第5話 クロード、アリスと本音で語り合う。
剣を引き抜くとルビーが足元で動かなくなった。
何故だか分からないが、彼女は実に穏やかな表情で死んでいったのだ。
俺に殺されることを受け入れてくれてたのだろうか。
そこまで俺のことを想っていたのだとしたら、少しばかり胸が痛む。
一つ大きく深呼吸して心を落ち着かせると、サファイアの近くの床に転がっていた例のモノを拾い上げた。
掌にすっぽりと収まる小さなそれを優しくそっと握りしめる。
宝具――〈逆巻きの懐中時計〉。
俺はこれを手に入れる為だけに戦ってきたのだ。
――ようやく、ようやく念願の宝具を手に入れたぞ!
俺は賭けに勝ったのだ!
万感の思いで天を仰いでいたら、カツカツと規則正しい足音が広間に響き始めた。小気味いい音を鳴らしながら、誰かがこちらに歩いてくる。
――誰かだって?
そんなモノ今さら推測するまでもない。
ずっと俺たちのコトを物陰から観察し続けておきながら、彼女たちの窮地を目の当たりにしても一切動かずに見殺しを決め込む。
そのくせこの状況になってから、やっと出番が回って来たと言わんばかりに満を持して登場する。
人の生き死にでさえも演出に使うような、そんな悪趣味極まりない人間なんて俺はこのセカイでたった一人しか知らない。
「――やっぱり、そうなっちまうよなぁ?」
よく通るその声は、確かに聞きなれたあの少女のモノだったが、話し方はまるっきり男のソレだった。
「……やっぱり、っていうのはこっちの台詞だよ」
俺は呆れて漏れ出てくる笑いもそのままに、そちらへ目を向ける。
そこには腰に手を当てて満足そうに笑うアリスが立っていた。
――いや、コイツはメイスだ。
武器屋や酒場の看板娘アリス、水の女王国アリシア女王といった仮面を全て取っ払った、今日初めて会う元勇者メイス。
マールによれば元々は男の神術師だったらしいが、これほどの美少女の中身が男だと言われて誰が信じる?
頭ではメイスだと分かっているつもりでも、やはりコイツはアリスだ。
俺たちをここまで苦しめてきたこのセカイの覇者であり、稀代の大悪党だ。
「――宝具を使えるのはたった一人。そして一度きり。……だったら答えは決まっている、よな?」
そう言うとアリスは口元を歪めつつ、床に転がる彼女たちを一瞥した。
そう。コイツの言う通りだった。
だから俺はこのことを彼女たちに伝えなかったのだ。
もし教えてしまったら、きっと俺たちは一緒に戦えないだろう。
誰が宝具を使うのかで揉めるに決まっている。
誰だってこのセカイに残りたくないのだ。
だがルビーもサファイアも女王国に伝手がある。
最悪あの二人はコイツにお願いすれば受け入れてもらえるのだ。
別に俺のように皇帝を殺した訳でもない。
だけど俺は申し開きなど出来ない立場だった。
もし仲間割れした場合、最悪俺は一人で魔王に挑まなければならないのだ。
そんな状況で魔王を倒すなど到底無理な話だ。
だから俺はずっと黙っていたのだ。別に彼女たちを騙した訳じゃない。
――ただ言わなかっただけだ。
「……お前、こんな辺鄙なトコロまで一体何しに来たんだよ? まさか俺を殺しに来たって訳じゃないんだろう? ……言っておくが、お前一人じゃ勝てねえよ」
おそらく今の俺はこのセカイで最強だ。
あのシーモアだって一人で楽に倒せるだろう。
「もちろん戦うつもりなんてないさ。……正直今のオマエの強さはヒトの手でどうにか出来るレベルのモノじゃないからな」
アリスは両手を拡げて首を竦ませた。
……では何だ? 俺の強さを認識しておきながらの、この余裕は何なのだ?
この期に及んでコイツは一体何を企んでいる?
