第8話 ロレント、小芝居に興じる。
久し振りに思う存分剣を振り回しホクホク気分で戻ったら、えらく落ち込んでいるケイトに出迎えられた。
何でも、怒りに任せて大人げない態度を取ってしまったらしい。
今後のことを考えるならば、もっと大人になるべきだったと。
レジスタンスの未来に影を落とすことになるのではと不安で不安で夜も眠れなかったという。
聞けば長兄殿下の煮え切らない態度やゴールド卿の言いようにブチ切れてしまったとか。
ああいう類の人間は昔からそういう感じでフラフラと動くのが常だ。
イチイチ過敏に反応していたらこっちが疲れるだけだから、適当に相槌でも打っておけばいいのに。
コイツもまだまだ若い。
まぁ、ケイトの気持ちもわからないでもない。
コイツはおそらくこの帝国で一番命を狙われた娘だ。
今でこそ俺がそれなりに鍛えたことで、ある程度自分の身は守れるようになったが。
俺が運良く姿を隠せたことと逆に、テオドールのヤツはレジスタンスをつくるに当たって姿を晒し続けた。
率先して矢面に立ちオトリになって見せることで、他の勢力を呼び込んだのだ。
もちろん執政官の仕事をこなしつつだから、常に所在を敵に掴まれていた。
当然レジスタンスの芽を摘もうと、あらゆる陣営からの刺客が彼とその家族に襲いかかった。
特に娘であるケイトはそんなヤツらからすれば格好の的だった。
俺も陰ながら彼女の身を守る手伝いをしたが、身を隠しているため全てに手が回る訳でもない。
今に至るまで彼女は命を狙われ続け、彼女を庇って逝ってしまった者たちを何度も涙ながらに弔ってきたのだ。
幼い頃から友達を作ることも許されない、そんな壮絶な人生を送ってきた彼女からしてみれば、決起間近にも関わらず中立を保ちたいだとか、手は汚したくないだとか、礼を尽くして迎え入れろという彼らの意見は噴飯ものだったろう。
その場でゴールド卿を殴り飛ばさなかっただけ上出来だ。
「よく我慢したな」
俺はケイトの頭をできるだけ優しく撫でてやった。
「……っていうか、俺もお前に報告しなきゃならんことがあってだな」
「……何でしょう?」
ケイトは俺に頭を撫でられながら上目遣いで聞いてきた。
この表情は子供の頃から全く変わらない。
「たぶん俺、生きていることがバレた」
「……えっ? ……えっ!? ……それより今までどこ行ってたのですか?」
ケイトは何が起こっているのかイマイチ理解出来ていないのか、表情をクルクルと変えていく。
ちょっと面白い。
「ちょっとイーギスで暴れてきてだな……」「……は?」
「いや、……宰相がテオドール不在の間に何か仕掛けてくるのは判り切ったことだったろう? あちらもこの状況で誰がどう動くのか見極めたいだろうしな。……で、お前ならば絶対に軍を動かす訳だ。これから各地の補領を味方にする為には絶対に負けちゃならん戦いだからな。……ならば俺としてはお前の為に剣を振り回してくるだけの話だろ? ……な?」
何となくそれらしいことを言ってごまかす。
クロエからイーギスをよろしくと言付かっていたことは伏せておくべきだろう。
「今回無事イーギスを掃除できたのは、誰が何と言おうとお前の手柄だ。俺もその役に立ててよかった。……まぁ、そういう感じで納めてくれや」
完全に固まってしまったケイトを置いて、俺は脱兎の如く部屋を後にした。
今回のイーギスでは色々と収穫があったと思う。
一番はクロードたちと一緒に戦えたことだろうか。
あの状況でアリスが名前を出したぐらいだから、絶対に何かウラがあるだろうことは分かっていた。
だからこそどんなモノかとずっと気になっていたのだ。
無理をして夜警任務中のトパーズにも接触した。
実際彼らと一緒に戦ってみると多少の未熟さは感じられたものの、素材としては一級品と言えた。
