第10話 ユーノス、恭順を誓う。(後)
後編です。
女王は溜め息を一つすると、続けた。
「……もう一つ。ハルバート候の奥様と御子息二人は王都に連れて帰ります」
「それは人質ということか!? 私はそんなことをしなくても、そなたに逆らうようなマネはせぬ。誇りある山岳国の男子として!」
そう言い募る私を女王はまたも面倒臭いという表情で睨みつける。
どう思われようとも彼らを守るのは私の義務だ。言うべきことは言わねばならない。
しかし肝心の義兄は笑みすら浮かべて女王に問いかけるのだった。
「……人質というのはあくまで表向き、そう考えてよろしいのですね?」
それを聞いてようやく女王が笑みを浮かべた。我が意を得たりと言いたげに。
「もちろん表向きです。ユーノス様が変節されたと騒がれても言い訳できるようにというのが一つ。もう一つは単純に内乱を防ぐ為ですね。国の為に命を散らせた英雄ジニアス=ハルバートの息子は、さぞかし魅力的な神輿となるでしょうから」
父はハルバート候、母は元王女。
私に不信感のある者がその血を利用して裏から仕掛けるかもしれないと。
甥っ子二人はどちらも義兄と姉に似て優秀だから、十分あり得た。
「妻と息子たちの命を保障して頂けるのでしたら、私はむしろ歓迎致します」
義兄が頷いた。
「下の息子さんが成人した頃に責任を持ってお返し致しましょう。その頃にはこの地も安定しているでしょうし、私自身もその為の協力を惜しむつもりはありませんから。……そのときまでに責任を持って教育しておきましょう」
「それはそれは、こちらとしては有難いことです」
義兄が笑った。
「ですがその頃この国はどうなっているのでしょう? 女王国? それとも帝国ですか?」
義兄が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
確かにそれは気になるところだった。
今までの話はあくまで女王国領になることが前提なのだ。
帝国領に併合されると話が変わってしまう可能性がある。
女王は義兄の言葉に驚いたような顔をしていたが、少しだけ真顔で考え込むと、やがて噴き出すように笑い出した。
クルクル変わる表情にこちらは完全に置き去りにされていた。
彼女は呼吸を整えると義兄が見せたような悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「どのような噂を信じられたのかは分かりませんが、我が国は帝国の属国ではありませんし、そもそも同盟すら結んでいませんよ」
今度は我々が驚く番だった。言っている意味が理解できない。
そんな我々の表情を見て頷くと、彼女は女王国の成り立ちから順を追って説明し始めた。
それを黙って聞くことに。
話は山の民を束ねて水の公国を盗ったことから始まり、次第にレジスタンスとの関係に移っていった。
「……なるほど。つまり帝国は一枚岩ではなく、貴女は反宰相派と手を組んだという訳ですか……」
「えぇ、理解が早くて助かります」
「彼らの技術を利用し、この東方3国を制したと……」
義兄は天井を見上げて大きく溜め息をついていた。
私としても驚きしかなかった。
僅かな期間で一気に設計図を書き上げ、それを成し遂げたのだ。
常人の発想ではなかった。少なくとも私には到底無理な話だった。
……ただ義兄の感想は少し違ったようで、彼は心底悔しそうに表情を歪ませていたのだ。
「それを知っていれば私も、もう少し上手くやれたのに……」
義兄が誰に聞かせるでもなく、苦悶の表情でそうポツリと呟いた。
次の瞬間、女王が弾けるように笑いだした。
女王という立場ではあり得ない、少女としても下品といえる笑い声が部屋中に響いた。
いきなりの彼女の乱心に我々だけではなく、あちらの側の者も若干引いていた。
そんな変な空気に包まれたことも気にせず、何かに取り憑かれたかのように笑い続ける女王。
その場にいた全ての者が心なしか遠巻きにそれを眺めていた。
やがてそれも収まり、彼女は全力疾走を終えた後のように呼吸を整えると、一転して真顔になった。
その表情のまま、ぞっとするような甘い声で義兄に囁く。
「……あぁ、やっぱり貴方は私と同じだったのですね」
恋い焦がれるような乙女の声で。
それでいて狂気の籠った声で。
「ここで断言しておきましょうか? ……もしキール教信者の云う来世というものがあり再び巡り会えたとしても、きっと私と貴方は殺し合いをするでしょう。……私たちは余りにも似すぎているわ。だからこそお互いを許容して手を取り合うという選択はあり得ない」
