第2話 テオドール、領主と女王と愛妻とで会談する。
私が執政官としてポルトグランデに赴任して以来、領地を離れるのはこれが初めてのことになる。
父の葬儀のときでさえ帝都に戻ることはなかった。
ただ、ロゼッティアをこちらに引き寄せる為には、名目上とはいえ組織を率いている私が出るべきだと女王は考えたらしい。
とはいえ、私が領地を空けることはおそらく帝都の人間も気付いていることだろう。
彼らがこの機会を利用しない訳がない。
どのような手で来るのかは判らないが、ロレントが無茶をして全てを無にさえしなければ、多少後手に回っても挽回できると思っているし、ロゼッティアにはそれだけの価値があると考えている。
「大丈夫ですよ。ケイトを信じましょう。……私たちの娘ですから」
突然妻がそう笑みを湛えながら話しかけてきた。
別に何か独り言を漏らした訳でもなくただ思い耽っていただけなのに、妻は今のように返事をくれることがある。
しかもその時は意味がわからないのに、後々そういうことだったのかなと気付くこともしばしばという。
見通していたことなのか、それともただの偶然なのか、知り合って二十年以上経つが今でも判りかねる。
ケイトが何かヘマをするとは思えないが。
妻の真意を探ろうと盗み見ると、彼女は何事もなかったかのように馬車からの景色を楽しんでいた。
……相変わらず美しい。
領都ガーランドはもうすぐそこだ。
待ち合わせ場所の宿屋に向かうと、一階の食堂で街娘の格好をした女王を見つけた。
昼下がりだがまだそれなりに賑わっている店内で、多人数掛けの大きいテーブルを独り占めしている。
周りには驚くほど人がいない。おそらく人払いをしているのだろう。
……もしくは常人が近寄るのも憚れるような何かを発しているとか。
彼女ならば、それもできるかもしれない。
「申し訳ない。少し待たれましたか?」
私は向かいに座り、小声で尋ねる。
「いいえ、私も今着いたところですよ」
彼女は珍しく弱々しい笑みを浮かべ、目の前の料理を突いていた。
クロエは少し憂いた表情であちらに回り込み、耳元で何やら声をかけている。
「……山猫部隊と同じように機動性の高い文官部隊のようなものを育てておくという発想に至らなかった私が愚かだったのよ」
そんなクロエにちらりと目を遣り、私やロレントを相手にする時とは違って面倒臭そうな、それでいて気を許しているような何とも言えないやさぐれた感じで呟く女王。
先見のある彼女らしい発想だが、そもそもケイトよりも年下の少女の口から文官を育てるという言葉が紡ぎだされることに違和感がある。
クロエはそんな女王の話に耳を傾けながらも、彼女の後ろに立ちはね放題の髪を丁寧に梳かし始めた。
「……皆さんはお元気ですか?」
「えぇ、取り敢えず死体は転がっていなかったから大丈夫なんじゃない?」
口元だけでニヤリと笑う女王。
クロエもそれに微笑みで返しながら彼女の襟元や袖を整えていた。
なるほど、二人のときはいつもこんな感じなのか。中々興味深い。
彼女が昼食を摂っている間、私たちは他愛のない世間話を続けた。
「少し早いけど今日はこのまま休ませてもらうわ。……明日のためにも頭をスッキリさせておかないとね」
彼女は目の前の料理を無理やり口に押し込むように全部食べ終わると、手摺りに凭れかかるようにして階段を上って行った。
いつも元気で過剰なまでに愛嬌を振り撒いている彼女の、その心底疲れ切った姿に私たちは顔を見合せて噴き出す。
王宮の修羅場加減をクロエから聞いていたが、相当なものだったようだ。
「……折角だから新婚気分で街の散策でもしましょうか?」
女王を見送った後、クロエがそんな嬉しいことを言ってくれた。
「あぁ、是非!」
私たちは久し振りに腕を組んで街へと繰り出すことにした。
