第4話 アリス、いろいろ考える。
快適な帝国の大型船での船旅を終えて、ミュゼの港に到着した。
「準備が完了致したようです」
扉の向こうからクロエの声が聞こえる。
女王用に宛がわれた豪華な一等客室を出て、すぐそこで待っていた彼女を伴い船から降りた。
船倉から買い込んできた荷物を、船員たちがひっきりなしに下ろしていく。
忙しなく汗を拭いながらも彼らの声は明るい。
普段はその荷のほとんどが、近くに止められている我が国所有の船に積み替えられ、旧公都レイクサイドへと送られる。
だが今回は兵糧として大部分が荷馬車で北都シシルへ運び込まれることになっていた。
オレは元気いっぱいで働く彼らに、笑顔で手を振りながら待たせていた馬車へと向う。
馬車の傍で待機していたグレンにも軽く手を振り、一礼する彼の手を借りながらできるだけ優雅に乗り込んだ。
その後ろからクロエとグレンも乗り込み、馬車の扉が静かに閉められる。
そこでようやく一息。そんなオレを見てクロエが微笑んだ。
女王ともなると一挙手一投足が誰かに見られているので気が抜けない。
前回でも勇者として同じような経験をしていたが、今回のそれは桁違いだ。
何しろ自分たちの女王が自慢に思えるようにと、国民たちの意識を変えていかなければならないのだ。
国を纏め上げる為にはオレ自身を国の象徴として認めさせなければならない。
法で女王を称えよと強制するのではなく、彼らの心からの発露として。
その為ならば、ある程度の不自由は覚悟の上だ。
「工房の視察準備は完了しております」
帝国の金で武器兵器作成の工房をこのミュゼに作っておいた。
すぐに船に積み込めるから便利だろうとテオドールにお願いして。
ここでは他に技術継承や新しい兵器開発も行っている。
学びながら働ける研究施設だ。
ドーティもここで研修終えて、今では立派に我が国の為に武器を打っている。
女王肝入りの事業として、ここで働く彼らの意識も士気も高い。
オレが姿を見せることで、さらにそれを国内外に見せつけることができるのだ。
これもオレの大事な仕事の一つだ。
視察という名の激励会を終えて、馬車は一路王都を目指した。
個人的に馬車での移動時間は策謀を巡らせるために大切にしている時間だ。
邪魔されるのは我慢ならない。
オレが目を閉じて黙り込むとグレンもそれを承知しているのか、出来るだけ物音を立てずにいてくれる。
……彼は気配りの出来るいい男だ。
シルバーの様に優秀だが空気の読めない人間とは一味も二味も違う。
ちなみに彼には旧公国領の執政官のようなものをやらせている。
彼の相手をするのは少し疲れるので、なるべく遠ざけておきたいだけなのだが、本人は大役にえらく張り切っている様子なので、まぁ良しとする。
それはさておき、クロードたちをロレントに紹介したのは我ながら惚れ惚れするような一手だったと思う。
神の思惑もあり、どのみち彼らは勇者一行として帝国で様々な手助けをしていかねばならなかった。
補領ベジルでの次期領主争いもその一つ。
基本的に領主ホルスの娘の病気と同じことだ。
どこにも所属しない冒険者一行として、それを成し遂げないといけない。
善意で困っている彼らに手を差し伸べていく。
ときには不正を行っている貴族の証拠を掴み、白日の下に晒す。
またあるときは、陰ながら裏組織と繋がっている役人を処断し、組織も根絶やしにする。
そういった行動を積み重ね、徐々に領主や国民の信頼を勝ち得て、勇者としての名声を挙げていくことになる。
そしてそれがレジスタンスの目に止まり、共鳴し、手を取り行動していくことになるのだ。
その間に神の声を聞くという祝福も待っている。
草の根活動の成果として得た信頼を持って補領の領主たちを説得し、レジスタンス協力を同意させる。
そのことがさらに勇者の価値を高め、いざ帝都決戦へ。
……というのが基本的な流れだ。
名声と実績を残しているからこそ、独断専行も許された。
無茶を言っても多少のことなら我慢させることができた。
だが、今回は絶対にそうはさせない。
今のうちにアイツらをレジスタンスに縛り付けておく。
彼らを名声も発言力も何もない『雑用係』として扱き使わせる。
たとえ彼らがレジスタンスの指示で勇者のするべき仕事をしたとしても、それは彼らの名声には繋がらないだろう。
あくまで彼らを派遣したレジスタンスの手柄だ。
それがどういう結末を生むのかはまだ判断できないが、悪い結果になることは無いだろう。
