第7話 ヴァイス、嘆く。
「もう一度いう。こちらに――」
「投降など認めん!」
私はクロードの横を走り抜け、領主アラン=マストヴァルを突き刺した。
「ヴァイスさん?」
呆けた声を出すクロードを無視して強引に剣を引き抜く。
……アンタには恨みはないがゴールド卿との約束なんだ。悪く思わないでくれよ。
私は血しぶきをあげて倒れるアランに心の中で謝った。
「何をしているんですか! 生きて捕らえるという話では――」
話が違うと私に文句を言ってくるクロードにうんざりして視線を外すと、領主夫人が死ぬ間際の夫の顔を覗き込んでいるのが見えた。
噴き出た血の量から致命傷だったことぐらい分かるだろうに。
やはりまだ現実を受け入れられないのだろうか。
しかし彼女は全く取り乱すことなく、ただひたすら夫の顔を見つめていた。
その異質さに、得体の知れない何かを感じて思わず身構えてしまう。
やがて彼と目が合ったのだろうか、彼女は場違いにも少女のように微笑んだ。
そして晴れやかな表情で隠し持っていた短剣を取り出すと、こちらに見向きもせず自分の胸を貫いたのだ。
一切のためらいもない、その一突きに狂気すら感じた。
彼女はその場に崩れ落ちるも、最期の力を振り絞って夫と指を絡ませ、笑顔のまま力尽きた。
何かの舞台演目かと思わせる程の美しい死に様を目にし、誰一人として口を開く者はいなかった。
夫人まで殺すつもりはなかった。
これで残るのは彼らの子供二人だけになってしまった。
…………!?
息子は……どこだ!?
私は行方を知っているかもしれない最後の一人に振り返った。
その彼女は両親に黙礼すると、優雅な仕草で背筋を伸ばした。
そして顔を上げこちらを見渡す。
兵士たちに何度も殴られ、顔に痣を作ってもなお、彼女は美しかった。
後ろ手に縛られたままの姿にも関わらず、その堂々たる振る舞いは私の知る貴族の誰よりも貴族らしく思えた。
私が彼女に詰め寄ろうとする前に、彼女はこちらに恭しく一礼する。
「それではクソッタレの蛮族の皆様、ごきげんよう」
そう我々に告げると娘は母親と同じように晴れやかな笑顔を浮かべた。
まさかこの娘もか?
だが、すでに武器は取り上げているはずだ。
我々の見ている前で娘は目を閉じ何か探るように口を動かす。
そして何か硬いものを噛み砕くような音がした。
「――吐き出させろ!」
何が起きたのか察して叫んだが、すでに遅し。
彼女は一瞬苦悶の表情を見せるも、引き攣らせながら無理やり口角を上げ、ぎこちない笑顔作って見せる。
やがて膝に力が入らなくなったのか、その場に崩れ落ちた。
母親同様、壮絶な死に様だった。
首を取るのは領主だけで、夫人と子供二人は生け捕りにする予定だった。
しかし夫人と娘は目の前で自害。
残るは次期領主となる息子のみ。
「おい! 誰か! 息子がどこにいるのか知っている者は?」
皆が顔を見合せて同時に首を振った。
……やはり!
彼ら王族しか知らないような隠し通路のようなものがあったのだろう。
だが三人とも死んでしまった今、誰がそれを知っているというのだ。
――畜生!
