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2周目は鬼畜プレイで  作者: わかやまみかん
8章 不協和音編
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第6話  領主妻ディアナ、永遠の愛を約束する。


 私は気を落ち着かせるためにホールを一周した。

 壁に掛っているのは季節ごとに新しく取り替えられる絵の数々。

 ゆっくりと歩きながら時間をかけてそれらを鑑賞する。

 美しい風景を切り取ったかのような息を飲むほど美しい絵もあれば、子供が描いたであろう拙いながらも愛の篭った家族の絵もある。

 そして私はいつものように一つの作品の前で立ち止まった。

 そこにあるのは赤子を抱いた若い女性を描いた絵。 

 まだ抱き慣れていないのか、肩が強張りながらも愛おしそうに我が子を抱く母。

 その姿を心に刻み込みながら描いたのであろう父。

 この幸せに溢れた絵が私の一番のお気に入りだ。

 ここに飾られている絵画の数々は、私たち夫婦が選んだ。

 全てヴァルグラン領民の作品だ。

 この地に住まう者は皆、芸術を愛している。



 ヴァルグランという呼び名は『山に囲まれた広大な地』に由来する。

 急峻と清流、それらに囲まれた肥沃な平野が私たちに豊かな実りをもたらしてきた。

 春は美しい花。

 夏は一面の青空。

 秋は山の紅葉。

 冬は雪景色。

 ヴァルグランの民は古来よりこれらの景色を愛し、それを芸術という形で留めてきた。

 今もその想いは変わらない。

 美しい絵に心を打たれた者がその作品の地を訪ねる。

 目の前に広がる光景に再び感動し、それを後世に残そうと誓う。

 そうして皆の手で豊かな自然を大切に守ってきたのだ。

 帝国補領になった今でもその精神は私たちの魂に刻み込まれている。

 


 

 そんなヴァルグランの民に愛されてきた美しい景色や建物が野蛮人共に壊されていく。

 軍馬に荒らされ、暴虐の限りを尽くされ――。  

 占領された他の街にも略奪などの被害が出たと聞いている。 

 権力を欲するあまりこんな暴挙に出るとは。

 レジスタンスとやらはどれ程性根の腐った輩なのか。

 いくら生まれが高貴であっても、()までもがそうとは限らないという見本だ。

 領軍が奮戦するも数的不利はどうしようもなく、ついにここ領都マーディラも包囲された。

 夫は開戦前に宰相殿に援軍を要請していたが、いまだその軍は到着していない。

 でも、あの方は絶対に私たちを裏切らない。

 絶対に間に合わせてくれる。

 他の貴族は信用できないが彼だけは特別だ。

 


 領主の婚姻には帝国議会の許可が必要になるということで、はるばる帝都まで結婚許可の申請に向かった。

 手続き自体は簡単で余程のことが無い限りは承認されるのだが、当時の私にそんなことは知りようもない。

 夫は新婚旅行のようなものだと笑っていたが、それどころではなかった。

 貴族の縁戚ですらない農家の娘を本当に承認してもらえるのか不安で仕方がなかったのだ。 

 審査のために各部署を回る間、何度も「ヴァルグラン領主ならば泥臭い田舎娘がお似合いだ」と笑い物にされた。

 夫には申し訳なかったが、その度に彼は笑顔で私を慰めてくれた。



 最後に無事承認されたことを受けて、宰相殿にお目通りして報告することになった。

 仕事が立て込んでいたらしく、面会は翌日になってからの僅かな時間だった。

 見るからに無愛想な方で少し緊張したが、そんな彼が優しい声で「……君たちはお似合いだな」と声を掛けてくれたのだ。

 帝都で幾度となく悪意をもって浴びせられたその言葉だったが、全く同じでありながら人が違えばこれ程幸せな気持ちになれるのかと、涙が止まらなかった。

 それこそが彼流の祝福だった。

 彼は私がその言葉で何度も傷ついたことを知っていたのだ。

 そのとき初めて、田舎娘が領主の妻になってもいいのだと、認めてもらえたような気がした。

 今では彼のお陰もあって、お似合いだと言われることが嬉しくて仕方ない。

 

 

