第5話 ユーノス王、宣戦布告する。
義兄ジニアス=ハルバートの執務室は会議ができるほどの広さがある。
私が義兄と共に部屋に入ると、大きめの円卓ではすでに馴染みの顔が揃っていた。
ここにいるのは全員私のことを子供の頃から知っている古強者ばかりだ。
きっと私の緊張などお見通しだろう。
彼らがこちらに視線を向けて、心配するなと言いたげに笑顔を見せる。
昔の私は歳の離れた姉の後ろに隠れて何もできない、どうしようもない泣き虫だった。
父からは意気地がないと詰られ、母はそんな私を生んだことを周りに謝っていた。
唯一の味方は姉だけで、彼女の後ろに隠れている時が一番落ち着いた。
姉は男勝りで、両親は彼女が男だったらよかったのにと嘆いたらしい。
姉の婚約者だった義兄に厳しく鍛えられたおかげで、身体も大きくなり腕も立つようになったが、本質的にはあの頃とは変わっていないと思う。
義兄に王としての振る舞いや話し方を叩き込まれて、ようやく人前に出られるのだ。
今でも謁見の際は、たとえ相手が冒険者でも少し緊張してしまう。
頭の切れる義兄が先回りして色々準備してくれるお陰で、何とか取り繕い威厳を保てているのが現状だ。
そしてそのことはここにいる皆が知っている。
それでも彼らは私を王として認めてくれているのだ。
だからこそ私は王として彼らに恥をかかせるわけにはいかない。
彼らの誇りとなる王になりたい。
国民からも尊敬される王でありたい。
彼らの期待に応えたいと心から思う。
彼らから愛されたいと願う。
立ち上がり一礼する彼らを座らせ、本来義兄が座るべき椅子に私が腰をかけた。
義兄はやや厳しい顔で私の横に立ったまま、周りを見渡している。
皆も黙って義兄を見つめ返す。
もう何度もこの部屋で顔を合わせていた。
予定ではこれが最後の会合になるという。
宣戦布告に向けての最終確認だ。
前回の会議を受けて、すでに軍の編成や物資の輸送経路などの準備は終了した。
滞りなく軍はエリーズやその近郊都市に集結し、そのときを待っている。
兵糧を含む戦争に必要な物資も、エリーズに近いココルの村に備蓄倉庫を建設し運び込んだ。
……あとは女王国の出方の見極めだ。
「……始めてくれ」
私がそう切り出すと、 義兄が大きく息を吐いて報告を始めた。
皆一言も聞き漏らさないようにと硬い表情になっていった。
女王国軍は想定通りエリーズのすぐ南にあるカノンの街に司令部を置いたようだ。
例によって女王国旗、聖王国旗、帝国旗揃い踏みで士気は高いと。
そして今回は女王自らお出ましとのこと。
傍らに近衛騎士レッド。
元聖王国貴族で四派閥の重鎮たちが魔法使いとして脇を固めていると。
正に挙国体制を築き、こちらの宣戦布告を今かと待っているらしい。
「民衆と貴族の分断は? 貴公の得意とするところだろう?」
将軍の一人が義兄に尋ねた。
「今回は難しいですね。女王が前線に出たことで、元貴族たちも忠誠を示すため率先して出てきました。それが民衆の心に響いたようです。そもそも女王は貴族制度を廃止しました。それでも国のために前線に出ようとする元貴族に民衆からは好意的な空気が漂っています」
「ならば、貴族間の分断は?」
私が横に立つ義兄を見上げながら質問する。
これも義兄がよく使っていた手だ。
元々ハルバート一族が得意としていた一手で、過去何度もこの手で相手の足並みを乱してきた。
「それも無理ですね。女王は四神教の保護する方針を表明しました。各派閥の重鎮を公平に重用しています。さらに逆賊キャンベルにも恩赦を与えました」
以前はケンタロス=キャンベルのことを冗談半分で『我が友』と呼んでいたが、義兄も本気になっているのか、もうそのようには呼ばないようだ。
「派閥の重鎮が前線に出て轡を並べていることで部下の者たちも今までよりはるかに結束が固くなっております」
それを聞いて皆は一様に頷いていた。
「……続けます。女王国の兵士たちは鋼の装備を纏っている模様です」
「それがどうした? 我らの鍛えられた腕ならば……」
それを聞いた老将軍が吠えた。
僧兵部隊を率いていて、熊のように大柄で血の気の多い爺さんだ。
声が大きいので少々苦手にしているのは内緒だ。
戦闘意欲旺盛なのは結構なことだが……流石にできる事とできない事があるだろう?