だからこそ、息子を逃がせたと確信したからこそ、夫人も娘も心置きなく旅立ったのだ。
最悪だ。逃がしてしまえば間違いなく禍根を残す。
「何としても息子を探せ! 隠し部屋、隠し通路。それらを見つけ出せ! 息子は生きて捕らえろ! 絶対に殺すな!」
兵士たちは私の命令を受けて広間を飛び出して行った。
その場に残される形になったトパーズたちは、顔を突き合わせ小声で相談していた。
「……君たちは帰ってくれてもかまわない。後は我々の仕事だ。ご苦労だったな」
表向きはお役御免だが、本音としてはこれ以上手柄はやれないといったところだ。
真っ先に城内に侵入し、王城を開放。さらに領主アランを抵抗できないように叩きのめした。
間違いなく一番手柄だろう。
その上、行方不明の息子までも探し当てようものなら――。
これもレオナール殿下の為だ。
「僕たちも――」
クロードが言い募ったが、私は断固とした態度で拒絶する。
「将軍の私に口答えしないで頂こう。こちらが丁寧に退場願っているのだ。相変わらず君は威勢だけはいいな。……ここは黙って私の命令を聞きたまえ」
私の声の響きで事情を察してくれたのか、トパーズがクロードの肩を叩き退室を促してくれた。
この礼はまた別の機会にでもするとしよう。
彼らが去り、広間に残されたのは私と信頼できる部下たち、そして三つの遺骸だけになった。
息子捜索は兵士たちに任せて、我々はすでに息のない彼らを背負って墓地へと向かった。
誇りある帝国軍人を名乗るならば、命を奪った者として、彼らを一族と共に葬ってやることぐらいはしてやらねば。
しかし現場に到着した私たちは、目の前の光景に愕然とさせられた。
転がされている何人かの死体。
恰好を見れば兵士ではないと一目で分かる。
おそらく墓守の一家と、そこに居合わせた者たちだ。
改めて見渡すと、あちこちで土が掘り返され、そこら中に蓋の空いた棺が転がっていた。
近辺には散らばった骨。
それだけで何が起きたのかを察することができた。
声を失って立ちすくむ我々の気配を感じたのか、辛うじて生き残っていた老婆が身体を起した。
そして血走った眼を見開き、呆然とした表情でこちらを見つめる。
正確には我々ではなく背負っていた遺骸を。
彼女はその意味を理解したのか、徐々に憤怒の表情へと変わっていき、叫び声をあげながら近くに転がっていた石を握りしめ殴りかかってきた。
しかし所詮は老婆。部下によって簡単に転ばされる。
彼女は地面に転ばされると、自分の無力さに打ちひしがれ、人とは思えぬおぞましい咆哮をあげながら血の涙を流していた。
我々はそんな彼女にかける言葉も見つからず、ただ無言で背負ってきた彼らと無残に放置されていた遺骸を埋葬することしかできなかった。
やりきれない思いで埋葬を終え、息子の捜索状況を知るため城に戻ると、再び愕然とした。
床一面にかつて絵として飾られていたモノが散らばっていた。
破られ、踏みつけられて……。
絵自体には何の価値もないものだと知っている。
所詮領民が描いたものだから、ゴミに近いものもあっただろう。
それでも領主夫妻にとっては無二の宝物だったのだ。
金目になりそうな額縁だけを持ち出したかったと、そういう訳だ。
私は余りにも酷い光景に思わず天を仰いだ。
部下たちも同じように沈痛な面持ちをしていた。
彼らは私がレジスタンスに参加する前から支えてくれていた良識ある帝国軍人だ。
手を泥だらけにしながら埋葬も手伝ってくれる心根を持っている。
しかし、こんな愚かなことをするのは規律正しく誇りある帝国軍人ではない。――決してだ。
墓を荒らしたのも、額縁を略奪したのも全てアイツらの仕業だ。
私は怒りに震えながらも、息子を探すため城内を見て回るのだが、どうしても略奪された後であろう不自然な空白に目がいってしまう。
おそらくそれらも全て……。
領主夫婦の私室を開けると、やはり想像通りの光景が広がっていた。
荒らされた机、荒らされた洋服棚、荒らされた箱の残骸。荒らされた――、荒らされた――。
