第7話 クロード、アリスの思考を辿る。
薄れゆく意識の中で、遠ざかっていく軽やかな足音だけが鮮明に聞こえた。
俺は歯を食いしばり、最後まで残していた霊薬を手探りで懐から取り出す。
そして覚束ない手でビンを開けると、無理やり口の中に流し込んだ。
あっという間に痛みが薄れていき、身体の感覚も戻ってくる。
取り敢えず何とか命だけは助かったようだ。
落ち着いた気持ちで溜め息をつくと今度は足が痛みだした。
見ると剣が太腿に刺さったままだった。
「……あぁ、クソッ!」
俺は深呼吸すると、太腿に刺さったままの剣を逆手に持ち強引に引き抜いた。
傷口から痛みとともに一気に血が噴き出て、床を真っ赤に染めていく。
慌ててそこを押さえながら回復魔法を唱えると、徐々に傷口が塞がれていった。
何とか治療を終えると、俺はその剣を杖代わりにして立ち上がる。
慌てて周りを見渡すも、目につくのは床に倒れたままの三人だけだ。
当然ながら、もうアリスはいない。
「おい! マール! ……今ヤツはドコにいる!?」
天井に向かって問いかけたが、こちらも当然返事はなし。
「ちくしょう!」
俺は苛立ち紛れに叫ぶことしか出来なかった。
やっとのことで手に入れた宝具は奪われ、アリスにも逃げられた。
神の加護も失った。
――もう終わりだ。
唯一の希望だった2周目が消えてしまった。
あまりの絶望に立ちくらみしそうになる。
……俺は今まで何の為にここまでやってきたんだよ。……ちくしょう。
今ここで駄々っ子のように床に転がって泣いて叫べば、どこからか優しい誰かが颯爽と現われて助けてくれるのだろうか?
大丈夫だよって、泣きじゃくる俺を優しく抱きしめてあやしてくれるのだろうか? ……って誰が!?
どこの誰が名実ともにセカイの敵である俺を助けてくれるってんだよ!
死ぬ思いで魔王を倒した英雄なのに、セカイの敵って一体どんなだよ!?
あまりの理不尽さに乾いた笑いしか出てこなかった。
…………あぁ、もういいや。
やってられるか! もういい。ホント、もういい!
……よし! 取り敢えずこのセカイをツブすか?
その先のコトは後でゆっくりと考えればいい。
まずは帝都に向かおう。サファイアの報告によると、今帝都には主だった人間が集まっているらしいし、丁度いいだろう。
さんざん俺のコトを虚仮にしてきたヤツらから血祭りにあげてやる。
……抵抗する人間も命乞いする人間も関係なく片っ端から殺ってやる。
どうせ今の俺に敵う奴など居やしないんだから。
シーモアだろうがロレントだろうが、全員まとめて掛ってくればいい。
カンタンに返り討ちにしてやるさ。
一番厄介なアリスがいないこのセカイなんて、残りカスも同然。
そして帝都が片付いたら……。
――いや、待て。……何だ、この違和感は?
この前聖域でマールの話を聞きながらアイツの思考を追いかけていたときと全く同じ感覚に襲われた。あのときはマールのせいで中断させられてしまったが、今回は絶対に同じ轍は踏まない。
考えろ! 今度こそちゃんと考えろ! 途中で考えるのを止めるな!
『それでは引き続きこのセカイをお楽しみください』
不意に先程のアリスの言葉が蘇ってきた。
目を閉じて、呼吸を整え集中する。
何故アイツは最後の最後でこの俺に伝える言葉にソレを選んだのか?
普通ならば絶望を与えるべき場面なのにも関わらず!
俺だったら、むしろ逆に「苦しめ。……そして無力感の中で死ね」と勝ち誇り高笑いするだろう。
だがアイツは違った。楽しめ、と言ったのだ。
――死ぬ直前のこの俺に。
だから何故アイツその言葉を選んだのか、その意味を考えなければいけない。
アイツも最初は俺と同じ勇者だったのだ。
俺たちは同じようにマールに騙されて皇帝を殺した。
俺たちは同じようにマールに退路を断たれて魔王を討った。
俺たちは同じようにマールに対して恨みを持っていた。
全部全部同じなのだ。
ならば2周目のアイツの思考に追いつくことは出来なくても、辿ることぐらいは可能なはず!
とは言っても、必死に頭を捻ったところで勝手に浮かんでくるモノでもない。
折角何かが掴めそうなのに、本当にもどかしい。
せめて何か取っ掛かりになるようなモノでもあれば!
……何か。何か。……何か!
――カラン。
何事かと目を開けて、足元を見れば小瓶がカラカラと石畳の上を転がっていた。
知らないうちに蹴ってしまっていたようだ。
確かコレはアイツが、蹲る俺の前にこれ見よがしに置いて行ったモノだ。
薄れゆく意識の中だったからあまり覚えていないが、ここにコレがある以上その記憶は間違いはないはず。
「ん? ……この色は!?」
俺は慌てて拾い上げた。
――やはり霊薬だ。
アイツは何故わざわざ俺の手の届く場所に霊薬を置いて行ったのだ?
