第6話 ルビー、激しく後悔する。
サファイアのあまりの剣幕に、アタシは覆いかぶさっていたクロードを突き飛ばして部屋を飛び出した。
咄嗟のことだったけれど、きちんと服を持って外へ出たアタシは本当に偉かったと思う。
まずは廊下の左右を確認する。
夜中だったこともあるが、誰もいなかったのは日頃の行いが良かったからだろう。
火神様に感謝だ。
こんなことで感謝されたくないだろうケドね。
荒ぶっているサファイアの叫び声を聞いて誰かが廊下に出てくる前に逃げようと、アタシは素っ裸のまま廊下を全力疾走した。
そのまま更衣室に駆け込み、ようやく一息つく。
そして冷静になれるように、たっぷり時間を掛けて着替えた。
着替え終わって部屋の前まで戻ると、サファイアの叫び声が止んでいた。
誰かが廊下に出てきたような気配もなく、少しだけ安心する。
落ち着いたのかなと思いドアノブに手を掛けようとしたとき、部屋の中から痛みに耐えるような甲高い悲鳴がした。
慌てて手を引っ込めるアタシ。
……今のは?
サファイアの声だよね? 何かあったのだろうか?
一呼吸を置いて、そっとドアを開けて、部屋の様子に耳を澄ませる。
聞こえるのはサファイアの甘えるような声。クロードの荒い息。
そしてベッドの軋む音。
……ですよね~。
アタシは全てを察して、ドアをそっと閉じた。
それでも廊下まで聞こえるサファイアの声。
……ちょっとココの壁薄すぎない?
もしかしてアタシの声も外に漏れていたとか?
そうだとしたら恥ずかしすぎる。
それにしてもアタシを抱いた後すぐサファイアとだなんて、クロードも節操無さ過ぎでしょ。
思わず流されて抱かれちゃったアタシも人のことを言える立場じゃないんだろうケド……。
……やっぱり初めての相手はトパーズがよかったなぁ。
彼の顔が頭に浮かんだ瞬間、涙がボタボタと落ちてきた。
どうしよう、彼に合わせる顔がない。
何でこんなコトになっちゃったんだろう。
バカだ。アタシは本当にバカだ。
サファイアの嬌声が聞こえる廊下で自己嫌悪の海に沈みながら、アタシは子供の頃のように三角座りで小さくなっていた。
しばらくじっとしていたのだが、ようやく部屋の中が静かになった。
コトが終わったのだろうか。
アタシが顔を上げるのと同じくしてドアがゆっくりと開く。
中から出てきたのはクロード。
……こりゃまた随分とスッキリした顔しちゃって。
アタシとの時は途中で邪魔が入っちゃったからね。
そんな諸刃の剣のような皮肉を思いついて、自爆するアタシ。
彼はアタシがすぐ外で待機していると思っていなったのか、驚いたように小さく呻き声を上げた。
「……終わったの?」
自分でもビックリするぐらい低くて温度のない声が出た。
「何が?」とか聞いてきたら流石のアタシでも怒る。
突き刺さるような視線から少し目を逸らせながら、聞き取れないような声でしどろもどろなクロード。
アタシは苛立ちを意思表示するために大きく溜め息を吐く。
「もう入っていいの?」
「あっ、まだ、その……着替えているから……」
彼がようやく聞き取れるような声で答える。
最初っからちゃんと話しなよ、バカ!
「……そう」
なるべく素っ気なく言ってアタシは座りなおした。
クロードもドアを背にして、同じようにその場でしゃがみ込む。
二人して真夜中の廊下で何やってるんだか……。
何度目かの溜め息が洩れる。
「……あの」
しばらくの沈黙の後、クロードが意を決したように口を開いた。
「大丈夫。アタシはもう二度とアンタに抱かれたりしないから」
先に返事してやる。
どうせこのことなんでしょ?
「……あぁ、うん」
……何でそこであからさまに安心した顔をするかなぁ。
どうせサファイアから二度とアタシを抱くなとか、イロイロ言われたんだでしょ。
それでもって、どうせアンタのことだから、アタシがまた自分のことを好きになってしまったらどうしよう、アタシにどう断ればいいんだろう、とか何とか好き勝手に考えていたんでしょ?
