第1話 ルビー、ようやく王国に帰還する。
樽いっぱいの聖水を持ってアタシたちは、聖王祭の準備が始まりつつある王都に戻ってきた。
約一月半振りだ。やっぱり王都はいいなと思う。
帰ってきたって感じがする。
サファイアには悪いけれど、アタシはきっとあの国のことは一生好きになれない。
正直もう二度と行きたくない。
とにかく疲れるのだ。
王国での人間関係もそれはそれで疲れるのだが、それは貴族の宿命みたいなものだから仕方ない。
それに引き換え公国はただ『鬱陶しい』の一言に尽きるのだ。
……本当にそれに尽きる。
何故なのか分からないけど、いつの間にかサファイアまで面倒臭い人間になっていた。
この国に帰ってきてからは、何とか元に戻ってくれたのだが。
あの国にはきっと何か、人を狂わせる負の空気らしきものが渦巻いているのだろう。
そう、まるで……あぁ、もう、考えるのも面倒だ。
アタシはとにかく疲れたのだ。
だけど、そんなことよりも気掛かりなことができた。
あの野盗どもの茶番劇、……茶番でいいよね?
あんなの、よくあるお涙頂戴の三文芝居じゃない?
台本もらって何日か練習すれば誰でもできるでしょうに。
クロードとサファイアは信じていたみたいだケド……。
正直トパーズとアタシは白けていた。
……まぁ、あの茶番劇自体は横に置いといて、だ。
あれ以降、もしかしたら公国に入った辺りからかもしれないけれど、確実にクロードとサファイアが仲良くなってきている。
仲間として、何となく意思疎通が出来てきたというのとは少し違う。
なんか視線の交わり方が男女のそれなのだ。
慰める為とはいえ、二人で抱き合っていたし。
クロードの方はどうか分からないけれど、サファイアの方は完全に惚れている。
これは断言もしていい。
確証はない。……ただの女のカンだ。
でも女のカンは当たるモノだと昔から言われている。
正直田舎娘だと馬鹿にしていた部分があったのは認めよう。
だけど、もうそんな甘い考えを改めないといけない。
単純なクロードと世間知らずのサファイア。
案外、相性はいいのかもしれない。
サファイアを舐めてかかったら、負けてしまうかもしれない。
ちゃんと気を引き締めないと。
アタシたち一行は積み荷を門番の兵士に預けると、今回は問題なく王宮に入れてもらえた。
そして用意されていた別室でしばらくの間待機を命じられる。
グレンさんの部屋と違って、ちゃんとした客間だった。
……うん、これは間違いなく例の準備だ。
クロードが期待に満ち溢れた目でこちらを窺う。
だからアタシも無言で頷いておいた。
しばらくすると役人が現れて、アタシたちは待ちに待った謁見の間へと通された。
王宮の誇る大広間をクロードは感慨深げに眺めていた。
これはアタシのポイント、少しは上がったか?
ここは各国の来賓が必ず通される場所。この国の顔とも言える場所だ。
水の公国のそれとは比べ物にならない品と質。
パーティのみんなも溜め息をついている。
ずらりと並ぶ役人たち。もちろん全員貴族だ。
そして玉座には聖王様。
王様も暇じゃない。……フォート公でもあるまいし。
それなのにもかかわらず、わざわざアタシたち冒険者の為に都合をつけて、ここで出迎えるのだ。
王様が謁見するのだから、手の空いている他の上級貴族も顔を出すのが礼儀。
という訳で……、見回すと向こう側に伯父様を発見した。
……あれ? 顔色が優れないような気がする。何かあったのかなぁ?
