第9話 クロード、帝都に帰還する。
帝都は予想以上に静まり返っていた。
巡回する兵士たちはそこら中にいて目を光らせているのだが、肝心の市民たちの姿が見当たらないのだ。
サファイアが言うには式典のときは女性も子供もたくさんいて華やかだったと言っていたのに全然だ。彼女はいわゆる田舎者だったからイマイチ参考にならないのも事実だが、どこか物々しい雰囲気を感じさせた。
その中で俺は目立たないように都の裏通りを歩いていた。
本来ならば「魔王を倒してセカイを救った英雄サマの凱旋だぞ!」と大声で叫びたいところだが、俺には皆の静止を振り切って皇帝を殺したという前科がある。
厄介事は避けておくに越したことはない。
警戒しつつ帝都を観察しながら歩き続けていると、やがて懐かしの白銀城が見えてきた。
どうすべきか一瞬だけ考える。
裏口から侵入すればそれこそ余計な腹を探られかねない。
ここは堂々と正面から訪ねるべきだろう。
最悪あちらが問答無用で斬りかかってきたとしても、門兵程度なら殺すことなく当身程度で簡単に対処できる。
――最初は穏便に。好き勝手をするのは権力を握ってから。
全員をねじ伏せるのは、あくまで最後の手段。
俺は深呼吸して自分に言い聞かせると、城門に向かって歩みを進めた。
城門に兵士らしき者はいなかった。
そこにいたのは、彼らより遥かに腕の立つ顔見知りがたった一人だけ。
――ロレントだ。
「よう、元気だったか? ……空を見た感じだと、無事に魔王を倒してくれた……ということでいいんだよな?」
彼はあの頃のような軽い口調で話しかけてきた。
だがその割には笑顔どころか、彼特有の親しい空気も一切感じられない。
「……はい。そうです」
俺は警戒しつつも思わず昔の口調に戻ってそれに応える。
一応彼からは敵意のようなモノは感じられないし、いきなり斬りかかってくる様子もなかった。だからと言って、額面通り魔王討伐の英雄を出迎えてくれたと受け取ってもいいモノかどうか。
取り敢えずこの状況では迂闊なことは言えないので、当たり触りのない話で相手の動向を探ることにする。
「……モンスターはどうなりましたか?」
「あぁ、おかげ様で新しく飛来してくることはなくなった。……あとは軍で何とか出来るだろう」
「……そうですか、それは何よりです」
相変わらずの素っ気ない態度。
ここから何を探れというのか。
俺が続いて何かを言おうと考えていると、ロレントは腹の探り合いもそこそこに、こちらに背中を見せて城内に入っていく。
「……ついてきな。みんなが待っている、中で詳しい話を聞かせてもらおうか?」
本当にそれでいいのか? 不用心過ぎないか?
……それとも、やはり何かの罠だろうか?
だが、今の俺の実力なら大丈夫なはず。
彼に気付かれないように拳を握り締めると、慌ててその背中を追いかけた。
通されたのは謁見の間だった。この部屋に入るのもあのとき以来だ。
あれから本当にいろいろあった。
感慨深い思いでこの広い部屋を見渡す。
どうやら新しい女王国の主要人物が集められたらしく、見覚えのないジジイやら女子供やらが一斉にこちらを睨みつけてきた。とても英雄を迎える態度には見えなかったが、俺たちの遺恨を考えればやむを得ないかもしれない。
彼らから視線を外して見知った顔を探したが、バトラーさんはいなかった。
ヴァイスさんのときのように責任を取らされたのかもしれない。
アリスが戻ってきているのかとも思ったが、玉座は空のまま。
どうやら本当に3周目に向かったらしい。
そのかわりに存在感を示していたのは部屋の中央に仰々しく置かれた台座と、その上に乗せられている平べったい器だった。
水が入っているのか、バルコニーから入って来る風で表面が揺れている。
以前この部屋に入ったときはこんなモノはなかったが、元々この部屋に備え付けられていたモノだったのかもしれない。
俺がそれに目を奪われていると、テオドールが一歩前に出た。
「まずは魔王を討伐してくれたこと、このセカイに住む民の代表として感謝申し上げる」
新しい女王国の宰相に就任したという彼が深々と一礼した。
それに倣って居並ぶ皆も一斉に俺に向かって頭を下げる。
なかなか壮観だった。
「さてクロード君。……魔王城で一体何があったのか、その辺りを聞かせて貰えないだろうか? 特にアリシア女王陛下と側近のパールに何があったか、を。……これまでのいきさつも含めて全て話して頂けるとありがたい」
――そら来た!
