第2話 クロード、レジスタンスから勧誘を受ける。
領境を越えた最初の町でようやく僕たちは一息つくことができた。
今までの帝国の町と比べて、やや人通りが少ないように感じる。
住んでいる人もロゼッティアの街々よりもやや貧しいという印象をもった。
失礼だけど教会の神官にそれを尋ねると、帝国内でも当然ながら貧富の差があるという。
特に宰相と折り合いの悪い領主の地域は貧しい傾向が強くなるという。
……ここでもお約束の宰相批判だ。
豊かなロゼッティアの教会でも批判されて、貧しいベジルでも批判される宰相は一体何をしているのだろうかと思う。
僕は例によって神官に旅の多幸を祈って頂いてから教会を出た。
「じゃあ、行こっか?」
真っ先にサファイアが僕に駆け寄り笑いかけてくる。
今までのような恥ずかしげで控え目な笑顔ではなく、真っ直ぐ僕を見つめて満面の笑みで。
あの晩以降、サファイアは凄く綺麗になったと思う。
自信がついたのかもしれない。
ルビーも驚いていた。同性として何か感じるところがあったのだろう。
もし、告白やキスをしたことで彼女が生まれ変わったのだとしたら、それは僕も男としてとても光栄なことだと思う。
僕自身できるだけ気にしないようにしているのだが、正直なところサファイアのことが気になって仕方ない。
いつもと同じように接しなければいけないのはわかるが、そもそもいつも通りがどんな感じだったのか思い出せないのだ。
告白されるのもキスされるのも別に初めてじゃない。
何ならその先の経験もしているぐらいだ。
それでも何か緊張してしまう自分がいる。
告白されてキスされて、もちろん嬉しかった。
男として勲章のようなものだ。
これまでも、彼女のさりげなく僕に触れようとする仕草などで、僕のことが好きなんだろうなとは薄々気づいていた。
でもあんな大胆な方法で来るとは正直予想もしていなかった。
何が彼女をあそこまで大胆にさせたのだろう?
彼女はあのとき『返事はいらない』と言っていたが、僕の答えはほとんど出ているようなものだ。
もちろん『イエス』だ。
サファイアはキレイだし、ちょっと世間知らずなところがあるけど、そこが可愛いとも思える。
……確かに顔でいえばルビーだと思う。
……家柄もルビーかな。
でも性格はサファイアの圧勝だ。
まぁ、とりあえず今はこの微妙な距離感を楽しみたいと思う。
お互いが好きだとわかっていながら、あと一歩のところで留まっている甘酸っぱい感じ。
彼女もきっとそれを楽しんでくれるだろう。
でも実際のところ、いざ付き合うとなったら、これからの旅で宿屋の部屋割はどうするのかとか、結婚したら冒険はどうするのかとか、考えなきゃいけないことは山ほどある。
あと、ルビーとはどんな距離の取り方をしなければいけないのか、というのも悩ましいところだ。
サファイアはきっと僕とルビーのことで嫉妬することもあるだろう。
彼女を悲しませないためにもルビーとは一定の距離を置かなければならない。
ルビーはずっと僕のことが好きだった。
それは周知の事実だろう。
今は少しトパーズの方に向いているような感じだけど、最終的には僕を選ぶはずだ。
だけど二人と同時に付き合うわけにはいかない。
結局、恋愛というのは早い者勝ちなのだ。
二位じゃダメなんだ。
他の男に色目を使った瞬間に本命を横から掻っ攫われてしまうなんてのはよくあることだと思う。
スキを見せた者が悪いのだ。
そしてサファイアはその一瞬の絶好機を見逃さなかった。
それは冒険者としても素晴らしい資質だと思う。
だから僕はサファイアを選ぶ。その勝負勘に敬意を表して。
ルビーはきっと悲しむだろう。
だけど誰も責められないことだ。
僕は今後の人間関係のことを頭の片隅で考えながら、みんなと一軒の食堂に入った。
値段は安いが美味しくないご飯食べている間、奥の席でやけに声のよく通る冒険者たちが宰相の悪口を言っていうのを聴いていた。
……ここでもやっぱりそうなのか。
どれだけ嫌われているんだよ、宰相。
他人の悪口なんて聞くつもりはないが、勝手に耳が話を拾ってしまう。
冒険者の職業病みたいなものだ。
どうやら現在ここ補領ベジルでは次期領主の後継者争いが勃発しているとのこと。
本来なら長男が継ぐべきなのだが、宰相が横やりを入れて次男に継がせるようとしているらしい。
そんなことをして何が楽しいのか。
もしかして嫌われるのが好きな変態さんなのだろうか?
