第9話 義勇兵ロンド、アリスの演説に心震わす。
早馬で待ちに待った文が届いた。
差出人は弟のブラウンだ。
アイツは今、斥候としての役割を任されている。
俺は伝令からむしり取る様に文を受け取ると、そのまま封を切らずアリスに手渡した。
現在、俺たちは鉱山の麓の村にアジトを構えていた。
ここで待機しているのは腕に自信のある若い衆が五十人ほど。
全員、綺麗に輝く剣を背負っていた。
鉱山では引き続き、ダンをリーダーとして武器と鉄塊の作製を続けている。
それもアリスの指示だ。
一応武器は義勇兵全員に行き渡っているが、これからのことを考えるとまだまだ足りないという。
……まったく、簡単にこれからなどと言ってくれるものだ。
ブラウンからの文には、冒険者一行が荷物を受け取って宮殿を去ったとのこと。
予定通り彼らが国境を越えるまで監視を続けるとのことが書かれていたようだ。
冒険者というのはフォート公の依頼を受けて野盗一味の討伐をこなした一行のことだ。
ちなみにその一味のボスをしていたのは弟だという。
一体アイツは何をやっていたのだか……。
自慢の弟が今やゴロツキにまで成り下がっていたとは。
子供の頃は昔役人をしていたという世捨ての爺さんに気に入られて、いろいろと学んでいたのに。
弟は山の人間では数少ない読み書きの出来る人間だった。
両親もアイツには期待していた。
……もちろん俺も妻もそうだった。
だがそうなったことでアリスと出会うことが出来た。
爺さんから読み書きやイロイロなことを学べた結果、彼女の右腕として認められ精力的に動き回っている。
本当に人生というのは、どう転ぶか分からないものだとつくづく思い知らされた。
アリスは弟に追加指令の文を書いていた。
全てを見通すような知性を漂わせた娘。
そして隠しようがない圧倒的な求心力。
瞬く間に近隣の村を巻き込むと、その勢いのまま一大勢力を築き上げた。
何しろ、この娘はあの気難しい嫁ですら魅了してしまったのだ。
考えてみれば嫁は、最初からアリスに対して好意的だった。
女とみれば誰彼構わず睨みつけるような嫁が、だ。
女のカンとでも言うべきか、一目見て何かを感じ取ったのかもしれない。
俺は彼女を見たとき、てっきりブラウンの嫁か何かだと思ったというのに。
全くもって恥ずかしい話だ。
俺たちを従えてから、アリスの動きは実に迅速だった。
あの話の通りにあっというまに鉱山を押さえ、鉄の生産体勢を整え、そして武器を義勇兵に行き渡らせた。
いつの間にか役人まで味方に付けて、少ない被害で都を攻める算段も立てていた。
そして今、届いたブラウンの報告。
これで、全ての準備が終了した。
「……姐さん。いよいよだな」
今や山の皆が親しみを込めて彼女をそう呼ぶようになった。
最初は弟が言い出したことだが、そのうち村の衆が面白がって言い出した。
別に嫌がらせという訳ではない。
年齢に似合わない威厳を漂わせ、ときには冷徹な判断をも下す覚悟を決めている娘が、心底嫌そうに表情を歪めるのが可愛い、ただそれだけのことだ。
いつも澄ましたアリスが、そのときだけは年相応の少女の顔を見せるのだ。
俺たちはそれをささやかな楽しみにしていると。
さながら気に入った女の子にちょっかいをかける男の子といった感じか?