さぁ、一世一代の大芝居の幕開けだ。
俺は深呼吸すると、ここに来るまでに練り上げていた物語を話し始めた。
「正直、この僕自身にも何が起こったのか分からない部分があります。取り敢えず最初から――神の声のことから話しますね」
俺は出来るだけ低姿勢で、過ちを悔いている感じの神妙な表情を作る。
皆は驚いた顔を見せたが思い思いに頷いた。
「……ここにおられる方々は僕が今まで神の声が聞こえるのだと口走っていたことを覚えておられる思います。……ですが、アレはアリス――アリシア女王陛下の指摘通り魔王の声だったと判明しました――」
あの後、魔王に騙されていたのだと気付いたこと。
セカイを混乱に陥れたことを何とか償いたいと思い、仲間と相談して魔王を倒すと決断したこと。
三人での戦いはキツかったが、頑張って力を蓄えたこと。
そして満を持して魔王戦に挑んだが、やはり魔王は強くすぐに劣勢に陥ってしまったこと。
「そんなとき颯爽と助太刀に現れたのがアリスとパールでした。おかげで戦力が拮抗し、僕たちも態勢を整えることが出来ました。それでも魔王はまだまだ力を残していたらしく、仲間たちは一人また一人と力尽きていきました。……だけど僕は、――僕だけは絶対に倒れる訳にはいかなかった! 僕の短慮がセカイの危機を招いてしまったのだから! ……最後の一人になっても戦い続けなければならなかった! たとえ剣が折れようとも!」
俺は熱のこもった語り口で皆に訴えた。
何だか、物凄く気持ちいい。
アリスもこんな感じでコイツらに語ることで、自分の思い通りにセカイを動かしてきたのだろうか?
これは病みつきになるのも分かる。
「……そして何とか魔王を倒したときには立っているのは僕一人だけでした。まだ息のあったアリスに駆け寄って回復魔法をかけたけれど全然効いてくれませんでした。彼女はそれ程までに死力を尽くして戦っていたのです。――セカイの為に! ……人知れず魔王復活を阻止するために戦い続けてきたアリスは本当に立派でした。僕は魔王に操られていたとはいえ、そんな彼女を『セカイの敵』だと罵ったのです。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。……そのことを僕は彼女に告げました」
ちらりと人の動く気配を感じたのでそちらを見たら、女王国の人間らしきおっさんが涙を袖で拭っていた。
そちらを見ている俺と目が合うと、彼は気まずそうに顔を伏せる。
……別に照れなくてもいいのに。
むしろもっと感動している姿を見せて欲しいぐらいだ。
俺は咳払いして更に続ける。
「――アリスは謝罪に対して優しい笑顔で頷いて、許してくれました。……そして最後の力を振り絞りながら僕に話しかけるのです。何度も『もう話すな!』と叫びましたが、彼女は僕の言葉を遮ってまで話し続けたのです。『私の国をお願い。……新しい皇帝として平和なセカイを守ってほしい』と! ……僕にそんな大事な役目が務まる訳がないと言ったのに、頑として受け入れてもらえませんでした。最期の願いだから聞いてくれと言うのです。……だから僕はその願いを叶えることにしました。そのことを伝えると、彼女は満足そうな笑顔のまま、僕の腕の中で息を引き取りました」
俺は沈痛な面持ちを作って、全員を見渡した。
呆然としている者、静かに涙を流している者、派手に肩を震わせて嗚咽を漏らしている者もいる。
どうやら俺にもこの才能があったようだ。
本当は笑い出したかったが、歯を食いしばってそれを耐える。
あぁ、そうだ!
アリスに教えて貰ったことを思い出した。
――ヒトは死んでこそ英雄なのだ、と。
「新しい皇帝の最初の仕事として、まずはアリスを真の英雄として祀りたいと思います。彼女がどれだけこのセカイのことを想っていたのかを、彼女が愛した民に、そして彼女を愛している民に、全てを見てきた僕の口からちゃんと伝えたいのです! 彼女こそがこのセカイを救ったのだと! ……その為の式典の準備をして欲しいのですが、どうでしょう?」
俺の言葉にロレントが天井を仰いだ。
彼も涙をこらえているのだろうか?
しかし彼は苛立たしげに表情を歪めて息を吐くと、身体中から激しい殺気を噴き出しながら俺を睨みつけた。
「ヒトというのはここまで腐り果てることが出来る生き物だったのか……」
彼のその言葉を皮切りに、皆が口ぐちに俺を詰り始めた。
……何故? 意味が分からない。
今の話は完ぺきだったはず!
