第2話 聖王国外務官ケンタロス、悔し涙を流す。
やや貧乏くじを引かされた感はあるが、ここ山岳国にて実りのある会談が進んでいる。とにかく停戦調停だけは発効しないといけない。水の公国改め水の女王国が調子に乗っている今、二方面での戦争だけは是非とも避けたいところだ。
出来るだけ早いうちにこの停戦交渉を終わらせ、女王国の奴らに二度と刃向えないように教育しないといけない。
「キャンベル様。本国より手紙が……。マグレイン様からです」
会議室に向かう途中、部下から手紙を渡された。
ここに来てから何度となく送られてくる手紙だ。
細かい条件などが日によってコロコロと変わって送られてくる。
時には強気だったり弱気だったりと忙しない。
一応私が最終決断をする役割なのだが、刻一刻と変わる本国の意向を汲むことも要求される。面倒だがそれが外交官の仕事だ。
当然こちらからも交渉内容を送ることになるのだが、連絡係の移動時間の関係で齟齬が起きているのが目下の難事といえるだろう。
厄介だが、現状これを解消する術はない。
溜め息をつきながら手紙を読み進める。
『東のファーノヴァーで本格的に戦争開始されたようだ。
女王国に集中したいから、一刻も早く停戦に同意させるように。
但し、山岳国には絶対にそれを悟られないようにしろ。
絶対に足元を見られるな。
お前たち火の一派の人間は直情的になるから心配だ。
くれぐれも用心するように』
と、いうようなことを長々くどくどと書かれていた。
……ふざけるな、この陰険水野郎め。
これだから水の人間は嫌われるのだ。
「やぁ、ケニー!」
「……待たせたね、ジニー」
少し遅れて会議室に入ると、すでに相手方の交渉役が待っていた。
いつものように笑顔で握手を交わす。
寒々しい仲良しアピールも何度か繰り返すと、いい加減慣れてくるものだと妙に感心するところだ。
私の元に手紙が届いたことを知っているであろう彼に、苛立った態度を気取られてはならない。
それこそ足元を見られるというものだ。
特に目の前のハルバート候は武断派が揃うと言われているこの国で、珍しく交渉事に長けた人物だ。
現王の姉の夫、つまり義兄であり、この国の誇る頭脳とまで言われる程の傑物だと聞いている。
私よりも随分若いが落ち着きを感じさせるあたり大物と言えるだろう。
優男に見えるが侮ってはいけない。
剣の腕も確かだという話だ。
慎重が上にも慎重に。
こうして、今日も会談が始まった。
「……今日はこれぐらいにしておきましょう」
大して議論も深まらない内に、ハルバート候からその一言で一方的に打ち切りを宣告された。
確かにこちらの手札が少なすぎて実のある交渉が出来なかった。
それに関しては申し訳ないとしか言いようがない。
こちらの現状を考えて、早期の停戦で決着をつけたいとの考えをあちらに押し付けることしかできかった。
彼が気分を害すのは仕方のないことだ。
「……いや、私としてもお互いが納得できるための譲歩を本国に要求していますので、どうか停戦交渉の継続だけは引き続き……」
「もちろん、ケニーの立場は分かっていますよ。だけど今のままでは上手くいく話も暗礁に乗り上げてしまいます。……今日のキミは少し変ですよ。何故そんなにも焦っているのですか?」
彼のセリフに冷や汗が出た。
そんなにも今日の私には余裕がなかったのか。
あの陰険水野郎のそれ見たことかと言わんばかりの面が頭に浮かぶ。
情けなくて何も言えない私に笑みを浮かべて、彼は椅子を引き立ち上がった。
「そういえば……明日の晩に宴を開くことになりました。私も明日一日はそれの手伝いでいろいろ仕事がありますので、会談は無しでお願いします。……うちも何かと人手不足でして、お恥ずかしい限りです」
そういって照れたように笑う姿にも余裕が感じられる。
そう言えばユーノス王の親書にも、役人が来れば宴を開くとかそのようなことが書かれてあった。まったく律儀なことだ。
「そうですか、でしたら私も明日は思い切って都の観光に繰り出しましょうか。せっかく栄えあるライオットに来られたのに、自室と会議室の往復はあまりにも淋し過ぎますからね」
私もやけになって満面の笑みで応じた。
少しはこちらの虚勢に引っ掛かってもらえれば儲けものだ。
「是非そうなさって下さい」
ハルバート候は笑顔で部屋を後にした。
宴は大広間で開かれた。
ここに来てから一度も会っていない人間とも、ハルバート候の紹介のもと一通り挨拶して回る。
最後に遅れて登場したユーノス王とも挨拶することができた。
「本日は私どもの為にこのような宴を催して頂き光栄至極にございます。このような歓待を受けたこと、国元の王にも伝え申しておきます」
深々と礼をする。
「いやいや、礼には及ばない。山奥の宴ゆえ退屈かもしれぬが、ゆるりと。……それにこれから面白い余興を見せてもらえると聞いているのでな。……楽しみにしているぞ」
そう言って不敵に笑うユーノス王。
……余興?