ここまでされると、もはや何の感慨もない。
他の部屋も同様だ。
かつて治安の悪い地域に赴任したことがあったが、そこの貴族屋敷と全く同じ光景だった。
下手人が野盗であるか私兵団であるかの違いだけだ。
結局息子を見つけることはできなかったが、引き続き捜索隊を編成して任務に当たらせることにした。
私は当初の予定通り、王城の一部屋を使って本部を作った。
この城を拠点にして、帝都攻略への足掛かりにする為だ。
当然敵も本気でここを落としに来るはず。
我々は何としてもそれを撃退し続けなければならない。
危険だがそれゆえ貢献度の高い仕事になる。
ここを守り切れば、きっとレオナール殿下の立場も確固たるものになるだろう。
――結局はそこなのだ。
全てはレジスタンスでの地位向上の為。
ゴールド卿の穴を我々軍人が埋める。ただそれだけの話だ。
戦争の結果報告やら物資要請などの細々とした仕事をしていると、部下が顔を引き攣らせたまま部屋に入ってきた。
包み隠さず報告させると、兵士の一部がまだ宿営地に戻らず酒場で馬鹿騒ぎしているとのこと。
何度命令しても聞かないという。
民衆に暴行を働いたものまでいるとか。
それをやったのはおそらく長兄殿下派の私兵団らしいと。
――またオマエたちか。
何度目になるのか判らないが、私は天を仰いだ。
長兄殿下の皇帝即位の約束を反故にされたことへ憂さ晴らしなのか、それ程までにヴァルグランの民が憎かったのか、そもそも碌でもない人間の集まりだったのか。
理由は何であれ、彼らは完全に暴走していた。
私は部下たちを連れて現地に向かった。
敬愛する領主夫妻と娘の死を受けて、街は完全に静まり返っていた。
そんな中でも大騒ぎが聞こえる建物がある。
店の前で、主人らしき男性が転がされていた。
――血まみれで。
息を引き取っていることは一目で分かった。
部下の一人に彼の遺骸を整えるよう命令して、私はいつでも剣を抜けるように柄に手を置き店内に入った。
兵士たち数人がこちらに気付いたのか、立ち上がって敬礼する。
それを無視して店内を見渡すと、その場に似つかわしくない宝石類がテーブル上に所狭しと並べられているのに気付いた。
コイツらは酒を呷りながら、戦利品の品評会をしていたのか。
とても文明人たる帝国市民の振る舞いではない。
あの娘の『クソッタレの蛮族』という言葉が、正に言い得て妙という感じだ。
聡明な彼女は、この光景を予想していたということだ。
「……どういうことだ?」
「……何が、でしょうか?」
近くにいた赤ら顔の兵士に尋ねるとそんなマヌケな言葉が返ってきた。
……何が、だと?
本気で言っているのか?
「……店の前で斬り殺されていたのはこの店の主人か?」
「……そうですが」
平然とした顔で、それが何か問題でも? と言わんばかりにこちらを見ている。
オマエたちは自分で何を言っているのか理解しているのか?
それとも平民出身の私など怖くないとでも言いたいのか?
「下手人は誰だ?」
できるだけ腹に力を込めて響かせる。
彼らはようやく私が怒っていることに気付けたのか、徐々に店内から雑音が消えていく。
見渡すと明らかに視線を反らし顔を伏せる男がいた。
よりによって顔なじみの男だった。
確かゴールド卿に尻尾を振る貴族の次男だか三男だったか。
彼の近衛としてポルトグランデ入りしていた人間だ。
名前までは憶えていないが、夜警任務やイーギス戦で一緒になった記憶がある。
あまり賢くはないと思っていたが、ここまでだったとは。
「窃盗、殺人おまけに無銭飲食か。……帝国法では死刑も免れないことぐらいは知っているな?」
そう告げると私は剣を抜いて彼に詰め寄った。
「……ま、待ってください!」
「問答無用。……せめて私が楽に逝かせてやろう」
「そ、その俺はゴールド卿の側近ですよ? 将軍も知っていますよね?」
何を今更。
「そんなこと言われなくても知っているが? 何か問題でもあるのか? もしかしてゴールド卿の側近なら罪なき民を殺しても許されると?」
冗談にしては随分下らないが、少しだけ笑えてきた。
