第9話 クロエ、アリスの真意を考察する。
馬車の中でも陛下はずっと無言だった。
だけど怒っているというよりは、何かを真剣に考え込んでいる感じだ。
一緒に乗り込んだパールとマイカが、珍しい姿を見せる陛下に落ち着かないのか、ひたすら外の景色を眺めていた。
陛下は公館に着いても、出迎えの山猫の娘たちに対して無愛想に手を振るだけで、結局一言も話さないまま私室に引っ込んだ。
私も無言でそれに付いていく。
陛下はいつものように姿見の前で立ったので、私もいつも通りに着替えを手伝う。
「……ロレントさんにクロードを推薦したのは私だけど、あの二人は相性が良すぎるのかもしれないわね」
彼女は呟くと溜め息を一つこぼした。
独り言のようであり、私だけに聞かせるようであり。
私も余計なことは言わず、頷くに留めた。
「……テオドール殿が重しとして機能していないのが痛いわ」
全くその通りだ。
夫は性急すぎるロレントに先回りできていない。
彼の言動の対処に追われているだけだ。
それではただの事務方の人間に過ぎない。
テオドール=ターナーは執政官だ。
何かを発議することで初めて機能する立場なのに。
――もっと夫に権力を集中させておくべきだった。
そこから再び沈黙が訪れる。
妙な静寂の中、ようやく陛下の着替えも髪の手入れも済ませた。
「……パール! マイカ!」
「はい」「うっす」
呼べばすぐに返ってくる声。
いつの間にか部屋にいたようだ。
「パールは人払いをして頂戴。……今からクロエと二人きりで話をしたいの」
「了解しました」
「……聞き耳を立てようとする人間がいたら、どんな方法を使ってでも排除して」
「……はい」
「マイカはホルス様をこちらへお呼びして。女王から至急の話があると伝えれば、絶対に来てくださるわ」
「ういっす」
彼女たちの気配が完全に消えて、陛下と二人きりになった。
少しだけ身体が震える。
……まさか緊張しているの? この私が?
それを気取られないよう、いつもよりゆっくりと紅茶を淹れてからテーブルに向かう。
「……で、このヴァルグランの一件、どこからどこまで知っていたのか聞いてもいいかしら?」
私の着席を待って、陛下は単刀直入に聞いてきた。
相変わらずの無表情。……だがやはり怒っている感じではない。
私は会議中もずっとすぐ隣で陛下の様子を見ていた。
そもそもあの場で見せた怒りに満ちた態度も、感情が爆発した訳ではなく、ただの演出だ。
野蛮で場当たり的な政治的能力の低い上級貴族に対して、冷静で理知的な慈愛溢れる女王国、という構図を作り出す為に過ぎない。
彼女は私から盗み取った所作を上手く利用して、ここぞとばかりに女王としての威厳や気品を見せつけたのだ。
そもそも彼女の本性を考えれば、今回の件で特に何か心が痛むといったことはないはず。
むしろ心の中では、蛮行に女王国が参加していなかったことを喜んでいるぐらいだろう。
だから彼女が今ここで聞きたいのは、単純にレジスタンスと私の思考傾向だ。
女王国としての関わり方を決める為の判断材料を求めているのだ。
この方向で突き進むのか、それとも前回提示した案のように何か修正を加えるべきなのか。
人払いしてまで確かめるべきことが、私の答えの中にあるのだろう。
だから私も正直に答えることにした。
「マストヴァルからの書状が届き、それにロレントが不快感を示したそうです。その場で戦争を開始することが決定した、と。……テオ――夫からその晩に報告を受けました」
一応オランド神官長があっさりと裏切ったことや、ゴールド卿が追い込まれた末に判断したことも伝えておく。
私と一緒に聞いていたケイトが大した逡巡もなく賛成したことに驚いたが、それは別に話さなくてもいいことだろう。
テオに似た娘なら同じように反対するのかと思っていたが、意外と一線を見極める能力があるみたいだ。
母親としては嬉しさと寂しさが半分半分といった感じだが。
「……ロレントさんの作戦内容を聞いてどう思った?」
陛下は少しだけ穏やかな顔つきになった。
私の想像は間違っていなかったと確信する。
だから私も腹を割って話す。
「陛下が軍に対して工作をするという話を聞いていましたので、それが機能すれば援軍の遅延が見込めると想定しました。……その上での作戦ならば十分すぎる程に勝算はあると判断しました」
私も夫からこの決定の話を聞いた時にいい判断だと思った。
むしろこの機会を逃す意味が分からなかった。
「……そう。……でも、……もし私たちが軍への工作に動いていなかったとしたら?」
私の顔を覗き込む陛下。
必死に探ろうとしているのを感じる。
何かを確かめたがっているのだ。
「……それでも大丈夫かと。……おそらく賛成したでしょう」
一瞬考えたが、答えは変わらない。
やはりクロード一行の突破力は魅力的だ。
