第5話 帝国執政官テオドール、女王国の真意を探る。
この地の執政官として赴任して約二十年。
様々な政治的案件で苦悩したこともあったが、こんなに頭を抱えるような事態を迎えたのは初めてだ。
原因はもちろん八日前に私のもとへ届けられた例の親書にある。
不意にガチャリとドアが開き、ノックもなしに大柄の男が執務室に入ってきた。
「お前から俺をここに呼ぶのは珍しいな」
「……誰かに見られなかっただろうな?」
「いや、さっきケイトのケツを触ってきた」
バカだ。やっぱりコイツはバカだ。
ちなみにケイトというのは私の娘で、私設秘書のようなことをさせている。
私の知りうることを全て知っているので、先程の誰かの範疇には入らない。
勧めてもいないのに彼はこの部屋の主か何かのようにソファにどっかりと腰掛けると、音もなくドアが開いてその娘が飲み物を持ってきた。
彼は足早に立ち去ろうとする娘の尻をもう一度触ろうとしたが、無言のまま蹴られて返り討ちにあっていた。
ざまぁみろ!
彼は私の手元にある親書を指差すと笑顔を見せる。
「――で、例の手紙ってのはそれだな?」
「親書だ。……女王を名乗る者からな。しかも最悪なことにロレント=バーゼル宛だ」
ロレントは皇帝直属親衛隊隊長、だった男だ。
そして死んだとされている人間だ。
「女王ねぇ。……詳しい話聞いていいか? もう、ある程度は調べ終わったんだろ?」
受付嬢からこの親書と言う名の爆弾を受け取ったケイトが、独断でこれを持ち込んだ四人組に尾行をつけた。もちろん、そのことをちゃんと事後報告してきたが。
いい判断だったと思ったから、当然お咎めなしだ。
報告によると、この数日の間、例の四人組は街で遊びまわっているとのことだ。
食べ歩きをしていたかと思えば、ベンチに腰かけて改築中の商業ギルドの工事現場を数時間じっと眺めていたこともあったという。特に何か問題行動を起こすことなく、行儀よく観光しているらしい。
親書を持ってきた政務官らしき男がシルバー。
騎士の身なりを崩さず、周りに注意を払っている男がレッド。
一見はしゃいでいるように見えるが、尾行している人間に対して常に殺気を叩きつけている物騒な娘がパール。
――そしてそんな彼ら三人を率いている娘がアリスらしい。
「……どう考えてもそれが女王だろ。……ったく、調べてくださいと言わんばかりだな、オイ?」
「実際、十日間はここにいるからと言い残してあっさりと帰ったらしい」
「ようするにそれだけ時間をやるから、と。……試されているんだろうな、俺たちが」
だからこちらも、あらゆる手を使って水の女王国のことを調べた。
そもそも水の女王国とは何なのか?
水の公国とは違うのか?
東方の調査員に連絡をとって、知りうる限りのことを手紙に書いて寄越してもらった。
それによると、アリスと名乗る娘が山の民を束ねて、フォート公と側近の首を取ったとのこと。
新しい女王は随分と国民から信頼されているとのこと。
彼女の指揮の下で改革が断行されているとのこと。
聖王国から何度も攻撃を受けているが、全て返り討ちにしているとのこと。
「……そいつは大したモンだ」
彼は心の底から楽しそうに笑った。
「そしてもう一つ。……親書によれば、これを適正価格で買い取って欲しいと――」
私が指差したのは事務机に置かれた鉄塊。
「鉄? ……鋼? ……どっちだ?」
「調べさせたところ鋼に一歩手前の鉄、といったところだそうだ。……ちなみに親書には、はっきりと『鉄塊』と書いてあった」
だが鉄と鋼とは製法が全く違う。偶然、鋼に近い鉄が作れたということはありえない。
つまり明確に鋼を作りにいった結果だ。
「一歩手前とはどういうことだ?」
「技術者が言うには、昔この国で作られ始めた頃の鋼みたいなモノらしい」
「技術不足か? それともわざとそうしているのか?」
「……おそらく技術不足の方だろうと」
鉄製武器の製作すら禁じられていた、かの国の水準を考えるとそれだけでも、とてつもない技術革新なのだと彼らは言っていた。
「……使えるのか?」
「あぁ、下級兵士の装備品なら何の問題もない。実際、普通の鉄とは比べ物にならないくらい硬度が高い」
「で、それを鉄として買い取れと? ありがたい話じゃねぇか」
確かに鉄の値段でこれが手に入るなら安い。
……これからのことを考えると、尚のこと。
だが、あまりにも不確定要素が多すぎる。
そもそも帝国の根幹技術の一つでもある製鋼技術が国外に漏えいしていることが問題なのだ。
裏切り者がいたという可能性もあるが、あの切れ者の宰相がそんな失策を許すとは思えない。
そしてその技術を大陸東端の未開国が手にしているということ。
それが意味することとは?