……冗談はさておき、自分の言うことを聞く次男を据えて動きやすようにするためだろうが、ここまで露骨だと流石に引く。
みんなも黙って彼らの話を聞いていた。
そして食べ終わったらしく店を出ていく冒険者。
「……なんかごたごたしてるね」
サファイアが小さい声でいう。
「だが一介の冒険者がそんなお家騒動で何ができるというものでもない。依頼でもあれば別だが」
トパーズは例によってギルド仕込みの保身主義だ。
依頼でしか動かない。ホルスさんのときもそうだった。
「確かに、下手に首を突っ込むと両陣営を敵に回した挙句、梯子を外されそうな案件よね」
そしてルビーも相変わらず余計なところまで気を回す。
慎重と臆病は違う。
起きてもいないリスクを恐れ、誰かを見捨てるのは恥ずべきことだと思う。
「僕としては、領民の望む形に収めることができればいいなと思うけど……」
領民が次男を求めているのであればそれでいい。
でも意に反して長男が上に立つべきだと考えているなら……。
そんなことを小声で話し込んでいると、一人の老人が近付いてきた。
「皆様初めまして、クロードさんとお仲間の方々でよろしいですか?」
声は意外と張りがある物腰穏やかな人物だ。
整った身なりも相まってマインズのアンドリューさんを思い出した。
雰囲気からすると実直な執事さんのような感じも受ける。
「バトラーとお呼びください。本名は明かせませんがご容赦を」
……本当に執事らしい。
ただ、相変わらず気品は感じる。
もしかするとここの領主関係の人なのか?
しかし僕の予想から大きく外れた答えが返ってきた。
「……私は『とある組織』に所属している人間です」
怪しさ大爆発だ。
今どきの子供向けの芝居でもあるまいし、実際にそう名乗る人間がいるとは……。
仲間たちも変な人間を見る目で彼から少しだけ距離を置いた。
「組織の名も明かせません。ただ皇帝や宰相に対して反感を持つ者たちの拠り所となっている組織だとだけ。……ここでは話せませんので、この町のマール教会まで来ていただけますか? 神官にバトラーの名前を出してもらえれば部屋に案内するよう手配しておきます」
そういって立ち去るバトラーさん。
あれは何だったんだろうか?
「無視しよう」
ルビーがバッサリと切って捨てた。
「その方が賢明だ」
トパーズもそれに乗っかる。
さすがに僕も今回だけは関わりたくない。
「……でも、教会に手配できる人間だよ。結構まともな組織じゃないのかな?」
サファイアは冒険者だなぁ。……いろんな意味で。
でも確かに一理ある。
彼自身も自分が怪しさを醸し出していたことは知っているはずだ。
だから信用ある教会を指定したのだろう。
「取りあえず話だけでも聞いてみる? その後で判断すればいいんじゃないかな。無視するとそれこそ組織とやらを敵に回しかねない」
僕の意見に対してルビーが賛成したことでみんなも納得してくれたようだ。
「料金は頂いております」
会計を済ませようとする僕たちに、そうあっさりと店員が告げる。
……これは御礼だけでもしておかないと。
バトラーさんも中々のやり手だと顔を見合わせた。
結局僕たちはもう一度教会に戻ることになった。
今回は仲間の三人も一緒に入る。
ルビーは興味深そうに、でもさりげなく横目で絵や神像をチラチラと見ている。
……そんなに気になるなら堂々と見ればいいのに。
さっきも会話した神官にバトラーさんの名前を出すと、急に丁寧な言葉づかいになって部屋に案内された。
一番奥の部屋に入ると、バトラーさんが両手を広げて出迎えてくれた。
「あぁ、来て頂いてありがとうございます。……君は下がっていなさい」
それを聞いた神官がバトラーさんに深々と礼をして、すぐに去って行った。
……間違いなく偉い人確定だ。
「宰相と皇帝の専横がひどい、そのような話をここ以外でも聞いたことはありませんか?」
椅子を勧められて全員着席した後、みんなの前にグラスが並べられた。
そしてバトラーさんが注いで回る。
各地の酒場や教会でも聞いたことだ。
それにしても偉いと分かっている人に丁寧な言葉遣いで話されるのは緊張するものだ。
ましてやグラスにワインを注いでもらうなんて、もっての外だ。
……何とかならないだろうか?
