第8話 宰相ニール、女王と有意義な時間を過ごす。
私は親衛隊数人を護衛に寂れた教会へと入っていく。
領都から少し外れたところにあるこの教会と王城は地下通路で繋がっており、カイルはここを抜けて私の元へと逃げてきたのだ。
だから今度は私が迎えに行く。
彼は親友の忘れ形見だ。何としても守り抜かねばならない。
包囲されれば速やかに退避するよう伝えていたが、カイルは残ることを選んだと聞いた。
――両親や姉を失った彼の気持ちを考えると分からないでもない。
……だが、生きてこそだ!
両親や姉はこんな形で再会を望んではいない。
自分たちの分まで生きることを望んでいるのだ。
私はそれを伝えるためにここまで来た。
焦る気持ちを抑えながら突入準備を見守っていると、「水の女王国からの勅使が……」との報告を受けた。
……何故今なのか? そんなことよりも何故この場所が?
いや、考えるだけ無駄だろう。どうせ答えは一つしかない。
――女王国だからだ。
すでにこの場所を知られているならば、カイルが無事逃げ出せたとしても意味がない。
「……通せ」
私は腹を括って軋む椅子に腰かけた。
あちらが勅使を出してきた以上、話し合う余地があるということだ。
こんなロクでもない頭脳を持っているのは、あの性悪女だけだと思っていたが……。
しばらくして、姿を見せたのは少女二人のみ。護衛らしき者はいなかった。
戦う気はないという意思表示としては、これ以上のものはないだろう。
年少の少女が私に向って丁寧に一礼する。
それをもう一人の年上の少女が離れたところで眺めていた。
「女王陛下直属山猫部隊隊長のパールと申します。……お忙しい中時間を頂きましてありがとうございます」
ぎこちないが、礼を尽くそうとする姿に好感が持てた。
だからこそ今の皮肉気な言い回しとの差に違和感を覚えるのだ。
……おそらくこの少女は「そう言え」と命令された。
つまり――。
「本日は女王国の勅使として、帝国宰相ニール様にアリシア女王より――」
「口上の前に私も女王陛下にご挨拶させて頂きたいのですが?」
私はパールと名乗る少女の言葉を遮り、その後ろに控える彼女に視線を向けたまま答えた。
その言葉に親衛隊の面々が反応し、武器を構え直した。
こんなところにフラリと現れて一体何がしたいのだ?
しかも私を試すようなマネまでして。
私の元へは女王の風貌内面その他、ありとあらゆる情報が入ってきている。
――『他人を信用できない』『自己顕示欲が強く裏方に回ることが出来ない』。
分析の結果、私は彼女をそんな人間の典型だと判断した。
それを長短どちらに取るかは、見る人次第。
ただ、個人的にこういう類の人間との相性は悪くはないはずだ。
「どうします? 停戦に向けて動いている私を殺しますか?」
一瞬にして巻き起こった不穏な空気もどこ吹く風だ。
やはり話通りの胆力のようだ。
多少の誇張もあるだろうが、基本的には報告通りだと考えるべきだ。
それにしても『停戦』と来たか……。
こちらに対して一方的に殴り掛かってきておいて、今更それを言うのか?
