第4話 ルビー、魔王討伐を果たす。
もうアタシに残されていた希望は2周目だけだった。
愛していた人は死んでしまった。アタシが殺した。
――だから魔王を倒す。
全然意味が通じていないことぐらい理解している。
コレがただの現実逃避だということも分かっている。
でも正直なところ余計なコトは何も考えたくなかった。
もう2周目に行けさえすればそれで良かった。それ以外は何も望まない。
アタシはアタシの幸せを取り戻したい! アタシの人生を取り戻したい!
セカイの平和なんて関係ない! マール神の思惑なんてクソくらえだ!
アタシは宝具を使って2周目に行く。
新しいセカイに生まれ変わったら、すぐにトパーズを探しに行く。
アタシのことなんて覚えていないのかもしれないけれど、今度こそ綺麗な身体で逢いに行く。そしてアタシがどれだけ彼のことを愛していたのか、今もどれだけ愛しているのかを言葉の限りで伝えるのだ。
たとえ受け入れてもらえなくてもいい。
振り向いてもらえるその日までアタシはいつまでも待ち続ける。
そしていつの日か絶対にトパーズと幸せになってやる。
アタシはその想いだけで魔王と対峙していた。
戦況は……今のところは有利だと思う。
三人が三人とも全力以上の力を出せていて上手く回っている。
ただ、今までトバしてきたツケが徐々に回ってきた感はある。
一気に倒すことが出来れば良かったのだけれど、まだ魔王は倒れない。
徐々にサファイアの表情にも焦りが見えてきた。クロードも苦しそうだ。
前線で魔王を引き付けてくれている二人の頑張りがいつまで続くか分からないから、アタシもそれを無駄にしない為にも、積極的に魔法をぶっ放していた。
その判断は間違っていなかったはず。だけどそのせいで魔力が尽きてきた。
……どうしよう? 魔力を回復する薬は全て使い切ってしまった。
あとは適当に牽制程度の魔法でお茶を濁すだけでいいの?
もう後はあの二人に託すしかないの? ……相手は魔王なのに!
こんな大事な戦いで、アタシに出来ることはないの?
打開することは出来ないかと周りを見渡すが、都合のいいモノが見つかる訳でもない。あとは二人に任せようかと弱気になった瞬間、後ろから何かが飛んできた。痛くはない。ただ何か石ころのようなモノが飛んできただけだ。
まだ敵が隠れていたのかと、慌てて振り返ると柱の陰に知った顔が二人。
――アリスちゃんとパールちゃんだ。
……こんなところまで何をしにきたの!?
アタシの困惑を余所に、アリスちゃんが笑顔のまま手に持った何かを掲げて何度か振る。そしてそれを山なりにこっちへと放り投げてきた。
思わず反射的に手を出してそれを受け取ってしまう。
手の中に落ちてきたそれを確かめると、今まで見たこともない不思議な色の液体が入っている小瓶だった。もし落としていたら割れていただろう。
……何かの薬だろうか?
本来ならば毒かも知れないと考えなければいけない場面だけど、今のアタシはそんなこと気にする余裕などない。蓋を開けて一気に飲み干す。
――どうせ、魔力の尽きたアタシは役立たずなのだ。
それならばコレに一縷の望みに懸ける。
少し苦い液体が喉を通った瞬間、身体中が燃え上がるような感覚とともに体力と魔力がみるみる回復していった。
……まさか、これって霊薬?
昔々、身の程知らずの権力者が手に入れようとして国を滅ぼしてしまったという、あの伝説の? 本当にそんなモノがこのセカイに存在したの?
――って、よく考えてみたら今のアタシたちは、それこそおとぎ話の中でしか現れない魔王と戦っているのだ。それに比べれば霊薬なんて別に大したことでも何でもない。
アタシは再び魔法をぶっ放し始めた。
魔力が全快した以上恐れるモノは何もない。魔王ですら蹴散らしてやる。
サファイアとクロードが助かったという表情でこちらに視線を寄こすと、魔王から少しだけ距離を取った。二人に迷惑をかけた分を今こそ取り戻さないと。
――それにしても、あの霊薬がなければどうなっていたのか。
ちらりとそちらに視線を向けるとまだ柱の影に隠れていた。
今アリスちゃんたちが出てこないことを考えれば、別にアタシたちを殺しにきたという訳ではないらしい。しかも助け船まで出してくれたのだ。
楽観的に考えるならば、アタシたちがちゃんと魔王を倒せるのかを確認しにきたということだろう。少なくともアタシたちが負けることは望んでいないはず。
もしかしたら、最悪の場合には二人して援護に出てきてくれるかもしれない。
だけどあくまで魔王を倒すのはアタシたちで、二人はそれを見届けるという形だろう。
そろそろみんなも限界に近付いていた。傷は回復出来ても、疲れで集中力が切れてくる。特にずっと序盤から飛ばしてきたサファイアは相当キツいようだ。
アタシは大きく息を吐いて覚悟を決めると、あの日から一度も使おうとしなかったあの魔法の詠唱に入った。
前線の二人はそれを察知すると顔を見合せて頷くと、詠唱中のアタシに注意がいかないように最後の力を振り絞って魔王に襲いかかった。
サファイアが何度も魔王を挑発するように目の前を動きながら射かけていく。
魔王は彼女につられるように、執拗に追いかけて攻撃を繰り返した。
それを彼女は笑みさえ浮かべながら紙一重で回避していく。
魔王はそれに苛立ったのか、今度は咆哮とともに大振りの攻撃を仕掛けたが彼女は冷静なもので、その一撃を大きめのバックステップで躱す。
その隙を突いて今度はクロードが背後から突っ込み剣を突き刺した。
魔王が痛みに咆哮しつつも身体を捻りながらクロードに殴りかかったが、彼はしっかりとそれを盾で受け止める。
その一連の攻防の間にアタシは詠唱を完成させていた。
「……みんな、離れて!」
アタシの指示を受けて二人は一気に距離を置いた。
最後にして最大の魔法。大事なヒトを殺してしまった魔法。
だけど、もう一度取り戻してみせる! ――この魔法で!
