第10話 村娘パール、はじめてのさつがい。
「宮殿の包囲が完了しました」
ボクの報告にアリス様は笑顔で頷いた。
「それでは、私たちも始めましょうか」
アリス様を初めて見たとき、こんなに美しい人がいるのかと思った。
歳でいったらボクとそんなに変わらないはずなのに何もかもが違った。
細い男の子みたいな身体つきのボクとは違う、女性らしい姿。
何気ない手足の動きだけで、みんなを魅了する華やかさ。
山を駆け回って暮らして、生傷が絶えないボクなんか足元にも及ばない。
そして何よりもアリス様には人を引き付ける力がある。
彼女の話を聞いた村の人々の心に灯がともった瞬間を、ボクはこの目でしっかりと見た。
ボクもその日彼女に忠誠を誓った。
それからは誰よりも近くに置いてくれた。
分からないことだらけのボクに、いろいろなことを教えてくれた。
だけど、アリス様は美しいだけの人ではない。
その身体の内に強い殺気を秘めている。
少なくともボクたちのように、毎日命のやり取りをしている人間にはわかる。
彼女はその気になれば平気で殺せる人間だ。
その空気がどことなくお父さんに似ている。
ボクには、まだそこまでの覚悟はできていない。
――美しさと強さそして明晰さ、何より人を引き付ける力、そして何かを成し遂げるという覚悟、それら全てを兼ね備えた女性、それがアリス様だ。
少しでも彼女のようになりたくて、男っぽい言葉で話すのをやめた。
昔からの知り合いはアリス様のような言葉使いを始めたボクを笑うけれど、まずは形からでも近づきたいという乙女心をわかって欲しいものだ。
ボクたちは任務開始前に手順の確認をしていた。
「潜入できたら公と側近を殺す。その後、公の首を掲げて兵士の抵抗を終わらせる。……いいわね?」
アリス様の言葉にボクは頷く。
だけどシルバーさんはどこか浮かない顔をしていた。
「……それでいいと思い……ますけど」
「……けど?」
アリス様の問いかけに彼は少しだけ口ごもり答える。
「近衛騎士のレッド様は出来れば……」
「……優秀なの?」
今度はボクが尋ねる。
「あぁ、この国で一番強くて立派な方だ。何よりとても素晴らしい人だから、みんなに尊敬されている」
「わかったわ……出来れば生かす、ということでいいかしら?」
アリス様の言葉に、ボクたちは頷いた。
そして、月明かりだけを頼りに宮殿の裏から水路を伝って侵入を開始した。
水路の入り口に一人だけ見張りの兵士がいたのだが、アリス様があっさりと気絶させて縛り終えていた。
本来ならそういうのはボクの役目なのだろうけれど、あまりの手際の良さにただ感心するだけで何の役にも立てなかった。
夜目の効くアリス様を先頭に、その後ろからシルバー、そして最後にボクという順番で進む。
しばらく進むと松明の明かりで照らされた扉の前に出た。
扉の前に2人の兵士が落ち着きなく全体を見回していた。
どうやら彼らにも宮殿包囲の一報は入っているらしい。
ボクたちは明かりが届かないところで打ち合わせを始めた。
視界の悪いここで公を仕留めるより明るい宮殿内で確実に仕留めたい。
万が一暗い場所で逃がしてしまったら、目も当てられない。
この様子だとまだ逃亡準備中だろうから、さっさと番兵を倒して潜入しておきたい。
「一人任せてもいいかな?」
アリス様にそう言われて断る訳がない。
「はい、もちろんです」
「無理しちゃダメよ?」
同時に深呼吸して息を合わせ、お互い視線で合図をすると一気に相手の脇から突っ込んだ。
ボクは右から。
教えられた通り柄の底で、……打ち込む!
浅かった?
番兵が痛みに顔を歪めながらも体勢を立て直し、剣を構えた。
……しまった! 反撃食らう。
短剣で受け止めるのはキツイ。どちらに避ける? 縦切り? 横薙ぎ?
