第1話 ロレント、覚悟を決める。
俺とテオドールのオッサン二人組は執務室で頭を突き合わせ、明日の会議に向けて細かい話を詰めていた。
軽いノックが響きそちらを見ると、姿を現したのはクロエ。
……顔を見るのはあの時以来か。
何だか気恥ずかしくて、すぐに目を逸らしてしまう。
「……俺たちが道を外したらあちらに付くんじゃなかったのか?」
俺は何を言っていいのか迷った末に、ついつい憎まれ口を叩いてしまう。
その言葉に過敏に反応したクロエが、険しい表情で俺を睨みつけるのが気配で感じた。
正面を見るとテオドールまで何か言いたそうな顔をしているし。
夫婦揃って、まったく。
分かってるよ、大人げないことぐらい。
……そんな悪態をつかなきゃやってられん俺の立場も察して欲しいものだ。
『私たちが道を外すようなことがあれば、女王は敵に回る可能性がある』
確かクロエはそんなことを言っていた。
そのときは女王に付くかもしれないとも。
そして俺たちは見事に人としての道を外してしまった。――ちゃんと理解している。
「用事が済んだらあちらに戻ります。どうぞお構いなく」
クロエが温度のない声で答えた。
家ではいつもと変わらず穏やかな笑顔を見せているらしいが、俺にはその欠片も寄越しやしない。
長い付き合いなんだから、俺がこんな結果を望んでいなかったことぐらいお見通しだろうに。
クロエだってヴァルグラン侵攻自体には賛成していたと、テオドールから聞かされている。
領主夫妻を殺してしまうという不手際も、本来のコイツの感覚からすれば十分許容範囲だったはずだ。
娘まで死なせた挙句、私兵団どもが領民に暴虐の限りを尽くしたこと、それらを俺が阻止できなかったことに対して怒りを感じているだけだ。
だからと言って俺に何が出来たというんだか。
……まぁ、女王国の兵士たちが規律正しく動いている状況を見れば、こんなもの言い訳にすらならないのは分かっているが。
最終的に全てが俺に跳ね返ってくるということだ。
今まで順調すぎるほど順調だっただけに、本当にやりきれない。
「……陛下からの伝言です。『大義なき戦争に大事な兵士を奪われる訳にはいかないので、軍は出せない』と」
今回クロエは女王国の勅使のようなモノとして来たらしい。
当分の間、俺たち会うつもりはないという意志表示だ。
ホルスや他の領主も軍勢と共に引き揚げた。
一応離反する訳ではないとの言葉があったとテオドールからの報告を受けている。
何故その流れになったのかという背景も詳しく聞いた。
名目上は領地を守るためとのことだが、彼らが敵に回るのを未然に防いでくれたアリスには感謝しないといけないだろう。
「……それと先日開かれた帝国議会で――」
表向きは俺たちと距離を取りながらも、掴んだ有益な情報は無条件でこちらに流してくれている。
クロエをこちらに寄越すのも、テオドールの妻ならばここにいても不自然ではないという配慮からだろう。
何か連絡があるなら彼女を通じてしてくれと。
敵対するつもりはないという保証のようなものだ。
――まだ最悪の状況ではない。
それだけがせめてもの救いだった。
翌日、俺の呼びかけで会議が開かれた。
今回も例の大会議室なのだが、女王国と領主たちが全員欠席した為、見事にその部分だけ空間がある。
それ程大きい席割りではないと思っていたが、それでもあの存在感が無いと不安になってしまう辺り、俺も女王国に頼り切りだったのだと思い知らされる。
他の出席者たちもやはり気になるのか、チラチラとその空席に視線を向けていた。
テオドールは立ち上がると、開会の挨拶の前にそのことから説明し始める。
ホルスを中心とした領主たちとその軍勢は、自分たちの領を守る為に一旦ここを離れた、とのこと。
女王国はポルトグランデに残っているものの、当分の間は会議に出席するつもりはないと連絡があったということ。
「そんな身勝手が許されていいのか!」
それを聞いた貴族たちが口々に吠え始めた。
前回、年若いアリスに説教を食らった腹いせのようなもので、ピーチクパーチクやかましい。
