とある翁、孫娘におとぎ話をする。
「下の皇子殿下にもそのような痣は見当たらなかったとのことです」
帝室には十を少しを越えた長兄殿下と十に幾つか満たない次兄殿下がいる。
そのどちらにも痣が無いと……。
息子の報告に思わず笑みが零れた。
「……何かその痣とやらに意味でもあるのでしょうか?」
彼の問いに答えておくべきか否か、少しだけ思案する。
儂もいつまでも生きていられる訳ではない。
そのうち物言わぬ亡骸になるだろう。
その前に一族の大事な秘密を伝えておかなければなるまい。
儂は深く息を吐き、意を決して告げることにした。
「我々一族は決して聖人君子などではない。確かに一族の誇りに則り、陰ながら帝室を支えてきたが……」
息子は何を言い出すのかと目を見開いた。
取り敢えず聞けという意味を込めて手を振る。
現皇帝は自らの支持基盤を固めるために上級貴族派から正室を娶った。
それは構わない。
帝国の歴史でもよく見られることだった。
その後も事あるごとに上級貴族を優遇し、反発を防ぐために教会をも厚遇した。
その結果、権力を手にした彼らは栄えたが、民衆は逆に疲弊することになった。
どれだけ諌めようとも反応が薄い。
そして次第に我々は煙たがられ、影響力は低下していった。
だから我が一族は帝都を引き上げることにした。
厳密にいえば貴族と教会の策略に引っ掛ってやった。
引退させられた儂から宰相の任を引き継いだ、目の前にいる息子だけを残して。
いわゆる都落ちというやつだ。
彼らは我々一族を排除したことでこの世の春を楽しんでいた。
案の定長男は上級貴族に、幼い次男は教会へと絡めとられつつあるという。
息子にも彼らを相手にするなと伝えておいた。
「……これは儂も父から聞いた話だ。あの帝国創世のおとぎ話は真実だと。魔王は未だ滅びず皇帝の血によって封印されたままだと」
息子が怪訝な顔をする。
儂が耄碌したとでも思ったか?
まぁあの時儂も父の正気を疑ったが……。
「儂が父から宰相位を受け継いだ時、現皇帝はまだ生まれていなかった。そのとき父が言ったのだ。――もう一人産ませるように伝えろと。痣のような封印の証を持つ皇子が必ず生まれるはずだからそれを帝位につけろと。初代皇帝の封印を次代に継ぐようにと」
以前息子から不可解な皇位継承に関与したことを非難された。
そのときはまだその時ではないと考えて、適当にはぐらかしたが。
息子も儂と同じ光景を思い出していたのか、目を瞑って天井を見上げていた。
「……儂が進言した結果、生まれたのがあの首筋に痣を持つ現皇帝だった。だから先帝に痣と封印のことをお伝えして、無理やり継承に介入したのだ。結果として我々一族も先帝も随分と敵を増やしてしまったがな」
儂は静かに笑った。
一方息子は真剣に何やら考え込んでいる様子だった。
いまだ真の後継者は生まれていない。
だが子供を作り続ければ、いつか必ず生まれる。
血の封印とはそういうものだ。
セカイはそのようにできている。
ならば……。
「私も進言――」
「言わずともよい!」
儂は強い口調で息子の言葉を遮った。
息子は呆然とした顔を見せるが、次第に表情の中に反発が浮かんでくる。
――この儂に似ず、優しく責任感の強い男に育ったくれたものだ。
もちろんそれは一族にとって喜ばしいことだろう。
儂としても嬉しい限りだ。
だが、それだけでは一族を束ねるには不足だと言わざるを得ない。
孫は三人いるが上の男子二人も父である息子に似て真面目で優秀だ。
きっとゆくゆくは一族の誉れと呼ばれるだろう。
だが儂に言わせれば末の孫娘メルティーナの方がよほど一族の長に相応しい。
幼年学校にすら通えない歳だが、それでも片鱗は見せている。
きっと息子には儂の感情が理解できていないだろうな。
何度でも言おう。
我々一族は聖人君子などではない。
見返りもなく悪名を受け入れられる程広い心を持っていないし、持つ必要もない。
……この気持ちをどう説明すればいいのやら。
復讐? 違うな、そうだな……意趣返しといった感じか。
皇妃が御子を望めぬ身体になってから教えてやればいい。
そうすれば皇帝の足元から全てが崩れていくだろう。
さて、どうする?