ボクが躊躇った瞬間、目の前の兵士が崩れ落ちた。
そしてその後ろにいたのはアリス様だった。
「……すみません。失敗しました」
「いいえ、よくやったわ」
アリス様は謝るボクの髪を優しく撫でてくれた。
だけど結局ボクはさっきから何の役にも立てていない。
ちゃんと使える人間だと、側にいても許してもらえる人間だと証明したいのに、気持ちだけが逸って上手くいかない。
「いやぁ何かよくわからないけど、二人とも凄かったよ」
感心した風のシルバーさんの言葉だけが、ほんの少しだけボクを慰めてくれた。
無事に宮殿内に潜入できたたボクたちは真っ直ぐ公の私室に向かった。
アリス様が言うには公は逃げる時には必ず宝物を持ち出すから、そちらで仕留めるとのこと。
時折巡回兵と遭遇したが、ボクが動くまでもなく先に動いていたアリス様が転がしていた。
そしてアリス様の予想通り、宝物がたっぷり入っているであろう革袋を抱えた兵士が、公の部屋から出てきた。
それを見て、アリス様は何の打ち合わせもなく、全速力で兵士に突っ込んでいく。
ボクも思わずそれに反応して追いかけていた。
彼女は兵士がこちらに気づく前に鮮やかな一撃を叩き込んだ。
声もなく昏倒する兵士の、その腕からこぼれる革袋――。
ボクはそれが床に落ちる前になんとか拾い上げていた。
「さすがね、パール。貴女なら私が何か言わなくても、ちゃんとわかってくれると信じていたわ」
珍しいアリス様の心からの称賛に胸が熱くなった。
そんなやり取りで気分が高揚できるボクはきっと単純なんだろう。
そうこうしているうちに、廊下の異変を感じたのか部屋の中から声が飛んできた。
ボクたちは視線で覚悟を決めて、部屋に踏み込んだ。
中に居たのは四人の男たち。
騎士らしき男性が一人と神経質そうな顔をしたおじさんが二人。
……そしてフォート公。
「お、お前たちは――」
公が何かを言う前に騎士が動いた。
「賊め、覚悟!」
彼は大きな身体に似合わない素早い動きで切りかかってくる。
「いい判断だわ」
その一撃をアリス様は二振りの短剣で簡単に受け止める。
その表情には笑みすら浮かんでいた。
「レッドさん!」
シルバーが叫んだ。
なるほど、この人が近衛騎士のレッドという人か。
アリス様に全く引けをとらない。流石この国で一番強いといわれるだけある。
絶え間なく斬撃を繰り広げるレッドさんにアリス様は身を翻してステップで避けていく。
短剣で受け止めるのは最低限にして、あとはひたすら回避しながら内に潜り込み、柄で打撃を与えていく。
レッドさんは自分を殺しに来ないアリス様にプライドを傷つけられたのか、より激しく打ち込んでいた。
そんな彼の殺気がこもった連撃をアリス様は、時にアクロバティックに時には紙一重で華麗にかわしていく。
ボクはそのまるで山の神様に捧げる舞のような優雅な動きに思わず見入ってしまった。
そんな二人の激しい戦いを横目に、音もたてず逃げ出そうしている人間がいた。
――フォート公だ。
よりによって自分を守るために必死で戦っている人間を囮に逃げるのか?
ボクの視線に気づいたのか公が駆け足で出口に向かい、扉を開ける。
逃がすか! この卑怯者!
何も考えずにボクはフォート公に突っ込み、そのまま短剣を背中に突き立てた。
勢い余って、二人して廊下に転がり出ていく。
それでもフォート公はうめき声をあげて、ボクを跳ね除けながら起き上がる。
ボクは逃がさないように背中に刺さったままの短剣を更に深く押し込んだ。
フォート公は暴れたが、徐々にその動きも小さくなっていき、やがて完全に止まった。
そんな姿を見ながらボクは、どこか冷静な気持ちで、初めて人を殺したんだということを実感していた。
「――フォート公!」
そう叫ぶ声に振り向くと、レッドさんがこちらを見て叫んでいた。
そのスキを見てアリス様は短剣の刃の方で一気に斬りかかる。
レッドさんは何とかその一撃を受け止めるも、剣の方が耐えきれず真っ二つに折れた。
折られ、やけにゆっくりと弧を描きながら飛んでいく刃をボンヤリ見ていると、アリス様の鋭い声が飛んできた。
「――パール! 残りの二人もお願い!」
その声で我に返ると、側近のおじさん二人がシルバーさんに体当たりを与えて突き飛ばし、廊下に飛び出してくところだった。
