第6話 トパーズ、女王国の懐の深さを知る。
アリスはレジスタンスと距離を置きつつも、戦況は完全に把握していたらしい。
女王国軍はユーミルの司令部に合流すると、早速その翌日にはマーディラに向けて進軍を開始した。
帝国軍の防衛の弱い部分を一点突破し、強引に壁をこじ開けていく。
『兵は神速を貴ぶ』という山岳国の言葉があるのだが、まさにそれを見せつける形だった。
戦場の空気が一瞬にして変わるのを感じた。
――やはり女王国軍は強い。
敵味方問わずそれを痛感することになった。
戦闘の合間に声を掛け合って入念に状況把握を行う。
進軍に伴い足りない物資、兵士を各部隊長の裁量で融通しあう。
戦局に応じて度々作戦の変更を行うが、兵士たちはそれを難なく受け入れ対応していく。
まさに『兵に常勢なし』を体現するものだった。
ちなみにこれも祖国の言葉だ。
一つ確実に言えることは、女王国軍の総大将は相当軍略に精通した人間だということだ。
それでいて各部隊の特長を把握し、彼らを意のままに操る手腕を持っている。
レジスタンスにそこまでの人材はいなかった。
そのあたりも女王国の懐の深さを表している。
女王国が戦争慣れしているのは知っていたが、一緒に戦うと改めてそれらを思い知らされた。
我々との戦争で疲弊した帝国正規軍は次々に変わる戦局への対応に遅れ、全てが後手に回った。
イーギスの惨状を彼らも知っていたのだろう、女王国軍の前に立ちふさがり足止めしようという気骨の者が現れることもない。
我々はただ進軍する女王国軍の後を付いていくだけでよかった。
……そして彼らは瞬く間に領都マーディラの再包囲に成功したのだった。
「トパーズ……だよな?」
そう声を掛けられたのは包囲戦に向けての作戦会議が終了した直後だった。
とはいえ、冒険者が会議に出席することは許可されていない。
我々はただ単に天幕の近くで身体を休めていただけだった。
会議に出る資格があるのは女王国軍関係者と、レジスタンスの軍の偉いさんが申し訳程度に数人といったところだ。
一応出席者の一人であるヴァイスから内容ぐらいは聞かされているが。
レジスタンスの人間は随分と邪険に扱われているらしい。
――「素人は黙っておけと言わんばかりだった」とはヴァイスの弁だ。
女王国からすれば、面倒を起こした挙句泣きついてきた分際で、余計な口を挟むなという感じか。
彼らの気持ちも分からないでもない。
私は改めて声を掛けてきた人間の顔を見た。
……ブラウンだったか、確かそんな名前の将軍だ。
丁度その彼が将官用の天幕から出てきたところだった。
女王であるアリスの側近だと聞いている。
女王国誕生の立役者でもあるという。決起集会のときもアリスの後ろに控えて、周囲を用心深く窺っていたので覚えていた。
あの煌びやかな場で、餓えた狼のような目をしていた数少ない人間の一人だったので印象深かったのだ。
女王に楯突く形になってしまった我々には、良い感情を持っていないだろう。
――何か嫌味の一つでも言いに来たのか?
私が少し警戒しながら無言で頷くと、彼はホッとしたような表情を浮かべる。
笑うと随分と人懐っこい印象だ。
一瞬にしてその場の不穏な雰囲気が和んだ。
「姐さんから伝言があるんだが。……ちょっといいか?」
「……姐さん?」
聞きなれない言葉だった。
「あぁっと、……すまんな。ウチのアリシア女王陛下のことだ」
アリスのことか……。
自国の女王を姐さん呼ばわりは、その何というか、……凄い。
それを許しているアリスも。
「アンタらに城内への侵入を任せると決定したことは聞いているか?」
私はその問いに無言で頷いた。
数日前にヴァイスからそのように聞いていた。
このような潜入奇襲任務は、我々パーティが一番慣れていると自負するところだ。
「……で、だな。……そのときウチの総大将も連れて行って欲しいんだ」
「……総大将?」
総大将というぐらいだから、女王国軍で一番上に立つ人間だろう。
そんな人間を最前線に連れて行く意味が分からない。
パーティの皆でどうしたものかと顔を見合わせている間、ブラウンは落ち着きなく天幕の出入り口付近を見ていた。
「……あぁ、早く。コッチだ!」
ブラウンが大きく振る手を目印に小走りで駆け寄ってきたは一人の少年だった。
……まさかこの子がそうなのか?
