第6話 政務官ケンタロス、女王国のやり方に馴染む
ここ王宮において、女王陛下の不在が続いていた。
基本的に陛下が玉座を空けるのはよくあることで、私がここに戻ってきてからも帝国や視察などで活発に動き回られる。
だが今回はそういうことではない。
何と御自らエリーズ奪還戦で出陣しているのだ。
昔からの知り合いのグレンに言わせれば陛下自身、相当戦闘能力が高いらしい。
元冒険者だったという話も聞いている。
それでも不死身ではあるまい。
御身に何かあればこの国は再び混沌に包まれるだろう。
主が不在の王宮における決裁はクロエが担当している。
あくまで陛下の意思に沿った方針で、だが。
本来は政務担当をするはずの役人が陛下に付いて前線に入ったので、徐々に私に回ってくる仕事量も増えてきた。
謹慎という名の休養期間が終わり、仕事に復帰して間もない頃は腫れもの扱いにされていた。
当然のことだ。
皆も裏切り者である私に仕事を任せてもいいものかと悩んでいた部分があったのだろう。
しかしクロエやグレンが容赦なく私を扱き使うのを見て、周りもこれならば大丈夫だと判断してくれたようだ。
お陰で私も早いうちに女王国に馴染むことができた。
本当に皆には感謝している。
この国に戻ってきたときは死をも覚悟した。
だから処罰なしには本当に驚いた。
むしろ女王陛下は敵国に捕らわれながらも無事だった私を労って下さった。
『キャンベル状』についても、正当な判断だったとの言葉を頂けた。
家族も全員お咎めなしだった。
確かに貴族ではなくなったが、それは皆も同じことだ。
とにかく生きているだけで十分。それ以上は何も望むまい。
私のせいで家族一族全員に肩身の狭い思いをさせてしまったが、皆はただ生きて再会できたことに幸せを噛みしめていた。
弟やまだ若い息子も役人として国中を動き回っている。
汚名を返上する為、何より温情を与えてくださった陛下の為に、私は心を込めて仕事に励むと誓った。
生まれてから一度も王都から出たことのないような元上級貴族も、今や役人として地方各地へ赴任している。
皆忙しいと文句を言いながらも、それなりに充実した日々を送っているようだ。
たまに顔なじみで集まると昔を懐かしむ言葉も出るが、かつての聖王国に戻りたいとは思わないらしい。
自分たちが動いて、物が動いて、人が動く。
そして街が発展していく。商業が活発になる。国民の笑顔が増える。
誰もが今までの人生で経験し得なかったやりがいを感じているようだ。
さすがに聖王祭は来年から無くなってしまうが、四神祭は今年も、これからも行われるという。
女王陛下が四神への信仰を許して下さったのだ。
それのみならず、去年よりも倍近くの予算が用意されていると担当の者が嬉しい悲鳴をあげていた。
帝国と違って陛下はその辺りがおおらかだと皆も喜んでいた。
たとえそれが女王の足元を固めるための方策であったとしても一向に構わない。
民衆もきっと喜ぶ。私も今から楽しみで仕方ない。
そんな国中が活気づいている中で、さらに皆を喜ばせる一報が舞い込んできた。
なんとエリーズでの攻防戦で勝利したとのこと!
その一報は王都だけに留まらず国中を揺るがした。
民衆も連日大騒ぎをしているようだ。
何せエリーズを単独で統治するのは百数十年ぶりという。
まさに快挙といえる。
今まで山岳国、女王国との戦いで敗戦続きだったから、国民も喜びを爆発させているのだろう。
そんな歓喜の中で女王陛下の王都凱旋。
皆が喝采をもって迎え入れた。
陛下の姿を一目見ようと大通りを着飾った民衆が埋め尽くした。
建物の二階から笑顔で花びらを撒く子供たち。
馬上で民衆に手を振る女王陛下の姿はそれはそれは見事なものだった。
ささやかだが、王宮の広間でも戦勝を祝う宴が開かれた。
あちこちで元王国の人間と元公国の人間が肩を組みグラスを合わせる。
魔法使いというのは凄いものだと誉める声や、鋼の装備を纏った歩兵の勇敢さを称える声が笑声とともに聞こえてくる。
そんな話の中心にマグレインの顔もあった。
以前に比べて随分と血色の良いことだ。
きっと満足いく戦果だったのだろう。
私が近付いてきたのが見えたのか、彼が手にしたグラスを掲げる。
「これはこれは裏切り者殿。無事謹慎は解けたようで何よりだ」
今まで見たこともない晴れやか表情で私に向って軽口を叩く。
周りの部下たちが目を見開くが、私も笑顔で返す。
「お陰さまでな。そちらこそ脇腹の痛みも関係なく、陛下の役に立てたようだな」
