第7話 ウィルヘルム、友達になりたいと伝える。
野菜などが無造作に置かれている薄暗い貯蔵庫、そこにカイル=マストヴァルは数人の兵士や臣下と共に潜んでいた。
突入した僕たちによって追い詰められたと判断した彼は、早々に自身の護衛兵に剣を投げ捨てさせる。
「……私、実はこういった狭い場所が苦手なのですよ。せっかくですから皆様もご一緒に謁見広間に行きませんか?」
そう言い放つと、両手を挙げて降参だと言いたげに笑顔を見せた。
「本当は私も両親のようにあの場所で皆様をお待ちするつもりだったのですよ。……誰だってこんなみすぼらしい部屋で最期を迎えたくありませんよね? ……それをコイツらが!」
彼は暗がりの部屋でもはっきりと分かるほどの侮蔑の視線を、周囲の者たちに向ける。
臣下たちからすれば、彼は領主家ひいてはヴァルグラン王家最後の血統だった。
どんなことをしてでも守りたかったはず。
その気持ちは痛いほど分かった。
そんな彼らに対して、冷たい笑みを浮かべながら睨みつけるカイル=マストヴァル。
でも僕の目には、彼が自分勝手で頭の悪い領主を演じているように見えた。
「……主君にロクな死に場所も用意できない無能共は、牢屋にでもブチ込んでおいてくれませんか?」
――どうか彼らの命までは奪わないで欲しい。
彼はそんな本音など言わず、ただ晴れやかな笑顔を見せる。
その表情があのときの父上と重なった。
――これは死を受け入れた人間の笑みだ。
僕は一瞬でそれを理解した。
女王国との交渉に臨む前夜、父上は忙しい時間を縫って僕と二人きりで話す時間を作ってくれた。
父上は家族が仕事場に入ることをよく思わないような古い人間だった。
それでもあの日、僕が執務室に呼ばれたという意味――。
「――もし私が綺麗な死に顔を見せ、女王国が私を英雄として祀るようなことになれば、それは山岳国の完全敗北だと考えていい。……そのときは女王にこの国の全てを任せて、お前は女王の忠臣として新しい人生を歩むといい。きっと彼女は忠誠に値する君主だ」
父上はいつも未来が見えているような話し方をする人だった。
だけどそのすぐ後、父上はイタズラっぽく口元を歪めて顔を近付けてきた。
誰も聞き耳を立てる者などいないが、内緒話みたいでちょっとだけ心が弾んだのを覚えている。
僕もそれに付き合って顔を寄せた。
「……だが、もしも苦悶の表情を浮かべた私の首が民衆の前に晒され、更に女王が私や王のことを口汚く罵るようならば十分付け入る隙がある。……取り敢えず表向きは忠誠を誓っておけばいい。そしてお前が大きくなるまで十分に力を蓄えておき、しかるべき時が来れば立ち上がれ。おそらくお前ならば勝てるだろう。……私は無理だったがな」
父上はそう言って、晴れやかな笑顔を見せたのだ。
――結果は見ての通り。
山岳国は女王国の州という形で残り、叔父上は執政官として今も健在だ。
そして私は英雄ジニアス=ハルバートの息子として大切に扱われている。
父上の言うところの完全敗北だ。
実際女王国の方々は本当に優しくしてくれるのだ。
特にキャンベルさんは父上の死に立ち会った責任を感じているようで、いつも気にかけてくれる。
こちらこそ父上が迷惑を掛けたと謝罪したら、目に涙を浮かべながら僕を抱きしめてくれた。
「……君が謝ることなど何一つないのだよ」
そう言って何度も何度も背中を撫でてくれた。
ブラウンさんもレッドさんもクロエさんも、みんなみんな僕を守ってくれている。
――パールさんも。
だから僕は彼らの気持ちに応えたいと、心の底からそう思っているのだ。
カイル君の希望通り皆で広間に向かおうとした中、サファイアさんだけがその場を離れようとしなかった。
彼女はパールさんの姉だ。
僕にとっては大事な初恋の女性を泣かせた憎き相手でもある。
折角だからこの機会に彼女はどれだけ悪い人間なのかと、イヤなところを見つけてやるのだと観察していたのだ。
だけど彼女は戦闘の最中でも僕に危害が加わらないように、それとなく守ってくれるような人だった。
言葉数は少ないけれど、優しい目で僕のことを気遣ってくれていたのだ。
ちゃんと悪い人だったら心置きなく嫌えたのに――。
「……どうしたサファイア?」
部屋を出ようとしていたクロードが振り返り、彼女に尋ねた。
彼女は少し首を傾げながら、無言のまま壁にところに備え付けられていた棚を指差す。
クロードとトパーズさんがハッとしたような顔を見合わせて頷くと、二人がかりでそれを横に動かし始めた。
棚を退かせたその奥にあったのは――隠し扉!
