第5話 ゴールド、アリスの対応に憤慨する。
珍しくテオドールから話があるということなので、早速私は彼の執務室へと向かった。
執務室のあるフロアでは彼の部下たちが慌ただしく動き回っていた。
それだけで何か大変なことが起こったのだと察する。
何が起きても動じないようドアの前で深呼吸して部屋に入ると、中ではテオドールとケイトの二人が真剣な表情で顔を突き合わせていた。
ケイトは軽く一礼だけすると、飲み物を用意する旨を告げ、慌ただしく立ち去った。
私が勧められたソファに腰を下ろすと、テオドールは神妙な顔を崩さずスッと一通の書状を差し出してきた。
おそらくケイトが席を外している間に読んでおけということだろう。
仕方なくその書状に目を通していたのだが、次第に怒りがこみ上げてきた。
最後はロレントとヴァイス連名での署名で締められていた。
すなわちこれが司令部の総意ということなのだろう。
私は冷静さを取り戻すため丁寧にその書状を畳むと、そっとテオドールに押し戻した。
――よりによって私とテオドールの二人で女王に援軍を頼みに行けと?
あの野蛮人共に何かを願い出るなど、帝国貴族の名が泣くというもの。
それに今更どのような顔をして頭を下げに行けというのだ?
もちろんこの戦争で負けてしまっては全てが無に帰すということは理解している。
女王国は負けたところで痛くも痒くもないだろうが、私たちはその瞬間に首が胴から離れると考えるべきだ。
絶対に負けられない戦いがここにはあるのだ。
私はいつの間にか目の前に置かれていた紅茶に口を付けて喉を潤した。
「……書状には一刻も早い援軍が必要とあります。女王国も派兵の準備があるでしょうから、今すぐにでも要請の為、女王国公館へと向かいたいのですが、……どうでしょう?」
テオドールが縋るような目つきで私の判断を待っていた。
彼も相棒のロレントがいないから、相談できるような相手は私ぐらいしかいないのだろう。
その気持ちは分からないでもない。……ない、が。
私に何かの決断を委ねるのは今回限りで止めてもらいたいものだ。
「……やむを得ませんな。そう致しましょう」
女王に頭を下げるのは苦痛だが、それでも勝つためには仕方がない。
私の決断を受けて、テオドールはようやく安堵の表情を浮かべた。
「……ケイト。あちらにお話ししたいことがあると伝えてもらえるか? ……大至急だと」
「はい」
ケイトは頷くとすぐに部屋を飛び出していった。
まもなく先方の了承を得たとケイトから報告を受け、早速私たちは馬車に乗り込むと、港湾区にある女王国の公館に急がせた。
――実際は公館とは名ばかりの貧乏臭いあばら屋だが。
船乗りどもの喧しい声が耳障りなこんな場所で、寝食できる女王の神経が全く理解できない。
やはり野蛮人の主は野蛮人ということか。
苛立つ思いで公館に入ると、我々を出迎えたのはクロエ夫人だった。
「……お待ちしておりましたわ」
さもここの住人かのように振る舞うその姿が更に私を苛立たせる。
考えてみれば今横にいるテオドールは夫婦で連携し、レジスタンスと女王国の二枚賭けをしているようなものだ。
最悪レジスタンスが負けても女王国は彼ら家族を助けるだろうし、帝都も女王国を敵に回したくないからそれを黙認するだろう。
……全く夫婦揃って姑息なことだ。
クロエに案内されて会議室に向かう間、公館内部を見渡すが絵も飾り物も何もなかった。
優雅さの欠片もない。
働いている者も小娘と荒くれ者ばかりだ。
人材不足も甚だしい。――これだから未開国は!
