第8話 ドーティ、煩悩剣シリーズを評価される。
俺は今日も早朝から剣を打っていた。
いつも頭の中に思い浮かべるのは、あの夢のような時間。
あの細くしなやかな指。
背中に当たる胸の感触。
滴る汗。
そして、仄かな美少女の香り。
アリスが俺に残していったモノ全て、神経を研ぎ澄ませて思い出す。
そして湧き上がってくる、マグマのような熱い思いを込めて打つ。
さらに打つ。
ひたすら打つ。
そうしてまた一本煩悩剣が生まれるのだった。
「こちらに素晴らしい剣があると聞いたんだが、見せてもらえるかい?」
最近よくこうやって声をかけてもらえるようになった。
随分前に王都からやってきた冒険者が俺の煩悩剣を褒めちぎったことがあった。
こんな素晴らしい剣を手にしたことはない、と。
知り合いにも教えてやらないと、と。
本当にありがたいことだ。
おかげでこの国のギルド各所で、俺の煩悩剣の評価が爆上げ状態になっていた。
どれだけ頑張っても、生産が追いつかない。
毎日打って、打って、打ちまくる。
そして売って、売って、売りまくる。
まぁ、嬉しい悲鳴というやつだ。
巷では王国一の名匠と呼ばれているとか何とか。
職人として悪い気はしない。
ついにここまで上り詰めたかという万感の思いだ。
弟子入り志願者も聖王都からやってくるようになった。
俺も頑張って指導したのだが、どれだけ頑張っても上手く教えられなかった。
理由はすぐにわかった。――俺がゴツい男だからだ。
実際彼女が教えてくれたときの体勢で指導してみたが、全く上手くいかない。
そもそも男としての滾る劣情を打ち込むことで昇華させるのが煩悩剣の真髄だ。
そうである以上、それの元となるあの感触を経験しておかなければ意味がないということだ。アレを経験していない男には絶対に打てない。
ゴツい男に後ろから抱きかかえられたところで、煩悩もクソもないのだ。
あぁ、……そういや、ただ一人だけうまく教えることができた野郎がいたな。
そいつの何とも言えない笑顔に寒気がしたのを覚えている。
……アレはやっぱりそういうことなのか?
マインズの状況は一見良好に見える。
洞窟も開通して、冒険者や商品の行き来も再開した。
だが、町長が望むような援助はまだ来ていない。
備蓄物資も徐々に減ってきている。
それも元々は町長が私費で賄い、他の村から掻き集めていたものだ。
事情をよく知る役人や住民たちは、今や王都に対して公然と批判を繰り返す。
もちろん我が国がいろいろな問題を抱えていることぐらいは知っている。
山岳国と諍いがあってそれどころではない、とも聞いている。
先日も国境を詰める為に今いる正規兵だけでは足りないから、この町の若い衆に臨時兵募集の手紙が届いた。もちろん俺のところにも。
しかし正規兵と違って臨時雇い。
しかも僅かな金の為に死ぬのは真っ平だとみんなそれを無視していた。
山のこちらの人間からすれば、あちらでの出来事は対岸の火事のようなものだ。
向こうもこちらの災害のことを同じように思っているみたいだから、どっちもどっちといったところだろう。
ただ今回の流れを受けて、冒険者たちの中には国境の町エリーズに向かう者も増えてきたようだ。
彼らは金の臭いに敏感だ。上手く立ち回ればいい稼ぎになると見ているようだ。
そして、そんな彼らが俺の煩悩剣を買っていくのだ。
世の中は上手く出来ている。
「あれ? もうこの町を出たと思っていたのに、どうした?」
「あぁ、ちょっと事情が変わっちまってよ。まぁ明日にでも出るだろうがな……」
店の中にフラっと入ってきて、カウンターにもたれかかる一人の冒険者。
昔馴染のゲイルだ。
彼のパーティも一攫千金を狙ってエリーズに向かうと聞いていたのだが。
彼は表情を曇らせて煙草に火をつけた。
「……何かヤバイ話なのか?」
苦々しい雰囲気を隠そうとしない彼から、知らないところで何かが起きているような不穏な空気を感じた。
「あぁ、……ここだけの話だぞ」
ゲイルはカウンターに身を乗り出し俺の耳元でささやく。
「どうやら、戦争が起きるらしい」
「……ついに始まるのか!?」
やっぱり回避できなかったか。
だがそれならば彼らの望むところだろう。
そのためにエリーズに向かう訳だから。
俺の考えを読んだのか、真顔を一転させてニヤリと笑うゲイル。
「ただし、ヤるのは水の女王国と、だ」
「え!?……水の女王国? それを言うなら公国じゃないのか?」
聞きなれない国名だった。
そんな俺の反応を見て彼が満足そうに頷く。
「まぁ、それが自然な反応だわな。俺もそうだった。……実はな、うちのリーダーは公国出身なんだ。で、今でも連絡とっている知り合いもたくさんいるらしい」
その知り合いの話だと、あちらが最近とんでもないことになっていると。
政変が起きて、今は年端もいかない女王が支配しているらしい。
「だからリーダーは様子をみて、勝ち馬に乗ろうっていう算段だ。今もその為に情報を集めている」
それは、いくらなんでも……。
国力に差がありすぎるだろう。身びいきが強いにも程がある。
そんな俺のことを見て、ゲイルがわかると言いたげに大きく頷く。
「でもな、もうすでに何度か国境の砦でやり合ってるようだが、女王国が全て返り討ちにしているらしいぞ」
……そんな情報はこちらに届いていない。
山岳国との話はうるさい程なのに。
「この国にもメンツがあるからな。……まさか女王国と戦って連戦連敗ですとは言えねえだろ。最近頻繁に行われている徴兵も、本命はそっちに備えるためかもしれないってリーダーは言ってる」
まさかこの国がそんな状況に陥っていたとは。
こちらに援助が来ないのも、そういう理由があったのかもしれない。
「だけどな、あの未開な公国が女王国に生まれ変わったからといって、そんな簡単にことを運べるとは思えないのだが……」
上が変わったからと言って、元々あった国力が増える訳もない。
いきなり兵や物資の質と量が向上するなんてどんな魔法を使っても無理だ。
俺の素朴な疑問にゲイルは黙ったまま答えず、店の外に出て行った。
数秒後戻ってくると、勝手にドアを閉めてカギまで掛けやがった。
……もしかして、それだけヤバイ話なのか?