「……どこに繋がっているの?」
ルビーさんがカイル君の目を覗き込みながら尋ねるが、彼は笑顔のまま無言で首を振る。
この隠し扉こそ、彼が演技をしてまで知られたくなかったモノなのだ。
絶対に口を割らないという鉄の意志を感じた。
「……どこに繋がっているんだ?」
クロードも再度尋ねるが、同じく返答はない。
だけど彼は別にカイル君に尋ねていた訳ではなさそうで、天井の一点をじっと見つめていた。
僕も気になって見上げたけれど何もない。
「……教会? ……街の外に古い教会があるのか?」
クロードがポツリと呟いた。
その瞬間カイル君と臣下のオジサンたちが身体を震わせた。
「……どうやら当たりのようだね」
その様子を見て取ったクロードが笑顔になった。
あれが噂に聞く神の声なのだろうか?
クロード一行が警戒しながら真っ暗な抜け道に入って行くのを、僕は黙って見送った。
――あいにく僕の仕事はそれじゃないので。
そちらはそちらでお好きにどうぞ。
「……宰相様、申し訳ありません」
そちらを見るとカイル君が床に膝を付いて項垂れていた。
どうやらこの先に宰相がいるらしい。
そしてそこにはアリシア陛下もいるはず。根拠は無いけれど。
――そしてその横にはパールさんも。
取り敢えず書き物ができる場所に行きたいという僕の希望が通り、残された全員で会議室に向かった。
もちろん家臣のオジサンたちも一緒だ。
彼らを牢屋に入れるつもりなんてない。
僕はそんなことの為にここに来たんじゃないのだから。
むしろ彼らの仕事に期待したいぐらいだ。
「……まず僕たちの連名で停戦合意の書状を出しませんか? ヴァルグラン領内における戦闘を禁じると」
部屋に到着すると僕は早速仕事に取り掛かることにした。
第一声が予想外のモノだったのか、カイル君が首を傾げる。
「ほら、カイル君はヴァルグランの領主ですし、僕だって一応女王国の総大将です。皆さんきっと僕たちの命令ならば聞いてくれますよ。……あ、カイル君でいいですよね? 僕のことはウィルって呼んで下さい」
「……私のこともカイルでいいよ。……それと普通に喋ってくれていいから」
「そう? ……分かった。じゃあそうさせてもらうね。……取り敢えずヴァルグランでの武力行為を禁止しよう。これ以上人が死ぬのは見たくないから」
「……うん、そうだね。……私たちに出来ることをしよう」
カイル君も頷いてくれた。
僕たちの横でカイルの臣下のオジサンが、決まったことを書き記してくれていた。
「――この合意を守らなかったものはアリシア=ミア=レイクランドの名において重罰に処する、と」
「……勝手に女王の名前を使ってもいいの?」
僕の言葉にカイルが目を見開いた。
そうだよね、普通はビックリするよね。
カイルからすれば勝手に帝都にいる皇帝の名前を使っちゃう感覚だろうから。
「それに関しては大丈夫。……ヴァルグランの為になることならば好きなようにやりなさいって一任されているから。それも含めて総大将の仕事なんだって」
「……凄いね」
「でもカイルが自害しちゃったり、それを聞いたヴァルグランの民衆が蜂起しちゃったりしたら全部僕の責任になっちゃうんだけどね。……だからそういうのは止めてよね?」
「……わかったよ」
僕のイタズラっぽい笑みを見て、カイルも呆れたように笑った。
早速完成した合意書をオジサンたちにお願いして量産してもらう。
そして僕たちは片っ端からそれらにサインしていった。
……これでヴァルグラン領内での停戦が成立する。
その他のことは知らない。
それは大人の仕事であって僕の仕事じゃないからだ。
「……じゃあ、これを戦場の主だった人たちの元へ届けてきてください」
僕は書状の束をトントンと丁寧に揃えると、それを誰も座っていない隣の席へと無造作に差し出した。
すると例によって何処からともなく人が現れて、それを受取ってくれる。
「「……え?」」
その異様な光景にカイルたちが声をあげて驚いた。
僕も彼らがそこにいるって知っている訳じゃないんだけど、最近は何となく分かるようになってきた。
「……別に魔法とかじゃないからね。そんなに驚かないでくれる?」
僕の言葉に彼らは口を半開きにしたまま頷いた。