しかもアリス本人が居ない分、威勢だけは良かった。
それに対して教会は不自然な程に完全な沈黙。
――コイツらは侮れないな。
このままでは収拾がつかないので、俺は咳払いをしてこちらに注意を向けさせた。
「……先に身勝手な行動を取ったのは俺たちの方だろ?」
出来るだけ冷たく言い放ってやる。
怒りに任せて俺を睨みつけるバカがいたから、「……ケンカなら買うぞ?」と低い声でこちらも睨み返す。
「……落ち着け! 話が進まん!」
立ったままのテオドールが憮然とした表情で俺の頭に拳を振り下ろすと、会議室は一瞬にして静まり返った。
「では会議を始めます」
テオドールが咳ばらいをして周りを見渡した。
「先日帝都で臨時議会が開かれ、全会一致で我々レジスタンスは反逆者として最優先討伐対象に指定されました。さらにヴァルグラン領主アランの息子であるカイル=マストヴァルが宰相に保護されていたらしく、同じく全会一致で新しいヴァルグラン領主として指名されたそうです――」
これでレジスタンス対宰相派貴族連合軍という構図が出来上がった。
彼らの旗印に任命されたのは、まだ幼い新領主カイル=マストヴァル。
弔い合戦ということもあり、相手方の士気は相当高いらしい。
結局あの場でアリスが言及した通り、全面戦争は避けられなかったようだ。
他ならぬ俺が任せて送り出した以上、結果を受け止めなければいけないのは承知している。
しかしヴァイス将軍も一体何を考えているのやら。
どうせゴールド卿あたりの差し金だろうが、余計な事をしてくれたモンだ。
――と、起きてしまったことをいつまでも悩んだところで仕方ない。
それよりも如何にして殺気立った帝国軍を凌ぐのか。
大事なのはそこだ。
状況説明を終え座ったテオドールに代わり、今度は俺が立ち上がって今後の方針を話す。
と言っても、やることは案外少ない。
まず入城しているヴァイス将軍に堅守を指示する。
そして俺自身も現地入りして、領都に近いヴァルグラン第二の都市ユーミルに司令部を作り、こちらの陣営各地からの軍隊をそこに集結させる。
司令部からその都度、必要な場所に必要なだけ兵士を送り込む。
勝ち目のない戦局は迷わず捨てる。
最悪領都マーディラさえ守り抜くことが出来ればそれで御の字だ。
戦える人間は有無を言わさず戦場に放り込む。
クロードのような冒険者たちもどこかの隊に組み込んでしまう。
……もちろん、遊撃隊として使う状況も来るだろうが。
そのあたりは臨機応変に、だ。
「ここの防衛ぐらいは残しておくべきでは?」
俺の説明を聞き、テオドールが手を挙げた。
軍事作戦に対して発言するのは珍しいが、このやり取りは打ち合わせ通り。
余計な説明を省くためだ。
確かにコイツの意見通り、本陣を抜かれたらそれで戦争終了だ。
だが心配無用。
もしアリスがこの内乱を徹底的に利用するつもりなら、俺たちが負ける前に何か手を打ってくるはずだ。
俺たちはアイツらにとってお得意様だからな。
帝国で対立が続くことこそが、女王国の利益だ。
アリスは信頼できない交渉相手だが、商売相手としては信用に値する。
ならばこちらも上手くアイツらを使うしかない。
あちらも望むところだろう。
「ここの守りはアリスに任せておけ。アイツはここに残るんだろう? だったらアイツの身を守るために軍も残るはずだ。……女王国軍がここに残っていれば宰相も手は出せまい。あちらも女王国とだけは戦争したくないだろうからな」
何だか窮地に陥れば陥るほど頭が冴えてくる気がする。
昔からそうだった。
逆に言えば平和ボケしているときに一気に押し切られると、あっさりと負ける。――あのときのように。
まぁ、つまり今は立派な窮地ってコトだ。
どうだ? と言わんばかりに俺は咳払いを一つして、参加している面々を見渡す。
「それは分かりましたが、やはりイーギスにもいくらか兵を残して――」
挙手してゴールドが俺に反論する。
コイツはこの期に及んでまだそんなことを言っているのか?