「もし私を殺せば、女王国は完全に敵に回りますよ?」
私の表情から何かを読み取ったのか、彼女は低い声で囁く。
警告だと言わんばかりに。
心配せずとも初めからそのつもりはない。
そんなことより……完全に、か。
少なくとも今はそうではない、と。
……そう伝えたいのか。
「戦況をご覧ください。女王国がちょっと本気を出せばこんなモノですよ」
確かに一気に流れが変わった。
ヴァルグランが再び奪われるのは時間の問題だ。
今はカイルさえ無事ならばそれでいいという状況まで追い込まれている。
――ここで女王の機嫌を損ねる訳にもいかないだろう。
「……分かった。話し合いに応じよう」
本当に最悪の瞬間を狙って現れたものだ。
「ありがとうございます」
楽しそうに笑うその女王の表情は、どこか妹を彷彿とさせた。
女王は私の向かいの席に座り、優雅に足を組んだ。
そして武器を構えたままの親衛隊たちを悠然と見渡す。
数々の修羅場を経験しているのは本当らしく、堂々たるものだった。
私は手を振って彼らに武器を下ろすよう合図した。
「――早速ですが、レオナール殿下とイーギスを返して頂けますか?」
まず彼女が切り込んできた。
それにしても――いきなりそれか。
女王国と長兄殿下派は仲が悪いと聞いている。
おそらく彼らに対して決定的な貸しを作るためだろう。――二度と逆らえないように。
私としてもこんなときの為に殿下とイーギスを押さえておいたのだが……。
「で、そちらは何を出してくれるのだ?」
取り敢えず、是とも否とも言わず話を進める。
「カイル君の無事とヴァルグランの平穏です」
女王が即答する。
確かに彼らとの等価交換ならば、カイルとヴァルグランで順当だ。
戦況的に不利なこちらが譲歩したとしても、そのどちらか一方は必ず。
……しかし今の言い方は少々分かりにくい。
本来ならば『カイルとヴァルグランを返す』でなければならないはず。
「……明確な物言いでお願いしたい。小手先の話に終始するならば帰っていただこう。私も貴女もそれ程暇を持て余している訳でもあるまい」
外交官同士の立ち話ではないのだ。
一国の宰相と国家元首が話し合う以上、持ち帰るなどということはありえない。
即断即決。これしかない。
女王は我が意を得たりと言わんばかりに微笑んだ。
「今頃王城は落ちています。……それを前提でお話ししますが、よろしいでしょうか?」
ここで異を唱えても仕方がない。
頷くことで先を促した。
「我々女王国は領主カイル=マストヴァルをヴァルグランの主と認め、彼にその権限を返します」
額面通りに捉えるならばそうだろう。
だがそれならば、あの物言いにする必要はない。
素直に返すと言えばいいのだ。
「……続けてくれ」
「……ですが、このままマストヴァル家にヴァルグランを返しても根本的な解決にはなりません。再び要衝であるこの地を巡って激しい戦いが起きるでしょう。それはどちらにとっても好ましくない結果を生み出します」
確かに不毛な内戦を続けて豊饒なヴァルグランが荒廃してしまえば誰も得はしないだろう。
民心も荒み、新たな火種にもなりかねない。
彼女は私を見つめながら続ける。
「……ですから一旦我が国が後ろ盾になりましょう、という話です」
……なるほど。
ヴァルグランを返すのは領主のカイルに、であって帝国に、ではないという訳だ。
確かにそうなればレジスタンスも手は出せないだろう。
実質女王国の飛び地のようなモノになってしまうが、そもそもこれは女王国の勝ち戦だ。
それぐらい要求しても許されるだろう。
「――そしてこの戦いが終われば女王国は速やかに撤退し、カイル=マストヴァルの後見役を帝国の為政者に委譲すると約束します。……女王の名で書状に残しましょう」
結果、女王国は勝者が治める帝国に貸しをつくる、と。
……このやり方は嫌いではない。
「全然足りないな。イーギスとレオナール殿下を返す以上、明確な成果がないと引けないこちらの身にもなっていただきたい」
これではこちらが出す一方だ。
敗色濃厚なのは分かっているが、それでも何か形になるものがないと話にならない。
向こうも女王自身が交渉に臨んでいる以上、決裂では恰好がつかないだろう。
かなりの譲歩を見せるはずだ。……だからそこを見極める。
女王は私の表情から考えていることを読み取ったのか、満足そうに頷いた。
「では――」
彼女が何か言いかけた瞬間、私たちが潜ろうとしていた地下通路から足音が聞こえた。
徐々にその音が近づいてくる。
やがて姿を現したのは、全く見たこともない顔の四人組だった。
レジスタンス陣営なのは間違いないだろうが……。
彼らも我々の中に見知った人間を探そうとしたのか、こちらを見渡していた。
そして椅子に腰かけたままの女王に視線を合わせると、剣を持った青年が目を見開いて叫んだ。
「やはり通じていたのか! アリス!」
女王は物凄く面倒臭そうな表情を見せると、天井を見上げて舌打ちする。
その女王らしからぬ反応が中々興味深かった。
「……パール?」
今度は狩人らしき女性が女王付きの少女を見て呟いた。
「……どういうことだよ!?」
更にそれを受けて、女王に剣を向けたままの青年が再び叫ぶ。
……本当にやかましい!