ちょっとだけ心配だ。
アタシたちは所定の位置で膝を付き、深々と一礼した。
しばらくして面を上げよ、との声が掛かる
そして王様がアタシたちに深みのある落ち着いた語り口でお言葉を述べられる。
聖水の件、まことに大義であった、と。
お前たちが気にかけているマインズのことも、準備が整い次第行動に移すから、心配いらないと。
アタシたちは再び深々と頭を下げた。
要するに、手が空いたらやるよ、ということだ。
つまり……今は手が空いていないから出来ないよ、ということ。
これぞ、いわゆる王宮理論。
この国は問題が山積みだから仕方ない。
それにクロードも感激しているみたいだし、これでよしとしよう。
しかし、何故だが先程からアタシの中で警報が鳴りやまない。
この状況はおかしいと、絶対に何かあるとアタシの頭が何かを訴えかけている。
……そもそも王様というのは、冒険者に対してこんなにも語りかけないものだ。
アタシも適当に王様と挨拶して、陳情して、それで終了だと思っていた。
功労者とはいえ聖水を受け取って来ただけの人間に対して、王様がここまで丁寧に接するのには絶対に何か裏があるはずだ。
ちらりと伯父様を見ると、あからさまに視線を逸らして下を向いた。
……あぁ、いやな予感しかしない。
一呼吸置いた後、王様から頼みたいことがある、と声がかかった。
……ついに来たか。
アタシは身構えた。
「……ここからは、私からお話させて頂きます」
端に控えていたグレンさんが緊張した面持ちで話しだした。
完全に対冒険者窓口にされているみたいだ。
やっぱり扱き使われているんだろうな。そんな感じだ。
グレンさんの話によると、緊急事態発生とのこと。
先日、国境の町エリーズで山岳国と小競り合い、いわゆる武力衝突があったらしい。
ちなみにエリーズは両国とも所有権を主張している、いわゆる係争地だ。
グレンさんは我が国のという部分を、やけに強調していた。
まぁ大事なところなのだろう。
もしかしたらテストに出るかもしれない。
……彼の話を聞きながら、アタシはそんなくだらないことを考える。
どうやらその衝突で両国ともに死傷者が出たとのこと。
「君たちに、親書を届けてもらいたい。……絶対に受け取ってもらうように。無事任務を果たして帰国したら、君たちを王国の認定冒険者として遇するとしよう。……こちらが我が国の親書だ。どうぞよろしく頼む」
謁見の間で聖王様直々の依頼。
王族貴族が揃っているという、絶対に突き返すことの許されない場面で差し出された親書を、クロードが代表して受け取った。
認定冒険者とは、王国によって身分が保証された冒険者のことだ。
ギルドだけでなく一国家に保証してもらうというのは、それなりの身分が与えられたということと同じだ。
それこそ下級貴族なみの。もちろん貴族ではないけれど。
それでも信頼できる人間だと国に認められるのは勲章の一つであり、国に対して多大な貢献をした者だけが得られる名誉称号だ。
それを知ってか、みんなの表情も明るい。
確かにこれは破格なことだ。
……でもみんなは本当にこの意味が分かっているのだろうか?
逆に言えば、それぐらい絶対に失敗は許されない、命を懸けなければいけない任務ということなのだ。
……どう考えても伯父様の顔色が優れないかったのはこの為だ。
たとえ上級貴族である伯父様でも今回のように、高度に政治的な案件では私情を挟むことも許されない。
アタシはこっそり溜め息をついた。
王宮を出て、アタシたちはこの前の酒場へと直行した。
やっぱり、この国のご飯はおいしい。特にこのお店は最高だ。
それでもアタシの気分は沈んだままだった。
認定冒険者というエサで浮かれるクロードとサファイアを横目で見ながら、アタシはもう何度目か分からない溜め息をつく。
――アンタたちは、聖王国の使いを名乗る冒険者のアタシたちが親書を持ち込んだところで、簡単に受け取って貰えると、本気でそんなコト思っているの?
敵国に乗り込むわけだから、相手の虫どころによっては殺されるかもしれないのに。
……王宮の人間もそのことは十分承知の上だ。
だから役人を派遣出来なかったのだ。
だから、アタシたちに回ってきたのだ。
たとえ死んだところで所詮冒険者。
国としては痛くも痒くもない。
まぁ、あくまで最悪の場合なんだろうケド。
こればっかりは、正直なところ行ってみないと分からない。
それでも門前払いぐらいは覚悟しておかないと。
そんなことを知らない二人は楽しそうに酒を飲んでいた。
――悩んでイライラしているアタシが馬鹿みたいじゃない!
アタシは目の前の肉を思いっきり突き刺して、苛立ちを解消していた。
トパーズだけは何か察することができたのか、一人考え込むアタシを心配そうに見ていた。
酒場を出た後、サファイアが声をかけてきた。
「今日はどうするの? ……みんなと宿屋に戻る? それともまた実家に顔を出すの?」
あぁそう言えば、この前は顔見せ半分根回し半分で実家に帰ったっけ。
今日の伯父様の感じだと、アタシに同情的だったから、今回もお父様を通じて協力をお願いしてみようか。
伯父様の一筆があれば、門前払いを回避できるかもしれないし。
少なくとも問答無用で処刑台送りはないだろう。
「……今晩も実家に帰ることにするわ。さっき伯父様の顔色が優れなかったから、……お見舞いもしたいし」
このことはみんなには黙っておこう。
不安にさせる必要は無い。
でも一応トパーズにだけ、こっそりと伝えておくことにした。
目配せをすると、トパーズは何気ない感じで近づいてくる。
アタシはその耳元で囁いた。
「上手くいくかどうかわからないけれど、伯父様から一筆もらっておくわ。あちらもさすがに上級貴族の親戚と分かれば、話も聞かずに斬り殺すようなマネは出来ないでしょうから」
トパーズはそこまで深刻に考えていなかったのか、アタシの言葉に目を見開いた。
「……そうか、すまない。よろしく頼む」
みんなに気取られないように短い返事。
全てを理解してくれた証拠だ。
――やっぱりトパーズは大人だなぁ。
アタシは彼らと別れ、重たい足取りで実家へと向かった。