何より最近ケイトの話によく出てくるルビーとサファイアの人柄を知ることができたのが本当によかった。
彼女たちなら損得なくケイトと付き合ってくれるだろう。
結果として俺の存在を知られることになったが、もういい加減隠しておく時期も過ぎた。
これからは俺も表舞台に復帰するとしよう。
結局あれから二、三日ほど俺はケイトと顔を合せるたびに小言を喰らわされていた。
……まぁこればかりは仕方ない。
神妙な顔をして反省したようなフリをしておく。
無駄に言い訳すると倍返しが待っているからな。
この辺りはさすが親子だといつも感心してしまう。
そんなことを考えながら聞き流していると、本家の小言男ことテオドールが一人で戻ってきた。
クロエはアリスに同行して次の領主の元へと向かっているらしい。
彼女たちの到着を待って最終打ち合わせを行いたいと言う。
それを聞いてすぐに手配を始める為部屋を飛び出すケイト。――さすが親娘。見事な連携だ。
……それにしても随分とホクホク顔だなオイ。
いつもの難しそうな顔を見慣れているだけに中々の気持ち悪さだ。
これで無表情を貫けていると本気で思っているのだろうか?
早く結果を聞いてくれと言わんばかりに目が輝いている。
仕方なく話を向けてやると、待ってましたとニヤニヤを加速させて話し出した。
どうやら一発で領主ホルスを引き入れることができたとのこと。
これにはさすがに驚いた。
今回は顔見せ、話を聞いてもらう程度だったはずなのに。
何でもアリスが魔王やら痣やらのトンデモ話を持ち出して、強引に協力を取り付けたらしい。
あくまで宰相に皇位継承条件を問いただすという名目で無理から押し切ったという。
あの腰の重いホルスをよくもまぁ……。
魔王だとか正直意味不明だが、どうせただの方便だろう。
この際何でもいい。
何よりあのロゼッティアがこちらに付いたという事実こそが重要なのだ。
俺の存在がバレてしまった以上、一刻も早い決起が必要だ。
だから今回の件はこの上ない成果だ。大成功と言ってもいい。
そのことを少し興奮気味に伝えたらテオドールはあの時のケイトと全く同じ表情で固まっていた。
……おっさんだから、全く可愛くなかったが。
特別会議室はここ行政府が誇る最も防諜に優れた部屋だ。
今回は決起前の詰め段階なので、絶対に内容を漏らすわけにはいかない。
だからできるだけ少人数で、密室で。……まぁ基本だな。
部屋に入るとすでに主だった人物は揃っていた。
視線を感じてそちらを見ると神官長が呆けた顔でこっちを見ていた。
口を大きく開けた見事なマヌケ面だった。
そりゃ自らが主導してハメ殺したはずの人間が目の前に現れたら、さすがにビビるわな。
一方ゴールド卿はといえば、すでに生きているという情報は伝わっていたのか平然とした顔。……これは仕方ない。
ただ俺の本心を測りかねている感じではある。
逆に神官長はレジスタンスの本心自体はケイトを通じて知らされていたから、その辺りの心配はしていないだろう。
「皆様お待たせしました」
そう言いながらも最後に悠々と入ってきたのはアリスだ。
すぐ後ろにクロエも控えている。
その横に初めて見る人間がいた。もちろん誰かは知っている。
ロゼッティアの領主ホルスだ。
「ようこそ、いらっしゃいました」
深々とそれでいて誇らしげに挨拶するテオドール。
他の面々も一様に頭を下げた。
最後に入室したケイトが扉を閉めて鍵をかける。
――ついに芝居の幕が切って落とされた。
簡単な挨拶の後、テオドールが設立のスローガン通り今後を予定を話し始めた。
皇帝と宰相の排除を目的にこれから立ち上がろうと。
力強く、高らかに。……やや大げさに。
「――女王国として、少し異論を挟ませて頂きたいのですが……よろしいですよね」