ゲイルはさっきと同じようにカウンターに凭れかかると真剣な表情で話し始めた。
「……どうやら帝国が後ろについたらしい」
「はぁっ!? 訳わからん。……そのことを王宮は知っているのか?」
「知らないし、リーダーは誰にも教えるなって言っている」
まぁ、お前に言っちまってるけどな、とゲイルは笑った。
「それにもし、山岳国にでも知られてみろ。……下手すりゃ、聖王国という草刈り場を巡って、山岳国、女王国、帝国の三つ巴になりかねない」
そうなれば、このマインズも対岸の火事では済まない。
俄かには信じられない話だった。
帝国はウチの国と主従関係を結んでいるということは、誰でも知っている。
それなのにも関わらず、だ。
これでは女王国との二股をかけているということになる。
どちらが勝っても帝国は損しない。
帝国らしいと言えば、そうなるが。
「これはリーダーの推測なんだが、新しい女王は国を自分ごと、帝国に売っちまったんじゃないかって」
声を更にひそめるゲイル。
「……どういう意味だ?」
何故か一緒になって声量を落とす俺。
「……女王が皇帝の妃になったってことだよ。噂じゃたいそうな美少女らしいからな」
その言葉に一瞬アリスが脳裏に浮かんだ。
彼女のような美少女が女王として、自国の安寧の為に自分自身を帝国に売る?
並大抵の覚悟じゃない。
「何でもこの前女王自ら船で帝国に行ってきたんだとよ。まぁ、ご機嫌伺いのあいさつしに行ったんだろうってのは簡単に想像できるわな。……で、帰ってきたときにはどっさりと食いもんやら物資やら積んで帰ってきたらしい。女王が挨拶しに行ったぐらいで、こんなに分けてもらえるか? 常識で考えて。……当然、何か差し出したんだろうと。だけど、あの国に差し出すものなんてあるか?」
無いな。あの国には何もない。
な? とゲイルが片目をつむる。
「……帝国からしても最高の展開だろ? 労せず国と美少女を手に入れることができる。俺が皇帝なら簡単に聖王国の方を切るね。……何なら女王に王国をまるごとプレゼントするよ。……まぁ俺はしがない冒険者だけどな」
ゲイルはさらに続けた。
「もし女王が皇帝の子供を産めば、その子が次期女王国の王になる。帝国からすれば自分たちの血を一滴も流すことなく東方を支配できるようになるんだ。残すは山岳国。……それこそ何とでもなる」
大陸制覇は帝国の悲願だ。
その機会がこんな形で巡ってきたとなれば。
……それを逃すような帝国ではない。
「まぁ女王にも同じことが言えるわな。自分の子供が将来この大陸の覇者になる可能性が出てきた訳だし。少なくとも女王国領は帝国の庇護を受けて確実に栄えるだろうしな。……と、まぁそんなことを昨日から一晩中話してたわけだ」
そういってゲイルは欠伸を噛み殺した。
「あくまで、俺たちの推測だぜ。本気にするなよ。……ただ帝国と女王国は確実につながっている。それは間違いない。……王国は舐めてかかると絶対にヤラれる。もしかしたら、近いうちにこの国は無くなるもしれない」
そういうことだ、と言い残してゲイルは店を出て行った。
俺の知らないうちに、この国を取り巻く環境がこんなにも激変していたとは。
しかし、所詮俺はしがない武器職人だ。
俺にできることは、この店で毎日コツコツと武器を打つことだけだ。
アリスに教えてもらった煩悩剣を……。