そう言うと女王はこの世のものとは思えない、凄絶な笑みをみせた。
義兄も一瞬目を見開いたが、やがて納得したように頷くと、女王と全く同じ笑みを浮かべるのだった。
今まで見たこともない義兄の表情に私はただ恐怖を感じていた。
「それでは先逝く私から最後に、一つだけお願いがあります」
義兄は何か憑き物の落ちたような清々しい顔でそう切り出した。
先程の苦悶や狂気に満ちた表情など初めから無かったかのように。
「伺いましょう」
「この会談で合意したことを女王国は決して違わないとの誓いを文書にして頂きたい」
「了解しました。今から私と貴方そしてユーノス殿の三人の名前で同意文書を書きましょう」
女王が深く頷いた。
「……どうか日付も忘れずにお願いします」
控えていたキャンベルが小さい声で呟く。
それを聞いた女王と義兄が弾けるように大笑いしたが、正直私はそんな気にはなれなかった。
二人のその神経が理解できなかった。
それを言い出したキャンベルのことも。
紙と筆が用意され、キャンベルが書状を書いていく。
間もなく義兄の願いが全て込められた書状が完成した。……最後に日付も入れた。
それを見てクスクスと笑うのは例の二人だ。
義兄は完成した書状を満足そうに眺めると親指を噛みちぎり、流れた血で判を押す。
これは我が国の伝統的な儀式だ。
血判の押された書状は永久に有効となる。
彼女は義兄のそれに興味を示したのか、同じく親指を噛みちぎり血判を押した。
その流れるような動きは昔の武人を彷彿とさせるものだった。
私も同じように親指を噛むが、少し弱かったのか血があまり出てこない。
少しだけ時間を掛けて血が溜まってから彼らと同じように名前に重ねるように押しつけた。
しばらく他愛のない話があり、やがて女王の目の前にワインが注がれた。
「帝国産の高級ワインです。本当は私が追い詰められたときの為に用意していたモノですが」
笑顔でそう嘯く。
「武人として最後は自らの懐剣で一突きしたいのですが……」
義兄が少しだけ嘆くような口ぶりで漏らした。
話の分かる女王ならばそれを許すと思ったが、彼女は一瞬の迷いもなく拒否する。
「ダメですよ。……だって貴方にそんな物を持たせたら、私を一突きしそうですもの」
胸元から包み紙を取り出しながら、彼女は口元に笑みを浮かべる。
「義兄に限ってそのようなことは……」
私は義兄の名誉の為に口を挟んだが、女王はゆっくりと首を振るのだ。
「いいえ、彼はそんな生易しい人間ではないですよ。よく判ります。だって先程からずっと私の何処かに隙がないか、何かを利用して私の首を取ることができないだろうか、……この人は今も頭の中ではそんなことばかり考えているのですよ。さも物分かりの良さそうな顔をしながらね。そういう人間なのですよ。……彼も私も、ね」
女王は笑顔でそんな恐ろしいことを言う。
義兄も苦笑いだ。
彼女は包装を解き、白い粉をグラスにサラサラと流し込んだ。
「……もし貴方が私の立場だったらこの状況でジニアス=ハルバートに刃物を持たせますか?」
心底楽しそうな声で女王が義兄に囁く。
「……ありえませんね」
そう答えると義兄も笑い出した。
「序盤中盤も大事ですが、一番大事なのは最後の詰めですもの。ねぇ?」
女王が急に真顔になった。
義兄も同じく真顔で頷く。
「確かに。……そのときが来たらきっと私も貴女も潔く逝くでしょうが、それと最後まで諦めずに道を探すのは全く別の問題ですから」
義兄の言葉に今度は女王が大きく頷いた。意気投合というものだろうか。
そんな彼らは本当に似た者同士だと思った。
「それでは貴女が世界を制するその瞬間をキール様の庭で拝見させて頂くとしましょう」
そう言って義兄は女王から渡されたグラスを手に取った。
「……まぁ、それは言わぬが花というものですよ」
女王が楽しそうに笑う。
「確かに。……誰がどこで何を聞いているか判りませんからね。……それでは御免」
そのときは潔く。
口にした言葉通り、彼はグラスを掲げ笑顔を見せる。
「……あにさま」
その言葉しか出てこない私にいつもの優しい笑顔を見せて、義兄は一気にワインを飲み干したのだった。
義兄が自ら命を絶った。
あのジニアス=ハルバートが、だ。
女王が立ち上がりテーブルに突っ伏した彼の遺骸に触れて祈りを捧げた。
キール教の死者への祈りだった。
ガイ将軍と破戒僧が声を揃えて祈詞を捧げる。