彼らの名声を抑え込み、『神の声』からも遠ざけておくに越したことはない。
あの声のせいで全てが覆される恐れがあるからだ。
レジスタンスの手の届かない仕事は、オレがおいおい回収しておくことにしよう。
そのあたりはまだ時間的にも余裕があるはずだ。
そんなことを色々考えている間に馬車は王都へと入って行った。
馬車から下りるとパールとレッドが待ち構えていた。
彼らに向かって微笑む。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
律儀にもレッドが膝をつく。
毎回のことだ。
「……パール、早速で悪いけど、あとで私の部屋にブラウンを寄越して頂戴」
「はい。了解しました」
ハキハキと返事をするパールの頭を撫でると、彼女はいつものように目を細める。
本物の猫みたいで可愛い。
オレが女じゃなかったらなぁと思う一瞬だ。
「……皆様お待ちかねです」
そう言うとレッドは先導して王宮内に入って行った。
敬礼して出迎える役人兵士たちに手を振りながら、俺も続いた。
「お疲れ様でした」
私室に戻るとクロエが紅茶を出してくれた。
親娘だけあってかケイトの淹れてくれるものと味がよく似ている。
オレの帰還を待ちわびていた役人たちに今回の成果報告を終えて、ようやく一段落ついたところだ。束の間の休息を取っていると、控え目なノックと共にパールの声が聞こえた。
「……アリス様よろしいですか?」
「いいわよ、入りなさい」
「失礼します」
入ってきたのはパールとブラウンだ。
「久し振りですね、姐さん」
そういえばこうして直接話すのはファーノヴァーで説教のマネ事をしたあのとき以来かもしれない。もちろんアレは冗談というか、余所からわざわざ来て頂いたお客様に対する余興のようなものだ。
当然ながらブラウンにもそのことは伝えてある。
……と、そんなことは横に置いて、だ。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、大丈夫よね?」
「何ですか? その疑問形のような命令は……」
ブラウンが軽口を叩く。
最近シルバーだけじゃなくて、コイツまで生意気に口応えするようになってきた。
まぁ使える人間だから許すが、主従関係を解らせる為にもう一度ぐらい叩き伏せてやろうか……。
そんなことも考えてしまう。
「……マイカ、もう一度説明してくれる?」
「ういっす」
その声にブラウンがビクリと跳ねた。
慌てて振り向き、ブラウンは彼のすぐ後ろまで近付いていたマイカを睨みつけた。
マイカはそんな彼の挙動に満足したのか得意げな顔をしている。
オレもちょっとだけスッとした。
「――あっちには破戒僧と呼ばれてるヤツらがいるんスけど……」
先程も報告させていたのだが、改めてパールとブラウンに聞かせる為にもう一度やってもらう。
山猫の中でもマイカの部隊にはオレが帝国に行っている間ずっと山岳国の偵察をするよう指示を出していた。
聞くのは二回目なので、彼女が説明している間に先程浮かんだ案を纏めることに集中する。
山岳国軍の中でもそれなりに大きな勢力を占めるのが、キール教僧兵部隊と呼ばれる修行僧たちの軍団だ。
それを率いてる将軍には代々キール教最大宗派の重鎮が就くと決まっている。
彼らはいわゆる強硬派で、特に聖王国に対してはそれが顕著だった。
そんな彼らを歴代の王が重用した結果、増長し権力を笠に着て対立宗派――『真言派』を排除するようになった。
元々穏健派で他国に対して攻撃的ではない真言派は、事あるごとに好戦的な王たちと意見が対立し煙たがられていた。
そして排除された彼らは破戒僧の烙印を押され、山奥へと追いやられてしまうこととなった。病気が蔓延する度、モンスターが人々を襲う度、王の失政を隠すため彼らのせいにされ弾圧を受けた。
だが彼らは破戒僧と呼ばれても、王や最大宗派への恨みを募らせながらも、信仰を捨てることだけはなかった。
彼らの思想は弾圧の歴史の中でいつしか、自分たちの鍛えた身体は真の意味で弱き者を守るためにあり、それに同意できない人間は全て敵であるという、原理主義にまで昇華されていった。
きっかけさえあれば彼らは必ず動き出す。
国内各地に散らばった彼らの仲間と連携して……。
「――使えると思わない?」
オレはブラウンに問いかける。
「危険じゃないですかね? 彼らをこちらに引き入れたとして、あちらを平定した後の彼らの処遇を考えると新たな火種になったりするんじゃ……」