女王が舌打ちしたくなる気持ちがよく分かった。
「何だよ? サファイア! 君も帝国と通じていたのか?」
何を話しているのか、さっぱり見当もつかないが、……ただひたすら、うっとうしい。
私たちは今、帝国の未来が懸っている大事な交渉をしているのだ。
頭の悪い、喚くだけの部外者は即刻退場願いたい。
女王も同じように思ったのだろう。
「……シーモアさん、彼らを黙らせて貰えますか? ですが絶対に殺さないで下さい。……貴方の腕なら簡単でしょう?」
名前も知らないはずの彼に、女王が気安く話しかける。
シーモアはどうしたものかと言わんばかりの顔でこちらに視線を寄越してきた。
……とはいっても、実際は私が勝手にそんな風に想像しただけだが。
――この男はあの日以降、人前に出るときは常に仮面を被っている。
だからこそ彼女は彼がシーモアだと判断したのだろうが……。
女王の顔を窺うと意味ありげな笑みを返してきた。
……おかげで全てが繋がる。
「シーモア! 彼らを生け捕りにしてくれ! 交渉材料にする」
「……了解」
シーモアはいつものように、ゆらりとした動きで彼らに近づいて行った。
「どうでもいいが、……その剣はどうした?」
「……ロレントさんから貰った。……それが何か?」
いきなりのシーモアの問いかけに剣士が訝し気に返事をする。
「……そうか、よかったな」
次の瞬間轟音がしたかと思えば、訳の分からない内にシーモアの膝が彼の身体にめり込んでいた。
「……弱いな」
剣士がその場に崩れ落ちるが、その攻撃の間に武道家が距離を詰めていたらしく、拳を振り上げながらシーモアに襲いかかるのが見えた。
彼はそれを腕で受け止めようとするが、武道家は攻撃が当たる瞬間に動きを止めると素早い動きで体勢を低くする。
そしてシーモアの視界から消え去ると身体をくるりと回転させながら足払いを仕掛けた。
だがそんな変則的な動きを完全に読み切っていたのだろう、シーモアは全く慌てることなく力任せに蹴り上げた。
むしろ私の目には彼の足の軌道に武道家自身が吸い込まれていったように映った。
蹴り飛ばされた彼は派手に吹っ飛び壁に叩きつけられると、ピクリとも動かなくなる。
「……面白い動きだな。……悪くない」
「トパーズ!?」
サファイアでない方の魔法使いらしき女性が叫んだ。
シーモアはそんな彼女に一瞬で間合いを詰める。
「……戦闘中はよそ見をしない」
その言葉と共にシーモアが彼女の鳩尾に拳を叩き込んだ。
男二人への攻撃と違い、少しばかり手加減したのか音も静かだった。
それでも彼女は悲鳴を上げることもなくその場に倒れ込んだ。
……あと一人。
私は礼拝堂内を見渡したが狩人の女性が見つけられなかった。
――まさか仲間を置いて逃げたのだろうか?
そう思っていると突然シーモアが振り向き、宙に浮いた何かを掴むような動きをしたかと思えば、身体を回転させながらそれを床に叩きつけた。
「ぐあぁッ!」
床の埃が舞い上がる中、うめき声を上げる女性がそこに倒れていた。――例の狩人だった。
そして礼拝堂は再び静まり返った。
結局シーモアは一度も剣を抜くことなく、あっと言う間に四人を倒してしまった。
一方的だった。
彼が強いことは知っていた。――あのロレントを倒すぐらいだ。
それでも私は改めて彼の凄さを目の当たりにすることになった。
彼は先程の激しい戦闘から再び気だるそうな態度に戻ると、部下たちに捕縛の指示を出していた。
四人全員意識はあるようで、無事に殺すことなく任務を完了したようだ。
女王も満足そうにその光景を眺めていた。
「――さて、そこにいる女性のうち、魔法使いの方は我が国の重鎮キャンベルの姪っ子でして。……更に言えば狩人の方はここに連れてきた娘の姉です。どうか彼女たちの命だけは助けて頂けないでしょうか?」
女王がこれ見よがしに、物憂げな少女の表情で願い出てくる。
……暗に「生け捕りにしろ」という指示を出しておきながら、よくもまぁ。
しかも勝手に手元に迷い込んで来たカードの価値をわざわざ高めてくれるという。
だが、これで少しは交渉も楽になるだろう。
「そちらが譲歩してくれるならば助けてやらんでもない。……して、彼らはどうするつもりだ?」
ここで感謝の気持ちを見せるのは無粋というもの。
女王も初めからこちらに譲歩するのではなく、人質というカードを切られたから譲るのだという大義が必要なのだろう。
お互いがこういった水面下での譲り合いを行うことで、交渉を円滑に纏めることが出来るのだ。
