第3話 帝国官僚フリッツ、叔父と今後の相談をする。
今頃になって、ようやく女王国関連の情報が入ってきた。
はっきり言ってこれは遅すぎる。
こちらに対して意図的で組織的な妨害があったと認識すべきだ。
そしてそれができるのは教会だと考えて間違いない。
我々に知られたくない、せめて時間稼ぎだけでもしておきたい。
そういうことだ。
つまり女王国の動きに関する情報を封鎖するということが、教会ひいてはレジスタンスにとって価値のあることだとの証明でもある。
それだけ女王国は彼らにとって重要なピースなのだろう。
そのことを含めて叔父と今後の対策を練らないといけない。
ニール=アンダーソン。それが叔父の名だ。
我が帝国の宰相であり頭脳だ。
前時代から今に至るまで二代に渡る皇帝の最側近であり続け、この国に無くてはならない存在だ。
若い頃、誰もが認めた男性らしからぬ美貌は年を経てやや衰えたが、それでも束ねた長い髪のせいで今でも女性と見間違われることがあるらしい。
先代皇帝はそれを面白がって叔父に女装を強いることもあったという。
それは当時としてはただの笑い話ですむ話だったのだが、そのことを覚えている敵対関係の貴族は未だに議会でそれを揶揄することがある。
……叔父は自他共に認めるほど嫌われている人物だ。
この国で一番嫌われているといっても過言ではない。
だが、民衆から憎まれるようなマネはしていない。
決してだ。
叔父は世間で言われているような、私利私欲に駆られるような人間ではない。
そもそも我ら一族がそれを許しはしない。
我らは常に帝国の繁栄の為に身を削ってきた一族だ。
最も不正に厳しく立ち向かってきたと自負している。
当然その目は身内にも向いていることは言うまでもないことだ。
現に一族の当主でもある父は帝都より遠方の比較的貧しい地域に執政官として赴任している。
私自身もその地で育ち、父がどのようにそこを豊かにしていくのかこの目で見てきた。
私も父のようになりたくて官僚の道を選んだ。
あの土地には友達も多いので、できれば父の役職を引き継ぎたいのだが、縁故を嫌がる叔父だからきっと希望は叶わないと思っている。
その一族の中で誉と名高い叔父が不正に手を染めるなんてありえないことだ。
ならばこの悪評の原因は何なのか?
単純明快である。
叔父が誰も手を出せなかった教会利権に切り込んだからだ。
それに対抗するため教会が各地の神官を使って民衆を煽り、叔父に集中砲火を浴びているだけの話だ。
我らに言わせれば教会こそ民衆の敵だ。
叔父の執務室に軽くノックして入る。
疲れた顔の叔父が報告書らしき書類に目を通しながら、私の方をちらりと見る。
「……フリッツか? 早く扉を閉めろ」
そういって再び書類に目を落とした。
読み終わるとそれに対する返書をしたためる。
この部屋にいる間は基本的にこれの繰り返しだ。
偶に今回のように叔父の部屋を訪ねることができる人間から、口頭での報告を聞くぐらいか。
報告を受けて対処の指示を出す。
次の報告を受けて対処の指示を出す。
……少しは休まないと身が持たないと思うのだが。
叔父はそれでも構わないと言うのだろうが、正直国政が止まってしまうのは困る。
それが分かっていながら、私はこうやって今も叔父の仕事を増やすのだ。
「報告します。前回話にあった女王国ですが、やはり帝国の技術が流れ込んでいることが確認されました。おそらくは我々の想像通り、レジスタンスが関わっているのは間違いないかと」
「……やはりあの方々には、死んで頂かなくてはならなかったな」
叔父はこめかみを押さえて目を瞑った。
叔父のいうあの方々とは、皇帝陛下の二人の兄君のことだ。
現在二十八歳の陛下は親子ほど年が離れている彼らを差し置いて皇帝に即位した。
それは先代皇帝と叔父が二人っきりで相談して決めたことだと言われている。
私も詳しいことは何も聞いていない。
叔父自身、誰にも話していないはずだ。
父をはじめとする一族の上の方の人間は理由を知っているような口ぶりだったが……。
その後、先代皇帝の逝去を受けて、八歳というあまりにも幼い皇帝が誕生することになった。
そして後見にはまだ若かった叔父がつき、国を動かすことになったのだ。
それに猛反発したのが教会と上級貴族たちだった。
元々二人の兄殿下は皇位を争っており、険悪な状況にあった。
それが長男を推す上級貴族と次男を推す教会による代理戦争に発展して、長い間水面下で繰り広げていたらしい。
だが、奇しくも双方共に即位できなかったことで、両者が結束してしまった。
