第7話 水の公国政務官シルバー、捕虜になる。
そろそろ掘り出された鉱石の納期が過ぎるのだが、いまだに山から荷馬車が下りてくるような気配は感じられなかった。
「……オイ! 誰か様子を見てこい!」
しびれを切らした上役がそう叫ぶのだが、周りの人間は誰一人として動こうとしなかった。
こういうときは大抵私に御鉢が回ってくるという現実が待ち受けている。
悲しいかな、私はいつまで経っても下っ端なのだから仕方ない。
後輩ができてもそいつが貴族出身なら、入ったその日に私は命令される立場になるのだ。
次の日当然と言うべきか、何と言うべきか、文句一つ言わずに鉱山へと向かっている私がいた。
……いいさ、どうせ。
念願の役人になる為にどれだけ勉学に励んでも、なってからも認められる為にどれだけ仕事をこなしてもそういうモノなのだ。
諦めの悪いと言われながら役人を目指した少年時代が嘘のように、夢の仕事についてからは簡単に諦めることを覚えた。
山出身ということもあって、岩肌剥き出しの荒れた坂道にも慣れたものだ。
野宿しながら一昼夜ほど強行するだけで目的の鉱山に辿り着くことが出来た。
この地へはもう何度も足を運んでいる。
何せ鉱石は我が国の貴重な資源だ。
それらがちゃんと採掘されているかを確認するのは役人の大事な仕事の一つである。
久しぶりにやって来たが、ここの労働者は相変わらず真面目に汗水垂らして働いているようだ。
……ん? 相変わらず、かな?
いつも死んだような目をしているのに……。
みんな、生き生きしていないか? それにかなり人数が増えていると思うのだが?
奥の建物から煙が出ていないか?
……あれ? そもそも、こんな建物いつ出来た?
他にもあちこちに建物ができていないか?
……そんなことよりもここで、石を掘り出すだけの場所で、何をしているんだ?
もう訳がわからなかった。
取り敢えず、流れる汗拭きながら一息付いている男に声をかけた。
「……なぁ、君は今何をしているんだ?」
「あぁ? 見ればわかるだろ。鉱石を溶かしてるんだよ」
……鉱石を溶かす?
何それ? そんなことが出来るの?
そんなことより。
「ちょっと待ってくれ、勝手なことをしないでくれよ。……早く荷車に石積んで都まで運んでくれないと、こちらは困るんだけど」
そのとき初めて男は私のことを見た。
「……おめぇ誰だよ?」
誰って、都の役人だけど……。
あれっ? そもそも、こんなガラの悪い男、ここにいたっけ?
周りを見ると異変に気が付いたのか、何事だと人が集まってきた。
「お前もしかして役人か?」
凄んでくる男たちに腰が引けた。
小さい声で「そうだけど……」と答える。
「もう俺たちゃお前らには従わねぇよ! アリスの姐さんに付くって決めたからなぁ」
……アリス? ……って誰? ……姐さん!?
私が何か言う前に後ろから女性の声が聞こえた。
「パール、縛って」
「はい、アリス様」
そんなやりとりが聞こえた次の瞬間、私は地面に叩きつけられていた。
あぁ、もしかして転がされたのかな、と思ったときにはすでに縛られていた。
「乱暴にしてゴメンさいね。でも都に帰すわけにはいかないから、しばらくはここに居てくれるかな? その代わりに好きなだけ見学してもいいわよ。……聞きたいコトがあるなら全部教えてあげる」
お淑やかな気品あふれる笑みで、私にそう話しかけてきた少女はアリスと名乗った。
姐さんと呼ばれるからには、この集団のリーダー格なのだろう。
彼女の斜め後ろに控えて、こちらを睨みつけている少女はパールと言うらしい。
私を転がして縛ったのもこの娘だという。
アリスを様付けで呼んでいたからには部下なのだろう。
ただ幸いなことに、私はすぐに殺されるようなことにはならないらしい。
そう思うと少しだけ余裕が出てきた。
「……その、アリス様?」
少し緊張して彼女に話しかけると、アリスは噴き出すように笑った。
「……様はいらないわ。ここの人間の中でも、そんな呼び方するのはこの子だけだから」
そう言ってパールにちらりと目を向ける。
「では……姐さんと?」
「やめて……。彼らにもそう呼ぶなって言ってるんだけどね。……もう諦めたわ」
諦めたらしい。
最初は数人だけしかそう呼んでいなかったのに、いつの間にかパールを除く全員が――もういい年齢のジイさんまで、そう呼び出したと。
その声に嘆きが混じっていたのは気のせいではないだろう。
「……ここで何をしているのか聞いてもいいですか?」
「もちろんいいわよ。……今ここでは皆が掘り出した鉄鉱石を溶かして鉄を作っているの。……そしてあちら側で武器を作っている」
そう言いながらアリスは奥の建物を指差した。
……武器を作る? この国で?