 あの頃のことを思い出すと少しだけ気が引き締まった。

 皆出来ることをしている。

 私も覚悟を決めておかなくては。

 明日にも子供たちと今生の別れが来るかもしれない。

 その前に母親として彼らに伝えておかなければならなかった。

 ――これからのことを。



 息子の部屋を訪ねると、彼は剣の手入れをしていた。

 その手は覚束ないが私は何も言わず、一心不乱に手を動かしている息子の姿を目に焼き付けていた。

 顔は私に似ているが性格は夫に似て本当に穏やかだ。

 そして絵を描くのが大好き。――それも夫譲りだ。

 あれだけ絵を描くために街へと飛び出していた息子も、戦争が始まってからは城から一歩も出ていない。

 少なくとも剣で人を傷つけるなんてことを好むような子ではない。

 それでも彼なりに覚悟を決めているのだろう。

 いつまでも幼いと思っていたが本当に立派に育ってくれた。

 私は向かい合って彼の目を見つめた。

 彼も私が何の話をしに来たか分かったのだろう。手を止めて背筋を伸ばす。


「……カイル、もしものときが来たらお姉様と一緒にこの城から逃げるのですよ」


「分かっています。……ですがそれまでは私もここに残って戦いたいと思います」


 一丁前に意志の強い目をするようになったものだ。

 剣を強く握りしめている。


「そうね。あなたも未来の領主ならそれぐらいの気持ちを持っていて当然よね。だってお父様の息子ですから」


 その姿が愛おしくて思わず抱きしめる。


「危ないです! お母様!」


 彼が慌てて剣を置き私を離そうとするが、まだ子供。

 私の力に敵う訳もなく、されるがままだ。


「離してください……お母様……」


「……カイル……マストヴァル家の男子として、すべきことをしなさい」


「……はい」


 本当によくできた息子だ。

 もう一度だけ強く抱きしめてから、彼を解放してあげた。




 今度は娘に会いに行く。

 彼女はというと紅茶のカップを片手に、笑顔で手紙を読み直していた。

 この状況で読む手紙となれば、誰から届いたものなのか十分想像はつく。


「……ニール様からのお手紙かしら?」


「えぇ、わたくしが子供の頃からの。随分と懐かしいものまで……」


 テーブル一面に広がった手紙の数々を愛おしそうに眺める娘は本当に美しかった。

 娘も私の硬い表情を見て何かを悟ったのだろうが、貴族の子女らしく余裕の笑みで席を勧めてくる。

 実は私から彼女に伝えておくべきことなど、一つも残っていない。

 マウトヴァル家の令嬢たる彼女にとっては、至極当然のこと。

 それでも最後の確認だ。


「もしものときは弟を連れて逃げなさいね。どの瞬間でそれを判断するのかは貴女に任せます」


「了解しました」


 娘が全て承知済みと言わんばかりに頷く。

 ……私なんかより余程しっかりしている。

 彼女なら何があってもカイルを守ってくれるだろう。



「……母様、わたくしからも一つお願いがありますわ。……今お持ちの、口に入れておける毒を分けて頂けますでしょうか?」


 私が凍りついたように固まると、娘は艶やかに笑うのだ。


「あくまで()()()()()に備えて、ですわ。わたくしはヴァルグランに住まう民のモノ。いつかはニール様に捧げるつもりですけれど。……そんなマストヴァル家の誇りと乙女の純潔を守るために、()()が必要になることもあるかと思いまして。ただそれだけのことですわ。いくらレジスタンスでも、さすがに亡骸までは慰み者にしないでしょう」


 美しく育った娘を捕らえたあの野蛮人どもは、彼女を一体どのような目にあわせるのか。

 娘はそのことを言っているのだ。

 そんな覚悟をさせてしまったことに、親として申し訳なく思う。


「……母様。何もそのような思いつめた顔をなさらなくても。先程も最悪の場合と申し上げたではありませんか。彼らを撃退した後の祝いの席でその毒を皆様に見せてやるのです。『貴方たちが必死で戦っている中、臆病者のわたくしは間抜けにもこんなモノを準備をしていたのですよ』と。……そんな笑い話ですわ」


 娘が私を元気づけるように微笑む。

 だけど私は笑顔を作る気にはなれなかった。

 娘は私に似た顔をしながらも、髪から爪先まで()()()()()の娘なのだと思い知らされる。

 私はいつも持ち歩いている毒を無言で娘に差し出した。

 娘はそれを掌で転がしながら興味深そうに眺める。


「外の部分を噛み砕けば中から毒が出てくるのですね?」


「……えぇ。そうよ」


「では頂いておきます」


 娘は小さい子供が気に入った石ころを仕舞うかのように宝石箱にそっと入れた。

 言わなくてもいい言葉だと判っていたが、それでもどうしても伝えておきたかった。


「……貴女も私たちの大事な子供なのですよ。どうか自分を大切にね」


「はい。ありがとうございます」


 心も身体も美しく育った娘の優雅な一礼に見送られて、私は部屋を後にした。

 

 