そういって彼の脇腹を肘で打つ。
まだマイカとやらに蹴られたキズが痛むのか、彼が顔をしかめた。
そして二人で笑いあい、肩を組んで乾杯。
グラスが小気味いい音を鳴らす。
「……おめでとう。よく無事で帰ってきたな」
「……ありがとう。お前たち後方の支援あってこそだ」
そうして肩を叩き合った。
そんな私たちの姿にホッとしたのか、周りも乾杯してグラスを空けた。
深夜、女王陛下の言いつけ通りに彼女の私室に足を運んだ。
ここはかつて聖王様が使われていた部屋だ。
少しだけ昔のことを思い出しつつ、ノックをして入室の許しを乞う。
陛下の横に控えていたのはレッドとクロエ。
言わずと知れた陛下の側近中の側近だ。
夜分の失礼をお許しくださいと陛下に頭を下げたのだが……、不躾ながら直視できなかった。
彼女が素っ裸に薄手の白い布を纏っただけの姿で、寝台に腰かけていたからだ。
……正直、目のやり場に困る。
「ごめんなさいね。寝るときはいつもこの格好だから」
「……いえ、その……」
失礼にあたるから返事をするときは陛下の姿を見るのだが、やはりすぐに目を逸らしてしまう。
生娘の素肌を目に焼き付けるような行為は紳士としてあるまじきことだ。
逸らした視線の先に見慣れない男が二人いることに気付く。
一人は明らかに山岳国の僧兵のように見えた。
もう一人は少し身なりを崩したような、だらしない格好の、偏見のようで悪いが野盗崩れのような印象を持たせる人間だった。
彼らも、やはり少し俯き気味だった。
そんな彼らと目が合う。
この場では得体のしれない人間が相手でも、こちらから頭を下げるべきだろう。
最近は私も頭を下げるのには慣れてきた。
「初めまして、ケンタロス=キャンベルです。女王国で役人として働かせて頂いております」
それを受けて、向こうの二人も頭を下げてきた。
一応意思疎通ができそうで安心した。
ここは女王の私室、不審人物は排除されるだろうから当然と言えば当然か。
「えっと、ブラウンです。……一応女王国の将軍……ですかね……?」
だらしない方の男がちらりと陛下の方を見た。
身なり同様と軽い話し方だった。
「……そうじゃない? ……たぶん」
陛下も苦笑いを浮かべて、頼りない答えを返す。
……あぁ彼が。
あのハルバート候が警戒し続けていた男だ。
こんな感じの人物だったのか。
勝手ながら、もっと軍人の雰囲気を纏わせているのかと思っていた。
それこそ、そこにいるレッドのような。
だが、エリーズを落としたのもこの男の手柄が大きいと聞いている。
おそらく相当腕の立つ人物なのだろう。
人は見かけによらないものだ。
そしてもう一人が一歩前に出て両手を前で合わせる、山岳国式の礼をした。
……少しイヤな記憶が呼び起される。
「お初にお目にかかる。私はキール教真言派のファズと申す者。……以後お見知り置きを」
やはり僧兵だったか。
……キール教と言えば、山岳国の国教だ。
その彼が何故この国に?
それよりも何故陛下の私室に?
「話せば長くなるから後日皆の前で話すけれど、我が国は彼らキール教真言派を保護することにしました。彼らの為に町を作り、この地での布教を許可します。……反論は認めません。四神教も彼らと共存できるよう協力してもらうことになりますが。……できますよね?」
陛下が私を見る。
これは質問の形をとっているが、間違いなく命令だ。
四神教の人間としては思うところが無いわけではない。
しかし、私たちの信仰を認めてもらった以上、彼らを認めたくないというのは道理ではない。
「……わかりました。私だけで決めることではありませんが、私個人としましては皆様を歓迎致します。……これからは共に女王国を支えていきましょう」
私はファズに握手を求めた。
彼も厳しい表情を和らげ、握手に応じてくれた。
「明日にでも、他の四神の者と話す機会を設けましょう」
マグレインや他の者たちにもきちんと会わせてやりたい。
これからは仲間になるのだ。
私も出来る限りのことをしよう。
「……それなんだけど……」
気持ちを籠めた私の言葉に、陛下が申し訳なさそうに待ったを掛ける。
何とも言えない苦笑いが年相応に感じられた。
「……キャンベル殿は明日すぐにでも、ブラウンとエリーズに向って欲しいの」
「……ふぁっ!?」「……私がですか?」
ずいぶんと急な話だ。
ちなみに変な声を出したのはブラウンだ。
どうやら彼も聞かされていなかったらしい。
「一応今回は参謀のような形でだけど、当然魔法使いとしての腕も期待しているわ」