彼らは一時休戦し、共通の敵である叔父と幼皇帝の排除に力を注いだのだ。
結局、二人の兄のうち長男は皇帝一族のゆかりの地である所領の執政官として赴任し、上級貴族の精神的支柱となった。
次男は教会の中枢に招かれ、現在は枢機卿として実権を握っている。
宰相である叔父は、何度も彼らに死を賜うよう皇帝陛下に進言したが叶うことはなかった。
……後に彼らの打った一手が我々にとって最悪な結果を生み出すことになるのだ。
「……大人しく死んだふりを続けていればいいものを」
叔父はふっと力無い溜め息をついた。
きっとこれはレジスタンスを裏で束ねる存在であるロレント殿のことを言っているのだろう。
元親衛隊長の逆賊ロレントと言えば、今なお皇帝陛下暗殺未遂事件の首謀者として知られている。
事件が起こったのは私がまだ帝都に来る前の話だ。
幼い皇帝陛下の数少ない側近の一人だったロレント殿を、教会が陛下暗殺未遂の容疑で告発したのだ。
叔父も他の貴族も彼がそのようなことをするはずがないと反論したが、上級貴族と教会の力は凄まじいもので、動かぬ証拠とやらが溢れ出てきたのだ。
さらに実行役の一人を名乗る者や武器や隠れ家を手配したと自首する者が続出してきたという。
叔父も彼らの力を舐めていた訳ではないのだろうが、あまりの手際の良さに完全に後手に回ってしまったという。
何とか彼を助けようと手を打ったが、本気で動けば叔父自身が連座に巻き込まれかねない。
できたことと言えば、『絶対に』疑われないように裏から手をまわして彼を逃がすこと、そして追手となったロレント殿の部下であり現親衛隊長に「命までは取るな」と伝えること、たったそれだけだった。
しかし叔父によって辛うじて助けられたロレント殿がレジスタンスを率いて、助命に尽力した叔父当人を苦しませているという皮肉。
陥れた側の教会と上級貴族らが未だにレジスタンスの真の中心人物が誰なのかを掴めていないことも、また笑える話だ。……少々暗い笑いだが。
叔父に言わせればテオドール殿は甘い男だという話だが、彼はロレント殿を完全に隠し通しながら、あれ程の組織を作り上げたのだ。
その手腕は見事だという他ない。
そもそも誰一人として先頭に立って反皇帝の旗を振りたいとは思わない。
失敗すれば真っ先に首を落とされてしまうのだ。
それを怖がって二人の兄殿下やその側近は何もできないのに、彼はこの十年できっちりと上級貴族、教会などをまとめ上げて、形を作ることに成功したのだ。
我らの敵ではあるが、誰が何と言おうとテオドール殿は火中の栗を拾うことのできる立派な人物だし、その行動力は尊敬に値すると思う。
……過去のことはどうでもいい。
今の懸案は女王国である。
私は基本的なことから報告を再開する。
「そもそも『水の女王国』いうのはかつて聖王国の属国だった『水の公国』を女王自身が先頭に立ち、乗っ取った国です。その後レジスタンスの協力を得て盟主である聖王国を完全支配し、現在は北方の山岳国とにらみ合っている状況です。……女王は即位してから、まだ一年に満たないようです」
「女王が国を奪ってからの展開が早すぎるな……余程の才があるのか、何かペテンのようなものを使っているのか。……民からの信頼は?」
「それと関係しているのかどうかわかりませんが、我が国にも広まっている噂では、そもそも女王は我が国の貴族の娘で皇帝の側室だ、などという話がありました。もちろん根も葉もない噂です。……一応貴族の方もそれらしき人間がいるのか調べてみましたが、女王に該当するような娘はいませんでした」
「帝妃の件は当然だな。そもそも側室すらいないのだから」
現在皇帝の妃は正室のみだ。
「その噂も皇妃殿下への不遜に当たるからと、女王自ら民衆の前で火消しをしたようですが」
「……賢明だな」
妃殿下の一族は補領の領主を務めている家系だ。
つまり元王族。
軍事力も政治力も健在だ。
彼らに正面切ってケンカを売るのは、レジスタンスとしても二の足を踏まざるを得ないだろう。
「……それにしてもレジスタンスのヤツらめ、こんな無茶をするほどの余裕があったとはな。少々見くびっていようだ。……けしかけたのはどっちだ? やはりロレントか? それとも教会か?」
「……いえ、それが女王の方からレジスタンスに接触したみたいです。それも女王国を建国した後のことです」
叔父は報告書から顔を上げ、私のことを見つめながら黙り込んでしまった。
長い沈黙が続く。
そしてようやく叔父が口を開いた。