仮にも国の窓口だろうに、そのことが理解できないのはやはりその程度ということだ。
やはり彼らは腕っ節だけが取り柄の蛮族に過ぎない。
栄えある帝国貴族の私が何故こんな場所に出向き、頭を下げなければいけないのか。
そんなことを考えるだけで憂鬱だった。
女王は会議室と呼ぶのにも憚れるようなテーブルと椅子しかない部屋で待っていた。
何故かその女王の隣には子供まで座っている。
年齢的に女王の子供ということはないだろうが……。
おそらくクロエと街を出歩いていたとの報告があった子供だろう。
――どうせどこぞの有力田舎貴族の息子だろうが、呑気に帝国観光気分とは恐れ入る。
他にもいろいろ軍人らしき人間もいた。
私たちが部屋に入っても誰一人として立ち上がろうさえとしなかった。
「本日は不躾にも公館に押し掛けるような形になり、申し訳ございません」
部屋に入るなりテオドールが頭を下げたので、私だけが下げない訳にもいかず、それに続く。
「……どうぞ、お座りくださいな」
女王に貧乏臭い椅子を勧められ、仕方なく私はそこに腰かけた。
他の者たちはいつまで待っても立ち去る気配を見せない。
……まさか命令しないと出て行かないのか?
コイツらは一体どれだけマナーを知らないのだ!?
「これから大事な話をさせていただきたきますので……」
仕方なく私が彼らを見渡し、暗に立ち去れと示唆したのだが、彼らはそれが何か? と言わんばかりにじっとこちらを見つめたままだ。
気の利かないヤツらめ。
これだから――。
「彼らにも立ち会うように命令したのは私です」
私の考えを遮るように女王が言い放った。
顔を見ると微かに笑顔を見せている。
座ったままの彼らもどことなく上機嫌だった。
……そうか、帝国貴族たる私が頭を下げるところを見物させておきたいと。
そして私に恥をかかせたいということか。――よく分かった。
テオドールが改めて戦況報告を始めた。
女王は余裕の笑みでそれに耳を傾ける。
他の者たちは聞いているのかいないのか。
よく考えれば女王国は独自の情報網を持っていると聞く。今更聞くほどのことではないのかもしれない。
「……アラン=マストヴァル殿は民衆を愛し、そして愛されていた領主だったそうですね? 彼らの為に城の庭を開放して好きなだけ絵を描かせていたとか。アラン殿も彼らに交じって絵を描くのが楽しみだったとか」
彼の報告が終わり女王の反応を待っていると、彼女は誰に視線を合わせる訳でもなく呟いた。
皆が黙ってそれを聞く。
私も口を挟む程のことではないので同じように黙っていた。
「……城に飾られていたそれらを、押し入ったレジスタンスが破り捨て、金目になりそうな額縁だけを略奪したとか」
それを聞き、女王の横に座っていた少年が少しだけ表情を曇らせた。
「……それのみならず、ずいぶんと街で狼藉を働いたんですってね?」
女王はそこで一呼吸おくと、少し離れた所にいた軍人らしき者に視線をやった。
「ブラウン!」「はッ!」
彼女の呼びかけに彼は軍人らしい口調で答える。
名前ぐらいは聞いたことがあった。
どんな無茶な作戦でも女王の意図を汲んで成功させるという歴戦の将軍だとか。
確かヴァイスがそのようなことを言っていた記憶がある。
「女王国において軍務中とはいえ、無抵抗な民衆を殺害した者は?」
「当然死罪です」
「無抵抗な婦女子を乱暴した者は?」「去勢した後、懲役刑です」
「無銭飲食をした者は?」
「……え? ……さぁ、ちょっと。……あ、でも取り敢えず俺が責任もってボコっておきます。……その後懲役刑ですか、ね?」
歯切れよく答えていたが、最後は準備不足だったのか詰まって頭を掻きながら答えた。
「……もう、締まらないわね」
女王が口元を歪めて笑い出すと、周りでも同じようにクスクスと笑いが起きた。
クロエも口に手を当てて笑っていた。
いかにも自分も女王国の一員だと言いたげな振る舞いに虫唾が走った。
「ですが、それぐらい軍とは規律正しくないといけないのです。……で、略奪した者、無抵抗な民衆を殺害した者、強姦した者、その他諸々。……彼らはキチンと罰せられたのでしょうか?」
女王が私に視線を合わせた。――私に答えるよう求めているのだ。