「そうですね……。折角ですから、そのままここに転がしておいてください。きっと彼らはここで起きたことをロレントさんに報告するでしょうから。……私の手間も省けて丁度いいでしょう」
女王は口調こそ穏やかなままだったが、彼ら――特にクロードに対してどこか冷酷な視線を向けている。
私はそこに何かを感じて、彼女に聞き直した。
「……して、本音は?」
「私たちが平和を作る為にどんな思いで知恵を絞っているのか知ろうともしない愚か者に、国を治めるとはどのようなことかを見せつけてやります」
「……あぁ、全くだ」
女王の気持ちは痛いほどよく分かった。
帝国にもそんな輩が大勢いる。
「こちらの苦労も知らないクセに口だけは一丁前。……取引材料にされて肩身の狭い思いをすればいい」
ついに彼女は女王の仮面を外し、剣士を睨みつけながら吐き捨てた。
確かに生意気な彼には丁度いいクスリになるだろう。
私も幾分スッキリした。
それにしてもこの女王、意外と子供っぽい部分もあるようだ。
そんなところも少し妹に似ている気がした。
そろそろ交渉を再開しようかと、お互いが目を合わせたその時、地下通路から誰かが走ってきた。
まったく、次から次へと! 今度は誰だ?
我々が通路を睨みつける中、姿を見せたのは若い女性だった。
「……っとぉ! お待たせしたっす!」
彼女はすぐに女王を見つけると、おどけた感じで敬礼する。
「……遅い!」
不機嫌なままの女王が、その勢いで女性を怒鳴りつけた。
「えぇ!? ワタシ、何か悪いコトしたっすか?」
「……冗談よ。……そんなことより早く報告しなさい」
女王は軽口を叩くと気安い笑顔になった。
おそらくこの女性は女王の側近の一人なのだろう。
「ういっす。……ウィルがカイルって子をオトしました。……以上!」
その報告とも呼べない報告に、女王が天を仰いだ。
私にもさっぱりだった。
「……マイカ、……お願いだから、こちらにおられる宰相殿にも分かるように説明して頂戴」
マイカと呼ばれた女性が私を見ると、いきなり片手を挙げて笑顔を見せた。
……もしかして今のは挨拶のつもりだったのだろうか?
怪訝な顔で見つめ返す私のことを気にする様子もなく、彼女は報告を始める。
カイルと女王国軍総大将ウィルヘルム=ハルバートとの連名でヴァルグラン領内における戦闘を全面的に禁止するとの命令を出した、と。
そしてヴァルグラン復興の為に二人で力を合わせると決めた、と。
「……で、女王国は何を差し出せばいいのかしら?」
女王の言葉に、マイカがニヤリと悪戯っぽいネコのような笑みを浮かべた。
――マイカからその詳しい内容を聞いた女王は、もう何度目になるのか分からないが天を仰いだ。
そして大きく息を吐く。
確かに、これは……。
「……まぁいいでしょう。他ならぬこの私が好きなようにしなさいと伝えたのですから。……ウィルが必要だと言うのであれば、きっとヴァルグランの為に必要なのでしょう」
女王が苦笑いを浮かべる。
私としても笑うしかない。
これだから何も知らない子供は恐ろしい。
まさか女王に同情する日が来るとは思ってもみなかった。
そんな私の表情を咎めるかのように女王が睨みつけてくる。……とは言っても彼女もどこか楽しそうだ。
「……宰相殿、私と連名で書状を記して頂けませんか?」
「内容次第だな――」
「二人の思うようにしなさい、と。……貴方たちの道を阻む者はアリシア女王と宰相ニール=アンダーソンの敵だ、と」
「……委細承知した」
きっと書状は彼らの何よりの力になるだろう。
私としてもカイルの成長の為ならばいくらでも手を貸すつもりだ。
女王もきっと同じ思いだったのだろう。
女王は出来上がった書状を丁寧に畳むと、先程のマイカに渡した。
そして威圧感の籠った視線で命令する。
「……じゃあ、届けに戻って」
「えぇー? マジっすか? ちょっとだけでも休ませてくださいよ!」
「ホラ、文句言わないの!」
マイカはがっくりと項垂れると再び通路に入って行った。
――彼らは友達になった、と。
確かに彼女はそう言った。
……本当によかった。
家族を殺されて心に傷を負い、もう死んでもいいとさえ思っていた彼に寄り添える人間を寄越してくれた女王に心の底から感謝したい。
しかし、私の口から出た言葉はそれとは全く違うモノだった。
「……ずいぶんな出費になったな」
私の軽口に、マイカを見送っていた女王がこちらに振り返ると、そこには満面の笑みが浮かんでいた。
してやったりと言わんばかりだ。――決して強がりには見えない。
まさか、これすらも彼女の筋書き通りということなのだろうか?