この状況で姿を見せた以上絶対に何かあるはずなのに、見当もつかない。
焦る俺の表情を見て取ったのかアリスは声を上げて笑い出した。
――心底に楽しそうに。
「……っ、俺の質問に答えろよ!」
恐怖に駆られた俺は思わず叫んでいた。
アリスは笑うのを止めるとやってられないと言わんばかりに溜め息を吐く。
俺の内心なんてお見通しってコトだろうが、無性に腹立たしい。
「……見送りにきたんだよ。……どうぞ2周目にいってらっしゃい」
そして返ってきたのは思いがけない言葉だった。
意味を量りかねて黙っていると、アリスは苛立ったように髪をかき上げた。
「何故分かんねーのかなぁ?」
彼女は口元だけに笑みを張り付けた、どこか俺を見下すような表情でゆっくりと語り始める。
「……このセカイはオレの最高傑作なんだよ。今や全ての勢力はオレの支配下にある。懸案の魔王もわざわざオレが出張らなくてもオマエたちが勝手に倒してくれた。……あとは不確定要素であるオマエさえこのセカイから出て行ってしまえば『全ての計画が達成される』って訳だ。……オレはあの鬱陶しいマールでさえも完全に出し抜いてやったんだよ! ざまあみろだ!」
あぁ、なるほど。
コイツは『勇者とは魔王を倒す為だけに存在する』というマールの言葉を根底から覆して見せたのだ。
勇者としてこのセカイに存在しながら、魔王を倒さずにセカイを手に入れる。
確かにこの展開は俺たち勇者を今まで好き放題に扱ってきたマールに対する最高の意趣返しだと言えるだろう。
コイツはマールを出し抜くことだけを考えてこの2周目をやってきたのだ。
そしてたった今、それを成し遂げた訳だ。
マールを無視して自分の思い通りにこのセカイを作り変える一方で、俺たちを魔王と戦わざるを得ない状況にまで追い込んでいくという方法で。
要するに俺たちはマールとコイツのケンカのとばっちりを受けたのだ。
……ただそれだけの話だった、と。
「――オレはこのセカイの王として楽しく過ごすさ。……オマエが新しいセカイに旅立つのをきちんと見送ってからな」
今の説明で理解は出来たが、まだ納得はいかない。
それ程までにコイツは俺たちをさんざん追い詰めてきたのだ。
この何とも言えないモヤモヤした感情をどうすればいい?
俺はどうすればこの気持ちにケリを付けられるのだ?
警戒を解かない俺に対して、アリスはどこ吹く風だ。
例によって勝手に話し出す。
「……ところで、あの霊薬は役に立ったか?」
すぐに思い当たることがあった。
「……そうか、アレはお前だったんだな?」
バルコニーから飛び降りたあと、無造作に置かれていた道具袋が目に付いた。
反射的に引っ掴んで逃げ出したが、その中にあったのは変わった色の液体で満たされた小瓶が二つ。
再び神の声が聞こえるようになってから、その中身を聞けば霊薬だと返ってきた。
一つはさっきの魔王戦でコッソリ使わせてもらった。
実際のところ、アレがなければ危なかったかもしれない。
だが、どうやらアレは俺たちの為に用意してくれたモノだったらしい。
これを飲んで頑張って魔王を倒せという、コイツなりの援護だったと。
……なるほど、そういうことだったのか。
「――って、そんなの分かる訳ねーだろうが!」
ちくしょう! 悔しいけれど笑いが込み上げてきた。
結果として俺はアリスの目論見通り、頑張って魔王を倒したのだが。
全てコイツの計画の中のコトだったって訳だ。
俺たちの必死な想いも全て、何もかも、全てだ!
最初から2周目でもない俺がどうこう出来る相手ではなかったのだ。
アリスは無防備にも天井を見上げて、何かを考え込むような仕草を見せた。
そして何度か頷く。
「……結局のところ、オマエは魔王に騙されていただけで、正気に戻るとそれを激しく後悔した。ついでに勇者としての自覚も取り戻すと、決死の覚悟を見せてセカイの平和を取り戻す為、人知れず魔王に戦いを挑んだ。そこにオレとパールが居合わせることになった、と。……最初は様子見するつもりだったが、やむを得ずオレたちも参戦を決断。全員で力を合わせて魔王と戦い何とか討伐したものの、オレ以外は全員死亡。……とまぁそんな感じか?」
そう言うとアリスは口元を歪めた。
即興で考えた割にはよく出来ている話だ。
何より俺たちの名誉が回復されているのが嬉しい。
「オマエらはセカイを救った英雄として立派に祀ってやるから安心しろ」
「……お前、何気にこんな感じで祀るのが好きだよな? ……レッドさんやトパーズもそうなんだろう?」
確かサファイアからそんな報告を聞いた気がする。
あと、停戦期間中にヴァルグランの領主夫妻と娘の葬儀も女王国が全額負担で執り行ったらしいし、山岳国の偉い人もそんな感じだったと聞いている。
どうやらコイツは本当にそういうのが好きみたいだ。
……ちょっと理解出来ない。
「まぁな。……国を挙げて祀ることで美談が生まれやすい土壌を作るんだ。誰も国の為に死んだ人間の悪口は言いたがらないだろう? ましてやアイツらは女王であるオレを命懸けで守った人間だ。……だから祀り上げることで民衆の心の中に新しい英雄を作り出すんだ。つまり英雄は死んでこそ英雄ってコトだよ」
なるほど、勉強になる。
しかしアリス本人からは英雄に対する敬意が全く感じられない。
その辺りがいかにもコイツらしい。
