第1話 ルビー、修道院でマール教の恐ろしさを知る。
聖王国と帝国の国境は山の中腹にある。
何とかそこまで辿り着き、ようやく帝国側の国境にある宿舎で一泊。
そこで泥のように眠る。
そして当然のように早朝出発。
……キツイなぁ。
アタシは体力不足を痛感していた。
あとは山を下りるだけなんだけど、とにかく足が痛い。
別に山を舐めていた訳じゃない。
学校でも行軍訓練ぐらいやってきた。
でも山岳国で馬車を使って楽をしていたことが、ここにきて祟ってきている感じだ。
クロードも少しだけ辛そうだが、彼は絶対に弱音は吐かない。
サファイアとトパーズに至っては何とも思っていないようだ。
これは素直に感心する。
「……やっぱり体力が無いと、みんなの足ひっぱっちゃうなぁ」
男二人に少し遅れて歩きながら、思わず弱音が出てしまった。
「じゃあ、毎晩軽く訓練みたいなのしてみたらどうかな? よかったら付き合うよ?」
横にはずっとアタシのペースに合わせて歩いてくれるサファイアがいる。
最近、彼女と仲良しになれたような気がする。
それが嬉しい。
自分でも勝ち気で可愛げのない女だってわかってるつもりだ。
子供の頃から友達も、あんまりいなかった。
特に女の子の友達なんて……。
だからこんな他愛のない女子トークをするのが夢の一つだったりするのだ。
「訓練かぁ……迷惑じゃないかな?」
「全然そんなことないよ。私も眠れないとき動いたりするから。その後水浴びしたら気持ちいいよ。……トパーズもよく夜中に訓練してたりするし……ね」
そうか、みんな頑張ってるんだなぁ。
そんなことを考えながらも、アタシは根性で足を動かしていた。
山の空気は気持ちいいねとか何とか話して気を紛らわせているときに、ふとサファイアが空を見上げた。
そして徐々に真剣な顔つきになっていく。
「……どうしたの?」
サファイアはアタシの声には反応しないで目を細めると、次の瞬間には崖から飛び降りていた。
異変に気付きこちらを振り返る男二人に、声もなく崖下を指さすアタシ。
その方向には崖を滑りおりながら、どんどん下っていくサファイア。
早い、早すぎる!
あっという間に彼女の姿が小さくなっていく。
それを見てトパーズもすぐに追いかけはじめた。
「僕も追いかける! キミは無理をするな!」
そう言い残し、クロードも山道を駆け下りていく。
置いていかれたアタシも気を取り直して必死で駆け下りていった。
木の枝で擦り傷をつくりながらも道なき道を駆け降りる。
みんなに置いて行かれたくない!
アタシも頑張らないと。
どれだけ下りたのか、方向があっているのか、もうそれすらわからない。
それでもアタシは無我夢中で走った。
本当に必死だった。
気がつくと、風に乗って錆びた鉄のような臭いが鼻についた。
その臭いを頼りに木々を抜けていく。
少し開けたところに出たところで、トパーズが女性をかばうよう前に出て、膝をついているのが見えた。
かなり深い傷を負っているみたいだ。
顔を歪めている。息も荒い。
その後ろでは初めて見る女性がトパーズに回復魔法をかけていた。
イヤな臭いの発生源は、腹を裂かれ牙を折られて横たわったビッグボア2匹。
今まで見たこともない大きさだった。
少し離れたところでは、クロードがモンスターと向かい合っていた。
あれは……、教本でしか見たことがないレッドリザードだ!
……うねうねと気持ち悪い動きでクロードに対峙している。
そのモンスターに向けて、どこか見えないところから絶え間なく矢が飛んできている。
間違いなくサファイアだろう。
みんな必死で戦っているけど、戦況は厳しいみたいだ。
クロードの剣は弾力ある皮に流され、矢はうまくささらない。
……さぁ、アタシの出番だ!