翌日、私はクロエと女王と伴ってホルスの屋敷へと向かった。
女王は一晩ゆっくり休んで体調が戻ったのか、いつものように溌剌とした動きを見せている。
身なりも昨日と違って妻がアレコレと手を掛けたこともあり、どこから見ても立派な令嬢の姿に変身していた。
訪問日時はすでにポルトグランデを離れる前に連絡はしておいたので、あちらも心の準備をしていたのか、門の前で執事らしき人物に深々と礼をされて出迎えられる。
挨拶もそこそこに、早速主の元へ案内してもらうことに。
どうやらこの屋敷は領主の仕事場も兼ねているらしく、数人の役人らしき人物の姿も見受けられた。
私としては自分の屋敷で他人が歩き回るのは勘弁願いたいのだが、こればかりは人それぞれだろう。
先日クロエが女王を家に泊まらせていたときは、正直なところ胃がどうにかなってしまいそうだった。
何度ケイトと顔を見合わせたことか……。
家に帰りたくないと嘆く部下がどんな気持ちで呟いていたのか、そのとき初めて知ったのだ。
色々興味深いと屋敷内を観察しながら進むと、部屋の前で立派な身なりの男性がこちらに向いて一礼しているのが見えた。
おそらく彼がホルスだろう。私も同じように頭下げた。
「ようこそ、ロゼッティアへ。ホルスです。……さぁ、立ち話も何ですからまずは部屋へどうぞ」
彼自ら扉を開けて案内する。
綺麗に整えられた応接間だった。無駄に美術品が転がっていないところに好感が持てる。
席を勧められたのだが、私はクロエと並んで二人掛けに座り、女王に上座を譲った。
何の抵抗もなく奥のソファに深く腰を掛け、足を組む彼女。
その姿を見てホルスは一瞬怪訝な顔をするが、私が何も言わないので彼もそのまま自分の席に腰掛けた。
給仕の者が各人の前に飲み物を置いて部屋を立ち去るのを待って、ホルスが口を開く。
「改めまして補領ロゼッティアで領主を務めておりますホルス=デュラントと申します。以後お見知りおきを。……先日は医務官と薬草園の件でお世話になりました。心より感謝申し上げます」
深々と礼をする彼に、私も同じように礼を返す。
「執政官をしておりますテオドール=ターナーです。本日は時間を取って頂き感謝しております。……医務官の件は気になさらずとも。こちらと致しましてもお役に立てたようで何よりです。……あぁ、紹介しておきましょう。我が妻です」
横に座った彼女を紹介する。
「初めまして妻のクロエと申します。現在は水の女王国で陛下の側付きをさせて頂いております。以後お見知り置きを」
その言葉にホルスが目を見開いた。
当然だ。女王国は彼からすれば国境で警戒を続けている、いわば敵国。
そこの女王の側近とくればその反応は間違いではない。
まさか帝国執政官の妻がそんなところで働いているとは夢にも思わなかっただろう。
彼は一瞬動きを止めた後、今度は物凄い勢いで体ごと女王を見た。
その先には愛らしい笑みを浮かべた少女……の皮を被った何か。
会うのは二回目らしいが、ホルスは口を半開きにして女王を凝視していた。
「お久し振りですね、と言いたいところですが、今回は敢えて初めましてと言わせて頂きましょう。……アリシア=ミア=レイクランドと申します。水の女王国で女王をしておりますわ」
完全に固まってしまったホルスを見つめ、女王は楽しそうに微笑むのだった。
「さて早速ですが、ホルス様は以前『この恩は必ず返す』と仰って下さいましたよね?」
挨拶もそこそこに女王は話を始めたのだが、……いくら何でもその切り口はないだろう。
私は思わず額に手を当ててしまう。
隣のクロエは、といえば苦笑いだ。
……これが女王国の日常なのかもしれない。
「それは……」
口ごもり全身で警戒感を露わにするホルス。
当たり前だ。あまりに話が大きすぎる。