私はそれを聞きながら、涙を流し義兄の冥福を天に祈った。
全ての準備を終えると私は女王に伴われてライオットの広場へと向かった。
既に仮設の演説場が作られており、そこに集まった国民に向かって終戦の宣言することになっていた。
普段このような時は義兄の用意した原稿を読んでいた。
女王が用意しようかと聞いてきたが、今回だけはどうしても私自身の言葉で話したいと断った。
台に立ち、広場に詰めかけた民衆を見渡す。
皆一様に不安そうな顔をしていた。……当然のことだ。
ここにいる全ての者が祖国の敗戦を知っているのだ。
これから自分たちの人生がどのように変わっていくのか気になって仕方がないことだろう。
私は深呼吸を一つして、ゆっくりと話し出した。
「よく集まってくれた。俺は……」
いや違う。
「私は本日をもって王の座を降りることになりました」
民衆がいつもと違う私の雰囲気に戸惑い、少しざわめく。
それでも自分の言葉で話したかった。
「祖国は戦争に敗れました。あのまま戦争をしても大事な命が失われるだけで結果は変わらなかったでしょう。幕引きの為に、私とここにいるガイ将軍、そして義兄であり私の師匠でもあったジニアス=ハルバートが出向いて会談の場を設けました。そこで義兄は自らの命をもって戦争を終わらせ、山岳国に住まう全ての者の生命、健康、財産を守ることを要求しました。本来ならば私がその役目を担うべきであり、そのつもりで会談に臨みましたが、義兄が私の身代わりとなりました。……アリシア女王陛下は義兄が出した要求を全て受け入れ、その旨をこの書状に認めました」
手にしていた書状を高く掲げる。
民衆の視線がそれに集まった。
「義兄、ジニアス=ハルバートはこの書状を満足げに眺め、家族の幸せ、何より国民の幸せを願い、キール様の庭へと、旅立ちました」
泣かないと決めたのに。
涙が止まらない。顔を上げられない。
最後まで皆に愛される王でありたかったのに……。
顔をあげろと叱る義兄はもういない。
……だから自分の力で前を向く。
「これから私は皆の幸せのために何ができるのかを考え、そのために汗を流そうと思っています。皆もこれからは女王国の民として幸せになって欲しいと願います。憎しみを捨て、お互いに歩み寄り、皆で幸せになりましょう」
言うべきことはいった。
静寂が怖かった。
石を投げつけられても文句はない。彼らにはその権利がある。
しかし皆の反応は大きな拍手だった。むせび泣く者もいた。
私は彼らに一礼して台から降りた。
続いて女王が演説した。
義兄は素晴らしい男だったと。
彼のような高潔な人物は見たことがないと。
女王の名において義兄の為に国葬を執り行い、我が国の英雄として語り継ぐことを誓うと。
交わした約束通り、彼が愛した貴方たちを、彼を育んだこの地を、アリシア=ミア=レイクランドの名において必ず守ると。
そう高らかに宣言したのだった。
あの凛とした声で、王に相応しいと感じさせる佇まいで聴衆を魅了していく。
……だが、その姿に何処か寒々しさ感じたのは私の気のせいなのだろうか。
横を見ると姉が二人の息子の手を握りながら前を見つめていた。
彼女は義兄の最期の話を聞いても顔色一つ変えなかった。
国旗に包まれ穏やかな表情をした義兄の遺骸を見ても、顔をそっと撫でるに留めていた。
その姉が涙を流しながら真っ直ぐ前を見つめ、女王の演説に耳を傾けていた。
女王は真剣な表情で演説を続ける。
彼女はその視線の先に何を見ているのか。
義兄の話していた通り彼女は帝国をも飲み込むつもりなのだろうか。
その表情からは何も読み取れなかった。
だがそれを考えるのは止そう。
私にはこれからやらなくてはいけないことがたくさんあるのだ。
この国の為にできる限りのことをする。
民衆の大歓声を耳にしながら、私は天を仰ぎキール様の庭で見守ってくれているであろう義兄に誓った。
5章のあとがきで前半終了に向けて盛り上げていくと書きましたが……。
実際盛り上がったのはストーリー展開ではなく、私のテンションだったというオチでした。
……という訳で6章終了、そして前半終了です。
正直皆様に楽しんで頂けているのか分かりませんが、私は個人的に物凄く楽しんでいます。
これからも自分が楽しめるのを第一に書いていくつもりです。
この後、断章と閑話を挟んですぐに後半を始めます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。




