第5話 ルビー、レジスタンスの深淵を覗く。
今日は昼からケイトちゃんとお茶の約束だ。
そろそろ部屋を出ようとサファイアを誘ったら「クロードと新しくできたお店を見に行く」とのそっけない返事。
ちゃんと三人で約束したのに……。
最近彼女は激しくクロードの所有権を主張するようになり、頻繁に連れ回すようになった。
クロードも弱みを握られたという自覚があるのか、抵抗もせずに彼女に付き合っている。
そんな微妙に張り詰めた空気を肌で感じ取ったのか、トパーズがアタシのことを気遣う目で見てくるのがイロイロと辛かった。
きっと彼はまだアタシがクロードのことを好きなのだと思い込んでいるのだろう。
……早いうちに誤解だと伝えないとアタシの恋が先に進まないから、少し焦る。
いつもは空いている部屋を勝手に使っているのだが、今日は部屋の主がお出かけということでテオドールさんの執務室を使ってのお茶会。
ケイトちゃんと楽しくお話していると、珍しいことにバトラーさんが彼女を訪ねてきた。
「お邪魔しますよ」
彼は控え目なノックの後、いつものように丁寧なお辞儀をして入ってくる。
「……じゃあまた今度ね」「……うん。またね」
アタシとケイトちゃんが空気を読んで広げた茶菓子やらカップやらを片付け始めるが、そこにバトラーさんからの待ったが入った。
「あぁ、お嬢様方お気になさらず。ルビーさんにも関係のある話ですから、どうぞそのままで……。それより私にも一杯頂けますかな?」
そうこちらを制すると、バトラーさんは空いているソファに腰を落ち着けてしまったのだ。
アタシたちで顔を見合せ小さく頷き合うと、ケイトちゃんはバトラーさんの分の紅茶を準備しに部屋を出ていく。
手持ち無沙汰なアタシはその場の流れで彼に目の前の茶菓子を勧めた。
「これはまた可愛らしいお菓子ですねぇ。……最近の女性にはこのような物が流行っているのですか」
手に取ると感心したように色々な方向から眺め、そして口にする。
庶民でも買える安いお菓子だけど、彼が口にすると高級感が増すように感じるのは、やはり国内有数の貴族の当主だったからに違いない。
しばらく近況などの雑談しているとケイトちゃんがカップを持って入ってきた。
バトラーさんは目の前に置かれたカップを持ち優雅に香りを楽しむ。
……本当にその姿が様になっている。
「ほぉ、これはまた素晴らしいですな。ここまでの茶葉は中々市場に出回りませんよ」
「……母が取り寄せたものです。私も産地までは分かりかねますわ」
初めて見る少し他人行儀のケイトちゃん。
丁寧に接しているが、格上をもてなす感じではない。
その何とも言えない微妙な二人の距離感がアタシに緊張を強いる。
バトラーさんはそんな空気など一切気にせず紅茶をゆっくりと飲み、誰に聞かせるでもなく穏やかに語り始めた。
――途轍もなく重大な事案を。
今朝、古都イーギスの執政官であるレオナール長兄殿下から連絡が入ったとのこと。
宰相から古都に軍を派遣するという主旨の書状が届いたのだという。
名目上は不穏な動きを見せるポルトグランデを牽制する為、そして長兄殿下の御身にもしものことがあってはいけないので身の回りを固めておきたいという理由だったと。
長兄殿下としては数が少ない今の内に排除しておきたいので、急ぎ軍を寄越して欲しいとのこと。
それをバトラーさんが丁寧に依頼する為、こちらへ訪ねてきたということみたいだ。
「何卒よろしくお願いします」
バトラーさんが深々と頭を下げた。
だけどそこにあるのは余裕の笑み。
そもそもバトラーさんはアタシたち冒険者にも丁寧だから、特別な意味など無いのかもしれない。
少なくとも悲壮感は全く感じられなかった。
それこそ紅茶を頼むときと同じような気軽さで。
……こんな一大事なのに。