聞いていないが、何か魔法でも見せればいいのだろうか?
疑問を感じながら横のハルバート候を見ると、今まで見たこともないような冷たい笑みを浮かべていた。
釈然としないが、もう一度礼をしてその場を離れた。
腹ごしらえをして、酒を飲みながらゆっくりと周りを観察しているとき、待機させていた部下が手紙を持って広間に入ってきた。
私を見つけ小走りで近づき、耳元で囁く。
「……マグレイン様から、緊急です」
私は黙って部屋の端に移動し、手紙に目を落とす。
『ファーノヴァーが占拠された。
数回の奪還作戦も失敗に終わった。
だが、そのことは絶対に山岳国に気付かれるな。
できればそちらからの援軍頼んで欲しい。
ただし、余計な恩を売られるようなことだけはないように』
何だ、その意味不明な無理難題は?
本国の混乱ぶりが目に見えるようだ。
あの水野郎め、何をトチ狂ったのだか。
手紙から顔をあげて山岳王の方を見ると、向こうも楽しそうにこちらを見ていた。周りの見渡すと他の人間も同じように笑っていた。
……どう考えてもこれはもう知られているだろう?
そして私が今置かれている状況こそがユーノス王の言うところの余興なのだと一瞬で理解できた。
「何かありましたか?」
白々しくいつもの親切そうな笑みを浮かべてハルバート候が近付いてくる。
「……もうご存知なのでしょう? ……忍ばせていたのですね?」
きっと手紙の内容も知っているのだろう。
こちらが隠したいことを知られている状況で、どう交渉すればいいのか見当もつかない。
「……まあまあ、もう少し様子を見ませんか? それに我が国民の感情を考えますと援軍を出しにくいというこちらの事情も察して頂けたらと。……貴国でもそうでしょう? 我が軍の兵士が我が物顔でウロウロすれば民が黙っておりますまい」
まだ一言も援軍という言葉を発していないにも関わらず、早くも理路整然と拒否されてしまった。
それでも何とかしてこちらの意思を伝えなければと頭の中で考えているときに、今度は別の部下が血相を変えて、部屋に飛び込んできた。
「……エリーズが奪われました!!!」
部下が咳き込みながらも息を整え、やっとのことでその一言を絞り出した。
……今、何と言った!?
エリーズが?
王を睨みつけると向こうは口角を上げながらこちらを睨み返してきた。
不遜だとかそのような誹りはもう関係ない。
私は王に詰め寄った。
しかしその前に武官らしき貴族が立ちふさがる。
その後ろで嗤う王に向かって私は吠えた。
「これはどういうことですか!?」
「エリーズは我が国の領である。不法占拠する不埒な輩を無事排除したまでの話。それにそもそもこの宴はその戦勝を祝う為のもの。……貴公も当然そう理解しておるものとばかり思っておったわ」
ユーノズ王は激昂する私を珍しい生き物のように見つめながら、そう平然と答えた。
「これでは話が違います。何のための和平交渉……」
「義兄上からは、まだ何も調印していないし、そもそも何も決まっていないと聞いているが?」
ぐうの音も出ない。
「……このような暴挙、帝国をも敵に回しますぞ」
「果たしてそれはどうでしょうか?」
二人の間に割って入ってきたのはハルバート候だ。
いつもの友好的な雰囲気を纏い、笑顔を見せる。
それが私の神経を逆撫でする。
本当にこの上なく鬱陶しい。
……きっとこれはわざとだろう。
彼はこの瞬間を楽しむ為だけに、ずっと温厚で親切な人間の仮面を被り続けていたに違いない。
そう思わせるぐらい、今、彼の目は生き生きと輝いていた。
「既に帝国は、全く使えない貴国を見限ったのだと思いますよ。……むしろ女王国側と手を組んだのでは、とさえ言われていますよ」
……どういうことだ? 帝国と女王国が組んだ?