 ――戦況は終始こちらが不利に動いていた。

 結局期待していた宰相様の援軍も届かなかった。

 出発が遅れた挙句、進軍もままならないという有様だったと聞く。

 古来より物語にも出てくるほど勇猛で知られるヴァルグラン軍といえども、多勢に無勢。

 徐々に食い破られていき、ついに城内まで敵兵が雪崩れ込んで来た。



 謁見の間で夫とともに最期のときを過ごしていると、荒々しい足音と共に冒険者一行が現れた。

 返り血を浴び、武器を振り回しながらこちらを目指すその姿は、まさに蛮族と呼ぶに相応しい。


「アラン=マストヴァル! 抵抗は止めて投降しろ!」


 不遜にも元王族である夫に剣を向け大声で叫ぶ青年。


「寝言をほざくな。この私が投降だと? 笑わせるのも大概にせよ」


 夫はそれに対して静かに、だが広間に響き渡る明瞭な声で返した。

 私も同じ気持ちだった。

 お前たち野蛮人に下げる頭などない。

 下げるぐらいなら……。

 彼らが武器を手にゆっくり近づいてくる。

 そんな彼らに夫と近衛兵たちが立ち向かった。



 あちらはたったの四人。

 それに対してこちらは倍以上と人数では上回っていたが、それでも敵わなかった。

 ここに来るまで多数の兵士と戦ってきただろうに、それでも彼らはこの城の精兵たちを物ともせず、一人また一人と確実に殺していくのだ。

 その容赦のなさが恐ろしかった。

 それでもへたり込まずに両足に力を入れることができたのは、夫の戦う後ろ姿に勇気をもらっていたからだ。

 そんな夫の太ももを青年の剣が貫いた。

 苦悶の声をあげ膝を折る夫。持っていた剣が手から零れ落ちた。

 あまりのことに思わず駆け寄ろうとすると、こちらを見ないまま夫が叫ぶ。


「……こっちにくるな! そこにいなさい!」


 それは穏やかで声を荒げることの無かった夫から、初めて聞く厳しい言葉だった。

 驚いて立ちすくむ。

 ……どうすれば?

 近衛兵は全員殺された。

 夫も足を傷つけられて立ち上がれない。

 私に何かできることがあるのか? それともこのまま黙って死を迎えるのか?

 青年は膝を付く夫にゆっくりと近づくと、膝をついた夫の喉元に剣を突き付けた。

 彼が何か言おうとしたそのとき、大勢の兵士たちが大声を張り上げながら広間に入ってきた。



 彼らが引きずるようにして連れてきたのは娘だった。

 ヴァルグランの宝石とまで呼ばれるほどの美しかった娘の顔が無残にも腫れている。

 唇には血がにじんでいた。

 本当にコイツらはクズだ。一瞬にして怒りの感情に支配される。

 しかし当の娘はそんなことは意に介せず、涼しい表情を見せていた。

 彼女が余裕の笑みを浮かべながら顔を上げる。

 娘と目が合った。

 すると彼女は晴れやかに笑ってみせるではないか!


「何がおかしい!」


 娘のその表情に苛立ったのか横にいた兵士が彼女を殴りつけた。

 吹っ飛ぶように倒れる娘。

 それでも娘は毅然とした態度を崩さない。

 それが余程気が障ったのか、馬乗りになる勢いでもう一度娘を殴りつける兵士。

 慌てて別の兵士が間に入って二人は引き離された。



 そんな娘の姿を見て、私もようやく理解することができた。

 ――無事カイルだけでも逃がすことが出来たのだと。

 娘は自分を盾にして弟を守り切ったのだと。

 私は母親としてこんな立派な娘を育てることができたのだ。

 これは、これだけは誇っていいはずだ。

 娘の表情で夫にも伝わったのか、彼も彼女の方を見て大きく頷いていた。




「もう一度いう。こちらに――」


「投降など認めん!」


 喉元に剣を突き付ける青年の横を走り抜けて、一人の兵士が夫の胸を突き刺した。


「……ヴァイスさん?」


 唖然とする青年を無視して、兵士が力任せに剣を引き抜いた。

 血しぶきをあげて倒れる夫。

 私と娘はその光景を黙って見ることしかできなかった。


「何をしているんですか! 生きて捕らえるという話では!?」


「……これでいいんだ」


 二人が何やら言い争っていたが、どうでも良かった。 

 私は音を立てずに夫に近づき、顔を覗き込む。

 彼は息絶える寸前で苦しそうにしていたが、それでも私に気付いて微笑んでくれた。

 私も同じように微笑むと、隠し持っていた短剣を取り出す。

 大きく息を吸い込んで、一気に自分の胸を貫いた。 

 ……死ぬ時は一緒。

 あの日そう誓ったもの。……ねぇ?

 私は崩れ落ちる中、最後の力を振り絞って夫の指に自分の指を絡ませた。

 彼のぬくもりが伝わってくる。

 それだけで私は幸せを感じることができた。



 私は世間知らずの田舎娘だった。

 ある晴れた日、畑作業に区切りをつけ水車小屋で一服していたとき、若い絵描きさんを見つけた。

 あまりにも一生懸命筆を動かしているので、私は不躾にも後ろから覗き込んでしまった。

 それなのに彼は咎めるような顔一つせず、優しい笑顔で挨拶してくれたのだ。

 失礼を謝罪し、もう一度ゆっくりとその絵を見せてもらった。

 描かれていたのは、いつも見ている水車小屋と周りの景色、そして私。

 どう見ても、どこにでもある何の変哲もない田舎の風景だった。

 それでも彼は愛おしいと言うのだ。

 彼の横に座りながら改めてその見慣れた景色を眺めると、何故だか本当にそんな気持ちになってくるのが不思議でたまらなかった。

 彼の目にヴァルグランは、この世界は、どんな風に見えているのだろうか。

 そう思った瞬間、私は恋に落ちたのだ。

 その彼が若き領主様だったと知るのはまた別の話。



 ――どうか天国でも一緒にいられますように。

 これからもずっと愛しています。……あなた。

 私たちは笑顔で見つめあったまま、そのときを迎えた。




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