「実際のところ、どうなのだ? ……あにさま」
昔のことを思い出していたのもあって、思わず当時の呼び方になってしまった。
……少し恥ずかしい。
円卓を囲む数人がそれを聞いて微笑んだ。
義兄も少し笑顔になった。
「相当厳しいかと。もちろん全員に出回っているわけではありませんが、最前線の兵士に関しては武器防具共に鋼製と考えてよろしいかと。最前線でこの差は大きいですね。……さらにあちらは魔法使いが控えております。硬い前衛を崩す前に後衛の魔法使いに好き放題されてしまいますね。正直我々からすれば最悪の展開になってしまいます」
「となると弓兵をどれだけうまく活用できるかということだな。配備を急がせよう」
別の将軍が頷いた。
我が国でも弓兵はいるが多数派ではない。
基本的に近接戦闘で一気に勝負をつけるのが山岳国流だ。
「しかし、それだけの物を揃えようと思えばいくら掛かるのだろうな」
輸送担当の役人が呟いた。
まったくだ。戦費調達も大変だろう。
「長期戦になれば民衆からの不満も吹き出てくるやもしれん。そこに我らの付け入るスキがある」
老将軍が声を上げた。
「……問題はそこなんですよね」
義兄が溜め息をついた。
「こちらとしても色々と調べましたが、女王は今回の戦争のために税も上げていないし、資金の作るために何か宝石のようなモノを売りに出したという形跡もありませんでした。最近まで聖王国は戦争をしてたので国庫にそれほど金が残っているとは思えないのですが、それにも関らずです。では女王国のお金かと言えば……元々は言わずと知れたこの大陸の最貧国でした」
女王国は自分たちの金を使っていないということだ。
「……では帝国が全額負担しているとでも言うのか?」
誰かがそう呟いた。
……別に誰でもいい。
どうせ全員が心の中で呟いた言葉だ。
「そう考える方が自然ですね。武器防具兵器全て帝国の援助ありきかと。先日もミュゼから大量の兵糧がシシルに向けて輸送されたとの報告もあります」
……もうこれは完全に見えた。
女王国とは名ばかりで実体は帝国の別動隊だ。
帝国は金と物資だけを負担し、血を流すのは王国民と公国民……そして我が国の民だ。
結局のところ、我々は帝国上層部が演出した『水の女王国』という茶番劇に付き合わされているに過ぎないということだ。
帝国と繋がっていることは誰も疑わない。
女王が皇帝の子を妊娠しているというのは噂だと判明したが、最早そんなことは些末なことだ。
どうするのか? という皆の視線が私に突き刺さる。
「……こちらも意地ぐらいは見せねばなるまい」
民衆が黙っていない。
小さい頃、義兄に「なぜ聖王国を憎んでいるのか」と尋ねたことがあった。
皆が王国を憎んでいるのを子供ながらに疑問に思ったのだ。
私自身は全然何とも思ってもいないのに、と。
確かそのとき彼は苦笑いして答えてくれなかったと記憶している。
……流石に今ならわかるが。
過去この国では内政の不満を全て聖王国や帝国にぶつけてきた。
家庭で、教育の場で、植えつけられた彼らに対する憎悪はいつしか我々に制御できるものでは無くなっていた。
実際王国を出し抜いてエリーズを奪取し、さらに南征軍が国境を越えて各都市を制圧したとの報が流れた時は、民衆もお祭り騒ぎだったいう。
しかしその後、返り討ちにあったと聞けば軍に対する不満が爆発し、さらに指揮していた将軍の職務怠慢が発覚するとその怒りが頂点に達した。
結果その将軍は衆人環視の中で処刑されることになってしまった。
もう国民は憎悪を隠そうともしなくなった。
そんな中で女王国側が宣戦布告を待ちわび、すぐにでもエリーズを狙える場所で陣を展開しているという。
民衆もそれを知っている。
もしその状況で戦いもせずに逃げるようなことをすれば……。
確実にその憎悪という名の刃がこちらに向けられることになる。
「……最後に一つ」
義兄が今までで一番深刻な顔つきで切り出した。
「要注意人物であるブラウンを見失いました。申し訳ございません」
義兄が頭を下げた。
しかし私以外の皆がその態度と言葉の意味を掴みかねていた。