どこにも破たんするような要素はなかったはず!
「――輝石には魔法使いが強く網膜に焼き付けた瞬間を映す力があると、そんな話を聞いたことは無いか?」
テオドールが話の流れと関係ないことを言いながら懐から何かを取り出した。
それは……ルビーのペンダント、か?
そう言えば、彼女がそんなこと言ってた気がする。
聖王祭は初代聖王の見てきた光景を見るのが本当の行事だとか何とか。
俺たち庶民には関係ない話だったから、適当に聞き流していた。
「女王陛下が最後の力を振り絞って書いた手紙と一緒にコレが入っていたのだ!」
テオドールが肩を震わせ涙ながらに話すと、ペンダントを静かに水の入った器に沈めた。水面が明るくなり、鮮明に動く絵のような何かが浮かび上がってくる。
俺はそれを覗き込んだ。
そこに映し出されていたのはサファイア、パール、そしてルビーを次々と刺し殺していく俺の姿。
……なんだ、コレ?
これは、……ルビーが最後に見た光景……というコトなのか?
それをアリスが手紙と一緒にこちらに寄越した、と?
つまり、アイツは初めから、そのつもりでルビーの胸元からペンダントを毟り取っていったという訳で……。
つまり、……えぇっと、つまり…………どういうコトだ?
「――これで全てを終わらせる! ……覚悟しろ!」
ロレントの叫び声にハッとして周りを見渡すと、いつの間にかテオドールや元宰相やらガキやらの姿は消えていた。
その代わりに俺を囲むのは武器を構えた屈強な兵士たち。
そして徐々にその包囲網が狭まってくる。
「……なんだよ。そういうことかよ!」
なんて余興を用意してくれてんだよ!
……最高だ!
アリス! やっぱ、お前は最高だよ!
――最高のクソッタレだ! こんちくしょう!
「禁呪・神罰!!!」
俺は怒りに任せて魔法を放った。
残っている全ての魔力をつぎ込む、聖騎士の最大にして最強の魔法。
しかも無詠唱で発動できる代物だ。
ただ敵味方問わずそこら中にいる全てのモノが喰らってしまう欠陥魔法だった為、使い道がなかった。聖騎士になったからには一度は使ってみたかった魔法。
それを今ここでブッ放つ!
あまりにも強大な威力に、この広間にいる全員が俺を中心に放射状に吹っ飛んでいく。不意に宙に浮く感覚に襲われ下を見ると、床が魔法の衝撃に耐え切れず崩れ落ちていた。下の階まで丸見えだ。
そして次の瞬間、俺も皆と一緒に一階に叩きつけられた。
――すごいなぁ。まさか、ここまでの破壊力だったとは。
メチャクチャ気持ちいい。超気持ちいい。
天井を見上げたら大部分が崩れ落ちており、青空がやけに綺麗に見えた。
そう言えば、こうやって穏やかに空を見上げるのも何年ぶりだろうか?
「……いやぁ、城って意外と脆いんだな。フフフフフ……ハハハハハハ!!!」
笑いが止まらない。
あの魔王城で使っていたら全員生き埋めになっていたかも知れない。
俺は懐からアリスの残していった最後のエリクサーを取り出すと、一気に飲み干した。再び体力と魔力が漲ってくる。
「……もういい。今からアンタの作った最高傑作とやらをブチ壊してやるよ。全部全部全部全部全部全部全部全部!!! ――壊しつくしてやる!」
完全にブッ壊れたセカイで新しくハーレムを作ってやるよ。
どうせ俺の邪魔をするヤツらも今ここでくたばっちまったことだしな。
そうしよう。ちょっとばかり予定が変わっただけだ。
むしろ初めからこうしておけばよかった。
アリスに影響されたせいで、こんな回りくどい手を使ってしまったが、どう考えても俺向きじゃない。
これからは面倒な手は一切使わない。力押しの何処が悪い!
何やら呻き声が聞こえたのでそちらを見たら、ロレントが瓦礫の中から這い出てくるところだった。
……まだ生きてやがったか。しぶといヤツめ。
お前の上から目線で偉そうなところが、最初から大嫌いだったよ!
俺は彼に近付くと、思いっきり頭蓋骨を踏み砕く。
ロレントの完全に動きが止まった。
派手な足音とともに外で待機していただろう衛兵たちも駆けつけてくる。
そして俺を見るなり剣を抜いて向かってきた。
その彼らに有無も言わさず剣を横なぎに一振りで仕留める。
二人同時に胴体が上下真っ二つになった。
「……雑魚は引っ込んでろ!」
弱すぎる。コッチは今まで魔王と戦っていたんだよ!