彼だって私たちが何の話をしに来たかぐらいは想像つくだろう。
娘を助けてもらった恩は感じているだろうが、領地の未来を左右するような取り引きを求められては困るだろう。
まるでタチの悪い賊のようなやり口だ。
緊張する彼に女王は柔らかな笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ、別にホルス殿を脅しに来たわけではありません。御安心くださいな。……もしあのときの礼をして頂けるのならば、こちらの話に耳を傾けることで返してくれませんか、と。それだけのことですよ」
それを聞いて、ホルスが幾分安心したように頷いた。
どうやらこちらの話を聞いてくれるようだ。
今回は顔見せのようなものだ。
まずは我々の主張を聞いて貰わなければならない。その為に来たようなものだ。
別に今日で全ての決断を、とまでは思っていない。
彼だって考える時間ぐらい欲しいだろう。
落ち着いて話を聞いてもらえるだけで上等。
彼は真剣な表情で頷くと私を見つめた。
私もそれに対して頷くと、目の前の飲み物を一口。
そしてゆっくりとレジスタンス設立の経緯とその考えを語り始めた。
「……確かに皇位継承に関しては大きな疑問を感じますが、だからといって私からすれば宰相に排除せねばならない程の落ち度があるとは思えません。彼の手腕は確かなものですし……」
ホルスはこちらに理解を示すも、やはり踏ん切りつかない様子。
彼には守るべきものがある。
書類一枚で赴任する執政官と違い、領主はその地に対しての結びつきが強い。
特に彼のように保守的な考えを持つ領主ならば尚更だ。
結局、話が今のように平行線になるのは、初めから分かっていたことだった。
このままでは前に進まない。
だからこそ、彼女が来たのだ。
女王なら……、女王ならこの状況を打開してくれる。
私たち全員が沈黙を続けている彼女に目をやった。
彼女はしばらく天井に目を遣りながら考え込んでいたが、やがて視線を下ろすと口を開いた。
「……皆様は魔王についてどう思われますか?」
これには流石に私もホルスも言葉を失った。
……散々待たせた上に、いきなり何を言い出すのだこの小娘は?
まさかこの話を潰すのが目的なのか?
どうしたものかとクロエの顔を覗くと、そこに浮かんでいる表情は我々のそれとは全く違うものだった。
愕然としたような表情。
「……クロエ?」
私が彼女に呼びかけると、我に返ったように笑顔を見せた。
しかし女王は妻の変化を見逃さなかったようだ。
だからといって彼女を問い詰めることはなかったが。
私たちの表情の変化など一切気にしない様子でゆっくりと語りだした。
我が国に伝わる昔話を……。
昔々。この大陸に数十の国々があった時代。
突然魔王が出現して、それに呼応するように魔物が溢れ返り、各国が次々と滅んでいった。
そこにとある小国の王子が魔王討伐に立ち上がり、各地を回って仲間を集めた。
彼らは魔物を倒しながら人心を掴み、最終的に魔王城へと乗り込んだ。
死闘の末、数々の犠牲がありながらも無事魔王討伐を果たすが、滅ぼすことまではできなかった。
だから王子はその身を使って魔王を封じることにした。
その功績をもって彼は国々を束ねて帝国を作り、自ら初代皇帝となった。
魔王城のあった島の出現を何時でも監視できるように新しい都を大陸の西端に作り、そこから一生離れることはなかったという。
「大体、このような話でしたよね?」
アリスの言葉に皆が頷いた。
これが帝国誕生の物語だ。
だからといって今、何故このような大事な席でおとぎ――。
「もし、これがただのおとぎ話ではなく実話だったとしたら?」
彼女は私の考えを遮るように言い放ち、挑発的な瞳でこちらを見渡したのだった。