義兄からいつも聞かされていた私はすぐに理解できたが。
……ブラウンは義兄が最も警戒していた人間だ。
そのことを知らない者からすれば、それがどうしたという程度の話だろう。
「女王の傍にも、最前線にも、……エリーズを攻撃するためのどの部隊にもいませんでした」
「……では出陣していないだけでは?」
「いいえ、絶対にそれだけはありません。ファーノヴァーでの急襲、王宮突入と、女王国軍における第一陣は全てブラウンでした。さらに言えば、旧公国と聖王国の国境の砦を襲撃し奪取したのもブラウンでした。……その彼が今回に限って、それも女王自ら参陣している、あちらとしても絶対に負けるわけにはいかない戦争で、出陣しすらしていないなんてことはありえません。必ずどこかで何かをしています」
「……隠密行動か?」
私が質問する。
「……ただ彼個人の戦闘能力は高くありません。彼は軍を率いてこそ価値がある人間です。だから単独で暴れることはないと考えます」
「どこかに伏兵として罠を張っている、ということか」
皆が溜め息をつく。
義兄の言いたいことが伝わったようだ。
「……おそらく」
義兄も大きく息を吐いて呟いた。
皆の視線が私に集まる。
決断の時だ。
この会議で分かったことは我らは極めて厳しいという状況だけ。
だが戦う以外の選択肢はあり得ない。
私はもう昔の泣き虫ユーノスではない。
「明日正午に宣戦布告する。……よいな」
一同が私の目を見て頷いた。
もう後には引けない。
翌日、我が国は女王国に対して宣戦布告をした。
兵士や役人などが南に向かい、やや静まり返った王城内で私と義兄は戦況を見守ることになった。
私の宣戦布告を受け、エリーズの各部隊が南に向けて進軍を開始したとの情報が入る。
ついに我が国の命運を掛けた戦争が始まった。
その矢先、義兄の手の者からエリーズ北西にあるココル村の備蓄倉庫が急襲を受けたとの一報が入った。
……何故に?
いつの間に国内への侵入を許していたのか?
義兄と顔を見合わせる。
報告は続き、徐々に詳細が明らかになった。
山に追いやられていた破戒僧の集団がココル村を襲撃したらしい。
当然その情報はエリーズにも伝わり、現地の判断で軍を分けて当たることにしたと。
……そして例の破戒僧を率いていたのは、あのブラウンだったということ。
それを聞いた義兄が不意に笑顔で立ち上がり、腰に吊っていた剣を抜いた。
次の瞬間、真顔に戻ったかと思うと、力の限りそれを振り下ろした。
轟音を立てて真っ二つに叩き割られるテーブル。
呆けて見上げるしかできない私を見下ろすと彼は再び笑顔を取り戻し、一礼して次善の指示を出すため部屋を後にした。
……怖かった。
小便を漏らしてしまうかと思った。
テーブルの残骸を片付けていた武官の手が震えていたのが、妙に頭に残った。
その後も昼夜問わず入ってくる情報は全て形勢不利を伝えるものだった。
軍を割ったせいで数を減らした本軍は、ただでさえ強力な女王国軍の最前線を突破できずに崩壊した。
相当数の死傷者を出し、生き残った兵士たちは慌ててエリーズに引き返すことになったと。
ココルを制圧したブラウン指揮の破戒僧軍は武器や兵糧を押さえて、彼らを討伐するために割かれた一軍を相手に籠城戦を仕掛けてきたらしい。
義兄が急ぎ組織した臨時編成の軍がココルに到着したときには、武器や兵糧は全て持ち去られていたらしく何も残っていなかったとのこと。
軍が追撃戦を仕掛けると、彼らはバラバラになって山へと逃げこんだという。
そんな彼らを追いかける時間が勿体なかったので、慌ててエリーズの本隊と合流することにしたと。
しかし後方の備蓄倉庫を失った代償は大きく、依然として強大な女王国軍が北進を始めると、我が軍に動揺が走り、脱走するものが相次いだという。
……結果として軍は撤退を余儀なくされ、エリーズは已む無く放棄されることとなった。
その後、女王国軍の更なる北進に備えるも、彼らはエリーズに留まったとのこと。
それを聞いて義兄もようやく一息つけたようだった。
女王国との緒戦はエリーズを奪われて呆気なく終了した。
僅か十日間の攻防だった。