第1話 クロエ、グラスを空けながら三人で密談する。
後半戦開始です。
「……アリスの案に乗ろうと思っている」
それだけ言うと、ロレントはグラスを一気に呷った。
音を立てて空のグラスをテーブルに叩きつけると、大股開きでソファーに凭れかかり天井を見上げる。
そして悔しそうな表情を見せて大きく息を吐いた。
ちなみに陛下の案というのは当初の案と違い、宰相は排除するものの皇帝は在位したままで、今後はレジスタンスを中心に議会を動かしていくというものだ。
私の隣では夫のテオが目を丸くしていた。
驚いているのはその発言にか、それともここぞのために取っておいた秘蔵のワインを一気飲みされたことにか。
この三人でゆっくりとした時間を過ごしすのは本当に久し振りだった。
昔はよくケイトが寝静まった後、こうやってのんびりと我が家で飲んだものだ。
あの頃は楽しかったが、今夜はそんなことも言っていられない。
ケイトは気を利かせてくれたのか、お酒と肴の準備を済ませるとすぐに自室へ退散してしまった。
今回は私だけがポルトグランデに帰ってきた。
陛下の心遣いだ。……あくまで表向きは。
だけど本題は間違いなくコレだと思う。
いつまでも待っている訳にはいかないから、早く『私たちの結論』を出せということだ。
私自身もあの日からずっと、陛下が敢えてあの場で踏み込んだ案を出したことの意味を考えてきた。
もしかしたら山岳国を制する直前、つまり東方3国を完全に支配する直前だったからこそ、発言したのではないかと。
この戦いが終わったら、もう次の局面に入るのだと伝えたかったのではないか。
実際陛下は国へと戻ると、水も漏らさぬよう次々にカードを切って一気に山岳国討伐を成し遂げた。
もはや東方に彼女の行く道を遮る者は存在しない。
完全に両手が空いた今、彼女は間違いなく帝国に拠点を移して動き出すだろう。
……本格的に。徹底的に。
とは言うものの、現在陛下は山積みの仕事と格闘中だ。
何せ山岳国平定してまだ数か月。
女王国流の仕事を覚えてもらう為、王都から相当数の役人をあちらに派遣した。
そして当然のごとく王宮に詰める役人の数が激減した。
だからと言って地方に派遣している役人を呼び戻すのかと思えば、それは陛下が断固拒否するのだ。
結果として未処理の仕事を陛下が肩代わりすることになった。
戦後の処理、平時の業務、戦争を優先していたことで止まっていた公共事業の再開、その他諸々。
脇目も振らず血走った眼でそれらの仕事に没頭する陛下の姿を見せられると、皆も仕事を切り上げて家に帰る訳にもいかず、王宮に泊まり込む日々が続いた。
やむを得ず私も睡眠時間のほとんどを積まれた仕事に捧げることになる。
肌がどうだとか、とてもじゃないが言える状況ではなかった。
そんないつ終わるとも知れない修羅場の中で、私一人だけが王宮を離れて里帰りを許されたのだけれど、本当に離れてもいいのだろうかと少々心苦しいものがあった。
ただ、皆さんからすれば余所者の私が昼夜問わず仕事をしていることの方が余程申し訳なかったらしく、笑顔で送り出してくれた。
こうして陛下や彼らの好意のお陰で数か月ぶりに美味しいお酒を飲めているのだ。
素直に感謝しておこう。
「……あれからずっと考えていたが、やはりこのままじゃどう考えても時間が足りない」
私が思いふけっている間もロレントは自分の考えを話し続けていた。
……確かに想定していた時期よりも相当早かったことは認めざるを得ない。
武器兵器開発、兵隊の準備、そして水の女王国による東方3国平定。
それら全てがこちらの予想を上回る速さで進んでいった。
特に懸案だった兵器開発の件では陛下の采配とはいえ、最終実験を戦争中に最前線でそれも相手の拠点を的に使って行うという荒業で片づけ、一気に完成まで漕ぎ着けた。
きっと帝都の人間に対する『お披露目』も兼ねていたことだろう。
結果として私たちが『パーティ』の趣向を煮詰める前にほぼ全ての準備が完了してしまったのだ。
私がレジスタンスから離れてしまったことも少なからず影響があったとのだ思う。
ここ残っていれば、ロレントを皇帝にする道筋を見出すことが出来たかもしれない。
今となってはどうすることもできないが。
……だからせめて。
「これはただの先延ばしに過ぎん」
そう、先延ばし。
でも今はこの案に縋るしかない。
「コレならば教会からも承諾を得やすい。まぁ、ゴールド卿あたりは烈火のごとく怒るだろうが」
長兄殿下側は裏切られたと思うだろうが、だからといってこちらの敵に回るわけにもいかない。宰相側に付くのは本末転倒だ。結局文句を言うぐらいで、何も出来やしないだろう。
「確かに俺は皇帝になりたいと思っていたが、あくまでそれは漠然とした最終目標だった。現実的に考えれば、アイツの言うとおり皇帝を飾りにしておくというのが一番安定するやり方だと思う。その後のことは時期が来れば考える。だから今はアイツの案に乗っておこうと思うのだが……どうだ?」
ロレントは決して馬鹿ではない。
直情的なところが欠点だが、むしろ頭の回転ではテオよりも優れているだろう。
きっちりと押さえなければいけないところは、こうやって正確な判断が下せるのだ。