さんざん足を引っ張ってきたんだから、ここはいいところを見せないと。
ヤツの弱点属性は氷結。
「クロード!」
叫ぶアタシに気がついて彼がこちらを振り向く。
それだけでいい。
あとは集中するだけ。
水魔法は苦手だけど、そんなこと言ってられない。
大きく深呼吸して息を整える。
「氷結の棺」
足止め魔法だけど、これが有効のはず。
きっとクロードならアタシの意図を理解してくれるはず。
瞬く間にモンスターの表面が氷に覆われていく。
それと同時にアタシの中から一気に魔力が抜けていく。
もう少しだけ……。
まだ足りない……。
魔力をすり減らしながら、ようやくモンスターを氷漬けにする。
「……お願い!」
アタシが叫ぶと同時にクロードが助走をつけて飛び上がり、リザードの首元に剣を突き刺した。
連携が綺麗に決まる快感に少しうっとりとしてしまう。
硬くなった表皮を軽々と破り、喉を突き破るクロードの剣。
そしてクロードは体全体を傾け、刃を時計回りに滑らせる。
シャリシャリっとした音を立てて、落ちるモンスターの首。
悲鳴もなくレッドリザードは力尽きた。
「よくわかったね、クロード……」
「……前に一度だけ見たことがあったからな」
確かに学校にいた頃、訓練で一度だけ使ったことがあった。
それを見ていてくれたんだ。
なんかうれしいな。
クロードとこうやって何気ない会話するのも久し振りだなぁ。
そんな彼の手元を見ると剣が折れていた。
「ゴードン様の剣、折れちゃったね……」
「……仕方ない。この場を切り抜けることができただけで十分だよ」
クロードが少し力の抜けた顔で笑った。
トパーズに庇われていた娘はタニアと名乗った。
修道女だという彼女は、まず自分自身よりもアタシたちのことを心配してくれた。
まぁ、確かにそれぐらいひどい有様だった。
トパーズは傷こそ治ったものの、服は見事にボロボロだった。
クロードの剣は折れ、鎧も破損していた。
何よりみんなヘトヘトだった。
結局彼女の好意に甘えて、修道院にお邪魔することになった。
アタシたちは談話室みたいなところに通されて、そこでようやく一息つくことができた。
彼女はみんなに飲み物を出したあと、建物の奥から剣を一本持ってきた。
「この剣でよければどうぞお使いください。以前山の中で亡くなられていた冒険者の持ち物ですが……」
目の前のテーブルに置かれたのは少し傷ついた剣。
だけど、今までクロードが使っていた剣と明らかに輝きが違う。
これは……。
「はがね?」
「はい。もちろんそうですよ」
考えていたことが口に出ていたようだ。
それにタニアが答えた感じだ。
「少しキズがありますが、無いよりはいいかなと思いまして……」
初めて見る鋼の剣にアタシたちは目を見開いて次々に手に取り感触を確かめた。
そんなアタシたちを見てタニアが微笑む。
「皆様、帝国は初めてですか?」
みんなで頷く。
「帝国のモンスターってあんなに強いのばっかりなの?」
サファイアがタニアに尋ねる。
「そうですね、先ほど襲ってきたボアもリザードもこちらでは一般的なモンスターです。……ただ、あそこで襲われることは滅多にないのですけれど……。決して突然変異のようなものではないです」
「同じボアでもあんなに強いのは正直驚いたね」
クロードが呟く。
「もう、学校で習ったじゃん。地域によってモンスターの強さが変わるって」
アタシはクロードを突っつく。
「そうですね。一般的に土壌、餌などが豊かな国のモンスターは貧しい国と比べて格段に強くなると言われていますね」
タニアが明解に説明してくれた。
そういう意味では帝国のモンスターは東方3国のそれと比べて強いのは当たり前だ。
「それにしても、先程はすごい魔法でしたね。さすが東方魔術師は違いますね」
タニアは思い出したようにアタシの方に乗り出してきた。
「最後はへたりこんじゃったけどね。アタシ、水とは相性悪いから」
アタシは火との関わりがつよい。
王国貴族は四神のどれかとの結びつきが極端に強くなってしまうのだ。
祭祀を行う際にそれがよくわかる。