「コイツが総大将だ」
ブラウンがそう紹介すると、少年の頭を乱暴に撫で回した。
少年は嫌な一つ顔しないで、されるがままだ。
その姿が少し子犬っぽい感じを思い起こさせる。
おまけに今度は総大将をコイツ呼ばわりだ。
……子犬扱いした私もそれなりに不遜だが。
それにしても相変わらず女王国は無茶をする。――こんな少年を戦場に連れ出すなどと。
おそらく相手の総大将が少年だからそれに対する当てつけのようなモノだろうが。
……それでもなお、女王国は強かった。
少年を補佐する人材が豊富に揃っているのだと、見せつける意味もあるに違いない。
アリスの考えそうなことだった。
改めて少年が我々に向かって丁寧に頭を下げた。
「皆様初めまして。今回の女王国軍遠征で総大将をしております、ウィルヘルム=ハルバートです。……以後よろしくお願いいたします」
ハキハキとした好感のもてる挨拶だった。
今更だが我々は女王国の総大将が誰なのかも知らされていなかったことに気付いた。
「実はコイツ、ただのガキじゃなくて、山岳国の偉い人の息子なんだ」
その言葉で思い当たった。
……ハルバートというのは――。
「……ジニアス=ハルバート候、です、か?」
「はい! そうです!」
私の呟きに反応したハルバート少年が、嬉しそうに私の目を見つめながら何度も何度も頷いた。
山岳国出身の人間なら誰もが知っている名前だ。
ユーノス王の最側近であり国の頭脳と呼ばれる程の人物だった。……だった、だ。
会議の場で覚悟を見せる為、笑顔で毒を飲み干したと聞いている。
女王国との交渉で、それも辣腕で知られるアリス――アリシア女王――を相手に一歩も引くことなく毅然とした態度で、国民の未来の為に要求した事項を全て呑ませたということも。
――それを通す為に自分の命を女王に差し出したのだと!
少年は今でもそんな英雄である父親を尊敬しているのだろう。
それが十分過ぎる程に窺えた。
「今回はこのウィルの初陣でよぉ。ここまでは順調で何の問題もないんだが、姐さんが領主息子の説得もコイツにやらせろって言っててよお、……なぁ? ……メチャクチャだろ?」
そういってブラウンが大笑いする。
何がおかしいのかハルバート少年も同じように笑っていた。
「まぁ、領主のカイルも同じぐらいの歳だし、境遇も似ているから何とかなりそうな気もするが。……とにかく姐さんとしては絶対に領主息子を生かしておきたいという話だ。前回領主夫妻とその娘が死んだって聞いて相当キレてたからな、……って確かアンタらもあの会議にいたらしいな」
あのキレっぷりは私も見ていて恐ろしかった。
彼女が立ち去った後の会議室の混乱も相まって、改めて格の違いを思い知らされた。
上に立つ者はかくあるべしという威厳がそこにあった。
「……下手に大人が説得したり、力ずくで生け捕りしても意味ねぇんだとよ。……大事な家族を惨殺された彼の心に寄り添わないといけないって。……コイツならそれが出来るだろうって」
今度は少年の頭をポンポンと叩きだすブラウン。
総大将に対する敬意の欠片もなかった。
それでもお互い笑顔を見せていた。
そのあたりがいかにも女王国らしくて微笑ましかった。
「で、無理を言うが、コイツをカイルの元へと届けてほしいんだ。どうせアンタらもそこまでいくんだろ?」
