第10話 アリス、未来を語る。
オレはクロエとレッドを伴い、裏口から行政府を後にした。
手際の良いことに、そこにはすでに馬車が用意されている。
今までずっと歩きだったからこれからもそれで良かったのだが、ケイトが律儀にも用意してきたのだ。
確かにもうオレが女王であることは公になった。
これから敵味方問わず有象無象の輩に命を狙われるかもしれない。だから気を回してくれたのだろう。
せっかくの好意だから、ここは素直に受け取っておく。
そんなことを考えながらクロエと向かい合って馬車に乗り込んだ。
レッドはいつものように御者台に控えている。
やがて馬車はゆっくりと走り出し、港湾区へと向かった。
山岳国を攻略し、オレの活動拠点は本格的にポルトグランデに移った。
国政は正直なところ興味がない。
大事だってことは知っているつもりだが。
あくまで発言力としての国力が欲しかっただけで、実物の国が欲しかった訳ではない。
それでもオレの国である以上、平和であることを望むが。
国元に残してきた者たちがきっちりと治めてくれれば特に注文はない。
オレ自身別に贅沢をしたかった訳でもないし……。
自分の食い扶持ぐらいは勝手に何とでもする。
最悪、適当に野良の獣を仕留めて焼いて喰えば腹にたまる。塩があればなお良し。塩は正義だ。念のためにいつも塩だけは持ち歩くことにしている。
……そんな女王はセカイ中何処を探してもいないだろうが。
取り敢えずオレは残してきたヤツらに当分は戻るつもりはないと伝えてある。
彼らもオレが国を放って何処かへとフラフラ出歩くのは慣れているので、驚いている風でも無かった。その辺りは随分逞しく育ってくれたと思う。
外敵がいる訳でないし、しっかり国民に富を配分しておけば乱も起きないはずだ。
内部抗争をしようにも、そもそも上に立つべき人間をこちらに連れてきているから起きるとも思えない。
馬車がゆっくりと建物の前で止まった。短い旅だった。……当然だ。
港と行政府は今まで歩いて往復していた道だ。
俺たちは例によって優雅に降りる。
そして改めてこの建物――水の女王国の公館を見上げた。
出来たてホヤホヤだ。
以前建築中だった商業ギルトを見学したとき、丁度いい大きさだなと目星をつけていた。
だから敢えてそれと同じ建物を造らせておいた。もちろん間取りは多少変化させたが。
職人からしても、資材の発注も手順も立て続けに二回目だから手慣れたもので、気分よく仕事をしてくれたようだ。
東方3国平定が予想以上に順調だったので、間に合うかどうか心配したが、無事完成していて何より。最悪の場合、全員船で仕事や寝泊りも考えておかなければならないところだった。
木の匂いが残る公館に入ると、パールが出迎えてくれた。
彼女がオレを見るなり恭しく一礼する。この娘も俺の側付きになって長い。
そんな彼女の振る舞いが少しずつサマになってきているのが、妙に感慨深かった。
最近はクロエからも色々教わっているらしい。
本来の仕事は諜報なのだが、これならば仕事の幅も広がりそうだ。
「あの子のお昼はもう終わった?」「はい、終わりました」
「じゃあ後で私の部屋に寄越して」「かしこまりました」
打てば響くような返事とはこのこと。
最近どうも反抗的な人間が増えてきた中で彼女の素直さは貴重だ。
思わず頭を撫でてしまう。
パールは嬉しいのか例によって子猫のように目を細める。
……癒しだ。これが癒しなんだよ、ウイップ。
不意に昔の仲間を思い出して、少しだけ懐かしさが込み上げた。
思えば前回とは全く違うセカイが出来上がったものだ。
レジスタンスも宰相も東方3国なんて完全に眼中に無かっただろうに。
それが今、間違いなく大きな力としてここに存在しているのだ。
我ながら褒めてやりたい。
だが、まだまだこれからだ。
オレは人知れず気合いを入れ直して自室へと向かった。
部屋に戻ってようやく一息つく。
やはり未だに女王らしい振る舞いが馴染まない。
今までは生意気な貴族子女らしき人物ということで納得させた所作も、明確に女王と知られてからは少しも気が抜けない。