正直、以前同じように貴族として共に机を並べて仕事をしていた者たちが、宴の席で戦果を誇っているのが羨ましかった。
もちろん酒の勢いで盛り上がって少しばかり誇張はあっただろうが、それでも魔法使いとして活躍していたことは事実だ。
……私だって戦場に立てばそれぐらい、と思ったことは事実だ。
「わかりました。是非、祖国のために戦わせてください。何より汚名を雪ぐ機会を与えて頂いたことに心より感謝致します」
結局のところ、その一言に尽きる。
「ありがとう。そう言ってくれると信じていたわ。……貴方にはこれから山岳国相手の旗になって貰いたいと思っているのよ」
「……旗になれるのでしょうか? ……国民から反感を持たれているこの私が」
何せあの悪名高い『キャンベル状』の張本人だ。
「だからこそ、ブラウンの横で貴方自身の存在を誇示して欲しいの」
「貴方と一族の命を助けた陛下に恩義に感じ、最前線に出ることを願い出たと。女王国は忠誠を誓うに値する国だと、戦場で知らしめて欲しいのです。……この先の戦争の経過次第では捕虜に協力を願うこともあるでしょう。そのとき貴方の存在が生きてくるのです。……結果的にとはいえ、祖国を裏切るような行動を取ってしまったとしても、女王国は忠誠を誓う人間に対しては礼節を持って遇する国だと」
クロエが横から陛下の言葉を補足してくれた。
なるほど、確かに私以外にそんなことができる人間はいないだろう。
しかしこのクロエという女性は言いにくいことをはっきり言ってくれる。
だが、それを女王の口から言わせない辺りに側近としての心意気を感じた。
私も側近として聖王様の為にこうあるべきだった。
陛下はクロエの言葉に満足そうに頷くと話を続けた。
「ブラウンや彼の部下も防衛戦は何度か経験しているけど、今回戦うのは元王国兵も含まれるわ。その中で貴方の役割が大事になってくるの。確かに貴方に反感を持つ兵士もいると思うわ。だからこそ彼らと一緒にエリーズを守り切って欲しいの。……そうすることで街も連帯感もより強固になっていくと考えているわ」
……委細承知した。
これはようやく舞い込んできた、一族の名誉を回復させる絶好の機会なのだ。
私がやらずに誰がやる!
「エリーズ攻防戦は間違いなく長期化するはず。向こうはきっと必死になってエリーズを奪い返しにくるわ。彼らにも意地があるからね。……だから私たちは余計な色気を出さずに、ただひたすらそれらを迎え撃つことに徹する」
陛下の顔から徐々に笑みが消えていき、目に力が篭っていく。
私はこの目ではっきりと、少女から絶対強者に切り替わる瞬間を目撃した。
「全力でエリーズを取り返しに来る山岳国軍を、女王国軍と元聖王国軍そしてキール教真言派の僧兵部隊が完全に手を組んだ状態で迎え撃ちたいの。それが一層あちらの焦りを生み、さらに不協和音を生み出す。民衆の怒りが増幅し、その矛先があちらの喉元に向かう瞬間が必ずやって来る。……侵攻するのはその後でいい」
陛下にはその未来が見えているように感じられた。
その未来を確実にするために手を進めていく。
……王者の笑みを浮かべて。
「相手が戦力を整える前に動きたいの。……まずはエリーズを最前線の砦に作り替える。そのための物資搬送も着々と進んでいるわ。先程も言った通り、出自の全く違う皆が一緒になって汗をかくことこそが戦力を下支えするの。……ファズもエリーズに待機させている仲間たちに通達しておいてね。貴方たちの働きでこの戦争の行方が決定するわ。……頼りにしているからね!」
「「「……はっ!!」」」
私たちは声を揃えて返答した。
話すべきことを全て話して気が緩んだのか、陛下が足を組み替えた。
男全員で同時に目を逸らす。
……不用意にも程がある。
「私はエリーズの準備を見届けてから、またあちらで一仕事して来るわ。……今回はレッドも一緒よ」
「はっ!」
傍らに控えていた寡黙な近衛騎士が頭を下げる。
「何度も国を空けることになって悪いけど、くれぐれもよろしくね。……ついでに貰えそうな物があれば適当に貰ってくるから」
最後の一言に帝国出身のクロエが苦笑いする。
「しばらく戻って来られないけど、みんなハメを外しちゃダメよ」
この場で一番若い、むしろ幼いともいえる陛下がいい歳の大人である我々に対して、まるで子供に言い含めるかのような物言いが少し可笑しかった。
皆もそう思ったのか深夜にも関わらず、陛下の私室でいくつも笑いが零れた。