寄付や神事の巫女などを一族単位で協力するため、歴史的に四神のどれかに特化してしまうのだ。
アタシ自身、何度も巫女として祭りに駆り出された。
そしてウチの一族は火神と強く結ばれている。
しがらみがなく、四神を平等に祀っている庶民からすれば関係のない話だけど。
もしアタシが水側の人間だったら、あんな魔法を使ったぐらいでへたりこむようなマネはしなかったと思う。
だから彼女のいうところの東方魔術師、アタシたちのような貴族出身の魔法使いは、偏ってはいるものの、属性によってはすごい魔法を放つことが出来て、一定の尊敬を集めることが出来るのだ。
……アタシはまだまだだけどね。
そんなことを考えながら、アタシは左手小指に嵌めた火神のリングに目をやった。
「……そういえば、王国は四神教でしたね」
タニアの表情が曇り、声色も少し変わったような気がした。
「ごめん。嫌だったかな?」
アタシは彼女を窺う。
「……いえ、別にそんなことありませんよ」
彼女は再び笑顔を見せた。
「帝国は一神教でしたよね?」
彼女に恐る恐る問いかける。
すると彼女は何か超然とした笑みを浮かべ、熱っぽく語りだした。
主神マリスミラルダを唯一神としたマール教。
子供でも簡単に主神に親しみを感じられるようにマールと呼んでいるらしい。
「あちらにおられますのが、主神マール様です」
彼女の手の先に年季の入った石像があった。
アタシはあまり興味がなかったのだが、クロードがそれを見て固まっていた。
「……興味がございますか?」
タニアは嬉しそうにクロードの顔を覗き込んだ。
「……マール様の教えで、誰もが胸に秘めている言葉があります」
指を一本ずつ折りながら子供にやさしく教えるように、ゆっくりとクロードに話しかけた。
「一つ、正しいと思うことを為せ。……二つ、他人ではなく自らがどう思うかである。……三つ、失敗を恐れるな」
クロードは放心したように彼女の声に耳を傾けていた。
「わかりやすく言えば、自分自身で考えて正しい道を進みなさい。誰でも失敗はするもの。恐れるのではなく、それを糧として進みなさい、という感じでしょうか。そもそもマール様自身が完璧ではない間違ってばかりの神だとおっしゃっておられます。……そういったところが私たち使徒の心を掴んでおいでなのだと思いますよ」
古今東西、神官らは自らの神を強く優れた存在だと誇張する傾向にある。
四神しかり。
その中で自ら信じる神を未熟だ、不完全な存在だ、と認めるというのはめずらしい。
クロードはそれを聞きながら、マール像に近付きポツリと呟いた。
「……僕も、マール様に使えたいな」
アタシたちパーティメンバーは驚いて顔を見合わせた。
何がどうなっているのかわからない。
でも、クロードは何か途轍もない衝撃を受けたように神像を食い入るように見つめていた。
「もちろん、私たちは新しい仲間を歓迎いたしますわ。皆様は驚いておられるようですが、帝国民のほとんどが、マール教徒です。……別に教徒だから何かお店で得をする訳でもありませんし、教徒でないから損をするということもありません。何か特別な儀式をするわけでもありませんし、何か特別なものを肌身離さず持つということもありません……冒険者の方々でしたら、行く先々の街で神殿におられるマール様にご挨拶なさるぐらいでしょうか」
そうタニアはこともなげにいった。
だけど、マール教は……。
「……ただし、マール様以外の神を称えることは禁止されています。他の神への信仰は今後一切捨てていただくことになります」
そう。
……マール教は他の神を認めていない。
帝国内でも他の神を祀る神殿の建設は認められない。
これがマール教の恐ろしさだ。
帝国において、以前あった他の神の神殿や施設は全て取り壊されたと聞く。
例外はない。
もちろん信じるのは自由なのだが……。
実は聖王国が帝国に併合される決意ができないのは、それが一番大きい。
少なくともアタシは火神を祀る神殿を破壊されるのを見たくはない。
そんなアタシの気持ちも知らず、クロードはあっさりと了承するのだった。
そして彼はマール教徒となった。