「了解致しました。……殿下の戦力も考えればこちらとしてもそれ程痛手ではありませんので、どうぞお気になさらず」
ケイトちゃんも余裕の笑顔で答えた。
おそらく準備ぐらいはしていたのだろう。
それを受けてバトラーさんが微かに口角を上げる。
「……いえその件ですが、この度は殿下とイーギスの領軍に期待するのはご遠慮ください」
「はぁ!?」
次の瞬間ケイトちゃんが嫌悪感を露わにして顔を歪めた。
この二人の力関係がよく分からないのだけれど、彼女はそんな態度を取っても許される立場なのだろうか。
バトラーさんは特に気にすることもなく笑顔で話を続ける。
「殿下は表立って帝都とコトを構える気はございません。少なくとも来るべき時が来るまでは中立を貫くおつもりです」
「……それでは別に排除せずとも不都合はありませんよね? 殿下の首を取りに来た訳でもありませんし。みっともなくオロオロせずとも『よきに計らえ』と鷹揚に構えておけばよろしいのでは?」
嘲るような笑みを浮かべて彼女が言い放つ。
長兄殿下に対する敬意など一切感じられなかった。
彼女のあまりの態度に、今度ばかりは流石のバトラーさんも顔を顰める。
そんな険悪な空気の中、アタシは取り敢えず存在感を消そうと小さくなっていた。
……こんなの聞かされる冒険者の身にもなってほしい。
「……貴方たちが殿下を巻き込んだのでしょう? 皇帝と宰相を排除した後、上に立つべきものが必要だからと我らの殿下に声をかけた。他ならぬ貴女の父上がね。……何度も申し上げますが、今回の古都解放戦では殿下と領軍は剣を取りません。殿下の意図しないところでレジスタンスが勝手に自分たちの都合で帝国軍を排除するのです」
「私たちが勝手に……ですか」
ケイトちゃんが不満を隠そうともしないで呟いた。
よりによってテオドールさんのいない時にこんなことになるなんて。
……むしろ宰相側はこの状況を知っていたからこそ仕掛けてきたのだろうケド。
バトラーさんも相手がケイトちゃんだったら、多少無理を言っても何とかなると踏んだに違いない。
今まさにアタシの目の前で行われているのは、以前みんなに説明した水面下での主導権争いの一端だった。
無言のまま考え込んでいるケイトちゃんの様子を見て勢い付いたのか、バトラーさんがさらに切り込む。
「そもそもレジスタンスの行おうとしていることは、皇帝陛下に弓を引くという蛮行ですからな。殿下に助力を願うならば、それ相応のことをして迎えて頂かないと示しがつきませんね」
「……蛮行ですか」
いけしゃあしゃあと言うバトラーさんがちょっとイヤな感じだ。
そもそも彼だって現皇帝陛下のことは何とも思っていないだろうに。
「……『それ相応』とはレジスタンスによる帝国軍の排除という理解でよろしいですか?」
「そうなりますな。……皆さんで古都を綺麗に掃除して頂いた後、正式にレオナール殿下に助力と皇帝即位を奏上。それを殿下が受けるという形にして頂ければ」
それが帝都と民衆に対して見せたい形ということだ。
仕方なく受けるのですよ。国のためですよ。本当は野蛮なことはしたくないのですよ。
……姑息だ。
一滴の血も流さずに安全を確保してから、ようやく重い腰を上げるつもりなのだ。
ケイトちゃんが声を上げて笑った。目は全然笑っていなかったが。
「つまり、万が一我々が帝国軍排除に失敗したとしても、殿下に傷一つ付くようなことはあってはならないと、そう仰るのですね。……これはまた随分と信用されていないものですわ」
「……卑怯なのは重々承知しておりますよ。ですが、こちらに参加しているのは殿下ではなく側近の私だということでご了承願いたい」
もし失敗しても首を取られるのはバトラーさんだけだということだ。
この期に及んで二股を掛けるというのは筋が通らないと思うが、これも彼なりの忠誠ということだろう。
