第10話 ユーノス、恭順を誓う。(前)
第10話は前後編に分かれます。
以前に本作は1章10話で12章編成ですと宣言してしまったので、こんな形になってしまいました(笑)。
私と義兄そしてガイ将軍は数人の従者のみを連れ、女王の使いを名乗る少女に先導されながら指定の宿屋へと向かった。
人一人がすれ違うのにも苦労するような薄暗く細い道を右に左に抜けていく。
下町というのはこれほどまでに入り組んでいるのか……。
知識としてはあったが、実際通ってみて初めて分かることもある。
果たしてこんな路地の先に一国の女王がいるのだろうか。
私たちは騙されていて、この辺りで殺されるのではないだろうか。
そんなことを考えながら周囲を見渡していたのだが、前を行く義兄はというと少しの躊躇いもなく少女の後を付いていくのだ。
「何故こんな……」
思わず疑問が口を衝く。
小さい独り言のようなものなのに、義兄が振り返って説明してくれた。
「確かに闇討ちが怖い場所ですが、これだけ入り組んでいると一対多数の戦いや遠距離からの狙撃を避けることができますからね。そちらの利点の方を選んだのでしょう。……実際こちらの仕掛けた奇襲も不発に終わりましたし」
いつもの穏やかな雰囲気の笑顔を見せる。
これから命が掛っている交渉に挑むというのに、義兄にそういう気負ったところは全くなかった。その胆力にはいつもながら感心させられる。
しばらく進むとやや間口の広い建物の前で幾人かがこちらを向いて立っているのが見えた。
近付くと我が国の修行僧が纏うような僧服に身を包んだ男が、両手を前で合わせるよく見慣れた立礼で迎えてくれた。
ただ知っている帯の色や形とは違った。……おそらく例の破戒僧だ。
そしてもう一人は見覚えのある男だった。
逆賊キャンベル。……義兄が陥れ、恥をかかせた男だ。
私も彼に酷い仕打ちをした。
何か罵声のようなものが来るかと身構えたが、そんな様子は一切見せずにこちらに軽く一礼すると、建物の扉を開けて中へと案内してくれたのだった。
狭く埃っぽい空気が漂っている宿屋内には数人の兵士たちが待機していた。
彼らは私たちを認めると軽く一礼する。
そんな彼らから視線を外すと中央に置かれた大きいテーブルに肘を付き、椅子に腰掛けたままの少女に目が行った。
入ってきた我々と目が合うと、彼女は気だるげに軽く手を挙げるだけに留める。
まさか……これが女王なのか?
彼女は足を組んだまま一言も発さず、ただ上目遣いでこちらを眺めていた。
「お久し振りです。相変わらず麗しく……」
義兄がにこやかな表情を見せ、深々と一礼した。
やはりこれが女王らしい。
確かに一応身なりは綺麗に整えられ貴族子女らしい服装をしているが、話に聞いていた通り佇まいがそれら全てを台無しにしていた。
入口で武器を取り上げられた私たちは、相変わらず無言の彼女に促されるようにして席につく。
軋んでやや不安定な椅子だったが、文句の言える立場ではないので黙って座ることに。
私たちが席につくと、ようやく彼女は小さな笑みを浮かべた。
「こんな場所を指定して申し訳ありません。……やはり庁舎や高級屋敷はイロイロと怖いですし」
確かに彼女が今挙げた所は、住んでいる人間や働いている人間ですら知らない昔からの抜け道があると聞く。
義兄ならきっとそれらを全て知り尽くしているだろうが。
だからこそ避けたというところだろう。抜かりないことだ。
「……どれだけ有利に動かしていても、一瞬の油断が全てを無に帰すこともありますからね」
臆面もなく言い切る女王に義兄が苦笑する。
その反応に義兄も彼女の指定場所によっては一発逆転を狙っていたのだろうことが窺えた。
「……貴女は本当に恐ろしい人だ。最後の最後までこちらに流れを渡してくれませんか」
「当然です。貴方のような人間にだけは絶対に渡す訳にはいきません」
女王は口元を歪めながら、ゆっくりと足を組み替えた。
少し目つきや雰囲気が姉に似ている気がした。
自信に満ちた表情が特にそうだ。