女王は伸びをして大きく息を吐くと、再び椅子に座る。
そしてじっと私を見つめた。
「要はヴァルグランが平和になればいいのですよ。先程も申し上げた通り、ここが係争地で無くなればそれだけで女王国の利益です」
彼女は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
――なるほど、そういうことか。
結果として我々は結束する為の大義名分を失ってしまったということだ。
すでにヴァルグランを虐げるモノは存在しない。
レジスタンスに対抗する為ならば、ヴァルグランは荒れたままの方が都合がよかった。
実際、悪逆非道のレジスタンスを討伐する為に立ち上がった帝都軍の士気は高かった。
だからと言って、敬愛する領主夫妻とその娘を奪われ、愛する家族を奪われ、住む場所を奪われたヴァルグランの民に、これ以上何を耐えろと言うのか。
彼らの不幸をダシにするのは人の道に反する行いだ。
復興に向けて、寄り添いながら一緒に汗を流す少年二人は、さぞかしヴァルグランの民を勇気づけることだろう。
ヴァルグランと女王国の輝かしい未来を象徴する二人を、領民たちは全力で支えるに違いない。
きっと女王国も歓迎されることだろう。
女王国はそれなりの対価を支払うことになったが、それでも長い目で見れば安いと判断したという訳だ。
この状況を作り出した女王が恐ろしかった。
そして何より恐ろしいのは彼女の意図を完全に汲み取り、コトを成し遂げたウィルヘルムという少年だ。
何でも山岳国の英雄の忘れ形見だとか。
女王自ら教育を施しているとも、後見にアレが付いているとも聞いている。
このセカイの二大性悪女が仕込んでいる少年など、正直関わりたくもない。
彼は間違いなく女王国の最終兵器だろう。
しかもあの少年に関しては、イロイロと信じられないような噂話も転がっている。
だが、今はそんなことより――。
「……さて交渉に戻ろうか? こちらとしても速やかに停戦を発効したい」
カイルが無事だと分かった途端、平和が恋しくなってきた。
子供たちが頑張っているのだ。ここからは大人の仕事だろう。
彼らにいいところを見せてやらなければ。
「そうですね。……私もウィルの活躍に水を差す訳にいきませんから、譲歩できるところは致しましょう」
女王も嫣然と微笑んだ。
そして二人で内容を詰めていく。
流石女王というべきだろう、完璧な停戦条件を揃えてきた。
私はそれに納得して書状を起こし、調印する。
「……本当にこれをレジスタンスが飲むと思うか?」
「飲ませます。……だから飲めない場合の条項も用意しておいたのです」
そう言いながら彼女もそれに調印する。
私は改めて条文を見直した。
確実なことは一つ。
この戦争でレジスタンスが得たモノなど無いということだ。
仮にも勝者であるにも関わらず、だ。
私の表情を見てとったのか女王が不敵に笑う。
「この戦争に勝者などありませんよ」
その気になれば、女王はレジスタンスに利する条件を盛り込むこともできた。
しかしそうなると、こちらの陣営で反発が起きる可能性があり、停戦そのものが決裂しかねない。
だから痛み分けの色合いが濃くなった。
では女王国はというと、ヴァルグラン復興の為に物資や軍を吐き出すことになった。
他国の内戦で被害にあった地域の援助の為に、だ。
通常では考えられないことだろう。
見方によっては、一方的に不利益を被ったとも言えるかもしれない。
それでも皆、この戦争を通じて本能で悟ったことだろう。
女王国の心次第で勝者が決まるのだと。
女王の機嫌を損ねた者が、陣営問わず敗者になるのだと。
――我が国の命運は、完全にこの少女に握られているのだ、と。
「女王国の日常」の方も投稿しました。
微妙に今回の話とリンクしています。
何故宰相はウィルのことを恐れていたのか、それの一端が明らかになるはずです。