残念でした。お生憎様。
「あれはアタシの気の迷いだから。サファイアにもちゃんとそう言っておいて」
「……あぁ」
アタシがきっぱりと言い切ると、何故かしょんぼりしているクロード。
……正直男ってヤツはよくわからない。
「で、どうやって宥めたの? アタシが誘ったことになってるんだよね、どうせ」
「……いやぁ、……その」
はいはい。その反応が全てですよっと。
「いいよ、もう別に、ホントどうでもいいから。……二人ともちゃんと仲直りできたみたいだしね」
少し厭味っぽく部屋に目を向けてやる。
「……ごめん」
何でそこで謝るかなぁ。
これじゃまるでアタシが振られたみたいじゃん。
今後のためにも、ここではっきりとさせておかないといけないようだ。
「……あのね、アタシはトパーズが好き。それだけは絶対に揺るがないから。だからもうアタシに色目を使ったりしないで」
それだけ伝えて会話を打ち切った。
クロードはアタシの口調に何か不満がありそうだったが、そんなこと言える立場じゃないことぐらいは分かっていたのか、黙ってその場に座っていた。
はぁ、何でアタシこんな男のことが好きになったんだろう。
我ながら見る目がないというか何というか。
一番の疑問は、こんな仕打ちを受けても未だにクロードのことを嫌いになりきれない自分が居るってことだ。
きっとアタシは本物のバカ女だな。
「……そろそろいいかな」
クロードはそう呟くと立ち上がり、ドアを開けて入って行った。
アタシも一緒に戻る。
部屋はランプが付いて明るくなっていた。
最初に目が行ったのは異様に散らかった部屋。
出てくるときは命の危険を感じていたから、周りを見る余裕なんてなかったけれど……これはすごい。
破れたシーツ、壊れた家具、その他諸々……。
サファイアの荒れ方が想像できた。
こんな彼女をクロードは抱いたんだ。ある意味尊敬する。猛獣使いか何かの才能あるよ。……そりゃアタシなんて簡単に……。
そんなことを考えて、再び落ち込む。
……だったら考えなきゃいいのに。
顔を上げるとベッドに腰かけてこちらを睨みつけているサファイアがいた。
アタシを見る目が尋常じゃないぐらい怖い。
何か言わなきゃと思って彼女に近づくと、向こうがアタシから視線を逸らせた。
「本当はあなたに言いたいことがたくさんあるんだけど、正直それどころじゃないから。さっさとトパーズの報告始めるね。……早く座って」
いつもの穏やかな語り口じゃなく、少しだけ早口のサファイア。
怒りは十分伝わってきたけど、『それどころじゃない』って言葉の方がすごく気になった。
彼女にとってクロードとアタシのベッドイン以上に重要なコトってわけだから、とんでもないことが起きていることは確かだ。
クロードもそれを感じ取ったのか真剣な顔つきになる。
アタシたちは黙ってベッドに腰かけた。
それを確認するとサファイアは声を落として、見てきたことを語り始めた。
先程の激昂状態からは想像できないほどの冷静さで。
情景を頭に叩き込んできたのか、澱みなくスラスラと話す彼女。
いつもの優しげな、少しポヤンとした彼女からは想像できないくらいの語り口だった。
アタシが口を挟んでもう一回彼らのセリフを聞き直しても彼女は決して嫌な顔一つすることなく、一言一句正しく伝えるという鋼の意志を働かせて、同じ言葉をゆっくりと繰り返してくれた。
おかげでアタシたちは、より正確に彼ら二人の状況を頭に描くことができた。
死ぬ思いをしながらその情報を仕入れてきてくれた彼女に対して心の底から尊敬すると同時に、そんな彼女に酷いことをしたアタシがバカ過ぎて情けなくなった。
時間を掛けて聞き取ったサファイアの話をまとめると、アリスちゃんは権力も財力も伝手もある大物だということ。
何かの陣営を率いているということ。
今後を見越してトパーズの勧誘に来たということ。
宰相を倒すまではレジスタンスに協力するが、その後は状況次第だということ。
今までアタシたちに接触してきたのは実力を探るためだったということ。
……だいたいそんな感じだ。
心のどこかでトパーズとアリスちゃんがそんな関係じゃないと知って、ホッとしている自分がいることに絶望する。
こんな大事なときまで……アタシは本物のバカか、と。
頭を振って、色ボケ恋愛脳のアタシを海に蹴り落した。
黙り込んだアタシをクロードとサファイアが辛抱強く待っていてくれた。
彼らの視線を感じて、ようやく頭が回り始める。