驚く私を見て彼女が大きく頷いた。
「この大陸で武器を作れないなんていう恥ずかしい国は水の公国だけよ。それ以外の国は小さな村でも武器ぐらいは作れるわ。……兵士の武器をよその国で、それも押し付けられた粗悪品で賄うなんて」
昔はこの国でも武器を作っていたと聞いている。
だが数百年前、聖王国に敗れて以降この国では武器を作ることを禁じられた。
更に王の地位も剥奪された。
そしてその状況を、代々の公は甘んじて受けてきたのだ。
「今から見回りに行くのだけど、一緒に来る?」
そういうと彼女は可愛らしい笑顔で小首を傾げた。
彼女たちの見回りについて行く形で、他の建物にも顔を出した。
どこに行ってもアリスは姐さんと呼ばれていた。
なるほど確かに諦めたらしく、威勢のいい野太い声に対して「はいはい」と片手を挙げて応じていた。
「……ここは?」
「石炭を蒸し焼きにするための施設ね」
……蒸し焼き? 意味不明だ。
ここでは解らないことだらけだ。
だけど彼女は私の疑問に勿体ぶらずちゃんと説明してくれる。
「蒸し焼きにした石炭は普通に燃やすよりもより高い温度で燃えるの。その熱を利用して鉄鉱石を溶かすと混ざりものが少ない純度の高い良質の鉄が出来上がるわ。……それを帝国では鋼って呼んでいる」
「……鋼!?」
鋼ってあの鋼だよな。
あの伝説の『はがねの剣』の鋼だよな。
それをここで? ……そんなモノが作れるのか?
私の表情をみてアリスが笑う。
そして首を振った。
「……さすがにそこまでの技術も設備もここにはないわ。炉も釜も圧倒的に強度が足りないから。……だけど普通の鉄よりもいい鉄は作れていると思う。少なくとも聖王国で作られている鉄よりはずっといい鉄だと思っていいわよ」
それでも鉄を作ることが出来るならば、それだけですごい。
しかも聖王国よりもいい鉄、ときた。
何か今ここで、とんでもないことが始まっている感じがした。
一通り見回りに付き合った後、私たちは休憩小屋に入った。
中では休憩中の男たちが楽しそうに騒いでいた。
その脇を抜けて、アリスと共に奥の部屋に通される。
そこでアリスはパールに命じて私は拘束解かせる。
そして彼女は椅子に腰を落ち着かせると向かいの席に座るよう勧めてきた。
私は言われるまま椅子に座り、ようやく一息つくことができた。
パールはここでもアリスの後ろに控えて直立していた。
「ねぇ、……どうだった?」
アリスが笑顔で私に問いかける。
私は正直に答えることにした。
「……驚きました」
この国で鉄鉱石を溶かして武器を作れるなんて。
そして何より一番驚いたのは、彼らが楽しそうに働いていたことだ。
この国の人間が生き生きとしているなんて、有り得ないことだった。
「……この場所の目的は? ……何故あんなに大量の武器を作っているんですか?」
「本当は聞かなくても分かっているのでしょう?」
そうだよな。
……分かっている。馬鹿でも分かる。
「……これを知った私はやっぱり、殺されるのですか?」
今になって少しだけ死ぬのが怖くなってきた。
ここにいる人間がやろうとしていることは間違いなく『反乱』だ。
だけど私が恐れているのはそれに巻き込まれて死ぬことじゃない。
この反乱の後この国がどう生まれ変わるのか、それを見ることが出来ないということだ。
きっとこの国はよくなる。
少なくとも民の目に光が戻る。
せめてその瞬間を見て死にたいと思った。
私の質問にアリスは笑顔で首を振った。
「殺さないわ。……殺したくない。私たちは一人でも多くの仲間が欲しいの。……でも私たちに――」
「従います!」
「速いな!」
私の即答にアリスは目を丸くした。
ここに来て驚かされてばっかりだから、今度は逆に驚かせることが出来たみたいでよかった。
「……この国は大切だけどフォート公に忠誠心はこれっぽっちも残っていません。……それに私は山出身ですから」
それだけで伝わったみたいだ。
彼女が頷いた。
「……宮殿の中には他にも、貴方のように賛同してくれる人たちがいると思う?」
「はい、もちろん。……特に兵士たちはほとんどが山出身だから、大丈夫だと思います」
「それは朗報ね。出来れば兵士たちは殺したくなかったから。……彼らにはこれからこの国を守ってもらわないといけないし」
アリスはホッとしたような笑顔を見せた。
「本当になるべくなら怪我人も出したくないの。正面衝突を避けられるなら言うことはないのだけど――」
「……それなら、裏口でも使いますか?」
「そんなものがあるの!?」
私が何気なく漏らした一言に彼女が食いついてきた。
「えぇ、何かあったらすぐに偉い人が逃げられるように、湖までつながっている水路がありますよ」
「そのときが来たら案内してくれる?」
「はい、でも沢山で行けばバレるかも知れませんね」
「じゃあ、私とパールと貴方だけで。残りは宮殿の包囲に徹する感じかな。手は出さない」
「でも三人というのは逆に少ないと思います。見張りの兵士だっていますし。勝てるんですか? 言っておきますが私は戦力になりませんよ、……多分」
「それは大丈夫。私とパールなら後れを取ることはないわ」
アリスが控えているパールの方を振り返ると彼女は誇らしげに頷いて見せた。
無用の心配をしたようだ。
それなら、私も覚悟を決めよう。
「分かりました。……このシルバー、微力ながらお仕え致します。どうぞ、よろしくお願いします。……姐さん」
私の芝居がかったセリフに、彼女は心底嫌そうな顔をした。
……確かに、これはクセになるな。
こうして私は彼らの仲間になった。