同僚に起きた悲劇を見た残りの衛兵たちが恐怖に顔を歪ませた。
俺は笑みを浮かべながら、腰が引けている彼らにゆっくりと近付くと、潮が引いていくように皆が後退っていく。やがて一人が慌てて走り去るとそれを追いかけるようにして全員が逃げ去って行った。
「……ったく、兵士の教育がなってねぇなぁ、アリスさんよぉ」
俺は根性無しの衛兵を見送りながら、大げさに溜め息をついた。
どこかからか殺気の籠った視線を感じたので、改めて周囲を見渡すと、壁際で血を流した女が俺を睨みつけているのに気が付いた。傍らにいたのは血まみれのテオドール。そちらは一目で息絶えているのが見て取れる。
……この女は、……確かクロエだったか。アリスの側近だったはず。
なかなかのイイ女だ。――いや、よく見ると相当整った顔をしている。
少々歳は食ってるが、それでも十分ソソる。
「……いい目だな、顔も気に入った。……なぁ、お前。俺のガキを産む気はあるか?」
「……誰が!」
そう言うや彼女は素早い身のこなしで跳ね起き、近くに転がっていた剣を握って突っ込んできた。
何気にさっきの衛兵よりもいい動きだ。――だが、所詮はド素人。
俺は最小限の動きでクロエの斬撃を避けると、彼女の身体をしっかり拘束する。
そしてアゴを上げるとキスをしてやった。
慌てて身動ぎする彼女を無視して、大ぶりの胸を揉む。
……柔らかい。気持ちイイ。
ルビーやサファイアには無い、大人の魅力に溢れたイイ女の肉体だった。
やっぱり女はこれぐらいじゃないとダメだ。
キスしたまま柔らかい彼女の身体全体を丹念に揉みしだくと、女の色気を感じさせるくぐもった声を漏らす。
――あぁ、たまんねーよ。
しばらく愛撫を続けて可愛がってやると、徐々に身体の力が抜けてきた。
――ようやく堕ちたか。
俺は唇を離すと、とっておきの笑顔で頬に伝う涙を拭いてやる。
「早速今晩から俺のハーレムで可愛がってやるよ。……お前のようなイイ女ならば俺の正妃にしてやってもいい。……どうだ? 嬉しいだろう? 今日からお前はこのセカイの主の妻だ」
それだけ伝えるともう一度キスをする。
彼女は抵抗するように手を中空で動かしたが、結局耳飾りに指を引っ掛けることぐらいしか出来なかったようだ。悔しそうにそれを手で握り締める。
その仕草がまた妙に色っぽい。
やっぱりコイツは本当に極上の女だ!
完全に屈服させようと、しばらく舌を入れてキスをしていたのだが、徐々に唾液の中に血の味が混じるようになってきた。
驚いて顔を離すと、いつの間にか彼女の目から生気が失せていた。
……何だよ、舌を噛み切ったのか?
ちくしょう、せっかくイイ女だったのに。
力が抜けて崩れ落ちるクロエを蹴り飛ばして舌打ちすると、不意に後ろから恐ろしい程の殺気が膨らんでいくのを感じた。
振り向き確認すると、突っ込んでくるのはシーモア。
……生きてやがったか!
俺は身を翻して彼の一撃を避けた。
「いい動きだな。やっぱりアンタは強えぇよ! ……だが残念ながら魔王ほどじゃねーな」
俺は一気に間合いを詰めると、剣を振り下ろす。
シーモアはそれを剣で受けとめようとしたが――。
「だから格が違うって言ってるだろうが!」
そのまま強引に叩きつけるように振り抜き、剣ごと彼を真っ二つにしてやった。
血しぶきをあげて倒れる彼を何の感慨もなく見下ろしていると、まだ周囲から幾つか視線を感じることができた。……だがこちらに向かってくる気配はない。
傷を負って動けないのか、それとも俺を恐れて動けないのか。
この国で最強と言われているシーモアですら俺とまともに戦えなかったのだから、竦んでしまっても仕方がない。
――雑魚はそうやってひっそりと生きていけばいいのさ。
それがこれからの新しいセカイでの常識となるだろう。
俺に歯向かおうとさえしなければ、生きることぐらいは許してやる。
彼らを一瞥すると俺は悠々と城を後にするのだった。