「それじゃ、そろそろ本題に入ってもいいかな?」
僕がそう切り出すと、カイルは唾を飲み込んだ。
……別に取って食おうという訳じゃないんだけど。
苦笑いを浮かべながら、まずは陛下からの書状を差し出した。
カイルがそれを神妙な顔で受け取る。
その書状に書かれているのは――。
『女王国はこの戦争の勝敗に関わらずヴァルグランの主はカイル=マストヴァルだと認める。
女王国が責任をもって疲弊したヴァルグランを支えると誓う。
詳しい話は女王の名代であるウィルヘルム=ハルバートと話し合うように。
交渉の間は彼に女王の権限を委譲すると宣言する』
――それらのことが書かれていた。
これは女王国がヴァルグランとカイル=マストヴァルの後ろ盾になると約束したことと同義だ。
そして僕が出すと決めたモノは女王の名において必ず出す、と。
僕はただの子供としてこの場所にいる訳ではない。
陛下の分身としてこの交渉の場に出向いたのだ。
――これこそが女王国流なのだ。
「……陛下は僕の祖国でもある山岳国も立て直してくれました。……女王国は絶対に約束を違えません」
まだ書状の意味を掴みかねているカイルやオジサンたちに、僕は誠意を持って伝えた。
――山岳国の元王族であることも、父上が毒を呷ったことも包み隠さず。
僕だからこそ伝えられるモノがある。
「――その書状にもあるように女王国が責任を持ってヴァルグランを守ります」
だから自信を持って交渉できるのだ。
僕はまだ理解が追い付いていないカイルに微笑みかけた。
「……僕はね、女王国に従えだとか、レジスタンスに下れとか、そんなことを伝える為にここまで来たんじゃないよ」
彼の目を見て真剣な表情でゆっくりと話す。
そうじゃないと気持ちは伝わらない。
これも陛下から学んだことだ。
「……ねぇカイル、僕と友達になってよ? もしレジスタンスがこの地を虐げるなら、僕もカイルと一緒にヴァルグランのみんなの為に武器を取るからさ」
まさか僕からそんな言葉を聞くとは思っていなかったのだろう、カイルは大きく目を見開いた。
陛下から命令されたことはたった一つ。
『ヴァルグランと領主カイル=マストヴァルをきっちりオトして来なさい』
――それだけだ。
僕は陛下の命令を正確に汲み取っているはずだ。
女王国で、陛下の側で学んだことがある。
武力で強引に落とすのは二流。
策を巡らせて陥とすのは一流。
器の違いを見せつけ、きっちりオトすのが超一流だということ。
陛下は山岳国を見事にオトしてみせた。
今や山岳国民の皆が喜んで女王陛下に仕えている。もちろん僕も含めてだ。
――要するにそういうことなのだ。
アリシア女王陛下は僕にそれをヴァルグランでやって見せなさいと、そう勅命を下さったのだ。
さぁ、僕は僕の仕事をしよう。
「ねぇ、取り敢えずはヴァルグランの復興を第一に考えようよ」
まだ戸惑っているカイルに向って、僕は笑顔で身を乗り出した。
僕は陛下のように父上のように、自信に満ちた表情を作れているだろうか。
「戦争で破壊された家や商店を立て直すための物資や資金は女王国が援助するからね。……あぁ、ちゃんとレジスタンスにも賠償させないといけないね」
ちゃんと彼らへ責任を追及する意志も示す。
彼らの落ち度をなかったことにする訳にはいかない。
たとえ微々たるモノでもレジスタンスからもきっちり取り立てないといけない。
それが筋を通すということだ。
「治安の為には兵士も必要だよね。戦争が終わったら僕は総大将の役目は無くなるケド、陛下に頼んで治安部隊か何かの隊長に任命してもらうことにするね。……だったら僕もずっとここにいられる」
「……ここにいてくれるの?」
「……迷惑かな?」
心配そうな表情を作った僕に申し訳なく思ったのか、カイルは力いっぱい首を振った。
「……何か他に気になることはある?」
いろいろ決めてから、今度はカイルからの要求も受け付けることにする。
彼の領地への想いが反映されていないと意味がない。
ヴァルグランを彼に返すというのはそういうことだ。
「……戦争で荒れた農耕地を、……タネまきの季節が来る前に何とかしたい、な」
カイルが力なく呟いた。
そして彼はポツポツ話してくれた。