彼らの潜入さえ成功すれば、内側からこじ開けることができる。
先程陛下が呟いた通り、ロレントとクロードの相性は抜群だ。
ロレントの多少強引な作戦を、クロードたちは本領発揮とばかりにきっちりとやってのけるのだ。
これはケイトが潜入奇襲強襲といったあまり他の部隊がやりたがらない荒事任務を、彼らに率先して回していたこともあっただろう。
そういった任務の経験値でいえば、クロードたちは他の追随を許さない。
彼らに依存するのは組織の構造的にも心情的にも好ましいとは言えないが、すでにこのような作戦では不可欠な存在になってしまった。
「……なるほどね」
陛下は納得したように頷いた。
「……ですがこの結果には納得していません。領主夫妻だけでなくお嬢様まで命を落とすことになるとは……」
この作戦には賛成したが、こんな凄惨な結末を望んでいた訳ではない。
私だって夫と娘のいる身だ。
我が事のように感じられて、未だに冷静になりきれていない部分がある。
……それに領主のアラン=マストヴァルは昔の顔なじみだった。
ロレントだってこの展開は予想していなかっただろう。
それでも彼は女王国陣営に対抗する為、長兄殿下派と手を組むことを選んでしまった。
今更彼らの手を放すことはできないのだ。
それが陛下の思惑通りだったとしても――。
「それに関しては私にも責任があるのかもしれないわ」
私の思考を中断するように女王が呟いた。
無表情でこれといった感慨も見せずに。
「おそらく長兄殿下派の方々に鬱積したものがあったのだと思います。その原因は間違いなく私の出したあの案にあるでしょう」
別に落ち込んでいる風には見えない。
ただ淡々と事象の因果を確認している感じだ。
……だけど本当はそう見せているだけなのかもしれない。
陛下だってケイトより年下の少女なのだ。
為政者としての割り切りとは別に、この一件で心を乱していてもおかしくはない。
――こんな私だって、今回のことで胸を痛めているのだ。
私が柄にもなく感傷に浸っていると、控えめなノックと共に領主ホルスが姿を見せた。
二人で立ち上がって彼を迎え入れる。
私が三人分の紅茶を準備し終わるのを待って、陛下が切り出した。
「……すでに人払いはしています。絶対にここでの話は漏れませんので、どうぞご安心下さい」
その言葉でホルスの顔に緊張が走った。
陛下がそんな彼の気持ちをほぐそうとするかのように、まるで少女のような笑顔をみせる。
「……私はホルス様同様、民と地を治める立場ですが、だからといって貴方のように慈愛にあふれた人間かと聞かれると、とてもじゃありませんが、そうとは言い難いですね。……一応為政者としての道理だけは理解しているつもりですが」
ホルスからすれば、思っていたことと違う方向からの切り出しだったのか、首を傾げた。
そんな彼の困惑を見て取ったのか、彼女は一気に懐へ潜り込む。
「この期に及んで私はまだ、レジスタンスに肩入れするつもりです」
――まずは結論から。陛下の得意な持っていき方だ。
ホルスはその言葉に目を見開く。
やはりホルスもそのことで迷っていたようだ。
当然のことだろう。
マストヴァルと同じ領主として、今回レジスタンスのしでかしたことは到底受け入れられないはず。
直情的な領主ならば捨て台詞の一つでも吐いて、さっさと袂を分かつだろう。
だが私たちにとって幸いなことに、彼の思慮深さが判断を鈍らせている。
女王の身の振り方を聞いて、自分も判断しようとしていたのかもしれない。
だからこそ、陛下は先にレジスタンスを離れないと明言したのだ。
陛下のその表明を受けて、ホルスは俯き考え込んだ。
私はそんな彼の表情を見ながら深呼吸して、思考を巡らせることにした。
「取り敢えず、ホルス様とロゼッティア領軍は一旦領地に戻っていただいて結構です」
陛下は平然とした顔でここを離れることを勧めた。
ホルスも想像していたことを違う言葉に思わず顔をあげる。
私も内心驚きを隠せなかった。
今まさにどういう角度から説得すれば、彼の離反を防げるのかを考えていたのに。
陛下が一体何を考えているのか探ろうと横顔を窺うと、その視線を感じたのか、彼女はこちらにチラリと視線を向けて、任せろと言わんばかりに頷く。
その余裕の表情を頼もしく思うと同時に、どこか悔しさが込み上げる。
陛下に見えていて、私が見落としている何かがあるのだろうか。
私は他の者と同じようにアリシア女王陛下は先を進んでいて当然と認めるのがシャクで仕方がない。
私が錆び付いてしまったことは認めよう。
それでも今までずっと頭を使いながら生きてきたのだ。
私にだってそれなりの誇りがある。
「今、貴方がここにいると逆に他の穏健派領主の反感を買いかねません。貴方が彼らの行動を支持したと思われることこそが、我々にとって一番の損害となるでしょう。……だからこそ誰もが理解できる形で距離を置いてください」