見るからに運動不足のおじさんがボクから逃げ切れる訳ない。
無防備に背中を見せて廊下を走る二人を追いかけて、一人そしてもう一人と確実に狩っていく。
……こいつらはヒトじゃない。
……獣だ。
……この国に巣食う害獣だ。
そしてボクはこの国に生きる狩人として獲物を狩っているだけ。
ただそれだけのこと。
余計なことは考えるな。
呆然と立ち尽くすボクをアリス様はただ黙って撫でてくれた。
返り血を浴びて真っ赤に染まったボクの身体を優しく抱きしめてくれた。
「ボク……初めて人を殺しました」
「貴女がいて本当に助かったわ。ありがとう……パール」
手を汚した悲しさと、役に立てた嬉しさで、ごちゃまぜになった感情を溢れさせボクは泣いた。
お姉ちゃんが出て行ったときと同じぐらい泣いた。
「私も殺せ!」
ボクたちが部屋に戻ると、近衛騎士のレッドさんは開口一番にそういった。
「殺さないわよ。貴方をすごく買っている人がいるから。ね、シルバー?」
「……レッドさん、どうか生きてください。上手く言えないですけれど、……この国はこれからです」
シルバーさんが言葉少なに、それでも何とかレッドさんに自分の思いを伝えようとしていた。
ボクも同じことを思っていた。
これからだ。この国はこれから生まれ変わるのだ。
「近衛騎士が主を守らず生きるなんて恥だ」
そう言い捨てるレッドさんに対してアリス様が不敵に笑った。
「新しい主ならここにいるでしょう? ……今日から私がこの国の王です。公ではありませんよ。女王です」
「……この簒奪者め!」
アリス様を侮辱されてボクは思わず構えて前に出てしまう。
「大丈夫よ、パール。……ねぇレッド、貴方の言うことは正しいわ。どう取り繕ったところで、私は公を殺し、側近を殺し、国を奪った人間よ。……それでも、そうしてでも守りたいモノがあるの!」
レッドさんは、何を? とは聞かなかった。
フォート公や側近が守ろうとしなかったモノ。
そして簒奪者と呼ばれることも覚悟の上でアリス様が背負ったモノ。
……それは、ボクたちのことだ。
「……守れるのか? ここに住む哀れな民たちを」
「守るわ」
「……本当に信じてもいいのだな?」
「信じなさい。もし私が民を不幸にする王ならば、貴方が責任を持ってこの首を刎ねなさい。……あぁ、その折れた剣では無理ね。落ち着いたら新しい剣を打ってあげるわ。私の近衛騎士にふさわしい剣をね」
レッドさんはしばらく考え込んでいたが、やがて大きく深呼吸すると、静かに膝を付いた。
――アリス様に向かって。
レッドさん効果は絶大だった。
アリス様がレッドさんを後ろに従えて中庭に登場した瞬間、兵士たちがどよめいた。
「みんな武器を離せ」
レッドさんが静かに命令すると、兵士の手から次々と武器が落ちていく。
「誰か、橋を降ろしてください」
アリス様が命じるとガラガラと音を立てながら、ゆっくりと橋が向こう岸にかかっていく。
「……パール、合図を出してきなさい」
「はい、行ってきます!」
ボクは一心不乱に駆けた。
早くみんなに伝えないと。
息を切らせながら一気に塀に駆け上って向こう岸に向けて手を振った。
仲間たちに見えるように、全力で手を振った。
ボクの合図が見えたのか、次第に歓声が大きく巻き起こってくる。
そしてみんながゆっくりと橋を渡ってきた。
お父さんの顔も見えた。お兄ちゃんもいた。
みんな無事だった。
中庭に戻ったら、宮殿の人間に向けての演説が始まっていた。
演説するアリス様の両脇にはレッドさんとシルバーさんの二人。
役人や兵士たちは、じっとアリス様の声に耳を傾けていた。
きっとここのみんなにも伝わるはず。
アリス様の想いが。
この国を豊かにしたいという熱い気持ちが。
山の仲間たちも合流して、みんなでアリス様の演説に聞き入っていた。
もう敵も味方も関係なく、みんなで肩を抱いて。
今日という日を一生忘れない。
ボクはそう心に誓った。
この日、水の公国は『水の女王国』と改名された。
夜明けと同時に、この国の輝かしい未来の幕が開いたのだ。
これで2章が終わりました。
ようやくこの話の流れのようなものが見えてきた頃ですかね。
とりあえず、次の3章までが起承転結の「起」の部分です。
前置きが長くて申し訳ないです。