第4話 野盗ブラウン、アリスを村に案内する。
俺は急いで生まれ育った村へと、馬を走らせていた。
出来れば完全に日が落ちる前には村に入りたいところだ。
後ろでは、可愛い娘さんが俺の身体にピッタリと抱きついて、振り落とされないようしっかりと細い腕を回している。
……夢みたいな光景だろう? なんか甘酸っぱい青春の1ページみたいだろう?
女の子の胸が俺の背中に当たってるんだぜ。……なぁ、たまんねーだろう?
――でもな、二日程前、俺、この娘にボコボコにされちまったんだぜ。
二十人近くいた手下たちも、単身白昼堂々乗り込んできたこの娘に完膚なきまで叩きのめされたんだぜ。
反撃すらできなかったんだぜ。
そんな後じゃ興奮できるかよ。恐怖しかねぇよ。
部下は数人だけを屋敷に残して、あとは全員適当な場所で待機させてある。
そう命令されたからな、姐さんに。
ちなみに姐さんってのは後ろで俺を後ろから胴絞めしている御方のことだぜ。
あの日から俺たちの姐さんだ。
ちなみに居残り組は冒険者にやられる役回りだ。
上手く命乞いが出来るように姐さん自ら演技指導までしてくれた。
『――どうでもいいけれど冒険者たちにやられる前に、屋敷の中で野放しのモンスターにやられないように注意しなさい。……部屋からは一歩も出ない方がいいかもね』
そんな物騒な助言も一緒に。
……確か部屋の扉をぶっ飛ばしちまったの姐さんでしたよね?
村に入った頃には、どっぷりと日も沈んでいた。
集落の荒れた道で砂埃を巻き上げながら馬を走らせていく。
ここは相変わらず貧しい村だ。
商店もない。もちろん宿屋も酒場も。
誰もこんな山間の集落なんかには来ないからな。
本当に悲しいぐらいに貧しい村だ。
昔と変わらずボロい我が家の前まで来ると馬から降りた。
そして大きく深呼吸してから家に入る。
「……ただいま」
恐る恐る中を覗くと兄と兄嫁がこちらを見ていた。
不審人物を見たかのような顔で。
あそこで寝ている赤ん坊は……甥っ子、なのか?
「……あぁ、ブラウンか」
そこにいたのは感情の欠片もない平坦な声の兄貴と、対照的に怒気あふれた目でこちらを睨みつける兄嫁だった。
親父もお袋もとうの昔にくたばった。
その後、幼かった俺は年の離れた兄貴と兄嫁との三人で暮らしていたのだ。
だが気の強い兄嫁と折り合いが悪くて、そろそろ一人前になろうかという歳になったときに、家を飛び出した。
まぁ俺がロクでなしの、どうしようもない人間だった、というのもあったがな。
「……久し振り、兄貴」
「あぁ、何年ぶりぐらいだろな」
野盗に落ちてからだから、もう十年ぐらいか。
それにしても兄貴は老けたな。まだギリギリ三十代なのに。
と言うよりも生気が無くなっちまったという感じか。
兄嫁は相変わらず不機嫌そうだ。これは仕方ない。
この村の暮らしは大変だからな。
本当は誰だって、こんなところから逃げ出したい。
でも逃げる場所なんて何処にもない。
だからこの村で耐えながら、感情を殺しながら生きていく。……兄貴のように。
もしくは落ちるところまで落ちる。……この俺のように。
「お前の良くない噂を聞くが、どうなんだ?」
それを突かれると痛い。
どう言い訳するか考えている間に姐さんが入ってきた。
「お邪魔します」
「ん、なんだ? この娘さんは。……お前の嫁か?」
目を見開いた兄貴。ようやく表情を変えた。
そんな珍しい表情の兄貴を目の当たりにし、今度は姐さんを睨みつける兄嫁。
女として負けを認めたくないんだろうな。
昔から兄貴ラブだったし。
姐さんは美少女だから、その気持ちは分からんでもない。
だが中身は鬼神だぞ。
そんな風に睨みつけると返り討ちに遭うぞ。……俺たちみたいに。
「はじめまして、冒険者のアリスです」
丁寧に頭を下げて応対する姐さんに拍子抜けしたのか、思わず兄嫁も頭を下げて返した。
