第4話 領主ホルス、女王の方便に理解を示す。
屋敷を訪ねてくる顔ぶれの中にテオドール夫妻だけでなく、娘の命の恩人でもあるアリスと名乗った少女も加わると連絡を受けた時は、てっきり両者の橋渡し役でも担ってくれるつもりなのかなと軽く考えていた。
その彼女が帝国執政官のテオドール殿を前にしても相変わらずの態度を貫き、彼を差し置いて上座に腰かけた瞬間に気付くべきだったのだ。
彼女が普通の少女ではないことに。
アリス、いやアリシア女王と呼べばいいのか、彼女が前回この屋敷を訪ねたときには女王として聖王国を滅ぼしていたはず。
その頃からすでにレジスタンスと繋がっていたと考えるのが自然だろう。
何しろテオドール殿を紹介したのは彼女自身だ。
そして彼の奥方が女王の側付きをしているという。
どうやら私が考えていた以上にレジスタンスという組織は活発に動いていたと考えるべきだ。
「……痣?」
女王の話は魔王の話からいつの間にか皇帝の痣の話に移っていた。
一度先帝に謁見することができたときは、確かにそのようなものがあったような記憶があるが。
現在の皇帝にまでそれがあるのかは、さすがに知りえないことだ。
テオドール殿の方を見ると、彼も同じように首を振った。
奥方であるクロエさんは具合が悪いのか黙り込んだままだった。
「……クロエさん。もしよろしければ別室を用意しますのでそちらで休まれてはいかがでしょう? 長旅の疲れもあるのでは?」
そう声を掛けたが、彼女は笑顔を見せて首を振るだけだった。
女王はチラリと自身の側付きに目を遣りながらも、それには触れずに話を続けた。
「魔王を封印した血族の力が今もまだ有効なのだとしたらどうでしょうか?」
彼女はこちらの困惑をよそに饒舌に語り続ける。
千年もの間、一度も途切れたことのない皇帝の血。
現皇帝にもその痣があるのであれば、魔王を封じた例のおとぎ話にも信憑性が出てくると。
「もし継承に痣の存在が関係しているのであれば。――それを宰相一族だけが知っており、それを頑なに守り続けているのであれば、彼ら一族の不可解な皇帝継承への関与にも一定の理解を示すことができるとは思えませんか?」
女王がこちらを見渡した。
彼女の言いたいことが徐々に浮かび上がってくる。
「レジスタンスは当初皇帝の排除を掲げておりましたが、どうしてもこのことに引っ掛かりを覚えまして。……ですから女王国のわがままとして修正を要求しました」
女王がテオドール夫妻の方に視線を向ける。
彼らはそれを受けて頷いた。
……なるほど、レジスタンスはこの修正案を受け入れたのか。
もちろんこんなおとぎ話を鵜呑みにした訳ではないはずだ。
おそらく彼らにもそれを受け容れざるを得ない、彼らなりの事情があったのだ。
我々は女王陛下とは言ってもたかが小娘の、普段ならば一笑に付すような絵空事を聞き続けていた。
領主の私、執政官のテオドール殿、そしてその奥方。
大人で一定以上の地位も頭脳も持つこれらの面々が真顔で、おとぎ話を下敷きにした戯言に口一つ挟まないで耳をすませているのだ。
そこに作為的なものがあるのは当然といえる。
少なくとも私が口を挟まないのは彼女の『おとぎ話の解釈』に感銘を受けているからではない。
むしろこの屋敷から叩き出してやりたいぐらいだ。
それでも黙って聞いているのは、この話の着地点を見極めたいからに他ならない。
今この国の未来を左右する重要な会談の場において、仲介役を買って出た一国の女王が、全く関係のない魔王や痣の話をしてまで用意した落としどころ、それがどこにあるのか。
彼女は一体何を求めているのか。
私をレジスタンスに引き入れる為に、どのような条件をひねり出してくるのか。
それを皆が固唾を飲んで見つめているだけの話だ。
「確かにホルス殿が仰る通り宰相が何か悪いことをしたというのはないと思います。ですが、すでに国を二分するような事態を作り上げたことに対する責任はあると思いませんか? 民から宰相に対する不満を聞いたことはありませんか? それだけで彼から話を聞く場を設けたいと願う理由にはなりませんか? 今のままではそれすら叶いません」
女王の表情から余裕の笑みが消える。
ようやく本題に入ってくれるようだ。
「あれだけ東方で戦争しておいて説得力も何もありませんが、女王国としては戦争をしたい訳ではないのです。それはレジスタンスもロゼッティアもそうでしょう?」
皆が黙って頷く。
まずは戦争を避けたいという共通認識から。
彼女は続けた。
「我々が必要としているのは発言力です。武力ではありません。ですがこのままの力関係では宰相に物を言うこともできません。反逆者として宰相と彼の支持に回った勢力に踏み潰されて終了です」
