第4話 領主アラン=マストヴァル、脅迫を突っぱねる。
レジスタンスのリーダーを自称するロレント=バーゼルから書状が届いた。
――こちらに下れと。
すでに領境付近まであちらの軍勢が進んできているとの報告は受けていた。
私も領に入り次第迎撃するという警告の書状を送ったのだが、どうやら行き違いになったのだろう。
現在領境付近で軍勢同士が睨み合っている次第だ。
これで脅迫をしているつもりなのだろうか?
ヴァルグランも随分と舐められたものだ。
先日レジスタンスが決起したという。
古都イーギスで大規模戦闘があったことも報告を受けている。
レジスタンスの軍勢が帝国正規軍を追い返したという話だった。
おそらくそれで調子に乗っているのだろうが。
だが、それに怯えて白旗を振るほど我々は腰抜けではない。
何よりこの地を守り続けてきた一族の誇りがそれを許さない。
祖父は民に愛された立派な王だったと聞く。
私が生まれた頃には帝国との戦争に敗れており、すでに一領主に収まっていたが。
父は祖父から領主位を引き継いでからも待遇に不満を抱き続けていたが、どこか冷めていた私は子供ながらに、一族郎党鬼籍に入らないだけで十分だと考えていた。
ちなみにそれが帝国の行った最後の戦争である。
近隣には反帝国で同盟を組んでいた国々もあったが、ヴァルグランの敗戦を受けて皆帝国に尻尾を振ったと聞いている。
つまり我々は直近の敗戦国であり、その汚名を現在まで引きずっているということだ。
祖父や父に対して相当風当たりが強かったと、小さい頃に聞かされた。
特に上級貴族などと自称していた輩からは、ことあるごとに罵声めいたものを浴びせられたらしい。
……ただ、これに関しては今も大して変わらない。
私はある程度の年齢になると故郷を離れ、忠誠を誓うための人質のような意味合いで帝都の学校に通わされることになった。
そこで私は為政者として得ておくべき、様々な知識を詰め込むことになるのだ。
その過程で飛び級で学校を卒業し、若くして皇帝陛下から重用されているニール=アンダーソンのことも知る。
当時一度も会うことはなかったが、極めて能力の高い人物だと思った。
上級貴族だからと私に威張り散らすだけのボンクラ共とはモノが違った。
……その頃からすでに敵の多い方だったが。
それも彼の立場を考えれば仕方のないことだった。
いずれ彼はこの帝国を主導する人間になる。それは確実に思えた。
彼が学生時代に残した論文、領地運営に関する批評それらの写しを取り寄せてじっくりと読みこんだ。
どんな先生よりも分かりやすく、辛辣だが具体的な改善案。
まさに知識の宝庫だった。
我が領地のことを考えれば、彼や彼の薫陶を受けた部下に任せるほうが繁栄するだろう。その方が絶対に民の為になる。
それらを何度も読み返しながら、いつしか私はそう思うようになっていた。
だから父の早逝を受けて、領主位を継いだ直後に陳情に向かったのだ。
――貴方の信頼する執政官をヴァルグランに派遣して下さいと伝えるために。
まだ宰相ではなかったがそれでも重要な仕事を任されていた彼に、無理を承知で時間を取ってもらうことができた。
緊張しながら指定された部屋で待っていると、軽いノックとともに溜息をつきながら彼が入室する。
が、一瞬目を疑った。――麗しい女性の格好をしていたのだ。
ロクに挨拶も出来ず口を開けたまま困惑する私に、彼はこちらに手を突き出して皆まで言うなと苦り切った表情で押し留める。
薄く化粧までしていることにも気が付いた。
唇の紅の鮮やかさが目を引く。
「……こんな恰好で申し訳ない。その……両陛下が御戯れでな。今日一日はこの姿でいろと」
主従関係は円満だろう。
どこか陛下に対する気やすさのようなものまで感じられた。
公私ともにお気に入りという噂は間違いないだろう。
……その噂自体は悪意に満ちたモノだったが。
失礼にも噴き出してしまった私を咎めるように、彼は少し眉間に皺を寄せた。
「こちらこそ不躾で申し訳ありません。その……妹君を思い出しまして、やはり兄妹だけあって本当によく似ていらっしゃるなと」
「……君はアレと知り合いなのかね?」
予想していた言葉と違ったのか、ニール様は驚いたような顔を見せた。
「はい。学舎で机を並べております」
「……アイツは母の実家で暮らしているのだったな。……元気にやっているか?」
「はい、それはもう」
それで十分伝わったのだろう。
彼は初めて笑みらしい笑みを浮かべた。
「……この後すぐ、退学の手続きをしに行きますが……」
もう領地を離れたままで良い立場では無くなってしまった。
学生生活にそれほど未練は無いが、帝都の刺激的な生活には少々。
「そうか、それは実に残念だ。アイツの弱みの一つでも握ってもらおうと思っていたのだが」