「……言っていることは分かる。それが大事なことも、だ。……しかしこの子を守りながら突入なんてどう考えても無理だ」
こちらだって決死の思いで敵陣に飛び込むのだ。
自分の身を守るのが精いっぱいで、この子にまで気を回すのは流石に厳しい。
それを説明する。
「あぁ、心配しなくても、それに関しては大丈夫だ。……ホレ」
そういってブラウンは傍らのウィル少年の肩に手を乗せる。
ハルバート少年は彼の顔を見てにっこり微笑むと、無造作に片手を挙げた。
――そして次の瞬間、全身が粟立つのを感じた。
途轍もない殺気が四方八方から襲い掛かる。
慌てて周りを見渡すと、我々はすでに数人の武装した人間に囲まれていた。
彼らが手にしていた短刀ならば、一足飛びで喉元を狙える位置だ。
武器や拳を構える間すら無かった。
そういうのに疎いルビーだけが困惑した表情で私を見つめていた。
「と、まぁこんな風にコイツにはおっかない護衛が付いていてだな……」
おそらく彼らが、噂に聞いたことのあるハルバート家所属の間諜だろう。
ジニアス様が山岳国の頭脳ならば、彼らは国の目であり耳であり鼻だった。
「だから心配はいらない。……ぶっちゃけコイツらだけでもイケるかもしれんが、万一に備えて露払いみたいなのを頼みたいってことだ」
「……そんな勝手なことを!」
今まで沈黙を続けていたクロードが口を挟んだ。
するとブラウンは今までの温和な態度から一転させ、獣のような目で彼を睨みつけた。
「アンタらに拒否権はないはずだ。そもそもこんな馬鹿げた戦争のきっかけを作ったのはヴァイス将軍ってことになってるが、アンタらだってその場に居合わせたっていうじゃねぇか? テメェの判断ミスのせいで両軍合わせて何千人の命が散っていったと思ってんだ! そいつらにも全員家族がいたんだぞ! 分かってんのか、オイ?」
ブラウンは野盗の頭か何かを彷彿とさせるようなドスの効いた声で威圧する。
クロードもその豹変ぶりに表情が凍りついていた。
それを言われると耳が痛い。
「それは僕たちが悪い訳じゃ――」
「見苦しい言い訳すんじゃねぇよ、クズが! ……いいか、姐さんに逆らうのはテメェらの勝手だが、本気で女王国を敵に回すつもりなら容赦はしねぇからな! あぁ!?」
和やかな雰囲気が一気に消し飛んだ。
女性二人が明らかに怯えている。
この状況を何とかしなければ――。
私がどう収めようか考えていると、ハルバート少年が困ったような顔でブラウン袖を引っ張った。
「……ブラウンさん、落ち着いてください。ねぇ……」
ブラウンは不機嫌そうな顔のまま少年の方に視線を向ける。
だが少年は全くそれに怯むことなく、穏やかな笑顔を見せて小首を傾げるのだ。
それを見て徐々にブラウンの表情から険がなくなっていく。
そして目を閉じて溜め息を一つ。
「……わりぃな」
やがてブラウンは苦笑いをすると、今までにない優しい手つきで少年の頭を撫で始めた。
さすがハルバート候の御子息だけあって、堂々たるモノだった。
山岳国出身というだけの、部外者である私でさえ誇らしいと思える程だった。
撫でられて目を細めているその姿は、やはりイヌっぽいが。
「……まぁ、……そんな感じだ。そのときが来たらよろしく頼むわ」
用事は済んだのか、ブラウンは咳払いしてその場を後にしようとしたが、数歩進んで立ち止まった。
彼は少年だけを先に行かせるとこちらに戻ってきた。
……今度は何だ?