きっと皇妃の実家は激怒するだろうな。
新しい妾妃は一体どの家から迎えるのだろうか。
何せ未来の皇帝の外戚になる家だ。
上級貴族と教会双方を敵に回す覚悟が必要になる。
そんな状況で大事な娘を帝室に差し出せる一族など一体どこにあるのやら。
だからといってこの秘密を誰かに話すことは古の盟約によって許されないし、絶対に許さない。
周りの目には好色な男が若い妾妃を欲しがっているとしか映らないだろう。
ヤツの慌てふためく様はさぞかし滑稽であろうな。
その姿を見ることができないのは残念極まりないが、想像するだけで気分がいい。
そんなことを考えていると扉からひょっこりと可愛い孫娘が顔を出した。
「どうしたんだい?」
できるだけ優しく声を掛けてやる。
「おじいちゃまにご本をよんでもらおうとおもったの……」
「あぁ、そうかい。こっちにいらっしゃい」
そう呼びかけると嬉しそうに儂の膝の上に乗る。
「なんのおはなししてたの? ……まおうのおはなし?」
小首をかしげる孫娘のメルティーナ。
「……聞いていたのかい?」
迂闊だった。
「うん。ごめんなさい」
咎めた訳でもないのだが、うなだれる娘。
聞いてはならない話を聞いてしまった自覚があったのだろう。
だが、こんな幼い頃に聞いた話を大きくなっても覚えているとは思えない。
「……怒っていないよ。怖くしてごめんね」
儂がそう言いながら頭を撫でると、孫娘は気持ちよさそうに目を細めた。
「では、ご本を読んであげよう」
膝の上のメルティーナを後ろから抱え込む。
幼子の少しだけ高い体温が心地よい。
「……わたし、まおうのおなはしがいいなぁ」
本を広げて読もうとすると、彼女がこちらを見上げて呟いた。
子供らしいおねだりしているように見えるが、その目の奥には抑えられぬ好奇心が潜んでいた。
思わずその目に吸い込まれそうになる。
孫娘の父でもある息子が唾を飲み込んだ。
――末恐ろしいとはこのことだ。
「……よし、では魔王と皇帝陛下の痣の話をしてあげよう」
息子が驚いた顔をしたが、気にしない。
どうせすぐに忘れる。
仮に大人になってもまだこの話を覚えていたとしたら、それはこの娘が優秀だという証拠でもある。
それならばやはり我が一族とこの国の未来の為に知っておくべきだろう。
「昔々、まだ帝国ができる前のはなし――」
儂も子供のころに聞かされた話。
メルティーナも知っているであろう話。
だけど彼女は黙って楽しそうに聞いていた。
いつ自分の知らない話に変わっていくのか、期待に満ちた目で儂の顔を覗き込んでいる。
「――王子は自らの体に魔王を封印することにしました。無事それが成功したときには彼の胸に痣のような封印の証が浮かび上がっていました」
こんな話は誰も知らないし、聞いたこともないだろう。
メルティーナが目を輝かせた。
「――初代皇帝となった彼と皇妃さまの間には皇子が二人いました。誰もが優しくて頭の良い兄皇子さまが次の皇帝になると思っていましたが、皇帝は信頼できる臣下の一人と話し合って、皇帝と同じ痣を背中に持っていた弟皇子さまを皇帝にすると決めました」
息子は少々青ざめた顔をしていたが気にしない。
儂は気の向くままに話し続けた。
「――そして皇帝陛下はその臣下にこれからは彼の一族でその秘密と魔王の封印を守り続けるように命令したのです。それから千年近くもの間、彼ら一族は初代皇帝との約束を守り続け、今も魔王復活の阻止をしているのです。……めでたしめでたし」
話し終えて孫娘を見下ろせば、彼女はこっくりこっくりと舟を漕いでいた。
思わず息子と顔を見合わせて笑ってしまう。
肝心なところを聞いていたのかどうなのか。
儂はこれをどう判断すればいいのやら……。
息子はメルティーナを大事そうに抱きかかえると彼女の寝室へと向かった。
儂はそれを見送ると葉巻に火をつけ、ゆっくりとその香りを楽しんだ。
予定外の閑話です。
入れなければ『不親切』。入れたら入れたで『蛇足』。
悩みましたが思い切って投稿しました。
さて、次回から8章『不協和音』が始まります。
起承転結の『転』にして、序破急の『破』。
これはもはや『乱』と呼ぶべきですよ。
乱してナンボを合言葉に頑張ってザワザワさせます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。