もちろん冗談だろうが、真顔で言われると本気なのかと疑ってしまいそうだった。
私は早速今回の用件を話した。
彼は仕事に追われているにも関わらず、私の拙い話を遮らずに黙って最後まで耳を傾けてくれた。
そして聞き終わると溜め息を一つ。
「……君のような人物に治めてもらう領民は幸せだな。……申し出は有難いが領主の地位を君から取り上げるつもりはないし、そう進言するつもりもない。民のことを最優先に考えて動いてくれるならば、君が領主をしているほうが助かるのだ。……領主を変えると民や兵士が反発することがある。得てして善政を敷く領主のときは」
そんな言葉が返ってきた。
言いたいことはよく分かった。
我が一族はもう王族ではないが、領に住まう彼らからすれば未だに戴くに値する王なのだ。
それは領主を引き継いだときに思い知った。
彼らの視線が少し重荷に感じるぐらいだった。
生まれたときから名乗っているマストヴァルとはヴァルグランの主と言う意味だ。
「……いずれはヴァルグランも帝国本領として治めていきたいと思っている。途轍もなく魅力的な土地だからな。今後のために少しずつ君の周りに帝都の人間を増やしていくだろうが、当分はこのままで行かせて貰えないだろうか。……君のように道理の分かった人間を私の側に置けるならば最高だが、君をヴァルグランから取り上げるのは止めた方が良さそうだ。――流石にこれ以上敵を増やすと、な?」
そう言って口元を歪めて笑う。
その衣装も相まって、目の前の彼が私の知っている級友そのものだったので、思わずそう伝えると「冗談でもあんな性悪娘と一緒にしないで頂きたい」と不貞腐れたような顔を見せた。
その表情がまた――。
これ以上言えばそれこそ彼の敵に認定されそうなので、何とか我慢してその言葉を飲み込んだ。
彼の言葉が嬉しかった。
彼の下で働くことが出来ればと思えた。
きっとそんな日が来ることは無いだろうが。
「何か困ったり迷ったりするときは是非相談して欲しい。微力ながら力を尽くそう」
彼のその心強い言葉は今でも私の胸に残っている。
治政というのは頭で考えていたことが必ずしも実行できるとは限らない。
むしろ上手くいかないことの方が多い。
試行錯誤しても納得できず、投げ出してしまいたいときもある。
そんなときは手紙を出した。
彼も忙しいだろうに、それでもすぐに戻ってくる返事。
そこには厳しい言葉が書き連ねてある。
彼は簡単に答えをくれるような人ではない。
自分で考え抜いたからこそ、打った一手に自信を持つことができる。
いつもそれを教えてくれるのだ。
だから最小限の助言しか書いていない。
それこそが彼の優しさだ。
最後には必ず励ましの言葉。
それらを胸に私は領主としての仕事に対して、一つ一つ地道に取り組むことができた。
これらの手紙の数々は今でも大事に取ってあり、躓いたときには必ず開くようにしている。
宰相は私の師匠であり兄のようでもあり親友でもあった。
あれ程他の貴族から馬鹿にされた、田舎の村娘だった妻との結婚を、一番喜んでくれたのも彼だった。
子供たちの誕生日には必ず彼から贈り物が届いた。
愛娘は小さい頃に、大きくなったら未だ独身を貫く彼に押し掛けると宣言した。
もちろん両親である私たちも大賛成だった。
彼にその旨を手紙に書くと、いかにも困惑したような筆跡で返事がきた。
その手紙も当然ながら取ってある。嫁入りする娘に持たせるつもりだ。
……もちろんそれは全てが片付いてからの話だが。
悪いが、単純にレジスタンスや教会のように彼を悪く言う人間は気に食わない。
彼以上にこの国を上手く治めることの出来る人間はいないと確信している。
彼や彼の一族のおかげで帝国は繁栄をしているのに、何故それが理解できないのか。
ましてやリーダーのロレントは今まで死を隠れ蓑にしていたような臆病者だ。
若い頃から常に批判の矢面に立ち、命を狙われ続けてきた宰相の器と比べるまでもない。
――レジスタンスに返す言葉は決まっている。
否だ。絶対に否だ。
ただ、彼らが私の返事を聞いてどう動くのか気にかかる。
彼らも私が要求を撥ね退けることぐらいは想像ついただろう。
あくまでこれは形式的なことのだ。おそらく彼らは暴れたいだけなのだ。
とんでもない野蛮人の集まりだ。
もちろんテオドール=ターナーのように理知的な人間もいるだろうが、彼がロレントの補佐に徹するならばそれを制御できるとは思えない。
一度戦争が始まってしまえば例の女王国を巻き込み、帝国がかつて経験したことのないような大陸を二分するような大戦に膨れ上がる可能性すらあった。
絶対にそんな馬鹿なことにはなり得ないと断じられる程、私はレジスタンスに信用を置いていない。
どのようなことが起きてもいいように、準備だけは抜かりなく。
当然最悪のことも考えておく。
それが領主としての務めだ。