「……結構。委細承知しました。引き換えと言っては何ですが、ゴールド卿の私兵団は出して頂けると思ってもよろしいですよね?」
「それはもちろんです」
結局クロード班のような遊撃部隊が数隊にバトラーさんの私兵団、そして有志の軍が参加するとのことで話がまとまった。
「お誂え向きに、とある御方から手頃な軍を貸して頂けることになっていましたから、丁度いいでしょう。きっとこの時の為に準備されていたのでしょうし……」
ケイトちゃんは少しだけ遠い目をして笑った。
「長兄殿下への助力要請は別の機会になりますが、別に構いませんよね? 何せ正式な要請ができる人間である父が外しておりますので」
ケイトちゃんはどこか吹っ切れたのか清々しい笑顔を見せた。
「……そうですね、それはいつでも結構です」
「ではその件は父が戻ってきてから、おいおい相談させて頂くことにしましょう」
ケイトちゃんとバトラーさんが互いに頷き合った。
「では証文を認めましょうか。現在長兄殿下とレジスタンスは一切関係がないこと。レジスタンスから長兄殿下に皇帝即位の要請する際は、古都解放後に公式の場でテオドール=ターナーが行うということで」
彼女の弾むような声にアタシは違和感を感じた。
バトラーさんも何かを感じたのか一瞬で真顔になった。
「……いえ、そこまでして頂かなくても結構ですよ」
書状という形で残すことを嫌がるバトラーさんに対して、満面の笑みで書面の準備を開始するケイトちゃん。
「いえいえ、卿の仰る通り我々の実力は未知数ですから。……教会も組織としては国随一ですが、戦力としては無いに等しいですし。我々上級貴族も宰相側に付いた下級貴族に比べれば明らかに見劣りしますし、ね?」
ケイトちゃんの不敵な笑みとは対照的にバトラーさんが表情を歪める。
先程とは完全に立場が逆転した。
そんな彼の表情を見て溜飲を下げたのか口元を歪めて微笑み、さらに続ける。
「現在父が説得に向かっている補領ロゼッティアがこちらに付いてくれて、初めてこちらにも勝機を見いだせるかという状況ですからね。長兄殿下の御身を考えれば、ゴールド卿の懸念も理解致しますわ。……今のところ頼りになるのは女王国のみ。本当に悲しい話です」
……女王国?
その言葉にアタシが反応したことで初めて口を滑らせてしまったことに気付いたのか、ケイトちゃんは紙から顔を上げて少しだけ苦笑いする。
「……女王国なんて所詮蛮族共の集まりですよ! 未開な小国が統合されたからといって、それがどれほどのモノになると!」
バトラーさんはアタシたちのそんな機微など気にすることなく、吐き捨てるように言葉を発した。
その間、ケイトちゃんはアタシに向かって余計な口は挟むなと言いたげにキッとした視線を寄越す。
元よりそのつもりだとアタシは頷くに留めた。
「そうでしょうか? 東方3国が劣っていたのは単純に技術力の問題です。今や女王国は我々を通じてそれを手に入れました。訓練しか経験していないこちらの軍よりも実戦経験は豊富ですし、何より指揮官の潜ってきた修羅場の数が違いますよ」
笑顔で歌うように言葉を紡ぎながらも、手元のペンは別の生き物のように軽やかに踊り続けた。
よくよく考えると、彼女の仕事はこういった事務作業に特化したものだと思い当たる。
あっと言う間に同じ書状を二通書き終えた。
嬉々としたケイトちゃんと眉間にしわを寄せたバトラーさんが順番にサインしていく。
何故かアタシまで立ち会った人間としてそれにサインをするハメに。
結局その二通は彼ら二人が持っておくということでその場は解散となった。
帰り際ケイトちゃんに厳しく口止めされて、アタシも追い出されるように部屋を後にした。
少し予定よりも早かったが、色々と考えたいことがあったのでアタシは真っ直ぐ宿舎に戻った。
今は部屋に一人。
例によってあの二人は今頃デート中だろう。
静かな部屋でベッドに腰かけ、ようやく一息つく。