「この村に話があるので、ブラウンさんに道案内をお願いしました。……別に奥さんじゃないですよ」
そういって満面の笑顔ではっきりとした否定をする。
これはこれで、なんか告白する前に振られたみたいでキツイ。
「……冒険者さんねぇ? こんな村に用事なんてねぇだろう?」
兄貴は冒険者という言葉に反応してまた無表情に戻ってしまう。
まぁ、この国の人間なら当然の態度だな。
姐さんは、そんなそっけない兄貴に対して気分を害することもなく話を続けた。
「えぇ、……この村の大事な未来の為にお話があるんです」
「……未来?」
その言葉に今まで黙っていた兄嫁が食いついた。
いつの間にか腕の中に赤ん坊を抱いている。
「どういうことだ?」
珍しい態度を見せた兄嫁を横目で見ながら、兄貴が俺に聞いてくる。
いやいや俺も何も聞いてないんだけど。
俺は無言で首を振った。
姐さんは兄嫁の顔をじっと見つめながら、ゆっくりと繰り返した。
「はい、未来です。……大事な未来の為のお話です。……この村で一番偉い人とお話させて頂けないでしょうか」
それを聞いて兄嫁が目を瞑りながら、ぎゅうっと赤ん坊を抱き締めた。
兄貴はそんな自分の妻を優しい目で見つめてから、こちらに向き直る。
「……ダンだろうな、やっぱり。……一応アイツがここの村長だから」
ダンさん。
兄貴の幼馴染だ。
知らない間に村長になっていたのか。
子供の頃に何度か怒鳴られて小便ちびった記憶がある。
この村で一番怖い人間だ。
「まず、ダンに話を通してくる」
出来るだけ皆に聞いてもらいたい話なので、人は沢山いてもいいと言う姐さんに頷き、しばらく家で待っていてくれと言い残して兄貴は家を出て行った。
待っている間、何故か兄嫁がメシを出してくれた。
――あの鬼の兄嫁が。
いつも俺を殴り掛からんばかりの勢いで睨みつけていた、あの兄嫁が!
今は何故かゴキゲンで姐さんに話しかけている。
姐さんも楽しそうに甥っ子を抱いてあやしていた。
俺はそんな二人を部屋の隅から眺めていた。
もし真っ当な人生に戻ることが出来るなら、家庭を持ちたい。
なんてことを考えながら。
しばらくして呼びに戻ってきた兄と三人で村長屋敷へと向かった。
この村で一番立派な屋敷の広間に入ると、懐かしい顔が集合していた。
彼らは、何処か値踏みするような視線をこちらに寄越してくる。
「……夜分遅くに申し訳ありません」
姐さんは用意された敷物の上で礼儀正しく座り、丁寧に挨拶をする。
それを見て皆がうろたえた。
礼儀作法なんてここにいる人間は誰も知らないだろうが、それでも明らかに上流階級のそれだと理解させる佇まいだった。
この場を飲んだと確信したのか、姐さんは一転して大胆不敵な笑顔をみせる。
俺たちはただそれを間抜け面さらして見ているだけだった。
「……それでは、お話させていただきますがよろしいですか?」
「あぁ、この村の未来とかなんか言ったな」
ダンさんも思わず飲まれてしまったのか、少し声が擦れていた。
「はい、その前に……」
姐さんはそこで言葉を切って、首を動かさずに視線だけで周りを見渡した。
「話を円滑に進めたいので、これからは私とダン様でお話させていただきます。ですから皆さんは取り敢えずはそれを聞くだけにしておいて頂けないでしょうか」
要するに黙って聞けと。口を挟むなと。……そういうことだ。
「後で気になることがあれば十分に説明させて頂きますが。話が拗れると纏まる話も纏まらないので、お静かにお願いいたします」
そう言い放つと深々と頭を下げた。
慇懃無礼とはこのことだろう。
皆一様に不満そうではあったが、ダンさんが何も言わないのでしぶしぶ了承といった感じで引き下がった。
姐さんは深呼吸するとゆっくりと口を開いた。
「……皆様は自分たちが貧しい暮らしをしている、という自覚はございますか?」
一瞬の沈黙の後、響き渡る怒号。
……姐さん。
もしかしてケンカ売りに来たんですかい?