「しかもそんな尊い犠牲の下の平和ならば、誰も壊そうと思わないだろう? むしろその平和を乱そうと権力争いに打って出る人間は、彼らの尊い死に対して敬意を表していない者と見做される。必然的にソイツらは民衆の信を得ることが出来ない。それは負け戦も同然さ。……つまり率先して祀るということは、英雄とそれを支持する民衆たちを自分の陣営に組み込むってコトなんだよ」
アリスは改めて床に転がる三人を順に見渡す。
そして最後にパールを見ると少し表情を歪めて俯いた。
「だからパールもサファイアもルビーもオマエも全員魔王を倒した英雄ってコトだ。……オレの、そしてこのセカイの守り神になってもらう」
「なるほど……全く、お前は本当に凄いヤツだ」
今の言葉は混じりっ気無しの心からの称賛だ。
全ては国を上手く治める為の布石。その為の人柱。
結局アリスは俺があの二人を殺すことを見据えていたし、ついでにパールって娘を殺すこともある程度想定していたのだ。
最初っから最後まで俺たちはコイツの手のひらの上だった訳だ。
アリスはゆっくりと顔を上げると、床に転がったままのルビーに近寄った。
そして胸元に手を突っ込むと、首にかけてあったペンダントを引き千切る。
さらに今度はサファイアの髪からリボンをむしり取り、ついでにパールのイヤリングも外した。
「さぁ、オマエも何か寄こせよ。……ホラ。祀るには何か象徴となるモノが必要になってくるだろう?」
「……あぁ」
身体をまさぐって探してみたものの、手頃な小物が見つからない。
少し迷ったが手にしていた剣を差し出した。
「ちなみにどうするつもりだ?」
アリスは俺から受け取った剣に付いていた三人分の血を面倒臭そうに拭き取りながら訊ねてきた。剣に彼女たちの血がべっとりと付いていたら、色々と面倒なコトになるのだろう。
反射的にそこまで知恵を回すことが出来るコイツはやっぱり恐ろしい。
「……どうするって、何を?」
俺は慌てて返事した。
剣を熱心に拭う美少女に思わず見惚れていたとも言えず、咳払いで誤魔化す。
「いやいや、2周目に決まっているだろう? ……それしかないだろうさ。常識で考えて」
アリスは呆れたように呟いた。
言われて初めてそのことに思い当たった。
今までそういったことは全然考えていなかった。
魔王を倒すってコトと、彼女たち二人を始末することで頭が一杯だったのだ。
でもせっかく2周目をするならば、ある程度の計画は立てておくべきだろう。
しかしまだ、何をどうしたいかまではピンと来ない。
取り敢えず本能のまま思い浮かぶままアリスに聞かせる。
「……そうだな、……まずは東方3国は絶対に潰すだろうな。聖王も山岳王もフォート公も、俺を虚仮にした人間は一人残さず殺してやる」
実際頭の中で具体的な想像を始めたら止まらなくなってきた。
あれもしたい、これもしたい。
どんどんとやりたいことが増えてきた。
「レジスタンスも適当に利用してから潰してやる。……皇帝は、そうだな。お前のやり方を使わせてもらうことにしようか。……殺さず幽閉して魔王復活は阻止という形だな。……で、そっくりそのまま帝国をもらい受けてやる。刃向う人間は冒険者だろうと誰であろうとブッ殺してやる。当然、偉い人間も片っ端からブッ殺す」
「オイオイ、えらく物騒だな?」
アリスが顔をしかめる。
確かにコイツは全ての陣営と仲良くしつつセカイを手に入れた。
そういうやり方もあるのだろうが、俺の性に合わない。
そもそもこのセカイの人間は全員敵なのだ。
……まぁ、コイツがそう仕組んだという話なのだが。
だから全員殺したところで、一切良心が痛むようなこともない。
「いいじゃねーか。それぐらいさせろよ!」
あぁ、最高だ。2周目なんだから、何だって出来そうな気がする。
気分が高揚するのを感じた。コイツもきっとこんな感覚だったのだろう。
「……あぁ、そう言えばヴァルグランの領主夫人と娘は滅茶苦茶イイ女だったな。……ケイトも相当なモンだった。……アイツらは絶対に俺のモノにしてやる。イイ女は全員オレのモノだ! 豪華な後宮を作ってセカイ中からいい女をかき集めて、毎晩毎晩違う女を抱きまくる。そして片っ端から俺の子供を孕ませてやる! 百人でも二百人でも!」
あぁ、最高だ!
それこそ男が夢見る最高の人生だろう?
やはり2周目をするからには、これぐらいじゃないと!
今回の不満を全て新しいセカイで解消してやるのだ!
俺の大胆発言に流石のアリスも驚きを隠せない様子だった。
コイツもこんな感じの表情をするのかと、こちらが逆に驚く。
……何とでも思うがいいさ。
「愚民共は絶対に歯向かえないよう、徹底的に武器を取り上げてやる。もちろん税もきっちり取り立る。生かさず殺さずってヤツだな! ……まぁ最悪、ヤツらは幾ら死んでも構わない。どうせすぐに替わりはポコポコ生まれるだろうからな。俺は新しいセカイで愚民共の支配者として優雅に暮らしてやる!」
「……まるで鬼畜だな?」
冷たい笑みを浮かべたアリスが呟いた。
上等だ! 鬼畜で結構! ……望むところだ!
「お前がやってみせたように、今度は俺が新しいセカイで思い通りに生きてやる。……ただし俺はお前程甘くねぇぞ?」
マールにも聞こえるよう、天井に向かって高らかに宣言してやる。
「2周目は鬼畜プレイでやってやるからな! 覚悟しておけ!」
俺は宝具を握りしめて思いっきり叫んだ。