「……やはり、あの奇襲作戦も全てお見通しだったのでしょうか?」
「まさか。ウチの山猫たちがどれだけ探っても掴めませんでしたから。絶対何か仕掛けてくると分かっていたにも関わらずです。だからと言っていつまでも警戒して身動きが取れなくなるのは面白くありませんし。……それならばいっそのこと受けて立とうかなと。大抵のことなら遅れを取らないつもりですし」
大した自信だ。だがそれは決して見せかけではない。
こうして我が国で一番の頭脳を持つ義兄をここまで追い詰めた実力は紛れもなく本物だ。
「こういう戦いはスキを見せてしまった方が負けますからね……」
そう言いながら彼女はテーブルの上に置かれていた干し肉に齧り付いた。
本当に女王らしくない。
彼女は無言で頬張りながら、よかったら貴方たちもどうぞと言いたげな目を寄越してきた。
「……やはりウチの敗因は素早く南を抑えられなかったことでしょうか?」
義兄も楽な姿勢に変えて、無造作に干し肉に手を伸ばした。
なんだか楽しそうだ。
ガイ将軍も開き直ったのか、豪快に鷲掴みで肉を口にした。
正直私は口にする気にはなれなかったが……。
「そうですね。こちらが態勢を整える前にシシルを抑えられたら、少し困りましたね」
軽く微笑みながら頷く女王。
そして何かを思い出したように義兄に尋ねた。
「そういえば、あのジェスとかいった兵士はどうなりました?」
「……斬りましたが、何か問題でもございましたか?」
義兄がそうあっさりと答えると女王が声をあげて笑った。
その態度に彼は彼女にとって本当にどうでもいい存在だったと気付いた。
聞かされていた通り、こちらに対するただの嫌がらせ要員だったらしい。
「さて、気持ちもほぐれたところで、そろそろ始めましょうか」
そう言うと女王が姿勢を正した。
それに反応するように周りを囲むように立っていた兵士たちの表情に緊張が走った。
我々も姿勢を正す。
いよいよこの国の安寧をかけた最後の戦いが始まるのだ。
……私は自分にできることをする。一つ息を吐いた。
「こちら……」
「先に言わせてもらう。俺が王だ。俺の首を刎ねろ。それで全ての幕を引いてほしい。……コイツらは関係ないはずだ。俺が王として指示を出した。そこのキャンベルとやらに屈辱を味あわせたのも俺だ。兵士がそちらの国民に対して酷い振る舞いをしたことも聞いている。それも最終的には俺の責任だ。俺がそちらの国民に誠意をもって詫びる。どうが俺の首を持ち帰り晒してほしい。それで全てを終わらせてほしい。……この通りだ」
女王が何かを言う前に私が口を挟み、椅子から腰を上げ埃の積もった床に額をつけて土下座する。
これを言いに来た。この姿を晒すために来た。
「……黙れクソガキが」
「そうだ、クソ坊主」
見上げれば義兄とガイ将軍が恐ろしい目で私を見下ろしていた。
「これから大事な交渉を始めるのに素人は余計な口を挟むんじゃねぇよ」
義兄が吐き捨てるように言う。
あのとき兵士を斬ったときの口調だった。
きっとこれが彼の本性なのだろう。
正直恐ろしかったが、それでも私は怯む訳には行かなかった。
「……誰に向って口を聞いているのだ? まさかと思うが侯爵ごとき、将軍ごときが主君の邪魔をするとでも言うのか? 貴様らも随分と偉くなったものだな?」
声を上げて笑ってやる。
ここは絶対に引くわけにいかない。
私はいつも誰かに守られていたのだ。
最後くらい人生を懸けて大事なものを守りたい。
私たちが睨み合っている間はそれ程長くはなかったのだろうが、それでも私には人生で一番緊張した時間だった。
バンバンと音がして私たちがそちらに向くと、不機嫌そうな顔で女王がテーブルを叩いているところだった。
「あー、ホントそういうの結構ですから。邪魔しないで貰えます? そんな茶番劇に付き合うほど私は暇じゃないんですよね」
床に手を付いている私をまるで汚物を見るかのような目で睨みつけながら、女王は吐き捨てるように言い放った。
……茶番劇? 私が命を掛けてしていることをこの小娘は茶番扱いするのか?