そして余ったお菓子を口に放り込みながら思考を巡らせた。
……女王国とレジスタンスが繋がっている。
ということは、やっぱりアリスちゃんは女王なのかもしれない。
そもそもアリスちゃん女王説を否定した理由は、女王が皇帝の側室だという前情報が入っていたからだ。
その皇帝側室説も女王国に帝国の技術や物資が流れたのはきっとそれが理由に違いないという、あのオジサンの推論を下敷きにしたものだった。
だけどその前提が完全に崩れた。
ケイトちゃんは確かに我々を通じてと技術の提供を認めたのだ。
ならば女王は別に皇帝と取引する必要なんてない。ましてや側室になる必要もない。
ということは……。
「帰っていたんだ」
ガチャリとドアの開く音で思考が中断された。
部屋に入ってきたのはサファイア。
「うん。……クロードは?」
「神殿に寄ってから帰るって」「……そう」
「……トパーズは?」「……まだ練兵だと思う」「そう……」
あの晩以降、二人きりだとどうも話が続かない。
サファイアは扉のそばで立ったまま考え込むと、真顔でアタシのすぐ横に座った。
思わず全身に力が入る。
「……ねぇ、クロードのこと、どう思っているの?」
大きく息を吐いた後、意を決したようにサファイアが訊ねてきた。
じっとアタシの目を見ている。
逸らしてはいけない。
……なんて、野生の獣でもあるまいし。
「頼れる仲間……とか、そういうのが聞きたい訳じゃないよね?」
彼女が真剣な顔で頷いた。
アタシも腹をくくって本音で話すことにした。
「……あのとき気付いたわ。以前ほどクロードのことが好きじゃないって。だったら何で抱かれたのって聞かれると上手く答えられないケド」
確かに彼のことは気にはなるけど、絶対に恋愛感情じゃない。
もう二度と男女の関係になりたいとは思わない。
「……アタシはトパーズが好き。トパーズだけが好き。彼の一番になりたい」
これがアタシの心の底からの気持ちだ。
それを聞いたサファイアの身体からスッと力が抜けたのを感じた。
「……あの晩、クロードは私のことが一番好きって言ってくれたわ」
「……そう、なんだ」
そりゃ、あの状況ならそう言うでしょうよ。
どんな男でもそう言う。
「私を抱きしめて、全てが終わったら結婚してくれるって耳元で囁いてくれたの」
その時のことを思い出したのか、サファイアはうっとりとした表情を見せる。
……それはまた思い切ったことを言うものだ。
それにしても全て、ねぇ。一体何をもって全てなのか。
何とでも理由をつけて先延ばしにできそうだけど。
その辺りクロードもウマいなぁ。
さっきバトラーさんとケイトちゃんの含みだらけの話を聞いた後だから、どうしてもそんな穿った物の考え方をしてしまう。
その後二人でアタシはトパーズ、サファイアはクロードということを再確認し、お互いの邪魔はしないという協定を結ぶ。……書状に残さない口約束だけど。
「……お願いだから、二度とクロードとは寝ないと約束してよ」
「分かってる」
「絶対ね。もし少しでもそんな気配を見せたら、トパーズに言いつけるからね」
一瞬彼女の目が鋭くなった。一度だけ見たあの殺意の籠った目だった。
……きっと本気だ。
「お願い、それだけは絶対に言わないで!」
アタシはカッコ悪くもサファイアに縋り付いてしまう。
彼女は面倒臭そうににアタシを引き離すと溜め息をついた。
「……早くトパーズとくっつきなさいよ。あなたなら何とかできるでしょう? クロードをベッドに誘ったときのようにトパーズのことも誘えばいいじゃない。そういうの得意なのよね?」
そんな失礼な物言いに何か返そうとするも、彼女の目は依然として殺気じみていて、とても口答えできる雰囲気ではなかった。
……アレ? そう言えばアタシ何を考えていたんだっけ。
正直疲れ切って、もう何も考えたくなかった。