おっと、ブラウンにしては慎重な意見。
もっともだ。
「彼らは誰にも虐げられない安寧の地が欲しいのです。異端だと蔑まれない環境を望んでいるのです。もし陛下がそれを提示されるならば、彼らは従うでしょう。元々は寛容な穏健派なのです。四神教とも上手くやっていけるはずです」
オレに代わってクロエが解説してくれる。
まだ彼女に説明すらしていないのに、すでにこちらの考えを完璧に理解してくれている。
元聖王国民の人気取りの為に考えた寛容な宗教対策が、ここにきて活きてくる感じだ。四神教の人間も自分たちが認められたのに他を排除しようとすると、俺の不興を買うことぐらいは理解しているだろう。しぶしぶながらも、彼らを受け容れざるを得ないはずだ。
「そもそも、彼らが破戒と呼ばれているのは最大宗派の考えと離れているからであって、何かよからぬことをしたということではないの。……私は彼らのために町を一つ作ることにしたわ。女王として彼らを保護する。そして彼らの名誉を回復する」
これは女王として決めたことだ、そう言外に含ませる。
「まぁ、姐さんがそう言うなら従いますが。……で、俺は何をすればいいんですかね?」
「今から手紙を書くわ。それをマイカたちと一緒に届けて欲しいの。出来るだけ早くね。……エリーズに近い山にも彼らの隠れ里があるわ。戦争が始まるまでにそこにいる彼らを説得して纏め上げて頂戴」
ブラウンへの無茶振りはファーノヴァーに引き続きだ。お陰で今や将軍としてそこそこ名前が売れてきたらしい。そのせいで調子に乗っているのだろうが。
そんな敵国にとっても警戒人物の彼が軍を動かせばそれだけで目立ってしまう。
……ならば現地で軍を調達すればいいだけの話だ。
「まぁ、やるだけやってみますよ……」
彼は天井を見上げ、溜め息混じりに呟いた。
「それでは私も部屋に戻りますわ。何かありましたら、気にせずお呼びくださいませ」
皆が退室した後、最後に残っていたクロエも一礼して優雅に部屋を立ち去った。
淑女とはかくあるべしと言えるほどの見事な礼儀作法だった。
これこそが元々男であるオレに決定的に欠けていたものだ。
女王となったからには、元冒険者だからと言い訳できないし、する気もない。
平民相手なら何とか誤魔化せるものの、貴族相手には話にならない。
ましてや帝国貴族には。
女王としてハッタリが必要になる局面が絶対にやってくる。
その時までにはモノにしておかないといけない。
だからあの淑女としての振舞いは大いに勉強になるのだ。
本来彼女は相談役を兼ねた侍女として側に置いていたのだが、正直想像していた以上に使える人間だった。
……いや、使えるという域を完全に超越していた。
彼女がロレントの書状を携え、魔装技師として目の前に現れたときは、ただの監視役程度のモノだと思っていた。テオドールの妻ということで、人質の意味もあったのかなと楽観的に考えていたのだが、まさかこれほどの人材だったとは。
もしかしたら前回の旅でも一介の冒険者の前に出てこなかっただけで、レジスタンスを裏から指揮していたのは彼女だったのかもしれない。そう思わせるぐらい頭の切れる人間だった。
彼女はオレのどんな無茶な要求や考えでもきっちりと対応してくれた。
ちょっとした独り言にでも的確な助言が返ってきた。
さらにどこをどう攻めるのかという着眼点がオレの考えと微妙なズレがあるため、結果的にオレの思考範囲を広げることができた。
クロエは淑女の風貌に似合わず、どちらかと言えば寝技というか搦め手というべきか、とにかく回りくどいやり方が好きなようで、これがまた本当に参考になるのだ。
今回の破戒僧を利用するやり方も、彼女ならどうするのかと自分の中で想像しながら捻り出したものだ。
そういったことも含めて、前回彼女に出逢えていればもっと楽しめたのにと思ってしまう。
よくよく考えてみれば、この王宮でオレのために働いてくれている者たちのほぼ全員が、前回の旅ではロクに会話すらしていなかったような気がする。
……ブラウンは問答無用でブチ倒したし。
記憶に残っているのはグレンと、……あとは王宮内を巡回しながらこちらが聞いてもいないのに「膝に矢を受けて……」などとボソボソ話してくる元冒険者の兵士ぐらいか。
いやはや、神も細部にまで凝った面白いセカイを作ってくれたものだ。
2周目だからこそ気付けることが沢山ある。
……何だかこのセカイがクセになりそうだ。