もしかすると笑いの才能ぐらいはあったのかもしれない。
だからと言って帝国法を捻じ曲げてまで生かしておく程の才か、と聞かれるとそんなことはない。
私の素っ気ない返事に彼は唖然とした表情を見せた。
「もし俺を殺せば、ゴールド卿も親父もオマエみたいな――」
「もういい。黙れ、下郎!」
一気に踏み込むと、彼は椅子を倒しながら逃げ出した。
私は冷静にその背中を一閃する。
やはりお前は最後の最後までクズだったな……。
本当につまらんモノを斬ってしまった。
店内に飛び散った血すら汚らわしい。
この惨状を見て動けない兵士たちに対して、私は静かに命令を下す。
「……お前たちも今すぐ金を払って宿営地に戻れ。金は亡くなった主人の代わりに私の部下たちが受け取る。私が責任を持って彼の家族に支払っておこう。もし金のない者は、軍の方で立て替えておくから借用書を書け。きっちりと給金から引いておく。それとお前たちが盗んだその宝石も我々が彼らの棺に返しておくから全部そこに置いて帰れ。分かったな? ……まかせたぞ」
「「はッ」」
私が部下に指示を出して店を出ようとすると、微かに不満の声が聞こえた。
「……何か言ったか?」
振り返って睨みつけるが、全員すぐに目を反らす。
私の顔を見て言う勇気がないのなら、素直に黙っておればいいものを。
彼らを見渡してその中でも一番生意気そうな顔をしていた男の前に立ち、無言で胸に剣を突き刺してやった。
皆が驚きの声を上げたが、再び睨みつけるとそれも一瞬にして静まった。
「……それでは頼んだぞ」
後は部下に任せて私はその場を後にした。
やりきれない気分に襲われながら、城へと引き返す。
その道すがら、私は古都イーギスでの女王国軍のことを思い出していた。
確かに彼らも酒場で盛り上がってはいたが、それでも規律正しかった。
揉め事一つ起こさず、金払いも良かったと聞いている。
ハメを外した者がいたら、誰となく首根っこを掴んで落ち着かせていた。
そのあたりの調節が本当に上手く出来ていたのだ。
それに比べてアイツらはどうだ。誰かが暴走しても誰も止めやしない。
むしろそれを誇っている節さえある。
生まれて初めての戦争で、感情の留め金のようなものが吹っ飛んでしまったのだろう。
だがそんな言い訳は、被害に遭った者たちにとっては何の意味もない。
……未開人はどちらなのか。
何度目か分からない溜め息を吐く。
考えてみれば、アイツらはそもそも軍人ですらなかった。
帝国軍やレジスタンス正規軍、それに女王国軍と比べることが間違っているのだ。
彼らは所詮私兵団の寄せ集めであって、最初から規律を持って動くことを求められていない。
だからこのようなことが起こるのだ。
彼らのようなゴロツキを束ねて、ここの防衛をしろと?
戦う前に、まず良識ある帝国人ならば出来て当然のことから教育を始めないと話にならない。
そんなモノは幼年学校の教師の仕事だろうに。
それに加えてあの男――ゴールド卿の側近の言葉が頭に蘇る。
「『もし俺を殺せば――、オマエみたいな……』、ねぇ?」
あの口ぶりでは父親もそれなりの地位にあると考えてもいいだろう。
彼を斬ったことで、今後私の立場が悪くなるかもしれない。
私自身今も将軍を名乗っているが、それは正式なものではなく、実際はレオナール殿下派の兵士を束ねる管理職のようなものだ。
帝国軍人としての将軍職は、すでにイーギスでの戦いで失った。
今や名実ともに立派な反逆者となってしまった。
妻や子供を守るためには、不本意ではあるがゴールド卿に尻尾を振ることも辞さない立場だ。
だから彼らのような私兵団に強く出にくい立場でもある。
しかしながら、あれを放置すれば、それこそ将軍として無能だと言われかねない。
何かあったときに部下を断罪できない人間には誰もついてこないし、評価もしてもらえない。
束ねる者として、あの場ではあれが最善だった。
だったが――。
「……私は軍人であって保身を考える政治屋ではないというのに」
夜道を歩きながら一人呟く。
「……嘆かわしい限りだ」