「あちらさんは別に敵ではないのだろう? 少なくとも俺の名前を知っていながら、それを帝都に報告する意思がない」
そう。
これが一番の問題なのだ。
親書の宛名はロレント=バーゼル。
私の目の前にいる、このろくでなし男の名前だ。
十数年程前、我が家の庭先で片腕を無くしたコイツをまだ幼かった娘が発見した。
体中に無数の傷があり、生きているのが不思議な状態だった。
娘と妻の献身的な看護のもと、何とか一命を取り留めたコイツから詳しい事情を聞くことができた。
その後、帝都がロレント処刑の一報を発表したことで、彼は運よく隠れ切ることに成功した。
ただ、片腕の男はそれだけで目立つので、義手を付けさせ常に長袖を着用させた。
その後、私たちはこの国を変えるために地下組織を作った。
時には熱弁し、時には不安を煽って味方を増やしていった。
そうして組織への賛同者は年々増えていき、今や宰相に不満をもつ教会とも裏で連携を取ることが可能になった。
だが、それでもロレントの存在だけは徹底的に隠した。
コイツが生きていることを知っているのは、組織の中でも私たちが信頼しているほんの数人だけに留めた。
それなのに何故、辺境国の女王はコイツがまだ生きていることを知っているのか?
あまつさえ、このポルトグランデに潜伏していることをも?
そしてそれを知っていながら、何故帝都に通報せずにこちらと連絡を取ろうとしている?
おそらく、ロレントの言う通り女王国は敵ではないのだろう。
だが味方かと言われれば……。
何が目的だ? どこまで知っている?
考え込む私に、ロレントはあっけらかんと笑ってみせた。
「答えは一つだろう? ……あちらさんは、『俺たち』が『パーティ』の準備をしているってことを知っているんだよ。武器防具の材料として大量の鋼が必要なことも知っている。……だから、一枚噛んで大儲けしてやろうって話よ。まぁ、帝都を敵に回す覚悟まであるのかどうかまでは知らんがな……」
やはりそうなるのか……。
思わず溜め息が漏れる。
にわかに信じられないが、私としてもあらゆる可能性を排除した結果、その答えしか残っていなかった。
コイツはバカだが、そういうことは鋭い。
この真実を躊躇いなく掴もうとするのは、軍人特有の感覚なのだろう。
製鋼技術といい、私たちの動きといい、何故大陸東端の未開国がそれを知り得ることができたのか全く見当もつかないが、女王はこの情報を上手く使って立ち回るつもりなのだ。
「――その親書には他に何と?」
「一度会って話したいと。……お互いの未来の為にだと」
「ほう、未来ねぇ。余程自分の才覚に自信があるらしいな。……で、もちろん会うのだろう?」
「あぁ、先程使いをやったよ。明日昼に会談したいと伝えた」
そうか、とロレントは嬉しそうに笑った。
コイツは昔からこういう自分の力でのし上がろうとする人間に好意的だった。
そういう意味では、女王は大好物だろう。……いろんな意味で。
私としては、正直こういう類の人間は御免こうむりたい。
女性はやはり妻のように淑やかな性格に限る。
娘のケイトはコイツに感化されたせいで、だんだん大胆になってきたのが父として心配だ。
「こちらの弱み握られているようなモンだから、何かとんでもないことを要求してくるかも知れんがな。……まぁ、こればっかりは出たとこ勝負だ。当然俺も参加するんだろうな?」
「あぁ、お前が出ないと話にならんだろう。……しっかり器を見極めてやれ」
はてさて一体、何をどれだけ要求されるものか。
こちらとしてもある程度なら譲ることを考えないといけない。
なにしろ、一番怖いのは交渉決裂だ。
物分かりのいい女王ならば、穏便に物別れできるかもしれない。
だが決裂した瞬間に全てをブチ壊すような人間だったら、速やかに全員処理しなければならない。
たとえ手際よく彼女たち一行の息の根を止めたところで、僅かな隙間からでもロレントが生きていることが帝都に漏れたら全てが水の泡になるのだ。
失うのは私たちの十年どころの話ではない。ここまで育ててきた組織と、たくさんの同志の命が散ることになる。
上手く相手の要求を飲みながら、どこまで知っているのか、どこまで手を組むことができるのか、それらをしっかりと見極めないと……。
全く、とんでもないことになった。