第4話 ルビー、小さな幸せを噛みしめる。
帝国軍の猛反撃により、領都マーディラは再びあちらに奪い返されてしまった。
それを受けてレジスタンス軍はヴァイス将軍の号令の元、司令部のあるユーミルへの退却を即決。
アタシたちはヴァイスさんの部隊に組み込まれて殿軍を担うことになった。
敵の追撃を撃退しながら、闇夜に姿を隠しながらの退却戦だ。
馬車なんて気の利いたモノなどない。
徒歩だ。
そして野宿だ。
……もう三日目だ。
夜になるとアタシたちは出来るだけ目立たないように、火を消し息を忍ばせながら身体を休ませる。
月と星の明かりで誰が何処にいるのかぐらいは何とか分かった。
全然美味しくない携帯用の硬いパンを齧ってお腹を膨らませた後、アタシはトパーズの肩にもたれかかって過ごしていた。
「……寒くないか?」
トパーズが自分の分の毛布もアタシに掛けてくれる。
普段よりも少し甘い声。
言葉は少ないが、多弁な男よりはずっといい。
彼の一言一言がより大事に思えてくるのだ。
「……ありがと」
「少し休んでおくといい。身体が辛いだろう? ユーミルまであと少しだが、まだまだ気を抜けないからな」
……あったかい。
毛布もトパーズの心も。
アタシは幸せを噛みしめていた。
――この戦争で何人もの兵士たちを殺してしまったのに。
彼らにだってアタシのように大事な人がいたはずなのに。
こんなアタシに幸せになる資格なんて、本当は無いのかもしれない。
これは死ぬ間際に見ている幸せな夢なのかもしれない。
そんな気持ちを抱えながら、ためらいつつも毛布の下でトパーズの手を握りしめる。
彼は驚いたように指先を震わせたが、小さく息を吐くと柔らかく握り返してくれた。
その温かさは確かに存在していた。
身動ぎする気配を感じてそちらに視線をやると、ヴァイスさん姿勢を変えて座り直すところだった。
この数日間、彼の表情から警戒感が消えることは無かった。
月明かりぐらいしかない夜の闇の中でも、はっきりと分かるぐらい眉間に皺を寄せている。
彼は責任感のあるいい将軍だと思う。
……思うけれど。
誰が見ても分かる通り、今回領都マーディラを奪い返された原因は単純に兵力不足によるものだ。
だけど兵士たちの素行不良も間違いなく敗因の一つに挙げられるだろう。
おかげでアタシたちは、しなくていい苦労をさせられたのだ。
正直彼の監督責任は重い。
ヴァイスさんもそれを痛感しているだろう。
「――そもそもアタシたちがポルトグランデに戻っている間、一体何があったのですか? ……本当に兵士たちが言われているような蛮行を犯したのですか? ……それともそんな噂を流されたのですか?」
アタシは思い切って彼に問いかけた。
今までその機会がなかったが、ずっとこのことを聞きたかったのだ。
アタシもトパーズ程じゃないけれど、彼とはそれなりに親しくしていた。
夜警任務中のトパーズを待っていると、それとなく休憩時間を教えてもらえたり、お返しに多めに持ってきたお菓子をあげたりしたこともあった。
お菓子のお礼なのか、可愛いリボンを頂いたことも。
そんな彼の人間性から考えて、あんな蛮行を許すとは到底思えなかったのだ。
頭の切れる人間がデマを流して、上手く民衆を焚きつけたと考える方が余程現実的だった。
ヴァイスさんはアタシの言葉に苦笑を洩らした。
「すまないな、気を使わせて……」
そして彼は語り出した。
蛮行は確かにあったのだと。
レジスタンスの正規兵ではなく、上級貴族の私兵団たちが暴走したのだと。
彼らはヴァルグランに対して強い憤りを感じていたらしい。
城内を荒らし、王家の墓を荒らし、街では傍若無人な振る舞いをしたという。
無銭飲食をした挙句、代金を払うよう言ってきた店主を斬り殺して店先に放置した者までいたそうだ。
ちなみにそれをしたのは、以前アタシたちに絡んできた例のバカだという。
――彼ならやりかねない。
アタシたちは全員同時に頷いた。
一応ヴァイスさんが責任持って処刑し、首を大通りに晒したが、民衆の怒りはその程度では収まらなかったという。
領民の代表に何度も話し合いを持ちたいと要請したが、相手にしてもらえなかったと。
「――そもそも領主を勝手に殺したのが全ての始まりじゃないんですか?」
少し離れたところからクロードの声が聞こえた。
どこかヴァイスさんをバカにするような声。――因果応報だと言いたげに。
そちらを見ると、サファイアもアタシと同じように隣のクロードに凭れかかりながらこちらを見ていた。
ヴァイスさんは「……そうだな」と言葉少なげに同意する。
クロードの気持ちは分かる。
確かに彼の独断専行がこの悪い流れを作ってしまったのだろう。
領主が生きていれば、もっと穏便に進めることが出来たハズ。
……だけど今、それを言わなくてもいいのに。
横でトパーズも同じように思ったのか、大きく溜め息をついた。
「……なぁ、ヴァイス。私からも一つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
トパーズがいつもより低めの声を出した。
一瞬でその場に緊張が走る。
それを嫌うかのようにヴァイスさんが笑声を漏らす。
「まぁ……答えられる範囲でなら――」
「領主アランを殺せと命令したのはゴールド卿だろう?」
疑問形ではあったが、トパーズらしからぬ強い口調での決めつけだった。
……え? バトラーさん?