貴族仲間から彼の息子がヴァイスによって処刑されたという話は聞いていた。
平民なのにも関わらず何様だ、早くあの男の首を落として欲しいという怒りの陳情とともに。
……だが、それは身内の恥だから黙っておく方がいいだろう。
そんなことを考えていると女王がクスリと笑いを漏らした。
それでようやく試されていたのだと悟った。
女王はヴァルグランで私兵団が処罰を受けていることを知っていたのだ。
「規律正しい我が女王国軍が、野蛮人同然の彼らと一緒に戦うというのは無理がありませんか? ……もし我が軍の協力を要請するならば、それなりのケジメを付けて頂かないと」
私から一切視線を外さず、女王は不敵に笑った。
おまけに野蛮人いう言葉を使ってこちらを挑発してきた。
我々が陰で女王国の人間をそう呼んでいることを知っているのだと言わんばかりだ。
「……ケジメ、ですと?」
「はい、責任者である長兄殿下からヴァルグラン領民への心からの謝罪をして頂きたく思います。現地入りして彼らの前で頭を下げて許しを乞うてください」
「ふ、ふざけないで頂きたい! レオナール殿下は関係ないでしょう!」
そもそも一刻も早い援軍が必要とされているのだ。
殿下がヴァルグラン入りする頃には戦争が終わっているかもしれない。
私が睨みつけると女王は少しおどけたような表情を見せた。
おそらく本気ではなかったのだろう。
ただ単に私の反応を面白がっているだけだ。――悪趣味にも程がある。
女王は咳払いすると、一転して真剣な表情を見せる。
そして一点を射抜くような眼でこちらを見てきた。
「……そうですか。……では一体誰の責任でしょう?」
今までと違いゆっくりとかみ砕くように尋ねてくる。
私はしばし思案した。
……ここで対応を間違えるわけにいかない。
おそらくこれで流れが出来上がる。
私は慎重にその問いに答えた。
「……やはり、ヴァイスでしょうな」
現場の責任者。それでいて平民出身だからレオナール殿下の傷にもならない。
彼に処刑された者の親族からの突き上げに応えることも出来る。
何より私も責任を回避できる。
女王も納得したように大きく頷いた。
「……そうですね、それが落とし所でしょう。……了解しました。この内乱が終わればヴァイス将軍には責任を取ってもらえると、そういうことでよろしいですね?」
女王の念押しに、私は無言で頷いた。
「処分内容は女王国に一任していただいても?」
部外者の分際で口出しするなと言ってやりたいが、強く出られる立場でもない。
これから軍を出してもらわねばならないのに、ここで意地を張って女王の機嫌を損ねる訳にはいかない。
「……そうですな。私たちが処分したとて、甘いと言われかねませんし。……ここは女王陛下にお任せしておいた方が何かとよろしいでしょうな」
「……ではその旨を証書にして残して頂けますか? 狼藉を働いた兵士の直接的な監督責任はヴァイス将軍にあると。そしてその処分は女王国に一任すると」
……また書状か!
ケイトのときの苦い思いが一瞬にして蘇ってきた。
小娘共のくせに無駄に知恵を働かせよって!
それが私の顔に出ていたのか、女王が鼻で笑った。
不愉快極まりない。
……ただ考え方によっては、この書状は殿下に傷はつかないという保証となる。
それほど悪いこともないはずだ。
私はしぶしぶではあるが了承することにした。
「……結構です。要請に従い派兵致しましょう」
女王は出来上がった証書を満足そうにじっくりと眺めるとそう口を開いた。
もっと何か要求してくるかと思っていたが、意外とあっさりしたものだ。
「……あちらの総大将はアラン=マストヴァルの御子息だという話でしたね?」
女王の問いかけにテオドールが無言で頷いた。
「ならばこちらも負けていられませんね。……折角ですから女王国の総大将もこの子で行きましょう。……紹介します、ウィルヘルム=ハルバートですわ」
女王の横に座っていた少年が椅子に座ったまま頭を下げた。
その少年の隣に座っていたクロエが、さりげなく彼の肩に手を置いて微笑む。
自分がこの子の後見人だと言わんばかりの態度だ。
そんなことより、援軍を出すと言っておきながら、こんな子供が総大将だと?