もしかして俺を助けたかったのか?
致命傷になりかねない傷を負わせておきながら?
考えろ! 間違いなくこれこそが俺の欲しがっていた取っ掛かりだ。
さっき俺が薄れゆく意識の中で飲み干したのは、あの日バルコニーの下で拾って、隠し持ったままだった残りの一つだ。
もしあれがなかったら、俺は一も二もなくコレを飲んでいたことだろう。
……アイツがそのコトを知らなかったとしたらどうだ?
前回、アリスがコレを俺に寄越したとき、一緒に託した想いは『自分の代わりに頑張って魔王を倒してくれ』だった。
では、今回は? ……何だ? どんな意味がある?
今ここで掴み切らないともう絶対に辿り着けないだろう。
これはアイツが最後の最後で、わざわざ残していってくれたカギなのだ!
…………わざわざ?
……カギ? ……アリスが!?
…………あぁ、なるほど。
「……そういうことか! そういうことなんだな、アリス!」
やっとのことで答えに到達した瞬間、俺は弾けるような笑いの発作に襲われた。
俺はしばらく収まる気配のない笑いに身を委ねていた。
ようやく違和感、いや勘違いに気付くことが出来た。
そう。
――俺は別にあの宝具を使ってやり直す必要なんてなかったのだ。
さっきも考えた通り、俺はこのセカイで自他共に認める最強だ。
今さらこの俺をどうこう出来る人間など存在しない。
そしてセカイを脅かす魔王はいない。――俺が倒してやった。
面倒な勢力争いも終結した。――こっちはアリスが平定してくれた。
もはやこのセカイに俺を煩わせるモノなど、何一つ残っていない!
あとはこの俺がアイツの代わりに皇帝に君臨すればいいだけの話。
むしろ新しいセカイで一から始めるよりも、この強さをもったまま好き放題できるこのセカイに残る方が、俺にとっては都合がいいのだ。
そもそもアイツはこのセカイを必要としていない。
要らないと言うのであれば、俺が有効に使ってやる。
――そう、この状況はある意味俺たちにとって理想的な展開なのだ。
たとえるならば、子供の頃にやったプレゼント交換って訳だ。
アイツは俺が手に入れた宝具で新しいセカイを。
そして俺はわざわざ2周目をするまでもなく、アリスがキレイに整えてくれたセカイを――。
このやり方ならば全てが丸く収まるのだ。
――『楽しめ』というのは、そう言う意味だったのだ。
「……ったく! だから、お前のやり方は分かりにくいって、さっきも言っただろうが!」
どれだけ笑っても笑いが止まらない。
おそらく俺の2周目の予定を聞いてすぐにコレを考えたのだろう。
あの短い時間でこれ程の計画を一気に組み上げてしまうその鬼謀。
敵に回さなくてよかったと本気で思えた。
――あぁ、アリス。お前は本物の天才だ。
間違いなく天才だ。
……この俺が理解出来ていなけりゃ、全く意味がなかったがな!
もし気付けていなかったら……。そんな未来を考えるだけでゾッとする。
よくもまぁ、俺はアイツの思考に追いつくことが出来たモノだと、今回ばかりは自分で自分を心の底から褒めてやりたい気分だ。
どうやら神すらも欺く為には、これぐらいのコトは出来ないと話にならないということかもしれない。
事実アイツは完璧にやりたいコトを成し遂げてから3周目に行ったのだ。
そう考えると、俺自身あのまま2周目を始めたとしても、望み通りの展開に持って行けたかどうかあやしいモノだ。
「だったら、初めからそう言ってくれりゃ良かったのに……。ただ単に俺が痛い思いをしただけじゃねぇかよ!」
恨み節も出てくると言うもの。――ただし笑いながら、だが。
確かにあの状況でアリスにこの提案をされても俺は信じ切れなかっただろう。
結局俺たちの交渉は決裂することになり、アイツはここで俺に殺される。
そして俺は何の計画もせず2周目に挑戦して志半ばで頓挫。
マールだけが喜ぶという展開となっただろう。
アリスはそれを避ける為、こういった強引な手を使ったという訳だ。
いやはや本当に頭が下がる思いだ。
俺の高笑いは鳴り響く地鳴りによって強制的に止められた。
地面が揺れ、本格的に壁が崩れ始める。天井からも欠片が落ちてきた。
「オイオイ、夢にまで見た悠々自適のハーレム生活が待ってるってのに、こんな場所で死んでられねえっつうの!」
まずはこんな場所から早く逃げ出さないと。
アリスの言葉じゃないが、魔王を倒しておいて、沈んでいく魔王城と心中なんて泣くに泣けない。
俺は床に転がっている三人に目もくれず、慌てて来た道を戻ることにした。