しかしアリスが彼の熱弁に待ったを掛けた。
さも女王の言葉だから、黙って聞けと言いたげに。
そして彼女は今までの完全に流れを断ち切って、ホルスに聞かせたであろう魔王やら痣やらの話を始める。
もちろん全て打ち合わせ通りだ。
それをたった一人に気付かれないよう、皆で困惑する演技をするのだ。
「……そんな荒唐無稽な話を今しなくても」
進行役のテオドールが女王に止めるように促す。
俺も水を差すなと強い口調で注意する。
それでもアリスは一切こちらに耳を貸さずに最後まで話し切ったのだ。
そして意味ありげに全員の顔を眺める。
「……教会ならある程度書物が残っている可能性があります。是非それを当たってもらいたいのです。できますよね、オランド神官長?」
アリスがすぐ横の席にいる教会からの代表を名指しする。
有無を言わせない、いかにも女王らしい振る舞い。……めっちゃ楽しそうだ。
もちろん俺も楽しい。
彼女をヒロインに選んでおいてよかった。
「……女王陛下がそこまで仰るのでしたら各地の教会施設に当たってみましょう。……ただ、古い文献になりますのでな。少々お時間を頂けますかな?」
神官長オランドが心底面倒臭そうに答える。
小娘とはいえ仮にも女王の言うことだから仕方なくという態度だ。
コイツの狸っぷりは、ある意味俺が一番よく知っている。――何せ気がつけば処刑される寸前だったからな。
……しかしまぁ、いけしゃあしゃあと。本当にタチの悪い男だ。
この話は先にケイトから神官長に通しておいた。
決起の際には『皇帝を廃して長兄を即位させる』という文言を排除したい、と。
教会としても宰相を排除できればそれでいい訳で、むしろ長兄が即位する方が厄介だったりする。
だからこの発案は渡りに船だったに違いない。
彼はこちらの事情をある程度察しながらも、すぐに次兄殿下でもある枢機卿にご注進。
……そして今に至るというわけだ。
「結構です。それまでは皇帝は在位させたままで、ということで皆様もよろしいですね?」
オランドの返事を受けてアリスがまとめた。
「ふざけないで頂きたい!」
当然ながらゴールド卿は猛反発だ。
彼の唯一ともいえるレジスタンス参加条件であった長兄殿下の即位が、途中参加した小娘のくだらないおとぎ話によって流されようとしているのだ。
その気持ちはごもっとも。この俺ですら同情せざるを得ない。
俺も一応打ち合わせ通りに異論を挟む。
「今さら変節するわけにはいかねぇだろ? ここには長兄殿下を慕って参加した人間も沢山いるんだ!」
厳密にいえば彼本人を慕っている人間なんざ微々たるもの。
長兄殿下という勝ち馬に乗りたい人間がいるだけだ。
目の前のゴールド卿だってそんなモンだろうよ。
一族の今後を見越して長兄殿下の最側近の地位を得たものの、ものの見事に玉座を現皇帝に掻っ攫われた。
だからといって今更宰相に尻尾を振ることも許されない。
八方塞がりの中、テオドールから声を掛けられたのを最後の機会だと考えて、レシスタンスに乗っかった。
ただそれだけの話だ。
最初にアリスからこの芝居の話を聞かされたときは正直面食らったし、相変わらず訳の分からないことを思いつくものだと少々呆れた。
しかし改めてこの状況を見てみると、これは円滑に決起するために必要な手続きだったと分かる。
アリスがこの役を買って出てくれたことは本当に感謝したい。
これで俺たちは心置きなく、一大勢力を築き上げた女王国を味方に付ける為に仕方なくワガママを飲んだ、という言い訳が使えるのだ。
誰だって長兄殿下から恨みなんて買いたくない。
体面を気にするのはお互い様だ。
彼だって長兄殿下の参加条件をケイトに対して突きつけたのだから。
それに俺もこうやってゴールド卿に寄り添う役にありつけたお陰で、後々上手く立ち回れそうな気がしてきた。