「……アリスの正体は宰相の近くにいる帝都の貴族かもしれない」
まずはアタシが考えた結論から言う。
サファイアは何度もアリスちゃんのことを『あの女』と呼んでいた。
アタシの中では今でもアリスちゃんなんだけど、サファイアの機嫌を損ないたくないから一応呼び捨てにしておく。
「彼女がトパーズに与えた武器は少なくともポルトグランデで手に入るものではなかった。じゃあ後は帝都で手に入れるぐらいしかない。もし特注だとしても、あそこまで高品質の魔装をするためにはかなりの財力と優秀な技師の両方が必要になってくる。……少なくともお金持ちの娘がお気に入りの冒険者へプレゼントみたいな可愛いレベルの話ではないことだけは確かね」
二人が頷いて同意してくれる。
「そもそもレジスタンスの上層部の人間って基本的に貴族でしょ? バトラーさんやテオドールさんみたいに。そんな上流階級の人間が所属する組織に敢えて属さず、それでいて客人として大きな影響力を持ち続けるというのは、相当難しいことだと思うの。でもアリスにはそんな客人待遇を認めさせる力があるの」
そう、仲間ではなく客人なのだ。
上級貴族で執政官の娘であり、レジスタンスの中枢で腕を振るっているケイトちゃんが警戒して丁寧に扱っている人間なのだ。
「そして、それはレジスタンスと明確に一線を引いていることを意味するわ。つまり彼らと相容れない部分があるのだと。……賛同するなら他の上級貴族や教会関係者のように仲間入りするはずだから」
黙って頷く二人。
「これは最初から宰相排除だけが共通の目的で、それから後は別行動を取りますよとアリス自ら宣言しているようなものだわ。……でも他の人間だって色々な思惑があって動いているんだから似たようなモノよね。後になって考えが違うから別れるとか言い出すよりも、むしろ先に宣言しているだけレジスタンスとしてはありがたいんじゃないかしら」
「だから……宰相の近く……なの?」
サファイアが聞く。
「それらを考えたとき、バトラーさんやテオドールさんと違って表面上は宰相や皇帝と対立していない人間じゃないかなと思っただけ」
まぁ彼らも表立って対立はしているつもりは無いのかもしれないけれど。
それでも宰相側からすれば十分敵対勢力と見做されているだろう。
……だけどアリスちゃんはそこに属さないでいられる。
「でもそんな都合のいい立場が許される存在というのは、そう多くはないと思うの。……どこの世界でもどっちつかずは嫌われるから」
自分はクロードとトパーズの間でどっちつかずだったくせに。
どの面下げてなんだかと、心の中でそんな自嘲しながらも続ける。
「つまりレジスタンス側はそれを許してでもつなぎ止めておきたい『何か』を彼女は持っていると、そう考えるのが自然だと思う」
「……何か?」
クロードが呟く。
「うん……切り札になる何か。目下の敵である宰相に致命的とは言えなくても大打撃を与えられえる何か」
「それは何?」
今度はサファイア。
「わからない。でもレジスタンスはそれがどうしても欲しいんだと思う。……だから財力とかそんな簡単に手に入るモノじゃないと思う。もっと違う何か。……もしかしたら近くにいるからこその何か。……特別な何か」
ぶっちゃけ財力は簡単に手に入らないけれど、財力を持っている人間ならばアリスちゃん以外にもいると思う。
バトラーさんだって多分相当持っているだろうし。
でもアリスちゃんの武器はそんなモノじゃない。
……もしかしたらサファイアに向けた尋常じゃない殺気とかが関係するのかも知れない。
「まぁ、あくまでアタシの考えだからそこまで信用しないでね」
実は真っ先に浮かんでいたモノがあるのだが、さすがに荒唐無稽すぎるので無いと切り捨てた。
……いくら何でも『アリス女王』は無いだろう。
帝都出身、宰相の近く、例外を認めさせる地位、財力技術力軍事力を持ち合わせるなど、パズルのピースとしてはピッタリ納まるが、自分の夫とその最大の擁護者を排除するというのは無理がありすぎる。
それに女王のような高貴な人間が一人で国を離れて、フラフラとテオドールさんの執務室に入って行ったり、夜中に出歩くのもありえないことだ。
「わかった。……とにかく今はレジスタンスの言うこと聞いておこう。トパーズのことも監視は続けるけれど、今はそっとしておこう。アリスちゃんに関しても下手に手出しはしないということで、いいね?」
クロードがそう締め、アタシたちは顔を見合せて頷いた。