少年の前では言えなかったことがあったのだろうか。
しかし彼の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「アブねぇ、忘れるところだった。……ルビーってのはアンタだよな?」
おもむろにルビーを指差す。
「はい、そうですが。……どうかされましたか?」
ルビーはいきなり自分を名指しされて訝しげだが、それでも礼儀正しく答える。
……よく考えれば女王国の将軍相手に敬語を使うのは当然のことだった。
今更だがその失念に気付いた。
つい彼の雰囲気で判断してしまったようだ。
「キャンベルのおやっさんの姪っ子でいいんだよな? ――ケンタロス=キャンベル」
「……はい! 伯父様です!」
一転してルビーが笑顔になった。
ブラウンも安心したのか先程のような温和な表情を浮かべて大きく頷いた。
「おぉ、よかった。……実はアンタらに会いに行くっていったら、おやっさんに姪が元気か確かめて来てくれって頼まれてよぉ。『大丈夫か? ちゃんと飯食えてるか?』って聞いてこいって。……もう大人なんだから、大丈夫だろって言ってやったんだが、しつこくてな。……そんなに気になるなら自分で会えばいいのに、『私は祖国を裏切ったから合わす顔がない』とか何とかウジウジ言ってさぁ、……ホント面倒くせぇ」
そういって頭を掻くブラウン。
わざわざ声色を変えていたのはモノマネか何かだろうか?
知らない私には似ているかどうかも分からないが。
だがルビーが声を上げて笑い出したことを見れば、案外似ていたのかもしれない。
……確か彼女の伯父は聖王国の重鎮だったはず。
今は女王国にいるということか。それも女王の側近に伝言を頼める立場に。
「……はい、大丈夫ですよ。元気にやっています。……皆さんもよくして下さいますし」
いつになくルビーの声が弾んでいた。
やっぱり離れ離れになった家族、それも祖国が滅んでしまったと聞いていたら、気になって仕方なかったはずだ。
ずっと実家に帰っていない私ですら、故郷がどうなったのか気になるというのに。
まぁ、アリスなら悪いようにはしないと信じているが。
それにハルバート候が命を懸けて民を守ってくれたと聞いていたし、何より御子息のハルバート少年が楽しそうにやっていることで大丈夫だと確信が持てた。
「……伯父様も元気でやっていますか?」
「あぁピンピンしてるぞ。この前もイーギスでドカンと一発やってたよ。ってアンタらもあそこにいたんだな? ……あのときの一発目がおやっさんだ!」
あの凄まじい爆発か……。
ルビーが驚く程の上級魔法だったと記憶している。
東方魔術師が帝国で恐れられている理由がよく分かった。――正直あれは人の手に余る。
「……でも性格の良さは折り紙つきだよな。神経質そうな顔で随分と損してるが、ちゃんと付き合えばいい人って分かるのに何かちょっともったいないよな?」
「そうですね」
ルビーも伯父の理解者がいたのが、嬉しそうだ。
「……もしよければ今からコッチに来ねぇか? 折角だからおやっさんに元気な顔を見せてやりなよ。まだ天幕に残っているだろうから」
「……いいのかなぁ?」
ルビーがこちらに視線を寄越した。
会いに行きたいと、その表情が何より物語っている。
「いいよ、行っておいで。お互い最後かもしれないのだから……」
クロードが何か言う前に私が答えた。
ここは戦場だ。今生の別れになることもある。
会える場所にいるのだからちゃんと会っておいた方がいい。
そういう意味を込めた。
彼女は何か覚悟したように頷くと、ブラウンと一緒に天幕へ向けて歩いて行った。
「勝手なことを……」
クロードが何か呟いたが、全く気にならなかった。
ルビーの笑顔を守りたいと願う私の心に従ったまでのこと。
たとえサファイアが私を殺しそうな目で睨んできたとしても、それは決して揺るがない。
…………え!?
思わず彼女に向き直ると、すでにこちらから視線を外して弓の手入れを始めていた。
今のは何かの見間違いだった、の……だろう。
そう信じたい。