第5話 ゴールド、神に感謝する。
きっと私はこれからもこの完全防諜された会議室に入る度、あの屈辱を思い出すのだろう。
そのようなことを考えながら席に着く。
今日集まったのはロレント、テオドール、神官長のオランドそして私の四人。
前回出席していた女王やホルスはいない。
テオドールの奥方も娘もいない。
つまり本当の意味での主要人物会談である。
そもそも政治の世界に女子供が口を挟もうとすること自体が間違っているのだ。
私が席に着くと同じくして、険しい表情をした武官が重い鉄の扉を閉めた。
これでこの部屋は完全に密室。
今からこの国の未来を決める話し合いが始まるのだ。
本日の議題は目の前に置かれた、領主アラン=マストヴァルから戻ってきた書状にある。
「……では、読んでくれるか?」
ロレントの言葉にテオドールが頷き、封を開ける。
まだ誰も読んでいないと言外に伝えたいのだろうが、正直なところそこまで気にしていない。
要は中身だ。
そこに書かれていたのは、予想通りレジスタンスに合流するつもりはないと。
これは判り切ったことだ。
しばらくすると、書状を澱みなく読んでいたテオドールが不自然に間を空けた。
それまで黙って聞いていた皆の視線が彼に集まる。
彼は咳ばらいすると、再び読み始めた。
まずロレントという男は皇帝陛下の暗殺を企てた大悪人であり、それを死んだふりでやり過ごすという帝国軍人にあるまじき姑息な人物だと、彼を名指しで非難。
このような卑怯者が束ねるレジスタンスは権力の亡者たちの吹き溜りであり、この栄えある帝国の歴史において汚点を残す最も不浄なる存在だといえる、と。
最後に帝国貴族の誇りを持って貴様らの野望を打ち砕くと締められていた。
会議室に重苦しい沈黙が続いた。
テオドールが書状を丁寧に畳む。その音が大きく響いた。
「……さて、どうしたモンかねぇ」
ロレントは笑顔を見せているも、怒りを隠しきれていない。
敢えてその先は言わずとも彼の意志は明らかだった。
――完全にその気になっている。
この書状の目的はロレントの挑発にあるが、それだけではない。
そもそも彼が身を隠すきっかけになった皇帝暗殺疑惑は、我々長兄殿下派貴族とここにいるオランドとで仕組んだことだった。
おそらくそれを改めて思い出させる意味もあったに違いない。
足並みを乱すためとはいえ随分な手を使ってくる。
その他にも我々を刺激する言葉が並んでいた。
……よりによって我々を帝国史上最も不浄と。
本来この言葉は、生意気にも玉座の主を気取っている娼婦の息子を指す為に用いるモノだ。
その言葉を我々に向かって使うとは何たる侮辱。
挙句、マストヴァル家ごとき新参者の末端貴族風情が『帝国貴族の誇り』などと口走る。
万死に値する行為だ。
「女王とホルスの判断待つべきではないか? 今からでも彼らに連絡を取るべきだ」
テオドールは巻き上がった不穏な雰囲気をどうにか収めようとするが、ロレントは口元を歪めたまま首を振った。
「いや、あちらはすでに帝都に援軍を要請しているはずだ。……時間はあちらにしか味方しない」
「だからと言って勝てるとも判らない戦争を簡単に決めてしまってもいいのか!? こちらの兵数ではヴァルグラン領軍を相手にしてギリギリだぞ! 援軍と合流されたら一気に飲み込まれ――」
「援軍は来ない! ……厳密にいえば遅れる、だな。……アリスが動いているのだろう? アイツの仕事ならば確かだ」
ロレントが笑った。
……この男はそこまで女王を信用しているのか?