母上は田舎の農家の娘だったと。
タネまきの季節に毎年「今年の作物は立派に育つのか」と心配していたと。
だからカイルも姉上もそれが気になるようになったと。
「……いい母上様ですね」
「……そうだね。優しくて素敵な母だ、よ」
過去形で伝えたくなかった。
彼も僕の言いたいことが伝わったのか同じような言葉で返ってくる。
カイルは実り豊かなヴァルグランを領民たちに返したいと願った。
それこそが領民の喜ぶ形だと。
母もきっと喜んでくれると。
「……わかった。じゃあ軍の一部を農耕地を整備するために出すね。具体的にどうすればいいのかは現地でみんなにちゃんと教えてあげてね。……それに従わせるから」
「……兵士にそんなことをさせてもいいの?」
「いいんだよ。だって僕がそう命じるんだから。……それがヴァルグランの為になるのなら、絶対にやらせる」
僕は強い意志を示した。
カイルの願ったことは最優先だ。
何をおいても守らなければいけない。
「……そう。……ありがとう」
カイルは丁寧に頭を下げてくれた。
そこに居たのは同年代のカイルではなくて、領主カイル=マストヴァルだった。
それからも細々と詰めていたが、カイルが不意に黙り込んだ。
そして僕の目を見つめると、何かを決心したように口を開く。
「……ねぇ、ウィルは山岳国が女王国に下ると決まったとき、悔しくなかった?」
僕はその気持ちが痛いほどよく分かった。
そしてその質問に答える為に僕はこの地へと派遣されたのだ。
だから僕も正直に答えることにした。
「……そうだね」
女王国の人質になって、何も思わなかった訳ではない。
ジニアス=ハルバートの息子としてそれなりの矜持もあった。
「悔しかったよ。……父上や山岳王だった叔父上、そして長い歴史が全部否定されるような気持ちになった」
僕の言葉にカイルが頷く。
「だけどね、今はみんな結構幸せにやっているんだよね。国が無くなっちゃったのにね。……で、そのときふと思ったんだ。国民が新しい国で幸せに暮らしているなら、もうそれでいいやって」
みんなが悔しさを噛みしめながら、血の涙を流しながら女王国に従っているのであれば、僕はどんな手を使ってでも立ち上がっただろう。
でもみんな笑顔だった。
そしてその笑顔は他ならぬ父上が守った笑顔だった。
だから僕もそれを守りたいと思った。
「……それに陛下は本当によくして下さるんだ」
アリシア陛下に連れられて、はるばる帝国までやってきた。
ここで色々なことを学んだ。
女王陛下の仕事を近くで見てきた。
そしていつしか陛下の役に立ちたいと、そう思うようになった。
だから総大将に任命されたその日、僕はハルバート一族の男としてアリシア女王陛下の戦戟にならんと誓いを立てたのだ。
僕の言葉に何かを感じてくれたのか、カイルは何度も頷いた。
「ねぇ、もう一度お願いするよ。……カイル、僕の友達になって?」
僕はゆっくりと右手を差し出した。
「……うん。よろしく!」
カイルがその手を力強く握り返してくれた。
その光景を見て、これまで無言で交渉の様子を見守っていたマイカさんが急に立ち上がった。
「……それじゃあ姐さんに報告してくるね~」
その気の抜けたような声のせいで、部屋に広がっていた感動の空気がみるみる霧散していく。
……もう、なんかイロイロなモノが台無しだ。
この人は美人なのにいつもいつもこんな感じなのだ。
それなのに何故かパールさんと同じぐらい人気がある。
全く理解できない。
「あの……宰相様に私は無事だと伝えてもらえますか?」
カイルもその場に二人が揃っているのだと無意識で気付いていたのだろうか、そう彼女に伝える。
「あぁ、それと僕からもお願いします……『陛下に委譲された権限はマイカさんの報告を持ってお返しします』と」
「りょーかいッス」
彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべると、僕の頭を軽く一撫でしてから部屋を飛び出していった。
「……君たちのところには、いろんな人がいるんだね」
「……そりゃ、もう……」
色々な意味を含めて、溜め息交じりに答えた。
そして顔を見合わせると、二人で声を揃えて笑った。