ふざけているにも程がある!
「そんな子供に何が出来――」
私がそう言うや否や、女王は不敵な笑みを浮かべて指をパチンと鳴らした。
次の瞬間、身体の付近で風が動くのを感じて鳥肌が立つ。
何が起きたのかと思い視線を動かすと、私の首筋に鋭い何かが突きつけられているのが見えた。
驚いて立ち上がると、二人の男が無言のまま左右から息のかかりそうな距離で短剣を構えていた。
「彼らは山岳国――いえ女王国が誇る英雄ジニアス=ハルバートに従っていた者たちです。そして今は彼の息子であるこの子に忠誠を誓っています。……もういいわ、下がりなさい」
すると彼らは物音一つ立てずに壁際に控えた。
気付かなかったが、初めからそこで待機していたようだ。
私も動揺を隠すため咳払いを一つすると、再び椅子に座った。
「ウィルは我が女王国の十年後を支える大事な人間です。……まだ少年だからといって侮ると痛い目を見ることになりますよ」
女王は私から視線を外し、今度はテーブルを囲んでいる女王国の面々に視線をやる。
「さて今回派遣する女王国軍ですが、ウィルヘルム=ハルバートを女王国軍総大将に置き、我が国きっての常勝将軍ブラウン、そして魔術師団のキャンベル団長にマグレイン団長――」
名前を呼ばれた彼らが順に頭を下げていく。
「さらに近接最強の僧兵部隊からガイ将軍そしてファズ将軍。……彼らが部隊を率いて戦場に立ちます。前回のイーギス戦を遥かに上回る強力な布陣ですよ。どうぞご安心ください」
彼女は両手を大きく広げて誇らしげに語る。
「こちらとしても、大事なウィルの初陣ですからね。絶対に負けられません」
そう言い放つと女王は高らかに笑い出した。
――初めから派兵する気だったのだ。
我々が窮地に陥り頭を下げに来るまで動かなかったのは、女王国の価値を最大限まで高める為に他ならない。
……今に見ているがいい。
我々の殿下が皇帝に即位したときには、この借りは絶対に返してやる。
「――つい先程、この会談の直前に入手した情報なのですが」
こんな部屋から一刻も早く立ち去ろうと椅子から立ち上った瞬間、唐突に声を掛けられた。
訝し気にそちらに目を向けると、例によって何かを企む性格の歪んだ人間の笑みを浮かべた女王がいた。
「近いうちに御二方の耳にも入るでしょうが、どうします? ……聞きたいですか? ……もちろん聞きたいですよね?」
口元に手を当てて必死で笑いを堪えているといった感じだ。
この女狐の本性を知らない男なら、可愛い娘だと誤解することもあるだろう。
しかし私はこの小娘がロクでもない人間だと知っている。
きっと最後の最後に私たちを驚かせてやろうと、会談の間ずっと黙っていたのだろう。
……話すというならば聞いてやらないでもないが。
私は無言でそれを促した。
それを受けて、女王は咳払いをするとスッと真顔に戻る。
――そして少しの沈黙の後、衝撃の一言を告げた。
「古都イーギスが陥落しました。……いやはや宰相恐るべしですね。私も完全にウラをかかれてしまいましたわ」
完全に棒読みだった。
驚愕の中、反射的に横のテオドールを見たが、彼も無表情のままだった。
――なるほど、コイツも知っていたのだな。
この公館に入る前から、もしかしたら私を執務室に呼び出す前からこのことを知っておきながら、ずっと黙っていたと。
……それがお前たちのやり方なのだな?
私はこの部屋に居並ぶ全員を睨みつけながら、強く拳を握り込んだ。