……無能め! ……いや優秀なのか?
「無理だ!」
俺はヤツの言葉を遮って断固拒否の姿勢を示した。
そもそもの原因を作ったのはお前たちだ。
どの面下げてそんな寝言が言えるのだか。
「それでは――」「くどい!」
俺の激しい言葉にゴールドは不快感を露わにした。
険悪な雰囲気の中、テオドールが無言で立ち上がり俺を強引に座らせる。
そしてゴールドに対して静かに語りかけた。
「……ゴールド卿、もうこちらにそのような余裕はありません。先日行われた帝国議会で宰相に近い領主はもちろん、両陣営と距離を置いていた中立派領主までヴァルグラン奪還戦に参加すると表明しました。……このことを知っている方は?」
テオドールが見渡すと、オランドを中心とする教会の人間全員が無言のまま手を挙げる。
……何故彼らがこの会議中ずっと沈黙を続けていたのか完全に理解できた。
教会はどうすれば自分たちの立場を守れるのか、それをこの会議で見極めようとしていたのだ。
議論の展開次第では離反も考えているのだろう。
相変わらず最低なコトで。――もちろんいい意味で、だが。
ヴァルグランでの戦勝に浮かれていた貴族連中も、ようやく自分たちの置かれた状況を理解できたようで、 お互いをけん制しながら、自分たちの責任回避の為に主張し始めた。
ヴァイスが領主夫妻を殺したのが云々、そもそも俺が強引な説得方法を選択したのが云々と。
全く見苦しい限りだ。
ただ女王国経由の情報によると、実は事態はそれ程深刻ではないらしい。
どうやら大半の中立派領主は様子見を決め込んでいるという話だ。
クロエが言うにはアリスの作戦が上手く嵌ったらしい。
最悪の状況は避けられたということだが、このことは黙っておくと決めた。
コイツらに危機感を持たせておくに越したことはない。
発言も出揃ったところで、俺はまとめに入った。
この期に及んでまだウジウジ言う奴は無視する。
「とにかく、だ。こちらには余剰戦力はない。それだけに今ここでヴァルグランを奪い返されちまうと、もう立ち直れないぞ。まだホルスたちのように中立を保ってくれている領主たちもあちら側についちまう。……女王国だって最後まで俺たちに付き合ってくれるとは限らん。そうなったら終わりだ」
俺の言葉に皆が絶句した。
レジスタンスは一度大敗したら一気に潰れる。
そんな砂上の楼閣なのだ。
そこを理解してもらわないと困る。
下手に戦力を分散して負け戦を繰り返すより、ヴァルグランに兵を集中させ、死守する方が余程結束を保つことができるのだ。
「この際、他は取られてもかまわない! 本拠地は女王国が守ってくれる! だったら俺たちがすべきことは何だ!? あちらさんが必死になって奪いに来るヴァルグランを守り切ること。それだけだ!」
皆もようやく覚悟を決めてくれたのか、力強く頷いてくれた。
それから間もなくして、ヴァルグラン防衛戦が始まった。
俺も不退転の覚悟でユーミルの司令部に入る。
戦況は上々だった。
領都マーディラの強固な防衛力を利用して籠城出来ているおかげで、ギリギリこう着状態が保てている。
外壁に備えた女王国製の兵器も上手く機能して、相手を牽制出来ているとの報告も上がっている。
もっと押し込まれると思っていたが、戦前の予想とは違い大健闘だ。
確かに俺たちはヴァルグランに軍を集中させた。――他の地の防衛を捨ててまで。
だが、それだけではないだろう。
予想しているよりも明らかに攻め方が緩いのだ。
これは気のせいで片付けていい話ではない。
あちらの心情を考えれば、何が何でもヴァルグランを落としに来ると思っていたが。
何かを狙っているのか。
何かを待っているのか。
――それとも、やはり本命はあちらだったのか?
別にあちらをオトリにするつもりはこれっぽっちもなかったが、結果的に相手が分散してくれたということらしい。
いやいや、ゴールド卿には申し訳ないことをしたかも知れんな。
俺は周りに人がいないことを確認して、笑みを隠すのを止めた。