宰相を支える勢力は殆どが補領の領主――いわゆる下級貴族だ。
最低限ではあるが自前の戦力を保有しており、裁量次第ではそれを増やすことも可能だ。
さらに財力も上級貴族より持っている。
引き換えレジスタンスにはそれらが乏しい。
――だからこそ彼らは、私を勧誘しにきたのだ。
力を持つ下級貴族でありながら、まだどちらにも属していない私を。
「不可解な皇帝継承が私の想像とは違い、ただ彼ら一族そして彼らを支持する者たちの繁栄の為の下らない工作だったとしたら、その時は正義の鉄槌を下す為に立ち上がりましょう。女王国としても全力を尽くすと約束します。……ですがもし私の想像通り――魔王復活を阻むための正当な行為だったとしたら? これは世界に関する話ですよね。宰相一族だけに背負わせる訳にはいきませんよね? だからその時は皆で力を合わせて知恵を出し合いませんか?」
女王はこちらをゆっくりと見渡しながら、同意を求めるように皮肉めいた笑みを浮かべる。
その瞬間気付かされた。
おそらくテオドール夫妻も気付いたことだろう。
――誰よりも女王本人が今のおとぎ話を信じていないことに。
あれだけ時間をかけて熱弁しておきながら、彼女は髪の毛一本ほども信じていないのだ。
……つまりこれが彼女の落としどころなのだ。
私たち領主を勧誘するための、穏便にことを進めるための方便。
『魔王復活の恐れがあるから皇帝の首は取らない』
『継承に何か秘密があるかもしれないから、宰相からそれ聞き出すために話し合いたい』
『賛同者を集めているのは発言力を高める為であり、戦力を要求している訳ではない』
『もし宰相が私利私欲の為だけに皇位継承を操作するような悪党ならば、そのときは――』
……なるほど、思い切った手を使うものだ。
レジスタンスが一枚岩でないことぐらい、主だった地位の者ならば誰でも知っていることだ。
私たちのような領主を迎え入れるのならば尚更。
だから女王はこの方便を利用して、無理やり足並みを揃えるつもりなのだ。
おそらく他の者たちもこんなおとぎ話を聞かされたとして、誰も信じないだろう。
だからこそ、堂々とウラを読むことが許されるのだ。
教会は長兄殿下に権力が集中するのを避けたいだろうから、喜んでこの戯言に乗ってくるだろう。
私を含めた領主たちも、レジスタンスが穏便にコトを進めてくれるのであれば、宰相に反旗を翻したとまでは言えず、いくらか賛同しやすくなるだろう。
長兄殿下とその周りの者は梯子を外されたと激怒するかもしれないが、それは知ったことではない。
「どうか我々に力を貸して頂けませんか? 宰相を排除するにしろ交渉の場に引きずり出すにしろ、彼に対抗するだけの力を手に入れることができれば、どちらも安易に剣を取ることができなくなります。一度始まってしまえば大惨事ですから。宰相が国と民衆を大事に思う人間ならばその選択は無いかと」
やや暴論であるが、理解はできる。
だが踏ん切りがつかない。
私には守らなければいけないものがあるのだ。
家族、領民、街、歴史。
それら全てが私の宝物だ。
選択次第ではそれらを無に帰すかもしれないのだ。
「もしホルス殿がこちらについてくれれば、他の領主たちも話を聞いてくれるでしょう」
確かにその通りだとは思うが、だからこそ責任を感じてしまう。
この国の行く末を私の判断で決めてしまうのだ。
女王陛下の言いたいことは十分伝わったし面白いと思った。
それでも大事な領民と天秤にかけると踏み出す気にはなれない。
……なれないのだが、先程からずっとレジスタンスに味方しなければならないような、そのような気がして胸がざわつくのだ。
彼らに手を貸さなければいけないと、本能がそれを訴えるのだ。
わからない。本当にそれでいいのか?
そんな感情に任せて決めてしまってもいいのか?
「……私も力をお貸ししましょう」
しかしそんな逡巡など関係なく、私が口を開いた瞬間にその言葉が出てきたのだった。
テオドール殿も奥方も驚いていた。
何より口にした私自身が驚いた。
確かに納得できる弁ではないし、本来の私なら首を横に振るような話だ。
だけどどこか清々しい思いで私は決断することができたのだ。
今私はとても晴れやかな気分になっていた。
女王を見ると当然とばかりに満足そうな笑みを浮かべている。
「……ただしロゼッティアを守るのが私の一番であることは理解して頂きたい」
「もちろんです。その上で我々に助力下さればそれで十分です」
私の注文にテオドール殿が破顔した。
「では、娘の恩、そして薬草園の恩をお返し致しましょう」
私も笑顔で彼らと握手した。