「……つまり女王はレジスタンスによる傀儡ではないということか?」
私は黙って頷いた。
実際私自身もそれを聞いたとき、驚いて声を上げてしまったぐらいだ。
てっきりレジスタンスが捻り出した乾坤一擲の妙手か、もしくは醜悪な主導権争いのなれの果てなのか、どちらにしろレジスタンスの思惑によって生み出された植民地国のようなものだと思っていた。
「女王が勝手に動いていると?……レジスタンスはそれの協力をしているに過ぎないということか?」
再び黙って頷く私。
叔父が「それは厄介だな」と小さく呟いた。
「……よりによって女王が直接ポルトグランデまで足を運んで、テオドール殿と交渉したみたいです」
「……女王とやらはこの国の内情をどこまで掴んでいるのだ?」
叔父は苛立たしげに顔を歪め、机を指で叩き始めた。
レジスタンスとのつながりは調べるまでもなかった。
少なくとも女王国側は隠すつもりもないようだった。
ここで問題となるのは繋がり方である。
今のところ女王国自体はまだ取るに足らない勢力であり、レジスタンスの力を借りて地ならしをしているに過ぎない。
しかし女王国がこの勢いのまま東方3国を手中に収めて力を付けてきたら、レジスタンスそのものを飲み込んでしまう恐れがある。
そうなってしまえばこれは内乱というよりも大陸全土を巻き込んだ戦争になってしまう。
それだけは避けたいところだ。
「……今の内に派兵して潰しますか?」
「無理だろう。戦費もバカにならないし、上級貴族や教会が反発するのは目に見えている。……女王国はヤツらの虎の子なのだからな。私をさも血に飢えた獣のようだと民衆を煽るだろう。それにそんな金があるなら民に回す方がよっぽど国の為になる」
叔父は私の意見を切って捨てた。
もちろん叔父ならそう答えると思っていたが、敢えて選択を狭めるための一つの意見としてだ。
「書状で女王国に警告でもしておきますか?」
続いて別の意見も出してみる。
「それも意味はないな。女王は『帝都』を恐れていないし、そもそもこちらから仕掛けられないことぐらいお見通しだろう。……ただ補領ロゼッティアには何か伝えておくべきだろうな」
そういって今まで読んでいた報告書を横に置いて、新しい紙を用意して手紙を書き始めた。
ロゼッティア領主ホルスは慎重で果断さに欠けるが、それが長所でもある。
激情に逸って何かとんでもない失策をしでかすようなことはないから、安定した領地運営を任せられる人材だ。
温厚な性格で領民からも慕われているし、何より教会や上級貴族とも一定の距離を保っている。
私個人としては好感の持てるいい人物だと思っている。
「……女王は絶対にホルスとの接触を試みるはずだ」
叔父は手紙をしたためながら呟いた。
確かにロゼッティアは女王国から見て地理的には国境を挟んだ領地であり、レジスタンスからしても後ろを突かれかねない位置にある。
ホルスに対して何かしらの行動を取るのは当然のことだ。
逆にいえば、こちらとしては絶対に落とすわけにはいかない要衝といえる。
もう戦は始まっているのだ。
「……しかしあちらは山岳国と一触即発の状況ですよ。今はまだ女王にそんな余裕は無いかと……」
「普通の王ならばな。……だが、もし女王が私の想像通りのロクでもないが頭の切れる極めて厄介で、最悪な人間ならば、それぐらいのことは平気でやってのける。用心に越したことはない」
それは女王本人のことを指しているようであり、別のよく知る人間のことを頭に浮かべて言っているようにも聞こえた。
どうやら叔父の中で女王は最も警戒すべき人間に位置づけされたようだ。
「……ホルス殿にはどのような指示を?」
「ロゼッティアには国境の警備を厚くする程度でいいと伝えておく。あちらから仕掛けてくるようなことはありえないから、くれぐれもこちらから手を出すなと。……できるだけ女王国は刺激したくない」
「……今更ではないのですか? すでに女王国はこちらの敵に回ったと考えていいのですよね?」
「現状はその認識でもいいが、将来的にレジスタンスと袂を分かつ可能性がある。……こればかりは女王次第だな。だから明確に敵対するのは避けておきたい」
なるほど。
確かに女王の野心次第ではレジスタンス、特に教会や貴族と反目することもありえる。
状況によっては敵の敵は味方ということになるかもしれない。
「引き続きポルトグランデを監視せよ。不穏な動きがないか見極めろ。……まだ積極的には動かないだろうがな。……これも女王次第だな」
そういって叔父は何度目かの溜め息をついた。