それでもテオドールは食い下がった。
「それならば、せめて工作の成否を女王に確認するだけでも……」
「だから、それじゃ意味ねぇんだよ。アイツを信じて動くしかない。せっかく領境まで進軍させているんだぞ。……いつ動くんだ? 今だろうが!」
ロレントは大袈裟に手を振り、隣のテオドールに力説するのだった。
テオドールは心底困ったような表情を見せていた。
彼が乗り気ではないのは見ての通りだ。
神官長のオランドを覗き見ると、彼も考え込んでいるようだ。
おそらく彼は女王側に近い立場だから反対するだろう。
「……ゴールド卿は?」
縋るようにテオドールがこちらに視線を寄越してくる。
……そんな目をされても正直困る。
どうやらロレントに近い立場の私が諌めることで、戦争を回避したいという考えだろうが。
我らの陣営にもロレント同様、戦争すべしとの声を上げる者が多い。
頼りにはしているのだが、私と違ってかなり好戦的なのが難ありといえる。
彼らは宰相は当然のこと、彼に近いマストヴァルに対しても敵愾心を持っている。
さらに女王国や教会そして下級貴族に対しても反発心が強い。
特に女王に対しては顕著だ。
彼女がレオナール殿下の即位に水を差したのは、すでに末端にまで知られている。
だから女王が戦争を回避しようとすればするほど、反発するように戦争への機運が高まっていくのだ。
しかしながら、いざ戦争が始まると行き着くところまで行ってしまうのは目に見えている。
ヴァルグランに侵攻するとして、確実に勝てるならば賛成してもいいかもしれない。
ロレントの言う通り早期に決着するならば何とかなるが、もし女王が工作とやらをしくじって、あちらに援軍が届こうものなら……。
軍略の専門家でもない私があれこれ考えても仕方のないことだ。
そもそもこのような判断を任されるのは私の本意ではない。
この一連の戦いが終わった後、速やかに殿下を即位させること、それが私の仕事だ。
その功で息子が次期宰相になる。
そういう取り決めなのだ。
その約束はすでに反故にされ、殿下の皇帝即位の目は遠のいた。
……だが、決して無くなった訳ではない。遠のいただけだ。
私の動き方次第では、まだ十分取り返すことができる。
その為にも、我らの発言力を低下させるのだけは避けねばならない。
とにかくレオナール殿下の障害にならないように行動しないと。
一体どうすれば……。
私の決断で何かが決まり、それが殿下の傷に繋がれば目も当てら――。
「我々教会はロレント殿の判断を支持しましょう」
顔を跳ね上げてそちらを凝視すると、オランド神官長笑みを浮かべながら挙手しているところだった。
そして彼は勝ち誇ったような顔で、こちらに視線を寄越すのだった。
何という変わり身の早さ!
女王がいないとなれば、すぐにこれだ。
……だが彼のこんな政治姿勢は今に始まったことではない。
彼は若い頃からこうやって生き抜いてきたのだ。
目上の者に取り入り、昨日までの仲間を平気で蹴落とし、反発する者を謀殺する。
その結果、平民出身でありながら、枢機卿に次ぐ神官長の地位まで上り詰めたのだ。
今や教会で彼に対抗できるものは誰一人として残っていないと聞いている。
そんな彼独特の先読みの感性が働いたのだろう。
先んじて賛成することでこちらを出し抜き、あわよくば枢機卿である次兄殿下を皇帝もしくはそれに準じる存在に、とでも考えているのか?
「ありがたい!」
教会の賛意表明に、ロレントは大げさに喜んだ。
その横でテオドールが愕然とした表情を見せていた。
「……神殿関係者を引き揚げさせましょう。それだけで軍や民衆の不安を煽ることが出来るでしょう」
オランドは満面の笑みで提案していた。
「あぁ、それで十分だ! 是非お願いする!」
彼の変節によって一気に膠着状態が崩れた。
完全に戦争することが前提で動き始める。もはやこの流れは止められないだろう。
……ならば仕方あるまい。
「……私もロレント殿を支持致しましょう」
もうどうとでもなればいい。
これ以上の最悪の展開は訪れないだろう。
三対一になってしまい観念したのか、テオドールは溜め息をつくと話を進めた。
結果的にロレントの案が採用され、奇襲気味に侵攻した後、領都包囲戦が決行されることになった。
「――クロードたちを使おう。アイツらだったら何とかできるだろう」
軍勢が隙を作り、それを狙って彼らを城内に潜入させ内からこじ開ける。
そこから一気に雪崩れ込み、短時間で勝負をつけるというものだ。
「――さすがに女王国軍は使えないだろうな。……積極的に長兄殿下派の方々に軍を出してもらうことになるが、どうだろうか?」
こちらを見てくるロレント。
提案の体裁だが、半ば命令のような印象を受けた。
ただ支持すると言ってしまった以上やむを得ない。
「……そうですな、全軍出しましょう。待機しているヴァイス将軍以下を使ってください」
ここで出し惜しみしても仕方がない。
乗り掛かった船だ。沈む時はレジスタンスと共に。
今更逃げられない。私は腹を括った。
「感謝する!」
ロレントが満面の笑顔を見せた。
横のテオドールは相変わらず苦悶の表情だが、私の知ったことではない。
それにしても同じように支持を表明したのに、こちらは持っている軍隊を全部吐き出すのに対して、あちらは神殿関係者を引き揚げるだけで済んでいる。
……この差は一体何なのだ?