「……はてさて一体何のことだか」
ヴァイスさんがおどけた口調ではぐらかした。
だけどその声と反するかのような無表情が全てを物語っていた。
「……そうか、変なことを聞いてしまったな。……忘れてくれ。私も相当疲れているようだ」
もうこれ以上何も聞くことはないと、トパーズがあくびを噛み殺しながら草の上に寝転がった。
「……心配しなくても最近年のせいか物忘れが酷くてな、一晩寝たらすぐに忘れてちまう。……お前たちもそうだよな?」
「はい」
彼の側にいた部下も短く答えた。
……こんな風にちゃんと訓練されて、空気を読める兵士もいるのに、一部のバカのせいで彼らまで汚名を被ってしまったのだ。
「アンタらも疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。……寝ずの番は俺たちに任せろ」
そう言うとヴァイスさんは立ち上がり、部下たちを引き連れてその場を去った。
アタシたちはそれを黙って見送ることしかできなかった。
何とか相手の追撃を振り切って、司令部のあるユーミルに辿り着いた。
アタシたちはその足で司令部へと顔を出す。
厳しい言葉を覚悟していたが、それは杞憂だったようで、ロレントさんが笑顔で出迎えてくれた。
ヴァイスさんが申し訳なさそうに深く頭を下げるも、笑みが消えることは無かった。
「まぁ、残念な結果になってしまったが、最悪ではない。お前たちは十分やってくれた。……まずはゆっくり身体を休めろ。明日にでも今後の方針を話し合おう」
もう一月以上戦争していたのだが、結局振り出しに戻ってしまった。
いや、むしろ状況は悪くなっていた。
ヴァイスさんは報告を終わらせると、力無い足取りで立ち去った。
それをみんなで見送っているとクロードが口を開いた。
「……今日はもう自由行動でいいよな? ……みんなも疲れているだろう?」
そう言うと彼はアタシたちの返事も聞かず、さっさと教会へと向かった。
――本当にマメなことだ。
普段は一緒に行かないサファイアも、何を思ったのか今回はそれに付いていった。
「……アタシは先にお風呂入りたいな」
正直この汗臭い身体でトパーズに寄り添うのは悲しかった。……本当に今更だけど。
「あぁ、私もひと汗流そう。……それから一緒にご飯でも食べに行くか?」
「うん!」
アタシたちは手を繋ぎながら、足取り軽く用意されている宿舎に向かった。
翌朝早速、本部から作戦会議に出席しろとの号令があり、眠い目をこすりながら司令部へと向かった。
「さて、悪い知らせが二つだ」
ロレントさんが出席者を見渡しながら、指を二本立てた。
ここは会議室だ。
アタシたちの他にヴァイスさんのような軍関係の人たちも集まっており、結構な人数になっていた。
元々この司令部に活用している建物は庁舎だったらしく、こんな部屋が沢山あった。
その中の一室で開会の挨拶もなく、ロレントさんの第一声がコレだった。
元軍人の彼らしいと言えばそうだケド。
困惑するみんなを置いてロレントさんは続ける。
が、少しだけ違和感があった。
……深刻な言葉とは裏腹に、どこか上機嫌にさえ思えたのだ。
「まずは一つ目。……どうやら宰相が軍を離れて帝都へと引き返したらしい」
ロレントさんが指を折りながら話し出す。
宰相が引き返したのは、別に悪い知らせではないと思う。
援軍として合流したのならば恐ろしいが……。
そんなアタシの考えなど関係なく、彼は続けた。
「もしかしたら本命はイーギスかもしれんな。道理でこちらへの攻勢が物足りないと思っていたんだ。どうやら余所に待機させていた本隊と合流するみたいだな」
……本命? ……本隊?