「……私も賛成だわ」
むしろこの案しか残っていない。
旗印通り長兄殿下が即位してからでは、もうどうすることもできない。
だから修正するならば決起前に修正すべき。
私たちにとってより良い環境を作るために。
「そうか、ならばロゼッティアではその方針で話をつけよう。……教会に対してはケイトに連絡させておく」
テオも大きく頷いた。
反乱成功のために何としても調略しておきたい相手がいる。……ロゼッティア領主ホルスだ。
彼は言い方は悪いが腰の重い臆病な人間だ。変化を望まず現状維持を良しとする。
……人の良さは認めるし、領主の資質としても悪くないと言える。
ただ我々レジスタンスからすればある意味最も相性の悪い人間だ。
周囲の領主や執政官もその辺りは十分認識していると思う。
だからこそ、もし彼の説得に成功しようものならば一気にこちらも勢い付く。
隣のベジルも心変わりさせ易くなるだろう。
それ故に時間を掛けて着実に行いたい案件でもあった。
そんな彼を女王陛下は真っ先に調略しようとしているのだ。
彼女は山積みの仕事に追われながら、平然と「ホルスを調略するわ」と言ってのけた。
おそらく帝都が彼の気持ちを固める前に動きたかったのだろう。
……その同時進行ぶりが陛下らしいと言えるのだが。
「ホルスとの会談で勝手に何かの密約をするのかと思っていたが、アリスの方からテオドールを貸せと言って来た。……丁度いい。何か変なことを言わないようにきっちりと交渉を見極めてやれ」
今回は里帰りのもう一つの目的はテオを連れてロゼッティアへ向かうことだ。
陛下とは指定された日時にロゼッティアの宿屋で合流することになっている。
それにしても、ロレントはあまり陛下を信用していないように感じる。
言葉の端々からそれが出ていた。
……少しだけ違う。警戒しているのだ。
得体の知れないものを感じて距離を取っているといった表現が正しい。動物的なカンと言うべきか。
おそらく前回の彼女の態度が尾を引いているのだろう。
陛下に予測不可能な部分があるのは紛れもない事実だ。
だけどそれは往々にして、私たちが彼女の思考速度に付いていけていないゆえに起こる食い違いから来るものだ。
少なくとも彼女が提示しロレントが受け入れた先延ばし案は、きちんと理論立てて考えさえすれば決して荒唐無稽でも何でもなく、むしろ私たちが行き着いたように歓迎すべき案だったりする。
「……少なくとも今の段階で陛下がレジスタンスの敵に回ることは有り得ないわ」
ここはきちんとロレントに釘を刺しておかなければならない。
女王国との足並みを乱しても何一ついいことはない。
むしろ帝都にそこを付かれたら、致命傷になりかねない。
「どうだか……」
ロレントが肴をつまみながら気のない返事をした。
暗に私が陛下に丸め込まれたとでも言いたいのだろうが、そんな簡単な話ではない。
「陛下は自分の中で明確な判断基準を持っているわ。もし彼女が私たちと道を分かつ時が来たとしたら、それは私たちの方が道を外したと考えるべきよ」
「それはパーティの後始末でのことか?」
テオが私の言い方から何かを感じたのか、真剣な顔で聞いてくる。
「それも含めてですね。『パーティ』の内容や結末に納得できなければ、その段階で離れることもあるかと」
私は陛下の戦争と政治を間近で見てきたのだ。
どうすれば被害を少なく済ませるのか。
どのように戦争後の民衆から不満を取り除くのか。
私たちレジスタンスだって宰相を排除した後、どのように国を治めるのかを考えていない訳ではない。
少なくとも私とテオは宰相を排除して全てが上手くいくと考えるほど頭がお花畑ではない。
それなりの準備をしてきたつもりだ。
だけど実際に戦後処理の陣頭指揮を執る女王陛下の姿を見て、あそこまで具体的に指示を出せるのかと訊ねられると、そこまでは……となってしまうのだ。
「……陛下は国の取り方だけでなく統治方針まで描いてから戦争をしているわ。だからこちらの作戦や采配次第では彼女の心が離れていく可能性があるということです。……その時は私自身も陛下の為に動くことになるかもしれません」
強引な作戦や理不尽な采配は決してしてはならない。
余計な憎しみを生み出してはならない。
それだけは肝に銘じておかなくては。
女王陛下がレジスタンスから離れるということは民衆の心が離れるのと同義だと考えて間違いない。
ただ一つ留意しておかなくてはいけないのは、陛下が国民や配下に見せる『優しさ』は彼女の本質ではないということだ。
彼女は決して優しい人間ではない。むしろその対極にあると断言できる。
彼女は物事を円滑に進める為に、それを活用しているだけの話だ。
見方によっては『優しさという凶悪な武器』を暴力的に振り回しているとさえ言える。
女という武器を最大限に利用しながら、自身は女であることに全く頓着していないことと構図は同じだ。
優しさを無自覚に武器として使う人間はただの小物だが、あそこまで明確な意図でもって利用する割り切り方には末恐ろしいものを感じる。
「まぁ、要するにお嬢さんの機嫌さえ損なわなけりゃいいんだろ?」
ロレントはどこまで理解しているのか判らない風で呟いた。