自分で選んだ道のクセに何を今更と心中でボヤいている間も、クロエが慣れた手つきでオレの身を整えてくれた。
本来彼女はテオドールの元へと返すべきだし、そう彼女にも伝えたのだが、ここに残りたいと申し出てきたので、今もそのままオレの侍女のようなことをさせている。
ただ、その気になれば徒歩で家や行政府に行けるので、彼女としては幾分気が楽になったのではないかとは思っている。
丁度部屋着に着替え終わった頃、控えめなノックが響いた。
許可するとゾロゾロ入ってくる者たち。
パールを先頭に数人の武官……そして少年――ウィルヘルム=ハルバートだ。
まだ十二歳だが、すでに父親譲りの涼しげな顔には聡明さが見え隠れしている。
父はあのハルバート候、そして母はユーノス王の姉であり元王女。
生粋の貴種であり、本来なら山岳国の未来を握っていたであろう少年だ。
「お呼びでしょうか?」
少年が笑顔で快活に尋ねる。
「さぁ、そこにお座りなさいな。……ウィル」
彼が従い着席すると、すぐにクロエが彼の目の前に紅茶を置いた。
いつものように砂糖多めだ。
「お小遣いをあげるから、国元のお母様と弟君に何か贈り物を買ってきなさい。……明日にでもミュゼに向けて船を出すからそれに乗る者に預けるわ」
予想と違ったのか、ウィルが目を見開いた。
大抵呼び出すときは授業のようなものをするのが常だったから当然だ。
……だけど間違っていない。ちゃんとそれもする予定だ。
「クロエも付けるから、この機会に色々と見て回りなさい」
クロエがほんの少し視線を揺らしたが、すぐに元の笑顔に戻る。
ウィルにお小遣いを渡すと、彼は訝しげな顔をしながらも無言で受け取った。
「さて、それでは……」
オレが姿勢を変えて足を組みかえると彼の顔が引き締まる。
授業開始の合図だ。
「まずレジスタンスの設立理念を」
「はい。皇帝を廃位。宰相の排除。長兄殿下の即位。平民参加の開かれた議会です」
前回の授業の復習から。だけど大事なことだ。
「よろしい。では私がテオドール殿に提示した案は?」
「宰相は排除しますが、皇帝は廃位せずレジスタンスが議会を主導するという安定重視案です」
安定重視とは……言葉を選びやがった。ガキのくせに。
この前、オレは露骨に先延ばし案と伝えたはずだ。
さすがにレジスタンス中枢のクロエの前では少し……といったところか。
とっさに気を回せる辺り、将来有望だ。
クロエを見れば彼女も苦笑いしていた。
オレは何から伝えればいいのやらと、少しだけ考えた。
「……おそらく先は長いでしょう」
ウィルも何を言われたのか判り兼ねたのか、「はぁ」と間抜けな返事を寄越す。
「宰相を排除した後の膠着状態のことです。我々女王国にとっては理想的な形ですが、レジスタンス、教会、長兄殿下を推している上級貴族それらにとってはただの通過点に過ぎません」
この場にクロエがいることを承知で話す。
ウィルはちらりと彼女に視線をやったが、クロエがこの程度の発言に過剰に反応する訳がない。
それにこの話が洩れたところでオレとしては痛くも痒くもない。
もうその段階は過ぎたのだ。
「……ところで、貴方は今この公館で私と一緒に暮らしています。ですがまだ誰かに紹介したことはありません。いずれその時が来ればするでしょうが、それは最も効果的な状況を作ってからの話です」
話は飛んだが、ウィルが黙って頷いてくれた。
ここで何か言って話を止めるような人間は大嫌いだ。
「下品で無能な者ならきっと貴方のことを女王の愛玩動物か、年若い男娼だと下種の勘繰りをするところでしょうね」
今の言葉にウィル付きの武官たちが嫌そうに顔を顰めた。
そんな彼らに冗談だと笑ってみせる。
「ですが、目端のきく者ならば貴方がジニアス=ハルバートの息子であると既に気付いているはずです。そして当然ながらこの私が貴方を通じて何かを企んでいることも容易に想像がつくはずです。……わざわざここまで連れてきた訳ですから」
実際こうやって使える人間にするために色々と仕込んでいるしな。
「そんな貴方の買い物にポルトグランデの執政官であり、レジスタンスの中心人物テオドール=ターナーの夫人であるクロエが付いている。……その絵を見た人間はきっと何かを感じるはずです」
