第2話 ロレント、青春を目撃する。
俺は今日、無事に生き返ることができた。
もう死人ではない。
今までは外出するのは夜だったり変装したり、それらも叶わないなら人を使ったりと厄介だった。
そんな面倒なことをしなくていいのが本当にありがたい。
行けなかったレジスタンスの施設にも気兼ねなく顔を出せる。
……とまぁ散々自由を喜びながらも、結局のところ動くのは夜だという。
どうやら十年間続いた習性は、今更どうすることもできないようだ。
それでも俺はどこか解放された気分で、潮風を満喫するように深呼吸を繰り返すのだった。
無意識のうちに俺の足は訓練場へと向いていた。
当然人目に付かない道を選んで、だ。
すでに先客がいて、トパーズが一人で自主訓練に励んでいた。
飽きもせず無心で型の練習を繰り返している。
夜警中のコイツに会うことはあっても、訓練中に出くわすことはなかった。
古都イーギスでの戦闘は大したものだった。
一対一でコイツに勝てる人間はそうはいないだろう。この俺でも無傷では済まない。
手頃な場所に腰掛けてそれを眺めていると、動きの中に帝国軍独特のモノが混じっていることに気が付いた。
……貪欲なことだ。
もちろん最上級の褒め言葉だ。
俺や帝国正規兵の戦闘を間近に見ることで何かに興味を持ったのだろう。
自分の力を更に引き上げる為に、色々な戦い方を知っているに越したことはない。
――これは掘り出し物だな。
流石アリスが直接勧誘に出向くだけのことはある。
それにしても、女王国に優秀な人材が集まっているというのが納得いかない。
何故かクロエまで引き抜かれそうな勢いだという。
あの小娘に人を見る目と、彼らを惹きつける何かあるということだろう。
むしろ随分前に組織を作っておきながら、人材を育てることに力を入れて来なかった俺たちにこそ問題があったのかもしれない。
「……アリスのお気に入りだけあるな」
訓練が一段落したところで声をかけた。
俺がいることには気付いていたのか、トパーズは別に驚いた表情も見せずに振り返った。
初対面のときはあれ程驚いていたというのに。可愛げのない話だ。
滝のように流れる汗を拭いながらこちらにやってくる。
……というよりも水を飲みに、か。
トパーズは井戸の縁に腰かけている俺に見向きもせず、水を汲み上げ、喉を鳴らして一心不乱に飲み続ける。
ようやく一息ついたのか、俺に視線を合わせると無言で頭を下げた。
まだ呼吸は乱れていた。
それにしても随分他人行儀になったものだ。
確かに俺はここのリーダーだと表明したが、中身まで入れ替わった訳ではないというのに。
「今夜はこれで終わりか?」
「いえ、ただの休憩です。今夜は夜警がないので、もう少しだけ」
それだけ言うと再び無言になり、水を被り始める。
完全に一線を引いている物言いだ。
丁寧だが少し距離を取る。深入りしない。――そんな感じ。
山岳国出身の人間はクソ真面目で内向的そして融通が利かない。
最近よくそんな噂話に近い陰口を耳にするようになった。
華美や社交性に美徳を感じる帝国人とは少々相性が悪いのかもしれない。
俺たち武人には好ましく映るのだが。
そもそも今まで彼ら山岳国民は祖国を離れることが少なかった。
彼のような武道家の冒険者がこちらに渡ってくる程度で、帝国では馴染みがないのだ。
今回女王国軍として多数が滞在しているので、大きい揉め事こそ無くとも小さい軋轢のようなものは出てきている。
……寄せ集め軍団の弱点の一つだな。
そんなことを考えていると、水浴びを終えたトパーズが腰を掛けたままの俺を見下ろしていた。
「……どうした?」
「今日の会議でアリス……女王と対立していましたね」
まぁあれは半分芝居半分本気みたいな感じなのだが、その裏側までは話す必要はないだろう。
……急戦を望んでいる輩も少なからず居るのだ。
彼らは今日の決起をずっと待ち続けていた血気盛んな連中だ。
アリスのまどろっこしい調略作戦の成否を座して待つぐらいなら、一刻も早く剣を振り回したいはずだ。
そんな彼らが不満を溜め込むのはあまり賢明とはいえない。
ガス抜きが必要だった。
この俺でさえイーギスで暴れて発散したぐらいなのだ。
特に長兄殿下派閥の人間にその傾向が強いという。
ならば考え方の近い俺が彼らの心情を代弁してやらないと、彼らの立場がないというもの。
ようやくここまで辿り着けたのに、女王国憎しで暴発されては敵わない。
――もちろん下心もある。
ここでアリスに対抗しておかないと、俺の求心力そのものが下がってしまう恐れがあったのだ。
ただでさえ今まで存在を消していたのだ。
損な役回りを引き受けてしまったと嘆きたいが、明確に彼らと相対する役を引き受けてくれたアリスに比べればいくらかマシというもの。
期せずして俺対アリスという構図になってしまったということだ。
どうせ剣を振り回さなければいけないのならば、絶対に調略不可能なヴァルグランを矛先にすればいい。
ただそれだけの話だ。
もちろん個人的に、決起したと帝国中に知らしめる何かを打ち上げたかったというのもある。
「……アイツにはアイツ、俺には俺の考えがあるということだ」
考えた末、俺はそう言うに留めておいた。
「そんなことよりあの晩アリスと何を話していたんだ?」
今度はこちらから訊ねる。
「いつ……ですか?」
「砦の賊を討伐した後、夜警任務を抜け出し公園で二人っきりになった時の話だ」
思い出しやすいように正確に伝えてやる。
トパーズもすぐに思い当ったのか目を見開く。
しかしすぐには答えず、少し考えたあとようやく口を開いた。
「それは用心棒パックとして? ……それともレジスタンス首領ロレントとしてですか?」
俺を真っ直ぐ見つめ目を逸らさない。
大した度胸だ。
これぐらいでないと女王国の眼鏡にかなわないということか。
……それにしても中々律儀なヤツだ。
パックとして聞くなら答えるつもりはないと言い切ってくれた訳だからな。
「……悪いが、ロレントとしてだ」
ここは権力を使わせてもらう。
トパーズは頷くと、背筋を伸ばして素直に答え始めた。
「……勧誘されました。そのときはまだ女王と知りませんでしたが、こちらの陣営に来いという言い方でした。この戦いが終わったらもう一度誘うとも。……それまでに状況を見極めろと。誰が一番自分の考えに近いのか、誰が一番信用できるのか、自分の目で判断しておけと」
この戦いと来たか。
あの時点では俺の判断次第でどう転ぶか、まだ判らなかっただろうに。
それともこうなることが?