「魔王の件が解決しない限り皇帝の排除に反対します。それが飲めないのであれば、この件から女王国は降りさせていただくということで」
アリスが断固とした態度で、反論した俺を睨み返してきた。
そして威圧感のある視線で異議は認めないと言いたげに見渡す。
芝居だと分かっていても、恐ろしいモノを感じた。
ここにいる全員が女王国の力を知っている。
政治的手腕のみならず、軍事力も。
特にゴールド卿は目の前でアレを見ていたはずだ。
大陸最強のはずの帝国軍が奇襲とはいえ、あっけなく瓦解していくその様を……。
俺もアイツらとあの光景を見て表面上は平静を保ちつつも、内心では冷や汗を流していた。
話には聞いていたがあれ程だったとは。
まともな戦争を知らない俺たち帝国民に与えた衝撃は凄まじいものだった。
――あくまでこれはゴールド卿に対しての脅しなのだ。
一から十まで打ち合わせ通りのセリフだ。
俺たちは最初からこの流れになることを知っていた。
だが、それでも、全員――ゴールド卿を含めた俺たち全員が、この瞬間確かにアリスに対して恐怖を抱いていた。
「……約束違反だ!」
女王に気圧されて重苦しい沈黙が続く中、それでもゴールド卿は何とか気を取り直して叫んだ。
軍人でもないのに大した胆力だ。
彼にも譲れないものがあった。
「……さて、どうでしょう? 私は別に約束違反だとは思いませんが。……先日書状にも残しましたよね?」
その声は少し離れたところから。
今までテオドールの後ろに控えて沈黙を続けていたケイトが、ゆっくりとテーブルに歩み寄り、俺たちの目の前に書状を突き出した。
事前に俺も含めた全員がこの書状に目を通してある。
それでもホルスが初めて見る感じで興味深そうに手に取るのが、中々の役者っぷりだった。
彼もこの余興を楽しんでくれているようで何より。
ケイトも同じことを思ったのか、クスリと笑い声を上げる。
「……ここの部分です。『要請する際は』と。つまり要請しないということもありえると、私はそのつもりでこれを作成しましたが、もしかしてゴールド卿は何か思い違いをされていたのでしょうか?」
表情は少し硬いが口元に皮肉気な笑みを浮かべる。
何度も練習したのだろう。彼女にとってここは絶対に外せない大事なセリフだった。
人を喰ったような、それでいて優雅さを忘れないその佇まいは母親であるクロエにそっくりだった。
それにしても、怒りで冷静さを欠き追い詰められた状況で、よくこの文言を捻り出してきたものだと思う。
ガキの頃から知っている俺からすれば、今のケイトの成長ぶりに感慨深いものがあった。
この部屋でそれを目の当たりにしている両親にしてみれば……。
テオドールなんか、今にも泣き出したいはずだ。
「まぁまぁ、落ち着きましょう。まずは決起することを最優先で。ゴールド卿もどうか落ち着いてください。……ケイトも余計なことで口を挟むな!」
そのテオドールが出しゃばった娘を宥める。
父親が言ったところで実は説得力も無いのだが、それでも何とかその場が収まった。
「……仕方がない。……皇帝の首を取るか取らないかは後で考えるとして、まずは決起しましょうや」
俺もここぞとばかりに、できるだけ苦渋に満ちた顔を作ってゴールド卿に訴える。
アリスに否定的な立場だった俺がしぶしぶながらもまとめに入ると、ゴールド卿も多勢に無勢と判断したのか大きく息を吐いた。
「……やむを得ませんな。ですが、このことは殿下にキチンと報告させて頂きます。……失礼!」
それだけ吐き捨てると乱暴に立ち上がり、憮然とした表情で部屋を後にしたのだった。
彼が部屋を飛び出した後しばらく沈黙が続いたが、無事上演が終了したことを確信すると、誰からともなく小さく笑い出した。