意味ありげに笑ってみせる。判るでしょう? 貴方ならば、と。
ウィルも同じように笑みを返してきた。――父親そっくりの顔で。
……そう。それでいい。それこそがお前の仕事だ。
お前の中に父親の面影を見た山岳国の人間が、お前を通じてこのオレに忠誠を誓うのだ。
オレに言わせれば彼らの忠誠を得る為に何かするよりも、ウィル一人の忠誠を得るほうが余程簡単だ。
「もう一度言います。先は長いのです。貴方は十年もすれば今の私よりも年上になります。その頃には貴方は立派な青年です。このまま順調に成長すれば貴方は間違いなく女王国を支える柱になっているはずです」
できるだけ真剣な顔で目を見て話してやる。
お前は我が国の未来の為に大事な人間なのだと伝わるように。
「私が何を言いたいのか判りますね? ……それでは今からクロエと一緒に楽しく買い物する姿を見せつけてやりなさいな」
オレが優しくそう言って話を終わらせると、彼は一礼してお出かけの準備をしに部屋へと走って行った。
……可愛いヤツめ。
護衛武官たちも感極まったようにこちらに深々と頭を下げると、彼の後を追いかけて行った。
これらは全てどこかで様子を窺っているであろうハルバート家の間諜に聞かせる為のものだ。
そもそもオレは彼らを手札として利用するためにウィルをこちらに連れてきたのだ。
まぁ人質としてという側面も無きにしも非ずだが。
彼を連れてくれば母親は必ず間諜をこちらに寄越すと考えていたし、実際そうなった。
彼らは逐一ウィルがどのような状況に置かれているのか報告をしているだろう。
それは母親にも伝わるし、叔父であるユーノスにも伝わるはずだ。
だからオレ自らがウィルの十年後を見越して教育をしていると知れば、皆も何かを起こそうと思わないだろうし、母親も喜んでいるのではないだろうか。
ただウィルは予想以上に使えそうな感じがする。
期待をしていなかっただけに嬉しい誤算だ。
聞けば父親であるハルバート候も幼少の頃から頭角を現して、今のウィルの年頃にはユーノス王の教育係になっていたらしい。
今から仕込んでおいて損は無いだろう。
女王国が長期戦に備えていると他の陣営に知らしめることができれば、それだけで十分布石になる。
勿論、先ほど言った十年後のというのはただの方便でしかない。
オレはそんなに気の長い性格ではない。
流れが来たら一気に仕上げに入るつもりだ。
ただここからは更に慎重に動かなければいけないだろう。
言動にも細心の注意を払わなければ。
本当に誰が聞いているか分からないからな。
……神の声か。
クロエも去って一人きりになった部屋で思わず笑みが零れた。
それにしてもさっきのクロードは面白かった。
何か今までの積もりに積もった不満が一気に爆発したという感じだった。
っていうか神の声が聞こえるなんて他のヒトの前で言っちゃダメだろう? 常識で考えて。
……駄目だ。また笑ってしまいそうだ。
一応山猫たちもどこからかオレのことを見ているはずだ。落ち着け、オレ!
何度も何度も深呼吸をする。
何か別のことを考えないと……。
――オレを殺せ……か。
神はオレを魔王よりも危険な存在だと判断した訳だ。
正しいよ。さすがだ。
だが、少しだけ遅かったかもしれないな。
もうすでに準備は完了した。今更オレの地位は揺るぎようがない。
ここから先は神がどうこう口出ししたところで、オレたち人間様の領分だ。
神サマは黙って指を咥えて見ているがいいさ。
オレは温くなった紅茶を一気飲みした。
これで7章終了です。
私的にはもう一度初めから仕切り直しという感覚ですが。
ただでさえ戦わないファンタジーなのに、更に戦闘シーンを削りながら書いています。
実は7章開始の前に序章のような物を考えていたのですが、本編が始まる前に断章・人物紹介・序章と立て続けに閑話3連発はダメだろうと考え、それを7章の後に回すことにしました。
という訳で8章の前に一話だけ閑話が入ります。
いろいろとグダグダですがこれからもよろしくお願いします。