……判っていたのだろうな。
今のところ全てアイツの思い通りに動いていると考えていい。
それを頭の中で理解しながら、それでもなお、俺自身はこの道を自分の手で選んだと思い込んでいるのだ。――かなり癪だが。
これがアイツのやり方なのだろう。
間違いなく俺はアリスにこの道を選ばされたのだ。
「ちなみに、この戦いというのはいつまでを指していると思う?」
気を取り直して、直立したまま姿勢を崩さないトパーズに聞いてみる。
「……今は宰相を排除するまでだと認識しています」
「で、お前はその後レジスタンスはどうなると思う?」
「わかりません。……ただ『これから仲良く帝国を支えていきましょう』ということだけはありえないかと。会議室のあの感じを見るとバト……ゴールド卿が何か仕掛けてくるのではと思いますが」
やや口ごもりながらも正直に答える。
――本当によく見ている。
「で、そういった俺たちのやり取りを見て、自分の頭で判断しろと。……アイツはそう言ったんだな?」
「はい。……自分で判断すれば私が女王国を選ぶ自信があったのだろうと思います」
そんな感じだな。
そうやってコイツも選ばされるという訳だ。
なるほど女王が欲しがるのも無理はない。
くれてやるつもりは毛頭ないが。
だがまぁ、コイツを縛り付けるのは相当難しそうだ。
融通の利かなさはあの男に勝るとも劣らない。性格は正反対だが。
……この俺から右腕を奪った男。
命まで取らなかったのは、元上司に対する情けなのか。
それとも唯一の取り柄である剣を奪われるという何も残っていない状況で、無様に生きていく屈辱を与えたかったのか。
何も語らず地面に落ちた俺の右腕だけ拾い、こちらを振り返ることなく立ち去ったヤツの気だるげな横顔を思い出す。
「それと、あなたのことは敵に回すなと。だから素直に答えました」
……正直者め。それは別に言わなくてもいいことだろう。
だがアリスは俺と敵対する気までは無いらしい。
それを聞けただけでも一安心だ。
こちらとしても今の段階でアイツを敵に回す気にはなれない。
「……最後の質問だ。いいか?」
「はい」
「アリスに付くのか?」
「同じことをゴールド卿やヴァイス将軍にも聞かれましたが、正直まだ決めていません。ただ考えは近いかなと思っています。……そのときまでに決めておきます」
そのとき、ねぇ。言ってくれるじゃねぇか。
何気に長兄派からも接触があったとバラしてくれた。
だから俺からも返しておく。
「……親衛隊長シーモア」
俺は去り際にその名前を出す。
振り返ると怪訝な顔のトパーズがこちらを見ていた。
「俺より強いぞ。アイツと戦う日が必ず来るはずだ。生きてそのときを迎えたいのならば精々励んでおけ。……そのときお前がどんな決断するのか見せてもらおう。絶対に死ぬなよ」
そう言い残して訓練場を離れた。
ふと気配を感じて物影を覗くと、ルビーが身体を縮こませて俺を見ていた。
……ほらな。俺のカンは当たるんだ。
「邪魔したな。……今ならアイツは一人だぞ」
「……はい」
そう言って口を真一文字にして気を引き締めるが、一歩踏み出す勇気がないようだ。
さっきの話を聞いていたなコレは……。
まぁ聞かれて困る話はしていないつもりだ。
それに俺たちの話に聞き耳を立てていたのは、別にこの嬢ちゃんだけでもあるまいし。
「……これから本格的に戦いが始まる。『あのときちゃんと想いを伝えておけばよかった』なんて後悔しながら死にたくないのなら、今ここで動くことだな」
少し突き放し気味に後押ししてやると彼女は俺の目を見て頷き、力強く一歩一歩トパーズの元へと進んでいった。
いいねぇ。これぞ青春だねぇ。
俺は苦笑いしてその場を後にした。