いい歳こいたオッサン共が何を年甲斐もなくはしゃいでいるのだか。
ただ、こうでもしないと嵐が始まる前の昂ぶりを抑えられないのも事実だ。
皆、それなりに緊張しているのだ。もちろん俺も含まれている。
生まれて初めて武器を持ち、都に攻め入るのだ。
「……ロンドさん、みんなを広い場所に集めて貰えますか?」
「……わかった。……ちょっと待ってな」
俺はそう返事すると他の者たちに声を掛けに行った。
小さな村だが広場のようなものは存在する。
そこで彼女は少しばかり緊張した面持ちで俺たちの前に立った。
目を閉じ、大きく深呼吸する。
そして彼女はゆっくりと瞼を開く。
その目には鈍感な人間でも感じられるような強い意志が宿っていた。
一瞬にしてその場に緊張が走る。
「私はこれより、フォート公から国を奪う!」
彼女に相応しい凛とした声だった。
いつものふざけた茶々を入れる声も、さすがにこの時ばかりは聞こえない。
「私があの豚から奪うのは、ヤツが貯め込んだ財ではない! 好き放題するための権力でもない! ……私はヤツから土地と民を奪う! ……荒れ果てた土地を奪う! そこに住む憐れな貴方たちを奪う! 今ここにはいないが私を支えてくれていると誓ってくれた仲間たちを奪う! ……まだ見ぬ、苦しんでいる民を奪う!」
彼女は何度も何度も奪うという言葉を使った。
自分自身を簒奪者だと言ってのけた。
その誹りから逃げることなく、あの小さな身体で全てを受け止めると。
彼女にそこまで言わせて、俺たちはどうするべきなのか。
俺は彼女の言葉を聞きながら、胸の奥にずっとずっと眠っていた熱い想いが湧き上がってくるのを感じていた。
「――これから都を、そして宮殿を包囲する! ここにいる誰一人死なないでほしい! 相手もできるだけ殺さないでほしい! ……私は公から死体を奪いたい訳ではない!」
敵兵士の命、身体さえも自分のモノになるから傷つけるなという。
彼女はそんな全てを背負う覚悟を俺たちに見せつける。
「――殺すべき人間は私が責任を持って殺す! この国に災厄をもたらす人間を殺す!」
彼女の声が徐々に狂気を纏っていく。
それすら、俺たちには心地よかった。
この国から害悪が排除される。
アリスが、俺たちの主が、それを成し遂げる。
「この戦いが終わったとき、貴方たちは私のモノとなる! ……私は貴方たちの王になる!」
今、はっきりと宣言した。
王になると。……この国を統べると。
「……私は、この国の女王になる!!! みんな、私についてきなさい!!!」
そう叫ぶと、アリスは拳を突き上げた。
一拍置いて男たちの野太い咆哮が村中に響き渡った。
大声を上げ、拳を突き上げる男たち。
俺も大声で吠えた。
彼女はそれを満足そうな笑みで眺めていた。
ここにいる誰もが新しい時代の予感に震えていた。
巡回兵との衝突も何度かあったが、武器の質の違いは歴然で、斬りあえば数合で相手の剣が折れた。
そもそも身体の鍛え方からして違う。
俺たちは武器さえ持っていなかったが、身体を酷使して生きてきたのだ。
捕虜となった彼らは後詰の人間に引き渡して、俺たちはさらに進軍を続けるのだった。
数日かけて俺たちは、レイクサイドを包囲することに成功した。
都はひっそりと静まり返っていた。
ここに住む者たちは俺たちの機嫌を損ねると殺されるとでも思っているのか、抵抗らしい抵抗すらなかった。
こちらとしてもそれはありがたい話で、俺たちはアリスの望み通り、誰一人危害を加えることなく円を狭めていき、残りの連中とも合流しつつ宮殿の包囲に成功した。
遠目に見ても豪奢な宮殿だった。
この都にあって、その宮殿だけがまるで別世界の建物のようだった。
宮殿は湖の畔にあって、そこから水を引いて堀を形成している。
城に渡るための橋があるのだが、今はその橋が上がっている為侵入できない。
壁の上からは兵士たちが不安げな顔でこちらを見ていた。
彼らの目の前には、武器を手にして睨みつける約百人程の男たち。
きっと、今までに味わったことのない恐怖だろう。
俺たちは彼らの弓矢の届かない場所で包囲を続行した。
静かに彼らと対峙しながら、じっとその時が来るのを待っていた。