……私もようやく陛下の考えていることが見えてきた。
レジスタンスの中でもあの戦争を支持していない者もいると、そう主張する為に彼を使うのだ。
もしレジスタンスの全勢力があの戦争という名の蛮行を支持するならば、中立派は迷わず宰相に付くことだろう。
だが自他共に認める良識派のホルスが距離をおく姿勢を示すことで、取り敢えず結論を先延ばしにして様子を見る領主が出てくるかもしれない。
これは必要以上に敵を増やさない為の一手なのだ。
「別にレジスタンスから離反する訳ではないと、あくまで抗議の意味で領地に戻るのだ、と今ここでクロエに伝えて下さるのであれば、何の問題もありません」
明確に離反されたらどうすることもできないが、こちらの対応次第でまた合流を検討してもらえるならそれで十分だ。
むしろ当面の間はホルスたちが敵に回ることはない、という保証を受け取ることができたと言える。
「……宰相もレジスタンスから距離を置いたロゼッティアやベジルにまで軍を差し向けることはないでしょう」
わざわざ距離を置いた領主まで敵視すれば、それこそヴァルグランの二の舞を帝都側がしてしまうことになりかねない。
つまり陛下はホルスを使って『第三極の領主連合』を作りたいのだ。
二極化になれば、蛮行をしでかしたこちらが不利になるのは明白。
だからそれを避ける為の第三極が必要になる。
その為に彼を利用する。
帝都側としても戦う敵が少ないに越したことはないから、彼らを刺激したりしない。
レジスタンスとしても彼ら領主の安全は、長い目で見ればこちらの兵力の温存に繋がる。
陛下やホルスの説得に応じて、レジスタンスに味方したことを後悔しているだろう領主たちも安全を確保することができる。
いい落とし所かもしれない。
「女王国もレジスタンスから少し距離を取ろうかと思っています」
――そして女王国も領主連合に同調する、と。
領主たちも女王国という後ろ盾が出来て喜ぶだろう。
おそらく陛下はこの絶好機を逃さず、彼らを束ね強大な第三極を生み出すつもりなのだ。
だからといって、レジスタンスは女王国の行動に異を唱えることは出来ない。
敵勢力の肥大を防いでくれているのだから、ありがたく思うべき。
「もしかしたら、宰相は私に対して色目を使ってくるかもしれませんね。一応彼とは交渉の余地を残しておきましょうか。……ホルス殿は説得行脚で播いた種を無駄にしないためにも、一刻も早くここを離れてくださいね」
ようやく陛下らしい、口元を歪めるような笑みが出てきた。
彼女は条件さえ合えば、宰相とも取引を考えているらしい。
とてもじゃないが誰かに聞かせられる話ではない。
よく私がここにいるのを許してくれたものだ。
おそらく私に聞かせたのも、あの時同様それなりの意味があるのだろうが……。
ホルスは陛下の言葉に大きく頷くと、私に一旦ポルトグランデを離れる旨を告げ、女王国公館を後にした。
私も一旦我が家に戻ることにした。
まだ誰も戻ってきていない家で、二人の帰りを待ちながら料理を作る。
考え事をするのに丁度いいのだ。
……陛下は完全にこの戦争の先を見越して動いている。
すでに頭の中でどの規模の内乱が始まるのか描けているのだ。
帝都とレジスタンスの勢力を削ぎつつ、女王国の発言力を大きくさせることを第一に、着々と手を進めている。
私も冷静になれば、陛下の思いついた策ぐらいのことは考えられたかもしれない。
だけどあの会議から短時間で、一気に最善の道筋を見出すことが出来ること、そのことが何より凄いのだ。
――まるで初めからこの状況になることを知っていたかのようだわ……。
そんなくだらない現実逃避をしてしまうあたり、私もまだまだ集中できていない。
「ただいまぁ」
ケイトの声が玄関から聞こえてきた。
「おかえりなさい」
キッチンにひょっこり顔を出した娘に笑顔で答える。
「……手伝うからちょっと待っててね」
ケイトはそう言うと部屋に引っ込んだ。
その後ろ姿を目で追いかけながら深呼吸する。
私にとって夫と娘以上に大事なモノなど無い。
彼らさえ守れるならば、この際『パーティ』が成功しようが失敗しようが、たとえロレントの首が刎ねられようが一向に構わない。
……あぁ、家族揃って女王国に亡命するという手もあるわね……。
きっと陛下は私たちを受け入れてくれるだろう。
――引き際さえ見極めることができれば、家族みんなで幸せになれる道がある。
それを見出せて、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来た。
私はこんなにもマストヴァル一家の惨劇に衝撃を受けていたのだろうか?
随分と弱くなってしまったモノね。
私は溜め息をつくと、夕食の準備を再開した。