私が何か言い返す為に口を開こうとすると、彼女は苛立った表情でテーブルの脚を足の裏で数発蹴り、私を殺しそうな視線で睨みつけてきた。
「我々は貴方のことを調べ尽くしました。昔泣き虫だったことも、今なおハルバート候を頼りきりだということも。全部です。……そこの彼女が調べました」
不機嫌さが仕草に乗り移っているかのように、顎で私の斜め後ろを差した。
反射的に後ろを振り向くと、誰もいなかったはずのそこに女性が立っていた。
「ういっす」
女性は私と目が合うと軽く手を挙げた。
少なくとも王に対する態度ではない。
不遜を咎めるように睨みつけるが、彼女はそれを無視してやや乱暴に私の腕を掴んで立たせると、椅子に無理やり座らせた。
私はどうすることもできず、再び前を向かされる。
女王は心底面倒臭そうに大きく溜め息を付いてこちらを睨む。
「……女王国としてはユーノス様にそれほど重きを置いていません。突っ込んだ言い方をすれば、ハルバート候さえいなければこの国に脅威を感じることはありません」
そして女王は義兄に向き直り申し訳なさそうに頭を下げた。
「……ですから貴方には死んで頂きます。これは交渉を成功させるための最低条件だと考えてください」
それを受け止めしっかりと頷く義兄。
これはきっと彼にとっては想定内だったのだろう。
「それとガイ殿。本来なら貴方も一緒にと考えていましたが、彼がその必要は無いと言うので……」
彼女は自分の横に控えていた破戒僧に目を向ける。
彼は先程からずっと鋭い目つきで話を聞いていた。
「貴方が責任を持って彼ら真言派の名誉を回復してください。本当はここで死ぬ方がずっと楽でしょうね。……ですが許しません。生きてそれを成し遂げてください」
破戒僧は無言でガイ将軍を睨みつけていた。
その視線を真正面から受け止める将軍。
大きく溜め息をつくと目を瞑った。
本来なら彼もここで人生を終えるつもりだったはず。
その気持ちは痛いほどわかった。
「……承知しました。残り少ない人生、命を懸けて行いましょう。約束致します」
将軍は死に場所を奪われながらも、その言葉を絞り出した。
「私からも構いませんか? 敗戦国である以上、強く出られない立場なのは重々承知しているつもりです。……それでもよろしいでしょうか?」
義兄は死ぬと決まったのにも関わらず晴れやかな笑顔を見せ、そう切り出した。
女王も同じような笑顔を見せて頷く。
「勿論です。その為にこの場を設けた訳ですから。……どうぞ考えていることを全て仰ってください」
「ありがとうございます。それでは……」
それから義兄の要求は多岐に渡ったが、結局は以下に要約された。
山岳国民を元聖王国民と同等の扱いをすること。
恭順を誓った王侯貴族や軍人には重い処罰は与えないこと。
山岳国民の私財を没収しないこと。
……本当にこれは義兄の言う通り敗戦国の主張なのかと思わせる程のものだった。
少なくとも我が国が勝った場合、ほぼ無視されるようなことばかりだ。
「……はい。ではそのように致しましょう」
しかし女王はあっさりとそれら全てを飲んでしまった。
私も将軍も驚いたが、義兄は初めから通ると思っていたのか当然とばかりに頷いていた。
「他ならぬジニアス=ハルバートが自らの命と引き換えに出した条件です。ならば女王国としては貴方に敬意を表さねばなりません」
彼女が初めて女王らしい声と表情で義兄に語りかけた。
凛とした声と佇まいが、この場の全てを支配する。
場末の宿屋の一階を一瞬にして謁見の間に変えてしまえる程の存在感だった。
こんな姿を見せられると私との器の違いを思い知らされる。
義兄もまるで女王の臣下のように恭しく頭を下げるのだった。
「この国は女王国の山岳州といった扱いにする予定です。その執政官にユーノス様をと考えています」
……私が? 王として国の為に役に立つことができなかった私に務まるのか?
声も出せずに見返すと彼女が先程のように女王の表情で私を見つめた。
「一度貴方の好きなようにやってみなさい。……私は貴方の作る国に興味があります」
明らかに私よりも年下なのに、全てを包み込むような深みのある声だった。
少女に似つかわしくない、だけど女王の風格を感じさせる、目の前の者全員を臣下にしてしまうような威厳。
「……私もそれがいいと思います」
義兄が笑顔を見せた。
ガイ将軍も何度も何度も頷いた。
「コイツは今までずっと儂らの押しつける理想の王を演じてきました。無理をさせているのは分かっていましたが、それでもコイツなりに精一杯山岳王を続けてくれました。本来ならもっと良い王になれたかもしれないのに、儂らがその芽を刈ってきたのです」
将軍が女王に訴える。
だが、私としてはそんなつもりはなかった。全くの誤解だった。
「私は皆の信頼に足る王を目指していただけだ。誰かに押し付けられた覚えはない!」
これは王としての矜持だった。
決して綺麗事ではない。
今まで山岳王として誇りを持ってやってきたのだ。
確かに身の程に合った立場では無かったかもしれない。
それでも私の意思で、皆に信頼に足る王としてありたいと願い、務めてきたのだ。
それだけはどうしても皆に、特に義兄には分かっていて欲しかった。
ふと顔を上げると、女王はゾッとするような無表情で我々を眺めていた。
調子に乗って書き続けていたら2話分の容量になっていました。
上下編にするか前後編にするかそれともX-2にするか迷いましたが、オーソドックスな形に収まりました。
後編は13日の0時を予定しています。それまでには修正できるかと。