そんな僕たちのことなど関係なく、バトラーさん席に着いて話を続けた。
「我々は宰相が権力を振りかざす今の帝国を良しとは思っておりません。ですから彼らに対抗する組織を約十年かけて育てて参りました。……裏の世界ではレジスタンスと呼ばれています」
そう言って彼はグラスのワインで口を潤した。
「賛同者は今なお確実に増えています。不遇な環境に置かれている教会も仲間です。私を含めた貴族も当然黙っておりません。……このまま宰相の思うようにさせてはならないと!」
バトラーさんの言葉に熱が篭ってきた。
……ていうか、やっぱり貴族だったんだ。
というのが僕の正直な感想だったけど。
一呼吸おいてバトラーさんは僕の目を見て真剣な面持ちで話し出した。
「失礼だとは思いますが、ロゼッティアでの君たちの仕事ぶりを調査させて頂きました。ギルドでの仕事はもちろん、国境近くの森で修道女を助けたことも、領主ホルスの愛娘のために尽力したことも、全てです」
相当前から僕たちのことを調べてくれているみたいだ。
そもそもギルドすら通していない領主の娘のことなんてどうやったら調べられるのか。
僕たちも誰かに話した記憶はないし……。
「我々は誰彼構わず仲間にしたいわけではありません。ちゃんと物の分別のつく人間だけを仲間にしたいのです。金で動くような下賤な輩は宰相にでもくれてやります。私たちが欲しいのは本当の意味で人の為に戦える仲間なのです!」
そういって彼は真っ直ぐ僕の目を見つめ、逸らさない。
僕は彼の熱い気持ちのこもった話に心を打たれた。
「……我々は君たちのような人間が欲しいのです」
彼は僕の手を握り締めてそういった。
僕も黙ってその手を握り返した。
次にバトラーさんは何か言いたそうなトパーズにも声をかけた。
「それとトパーズ殿。君の格闘術には我らの中でも興味を持っている者がいるのです。冒険者としての実力とは別に師範の一人として是非招きたいと……」
あ、何だかトパーズ嬉しそうだ。
少し照れているのがわかった。彼は単純だからすぐわかる。
「当然、パーティの一員として戦ってもらうつもりです。ですが空いている時間は師範として教授願いたいということです。もちろんその分のお金は出させて頂くつもりですよ」
……いい話じゃないのか?
パーティの方でも、ちゃんと力を入れてさえくれれば僕は何だっていい。
「我々は兵士を使い捨てにする宰相とは違います。兵士も財産だと思っております。ですから剣を折られた兵士でも戦場で生き残るための技術が欲しいのです」
トパーズは感じ入ったのか、大きく頷いた。
「確かに、それは立派な心掛けだと思います」
バトラーさんの差し出した手をトパーズが握り返した。
最後にバトラーさんはサファイアとルビーに向いた。
「お二人の力も当然買っておりますよ。東方魔術師のルビーさんに正確無比の狩人サファイアさん。是非お二人にも仲間になって頂ければと思っています」
二人は顔を見合せた。
「クロードが行くというなら私も行きます」
サファイアが僕を見て言う。
余計なことは何も聞かず、ただ僕に付いてきてくれるというその気持ちがうれしい。
「僕は参加したいと思っているよ。同じ帝国でもこの町のように放っておかれているような場所があったりするのは納得いかない。もし宰相や皇帝に非があるのならば、それを正そうとするレジスタンスに力を貸したい」
真っ直ぐ僕を見つめるサファイアを見つめ返し、そう訴えた。
「じゃあ、私も一緒に行く」
サファイアがニコリと微笑んだ。
残るのはルビーだけだったが、彼女はまだ納得できていない様子だった。
慎重なのは分かる。……じゃあどうするのか?
「確かに今すぐに決めるというのは貴女の考える通り危険かもしれませんね。そもそも私は身元すら明かしておりませんから。……我らの本拠地はポルトグランデにございます。そこに組織の幹部がおりますので、そこで詳しい任務内容を聞いてそれから判断するのがよろしいかと……」
バトラーさんは笑みを崩さず、ルビーに優しい声で提案した。
「……今決めなくてもいいならアタシも行くわ」
何だかんだあったが、結局ルビーは頷いた。
いざポルトグランデへ。
僕たちは一路南に進路をとった。
ポルトグランデは僕でも知っているほどの有名な街だ。
一年中温暖で過ごしやすい場所らしい。
そこで僕の人生における何か大きなことが起きるような予感がして、興奮が収まらなかった。