不条理極まりない。
その晩、私はヴァイス将軍を呼びつけ、今日の会談で決まったことを伝えた。
「――明日にでも君に命令が下るでしょう」
軍を率いてヴァルグランを攻めろと。
「殿下の権威低下を避けるために、今回は何としても手柄を取って頂きたい。――領主アラン=マストヴァルの首を」
私の言葉にヴァイスは目を見開いた。
「……そんな勝手なことをしてもいいのか?」
「彼に言わせれば我々は帝国の歴史上最も不浄な存在だそうですよ。……兵士たちにも教えてあげたらどうです?」
書状の一文を苦笑いしながら伝えるが、イマイチ反応が薄い。
やはり平民の彼には理解できないようだ。
……彼らに伝えたときは憤怒の表情を見せたというのに。
「――アラン=マストヴァルを生かしておけば、女王あたりが嬉々として接触するでしょうな」
絶対にあの小娘は何か仕掛けて来る。……きっと下品極まりない手を使って。
ホルスを見てみろ。もう完全に言いなりではないか。
あのマストヴァルをも骨抜きにしてしまうのが目に見えている。
我らが血を流して奪い取ったヴァルグランを女王国に座して喰らわすなど、考えただけで頭がどうにかなってしまいそうだ。
「……これ以上あの女狐に大きい顔をさせる訳にはいきません!」
そもそもあの決起集会のとき女王が提示した領主調略案も、自陣を肥やすために言い出したことだ。
新しくレジスタンスに参加する領主たちは、絶対に我らに従わない。……今まで散々お互いを貶し合ってきたのだ。今更過去を忘れて仲良くとはならない。
だからといって教会は信用に値する相手ではない。
今日のオランドを見ればよくわかる。
大した逡巡もなく簡単に女王から鞍替えしてみせた。
女王国は、そんな悩める領主たちを片っ端から自陣営に組み込んでくるだろう。
すでにあの小娘は戦後を見据えて動き始めているのだ。
――小賢しくも帝国を乗っ取ろうと。
そんなことにも気付かないテオドールの愚かさよ。
夫婦共々絡め捕られよって、みっともない。
まだロレントの方が余程話のわかる男だ。
こちらとしても、これ以上あの小娘に好き勝手させる訳にはいかない。
「女王が手を出すと判っている人間を生かしておく必要などありませんよ。……ならば邪魔が入る前に速やかに殺したほうが余程我が国の為です。……そうは思いませんか?」
「……確かに」
ヴァイスもしぶしぶながら頷いてくれた。
「……当初の予定通り、殿下が皇帝に就かれたならば、貴方が親衛隊長です」
改めて確認しておく。
賢い犬にはちゃんとご褒美が待っているのだと。
……だから判っているな? 絶対に失敗は許されない。
「「レオナール殿下の為に」」
私たちはいつものようにグラスを合わせた。
ヴァイスが帰ってしばらくしたら、次の来客が見えたようだ。
早速通すように伝える。
恐る恐る部屋に入ってきたのはクロード君だ。
「ようこそ。お待ちしていましたよ。さあさあどうぞこちらへ」
いつものように椅子を引いて、グラスにワインを注いでやる。
「是非ともクロード君と腹を割った話がしたいと思いましてな。不躾ながら拙宅へとお呼び致しました」
それからしばらくは世間話などをして気分をほぐしてやる。
彼も落ち着いたのか、ぎこちない笑みも無くなってきた。
……頃合いだろう。
「我々は女王国に対していい感情をもっておりません」
まずはキチンと色分けしておく。
この段階で彼と物別れになるならば、それまでのこと。
「……僕も正直好きになれません」
これは調査通り。何しろあの日女王に剣を突き付けたと聞く。
ここで私は一歩踏み込んだ。
「神の声が聞こえて、君に女王を殺せと伝えたという話でしたな?」
「それは――」
