第3話 狩人サファイア、水の公国出身であることを恥じる。
聖王国東端の宿場町を朝早くに出発して、昼過ぎにようやく水の公国に入ることができた。
国境を越えてすぐに感じる、このなんとも言えない未開さ。
聖王国の主要街道は石畳なのに対して、この国の街道はぼこぼこの土だ。
本来ならば旅人が身体を休めるための木々の周りも、誰も手入れしていないので、鬱蒼とした茂みになっており、休もうにも近寄ることすらできない。
水の公国はそういうお粗末な国だ。
でもここが、この国が私の故郷。
……私が捨てた、故郷だ。
この国は水の公国なんて名乗っておきながら、実は国土の八割が山林で占められている。
都が湖に面していると言うだけで水の公国。
都なんて言っても聖王都とは比べものにならないぐらい小さい。
圧倒的大多数の国民は山の恵みに頼って生きている。
私の生まれた村でもそうだった。
村人全員が平等に貧しい暮らしをしている。
狩りをして、鉱山で石を掘って、山の恵みを収穫して生きていく。
そして子々孫々貧しい人生を送り、死んでいく。
生きていくのが精一杯、そういう環境だ。
裕福な生活なんていうのは夢のまた夢だ。
都に住んでいる一部の人間だけが、辛うじてそれを謳歌することが出来る。
もちろん裕福といっても、この国の平民と比べてという話だが。
貧しい生活が嫌なら、都で宮仕えをして成り上がるしかない。
……どんな汚い手を使ってでも。
真っ当に善良に死ぬ思いで働いたとしても、下っ端として扱き使われるだけで終わる。
成り上がるには悪魔に魂を売るぐらいの気持ちで、徹底的に周りの者たちを蹴落としていかなければならない。
その才覚が無いのであれば、あとは野盗に成り下がって人のモノを奪って生きていくぐらいか。
この国でいい生活を望むならば、成り上がるにしろ成り下がるにしろ、汚い生き方をしなければならない。
――ここはそんな腐りきった国だ。
だから私はこの国を捨てた。
当然のように、この国で生きることを選んだ家族や村の仲間たちも一緒に捨てた。
夕方になった頃、私たち一行はようやく宿場町に到着した。
ここまで来れば明日中には公国の都レイクサイドに着くことが出来るだろう。
それにしても、両国を繋ぐ街道沿いの宿場町にも関わらず、明らかに聖王国のそれと比べて貧しいとわかる町並みだった。
粗雑な造りの建物が無秩序に並んでいる。
荒れ放題の畑からは申し訳程度の作物しか取れない。
マインズ郊外の畑では、あんなにも実りが溢れていたのとは対照的な光景だ。
だが、これでも山住まいの人間よりはマシな生活をしているのだ。
たとえ小さくとも、荒れ果てていようとも、ここには耕す畑がある。
残念ながら、山にはそんな土地はない。
例え畑にできる土地があったとしても、日の当たらない斜面ではロクに作物も育たないのだ。
私たちはこの町に呆れながらも、たった一軒しかない宿屋に泊ることにした。
宿屋といっても床に敷いた筵に雑魚寝という最底辺の宿だ。
そして受付には無愛想な主人。
お腹が空いていたので、やはりたった一軒の酒場に向かった。
そして当然のように無愛想な店主。
私たちを見て嫌悪感を隠そうともしなかった。
「……悪いがゴロツキに出す酒はねぇよ」
「僕たちは冒険者だ。ゴロツキ扱いは止めてもらいたい」
クロードがむっとした顔で言い返すが、店主はそんな彼を鼻で笑う。
「兵士でもねぇのに剣を振り回すような輩なんざ、ゴロツキみたいなモンだろうが」
そんな風に言い捨てる店主に、他の客たちも「そうだ」と囃し立てた。
実際この国ではそんな認識なのだ。
基本的に冒険者は、ギルドがないこの国に立ち寄ることはない。
この地にやってくる冒険者はどこかでヘマをやらかしてしまい、ほとぼりが冷めるまで避難しようという人間か、そもそも非合法に手を染めた悪人ぐらいなものだ。
つまりは、後ろ暗い人間がほとんどだ。
そしてそんな奴らはこの地でロクなことをしない。
だからこの国の人間は冒険者に対して、ますます排他的になっていく。
クロードの背中に差された剣を見て、彼らがそういう反応を示すのは自然なことだった。
結局、私たちは酒場を追い出されるように後にすると、仕方なく宿屋に戻りご飯を頼むことになった。
明らかに面倒臭そうに対応する主人を相手にしながら、こちら側もどんどん不機嫌になっていく。
私たちは美味しくもないごはんを無言で口の中に押し込むと、早々に部屋に戻ることにした。
そして扉を閉めると誰ともなく溜め息を洩らす。
「……みんなごめんね」
思わず私の口からそんな言葉がついて出てくる。
こんな国でごめん。
何だか涙が出てきた。
「何でサファイアが謝るの?」
クロードはいきなり泣き出してしまった私にびっくりした様子だった。
「学校の訓練カリキュラムで、雨中行軍やその中での野宿なんてあったから、屋根があるだけありがたいよ。……あったかいごはんも食べられたし」
あまりフォローになってもいないけど、ルビーも優しい声で慰めてくれた。
「……皆でこうやって雑魚寝をするのも悪くないな」
横になりながらトパーズはあくびを噛み殺した。
みんな私に気を使ってくれているのが分かって、それが逆に申し訳なかった。
みんなが寝静まった中、私は一人眠れずに考え事をしていた。
この前に泊まった王都の宿屋は本当に立派だった。
確かに値段も高かったけれど、清潔な部屋で快適に過ごせた。
酒場の食事も本当に良かった。
ルビーのオススメ店だけあって、スープも肉料理も今まで食べたことのない美味しさだった。
何より店の人の物腰が丁寧だった。
それに引き換え、この町の宿と酒場ときたら……。
結局のところ、聖王国はこの国と違って豊かなのだろう。
人もモノも心も、何もかも全てが。
きっとこの国はずっとこのままだ。
あの晩、聖王都で過ごした夜は相部屋だったルビーが実家に顔を出すと言って、ごはんを食べてからすぐに別れた。
部屋に帰ってからは広い部屋で朝まで一人っきり。
フカフカのベッドでお姫さま気分に浸ることができたけれど、ほんの少しだけ空しかった。
今頃ルビーは実家の御屋敷のベッドで寝ているのだろうか。
そんなことを考えていた。
きっと貴族様のお屋敷ってすごいんだろうな。
何部屋ぐらいあるんだろうか?
毎晩パーティとかするんだろうか?
彼女はステキなドレスを着飾って来客を迎えるのだろうか?
貴族ならすでに婚約者とかいたりするのだろうか?
そんな想像を頭の中で膨らませていた。
ルビーが羨ましかった。
私も貴族の娘に生まれたかった。
別に貴族じゃなくてもいい。
せめて王国民として生まれたかった。――水の公国の貧しい村娘ではなくて。
兄も弟も妹もいない一人っ子で。――両親の愛情をいっぱい注がれて。
学校に行ってお友達を作って。
お花屋さんで花に囲まれながら働いて。
いつか素敵な男の人と巡り会って――。
昔からそんな詮無いことを夢想しては、不幸な自分を慰める癖が直らない。
子供じゃあるまいし、いつまでそんなことを続けるのかと自己嫌悪を感じながら、眠りについた。
あの晩も、――今晩も。