意味不明だった。
アタシたち末端まで届いていない情報が多すぎて、どう判断すればいいのか分からない。
「……レオナール殿下は御無事なのか? 速やか退避していただく為に何か手を打ったのか?」
厳しい顔でヴァイス将軍が尋ねる。
アタシたちと違って、彼はすでに今の状況を理解して受けて止めているようだ。
「知らん。少なくとも俺は何もしていない」
「今からでも――」
「間に合わんだろう? どう考えても」
「他人事のような言い方をするのだな」
ヴァイスさんは物腰こそ穏やかだったが、相当苛立っているのが見て取れた。
それに対してロレントさんは無表情を装っているが、完全に楽しんでいる感じがする。
彼が利き腕を失った経緯はトパーズと二人っきりのときに聞いていた。
その話からすれば、ロレントさんは間違いなくバトラーさんのことが大嫌いだ。
彼が悔しがる姿を見たいから、あえてこの状況で何も手を打たなかった可能性すらある。
その気持ちは分からないでもない。……到底理性的な行動だとは思えないが。
「今更どうしようもないだろう? ……言っておくが俺たちがイーギスの防衛奪還の為に引き揚げれば、ヴァルグランは完全にあちらの手に落ちてしまうぞ。そうなっちまえば、全てが水の泡だ。俺たちはそこで完全に終わる」
そう言うと、ロレントさんは首を横に掻き切る仕草を見せた。
「……こうなることを知っていたのだな?」
凄むヴァイスさんにロレントさんは首を振った。――微かに笑みを浮かべながら。
「まさか、あちらがこんな手を打ってくるなんて想像もしていなかったさ」
完全に棒読みだった。
「さて、悪い知らせ二つ目だ。アランのところの坊主が領主として入城したのが確認された。今頃ヤツらの士気は最高潮だろうな。……ここからもう一度攻勢をかけて取り返すのは、ちぃとばかり難しくなった」
坊主というのは見失ってしまった領主の長男カイル=マストヴァルのことだろう。
「……やっぱり女王国軍を頼るしかないよな」
ロレントさんが独り言のように零した。
「……頭を下げてでも軍を出してもらわないと。特にゴールド卿には恥を忍んで頂かないとな」
口調は真剣だが、相変わらず楽しんでいる響きが見え隠れしている。
でも、バトラーさんにそんなことが出来るのだろうか?
ケイトちゃんに聞けば、彼は相当アリスちゃんに反発していたらしいし。
ロレントさんはそんな彼がアリスちゃんに対して頭を下げるところを見たくて仕方がないのだろう。
「……そもそも女王国は兵を出してくれるのでしょうか? アリスちゃんをそこまで信頼していいのですか?」
一介の冒険者としてここは黙っておくつもりだったけど、思わず疑問が口から飛び出てしまった。
でもロレントさんは気を悪くした風でもなく、アタシに視線を向けると笑顔を見せた。
「ん? 悪いが全然信頼していないぞ。アイツは俺たちのことを利用するだけ利用して捨てる可能性すらあるからな。……ただ、今俺たちが使っている武器防具兵器はほとんどが女王国から仕入れたモノだ。つまり戦争が長引けばまるまるアイツらの儲けになるって寸法だ。だから俺たちがここであっさり負けるような事態は避けたいだろうな」
……想像以上に女王国は深いところで帝国を喰らっていたようだ。
むしろこの状況でどう信用しろというのだろう?
ロレントさんはアタシの苦り切った顔を見ると噴き出した。
「……まぁ、アイツはその気になれば宰相に俺たちの存在を密告することで同じぐらい利益を得ることが出来たはずなんだ。その方が遥かに安全で確実なのに、な。……だが敢えて分が悪い俺たちと組む方を選んだ。それにこんな状況になっても、まだポルトグランデを離れないでいる」
彼はまるで学校の先生のように、ゆっくりと言い含めるように話す。
「おそらく俺たちと組むことに、何か大きな意味があったんだろうな。きっと宰相じゃダメなんだろう。それが何かは知らん。だがそれが叶うまでは絶対にアイツは俺たちを裏切らない。俺のカンがそう言っている」
今の説明の何が可笑しかったのか、珍しく笑い声を上げるトパーズ。
ロレントさんはそんなトパーズに手で制した。
「まぁ、何だ。……だから、こちらが筋を通して、しかるべき人間が正式な場で頭を下げさえすれば、あちらは必ず援軍を寄越してくれる」
そう言い切ると彼はニヤリと口元を歪めた。
「それならば、イーギスにも派兵をお願いすれば――」
ヴァイスさんがすがるように言い募るが、ロレントさんは首を振る。
「いやいや、どう考えてもそれは無理だ。あれだけアイツに啖呵切っちまった後だからな。……ああいう類のヤツは敵に回すと容赦ないぞ?」
そう言うとロレントさんは弾けるように笑い出した。
アリスちゃん以外にも思い当たる人間がいるのかもしれない。
意見が真っ向から衝突していたロレントさんへの援軍は出せるのに、長兄派のイーギスには出せないという。
やっぱりアタシたちには知らないことが多すぎた。
女王国の狙いとか、レジスタンスの本音とか、帝都の考えとか。
圧倒的に情報が足りなかった。
駒でしかないアタシたちの立場が本当にもどかしく思えた。