「この際、真偽は問題ありません。……もし女王を倒す意思があるならば、私たちと手を組みませんか?」
「……えっ?」
クロード君とは友好的な関係を築けていると思う。
だが女王と構える為にはそれだけでは足りない。
ロレントに手を出される前に、こちらの陣営に組み込む。
もう一刻の猶予もない。
「正直女王が目障りなのですよ。彼女の首を取る取らないは横に置いて、あの減らず口を黙らせてやりたい」
「……そうですね。僕もそうできればいいと思います」
「女王の思い通りにさせてはいけない。あの小娘は我が帝国を、そしてこの世界を腐らせる」
私の言葉にクロード君も大きく頷き同意する。
「神もそのようなことを言っていました! 彼女は世界の敵だと!」
「そうでしょうとも!」
ここまでは予定通り。本題はここからだ。
「……ねぇ、クロード君。この戦いが終わればこちらに来ませんか?」
困惑する彼にまずは一押し。
「少なくとも君はただの冒険者として終わる器ではないと考えております。もっと高い位置で物事を判断するべきです」
高く買っていることを教えてやる。
この上級貴族である私が評価しているのだと。
「もし長兄殿下の皇帝即位に協力して頂けるならば、君に皇帝直属親衛隊の副隊長の地位を用意することができます。私にはその権限がある。……ですが、もし女王の望みどおりに進んでしまえばその話は――」
この私が話をしているのにも関わらず、クロード君は弾かれたように天井を見上げて呆けたような顔をした。
私も同じように見上げるが、特に何があるという訳ではない。
彼を窺うと何やら神妙は顔で頷いていた。
「……どうかしたのですか?」
私の問いかけに彼は迷っていたが、意を決したように口を開いた。
「……神がいうにはバトラーさんは信頼できる人間だと。……その、協力して……皇帝を殺せと」
その瞬間、私の全身に電撃が走りぬけた。
まさか本当に、クロード君には本当に、神の声が聞こえているのか?
あの帝都に住まう汚物を殺せと、神がそう仰ったのだろうか?
……まだ誰にも話さず胸の奥にしまっておいたが、私も全く同じことを考えていたのだ。
無理矢理にでもアレさえ殺してしまえばレオナール殿下が第一候補だと。
マール神はそんな私の考えなど、すでにお見通しだったのだ!
その上で神はこの私を信頼できると仰ってくださったのだ!
クロード君の口を借り、彼と協力してそれを為せと示してくださったのだ!
「……やはりバトラーさんも僕の頭がおかしいと思われているのですか?」
私の沈黙を誤解したのか、彼が沈んだ声で呟いた。
彼はずっとそんな目で見られていたのだろう。――信頼すべき仲間たちからも。
だが、私は信じる! 彼を信じる!
「いいえ! 決してそのようなことはありません! むしろ私の進むべき道を示して頂けたと思っております。神子たるクロード君を私めの前に寄越してくださったマール様に心より感謝を!」
私は祈るような気持ちでクロード君の手を握った。
なんという浅ましい男なのだ私は!
神子を副隊長といった地位で釣ろうとしたのだ。
なんという俗物!
だが今のうちに気付くことが出来て本当によかった。
おそらくこれも神の思し召し。
神職でありながら権力の亡者に成り下がったオランドではなく、私こそマール様に仕えるに相応しいと。
『神に仕える者ならば、常に高潔であれ』と。
彼は私の熱意に少々驚いていたが、すぐに照れたような笑みを浮かべた。
「さぁ、乾杯しましょう! ……主神マリスミラルダの為に」
私がグラスを掲げ彼を見つめると、理解したのか彼も同じように掲げる。
「「主神マリスミラルダの為に」」
私たちは声を揃えてグラスを合わせた。




