り札なのだ。
二股などという生易しいモノではなかった。
その気になれば、いつでもあちらに乗り換えてもいいと。
宰相が女王国と手を組んだ瞬間、間違いなくレジスタンスの全てが終わるだろう。
一瞬にして血の気が引いた。
――これは黙ってこの合意案を飲めという脅しだ。
「……まさかとは思いますが、停戦に応じてもらえなかったりすることがあるのでしょうか? ……女王たるこの私が身の危険も顧みず宰相の元まで乗り込み、和平の為ならばと、決して裕福ではない女王国の民から徴収した財を吐き出すこともやむなしと考え、宰相と頭を突き合わせ知恵を絞って練り上げたこの合意案を破棄されると? ……それが皆様の判断だったりするのでしょうか?」
女王が静かな、平坦な声でこちらに問いかける。
返答次第で女王国はこちらに見切りをつけるつもりだろう。
誰もそれに答えない。
こんな質問に答えられる訳がない。
全員が女王と目を合わせないように顔を伏せながら、リーダーであるロレントの反応を窺っていた。
「……レジスタンスは停戦に応じよう」
ロレントが力なく呟いた。
「何故? こんな――」
ゴールド卿が信じられないものを見たような顔で叫んだ。
「女王国のおかげで何とか拮抗状態まで戻せたんだ。……言っておくが、もうこちらに余力はない。この先、俺たちでは宰相相手にこれ以上の条件をもぎ取るのは不可能だ。……だから我慢してくれ」
そう、もう戦えないのだ。
だが宰相側は戦える。……まだ余力があるのだ。
だからこそあちらは強気に出られるのだ。
こちらがこの条件で飲めないなら、女王国が手を引くと知っているから。
宰相が恐れているのは女王国であって、レジスタンスではない。
むしろレジスタンスが破棄を選択するのを望んでいるぐらいだろう。
結局レジスタンスがこの停戦合意で得られたものはレオナール殿下のみだ。
言い方は悪いが財を持たない初老の男性ただ一人。
ロレントやテオドール殿からすればこれ以上の屈辱はないだろう。
今まで何の為に多大な犠牲を払っていたのかと嘆きたいに違いない。
それでも彼らが冷静なのは、ちゃんと現実を直視出来ているからだろう。
「……そうですな。いつまでも争っていてはマール様が嘆かれるでしょう」
今まで沈黙を続けていた神官長のオランドが笑顔でまとめに入った。
彼の取り巻き連中がしたり顔で同意する。
考えてみれば今回の件で教会だけが何も失っていないのだ。――もちろん何も得ていないが。
それでも勝ち馬に乗る権利だけは手放していないのは、いかにも教会らしいと言えた。
オランドの言葉を受けて、女王が出席者全員をじっくりと時間を掛けて見渡した。
仕方なく皆も頷き、次々と合意案に賛同の意思を示していく。
私も同じように頷いた。
ゴールド卿も、ようやく我々の置かれた状況を理解したのか黙って席に着いた。
テオドールがそれを見届け、再び書状を読み進める。
「――レジスタンスが同意するならば、その旨を記した書状にヴァイス将軍の首をつけて帝都に送ること。その首が宰相の元に届き次第、半年の停戦に入る。――以上」
一瞬彼が何を言ったのか理解できなかった。
その意味がようやく頭の中で――。
「……ッ、ふざけるな!!!」
今度は私が立ち上がって吠えた。
「……あんな虐殺命じておいて今更命乞いですか? ヴァルグランの民を抑える為にも必要なのですよ、貴方の首が」
声のする方向を見ると、女王がぞっとするような冷たい目でこちらを睨みつけていた。
「私も同意見です。……彼の首でヴァルグランの受けた傷が少しでも癒されるならば安いものだ」
領主ホルスも女王に同意し、汚いモノを見るかのような視線をこちらに向けてくる。
……何故私がこんな風に言われなければいけない?
帝国軍人としてあるべき姿を追いかけて、ここまでやってきたのに!
私自身は何一つ人の道を外れるようなことはしていないのに!
「……私は虐殺など命じていない!」
「それを証明してくれる者は?」
女王が口元を歪めて笑っていた。――どこか呆れたように。
そんなにも私の姿が見苦しく見えたのか?
「部下が――」
「――信用できません」
もはや最後まで話すことすらも許してもらえない。
私が責任を回避しようとして、言い訳でもしているかのような空気が出来上がっていた。
「……何故だ? 何故私が? ……どう考えてもおかしいだろう?」
助けを求めて周りを見渡すが、誰も私に視線を合わそうとしない。
事情を知っているであろうロレントやテオドールまでもが目を逸らす。
この部屋に私以外の人間などいないかのように、完全に静まり返っていた。
ゴールド!? 貴様、なぜ黙っている!?
……一体なにがあった?
「……ゴールド卿! 何か言ってください!」
彼とはポルトグランデ帰還後、真っ先にこの件について話し合ったのだ。
それなのに今、ゴールドは先程の激昂など無かったと言わんばかりに青い顔で不自然な沈黙を貫いていた。
「……すでにゴールド卿からは了承を頂いていますよ」
女王が胸元から書状を取り出した。
それが次々に人の手を渡り、私の席まで回ってくる。
深呼吸して書状を開けば『ヴァイス将軍の処罰は女王国に一任する』とはっきり書かれていた。
――ゴールドの署名と共に。
「ふざけるな! ……貴様は何を勝手なことをしているのだ!」
私は書状を力任せに破くと、それを握りつぶしてゴールドに投げつけた。
紙礫をぶつけられても、彼は何も言わず俯いたままだった。
「この卑怯者め! ……それならばこちらも言いたいことを言わせてもらおう! そもそも領主アラン=マストヴァルを殺せと命じたのはこの男だぞ! 私は駄目だと言ったのに、コイツがこれ以上女王の手駒が増えるのは困ると! レオナール殿下を皇帝にする為に何としても殺せと!」
私はゴールドを指差して全部全部暴露してやった。
部屋中が騒然として、皆がゴールドに注目する。
その疑惑の視線を一身に浴びてゴールドが落ち着きなく周りを見渡した。
もう知ったことか!
「――ヴァルグランの罪なき民衆に乱暴を働いたのもコイツの私兵団だ! コイツがアイツらを焚きつけやがったんだ! そんな無法者共を処断したのが、この私なのに! それでもまだ皆は私が悪いと――」
私が力一杯叫んでいると、不意に胸が燃えるように熱くなった。
そしてそれに遅れて痛みが襲い掛かる。
変だな、と思い、ゆっくりと見下ろすと私の胸から血まみれの剣が生えていた。
「……もういい。お前の気持ちは十分伝わった。……これ以上は喋るな」
静かで温かい声が耳元で聞こえたような気がした。
まさか、この男にそんな声を掛けられる日が来るとは――。
私は苦笑いを浮かべると、その場で崩れ落ち、……意識を手放した。