本当なのか? それを何故山岳国が知っている?
愕然とする私を、ハルバート候は覚えの悪い生徒を見るような目つきで見下ろした。
「おかしいと思いませんか? 本来帝国は女王国が侵攻したときに動くべきだったのですよ。……ですが動きませんでした。こちらで調べたところ、既に帝国で使用されている兵器が女王国軍によってファーノヴァーに持ち込まれたとか。まぁ、あちらも防諜対策はしているのか、詳しいことは調べきれませんでしたが。どこぞの国と違って女王国はその辺りしっかりしていますね。……流石帝国が見込んだだけのことはある。強敵ですよ、……女王国は」
言外に我が国は相手にならないという彼を無言で睨みつけ、私たちは広間を後にするしかなかった。
広間を立ち去る私たちの背中に彼らの嘲笑が突き刺さった。
ただあんな仕打ちを受けたとしても、私はまだこの国を離れる訳にはいかなかった。もはやエリーズに関する和平はどうでもいい。しかし二カ国との同時戦争だけは何としても避けなければならなかった。
会談には応じてくれるものの、のらりくらりと明言を避けて早期の決着を望もうとしないハルバート候に苛立ちながらも、私は粘り強く両国の停戦と援軍の要請を続けていた。
本国には事後報告になるが、王国領の一部譲渡をも視野に入れての交渉だ。
今更、余計な事をしたと私を詰る人間はいまい。
少しずつ、だが確実に譲歩を強いられる日々を過ごしていたとき、ついに私の元に凶報がもたらされた。
急ぎ許しを得て、謁見の間に入ると一同勢揃いしていた。
全てを知られているのだと嫌でも気付かされる。
……ならば、覚悟を決めねばなるまい。
私は意を決して玉座の前まで進み、膝を折り、額を床に擦りつけた。
これは山岳国における一番屈辱的な作法と聞いている。
それでもこの願いを聞いてもらわねばならない。
「どうか……どうか……我らをお助けください……」
先刻届いたのは女王国軍による王都包囲の一報。
もう一刻の猶予もない。
祖国を失うわけにはいかない。
恩だとか、メンツだとかはもう関係ない。
私にできることはこれしかない。
屈辱だが必死で声を絞り出した。
「北都シシルを含む、それ以北の王国領を貴国にお譲り致します。どうか兵をお貸しください」
私は頭をつけたまま懇願した。
しばらくしてユーノス王から溜め息がもれた。
「……飼い犬に手どころか四肢を噛みちぎられ、喉笛も危ないとは。なんという笑い話。……仕方あるまい、両国の友誼の証として兵を出そう」
「ありがとうございます!」
これで救われる可能性が出てきた。
感謝せねばなるまい。
「……その約束、きちんと書面で残しておきたいのだが」
私はそれに黙って頷き、役人の机を借りてすぐに書面を作成を始めた。
ハルバート候に言われるままに書き記し、最後に私の名前を入れる。
これで公文書となった。
それが王の手に渡り彼は満足そうに頷いた。
「確かに。……それでは約束通りエリーズにいる斥候兵を数人王都に派遣しよう。軍の各部署は速やかに南征軍を編成手続きを行うこと。準備出来次第、北方都市各地の制圧に向かえ! 刃向かう者には、この書状の写しを見せよ!」
ユーノス王は立ち上がり謁見の間に響き渡る雄々しい声で指示を出した。
「「はっ!!!」」
それに応えるように声を揃えて武官らしき人間たちが返事をし、勢いよく部屋を飛び出していく。
「話が違います!!! そんな不条理が……」
これでは、私はただの売国奴ではないか!
言い募る私をハルバート候の声が遮る。
「いいえ、王は確かに兵を出そうと言われました。軍でもなく、兵を、です。……斥候兵だろうと衛生兵だろうと兵は兵です」
……貴様がこんなくだらない手を王に吹き込んだのか!?
ハルバート候の胸倉を掴もうとするが、そこまで到達することなく、私は傍に控えていた武官によって床に叩きつけられた。
押さえつけられ打ちひしがれる私に向かって王がゆっくりと近付き、片膝をつく。そして耳元でゆっくりと囁いた。……心底楽しげな表情で。
「案ずるな。貴国の仇は我らが必ず取ってやる。……だから、お前たちは安心して滅ぶがよい」
言うや否や王は立ち上がり高笑いを始めた。
貴族たちも一緒になって笑う。
笑い声が木霊する中、私は一人悔し涙を流していた。