聖王国にもおとぎ話がたくさんある。
その中でも一番有名なのは四神がセカイに降臨したときの話。
――地神は最初にして最大の魔法で大地を作った。
風神は最初にして最大の魔法でセカイ中に風を巻き起こした。
水神は最初にして最大の魔法でセカイ中に雨を降らせて海や川を作った。
そして火神は最初にして最大の魔法で暗い空に太陽を浮かべた――。
「――原初の篝火!」
この前の一撃は敵とはいえ人間相手、それも一族の恩もあるアリスちゃんに対してだった。どこか無意識に手加減した部分はあったと思う。
それでもトパーズを殺してしまうには十分の威力だったのだけれど。
今回はそんなことは考えなくていい。
何せ相手は魔王だ。全力を出さなければ勝てない相手。
アタシは身体中に残っている全魔力を振り絞って渾身の一撃を放つ。
左手小指の、火神の巫女に選ばれた者だけが嵌めることを許される指輪が、手のひらに凝縮されていく魔力に耐え切れず粉々に砕け散った。
――さぁ、ブッ飛べ!!! こんちくしょう!!!
魔法はまるで意思を持ったかのように一直線ではなく揺れながら、それでいて物凄い速さで魔王に向かって飛んでいった。アタシの目にその光景は、まるで火神の化身である竜が魔王に襲い掛かるかのように見えた。
そして直撃する。
魔王はおぞましい叫び声をあげると、やがてドサリと崩れ落ちた。
「――本当に倒したの?」
サファイアが棒立ちのまま呟いた。
魔王はピクリとも動かない。死んだふりってコトはないと思いたい。
「……どうなんだ?」
クロードが天井を見上げながらマール神に訊く。
そして頷いた。――満面の笑みで。
それを見てアタシたちも溜め息を吐くことが出来た。
……終わった。……ようやく。もう精根尽き果ててしまった。
本当に立っているのがやっとだった。
これでようやく、願いが叶う。……本当に長かった。
地獄のような日々だった。それがついに報われる。
「――これが、その宝具ってヤツかな?」
サファイアが魔王の傍らに転がっていたそれを指差した。
アタシとサファイアは二人してそれに近付くが、クロードは一歩も動かないまま無言を貫いていた。……疲れ果てて声も出ないのだろうか?
だけど、それにしてはどこか不自然だった。彼はまだ、気を抜いていなかった。
むしろ魔王と戦っていたときよりも集中しているような気がする。
頭の何処かで警鐘が鳴り、アタシは立ち止まってクロードに注意を向けた。
視界の隅でサファイアがゆっくりと魔王の遺骸のそばにしゃがみ込み、傍らに転がっていた宝具を拾い上げたその瞬間――。
クロードがアタシの目の前を風のように横切り、音もなく彼女の背後に立った。
――そして今までアタシたちに見せたこともない、まるで暗殺者か何かのような最小の動きで、躊躇うことなくサファイアの背中に剣を突き刺した。
本当に一瞬の出来事だった。
不意に絶叫が広間に響いた。
サファイアじゃない。――後方から!
その獣のような声と共に、猛然と少女が突っ込んでくる。
鬼の形相のパールちゃんだった。
「――待ちなさい!」
その後ろでは止めようとしていたのか、アリスちゃんが手を突き出しているのが見えた。しかしパールちゃんはそれを無視して物凄い速さで飛び込んでくる。
「キッサマァァァ!!!」
その視線の先にいるのは姉の仇。
クロードは無造作に剣を引き抜くと、やや緩慢な動きで彼女の方に振り向いた。
そのまま両者が激突するかと思われたが、不意にパールちゃんが消える。
……この感覚は経験があった。
サファイアはいつも弓矢が使えないときには、即座に短剣へと持ち替えて戦っていた。そんなとき、こうやって一気に距離を詰めてから敵の視界から消え、敵が見失った隙に背後から急所を狙うのだ。
――そう、アタシたちが何度となく見てきた、あの予測不能な動きだった。
クロードは小さく笑みを浮かべると身体を捩じりながら、おもむろに誰もいない場所に剣を突き出す。
次の瞬間、その空間からおびただしい量の血が噴き出した。
真正面からそれを浴びたクロードの全身が真っ赤に染まっていく。
それもそのはず、突き出した剣の先にパールちゃんが刺さっていたのだ。
クロードは無言のまま彼女を振り落とすかのように剣を横なぎに振る。
地面に叩き落とされ、小さく悲鳴を上げるパールちゃん。
それでも彼女は胸から血を噴き出しつつも必死に床を這いずり、目の前で倒れているサファイアに近寄った。
そして痛みに耐えながらも頑なに握りしめたままの手を姉に手に添える。
その感触にサファイアの指がピクリと動いたような気がした。
「……ねぇ、……これ……のんで。……サファイア、……おねえちゃ――」
パールちゃんが囁くように姉を呼び、ゆっくりと手を開く。
そこからこぼれ落ちたのは不思議な色の液体の入った小瓶。
霊薬の入っていたあの小瓶だった。
やがてパールちゃんはそのままの体勢で動かなくなった。
アタシは目の前で繰り広げられている光景をただただ見ていることしか出来なかった。視線を感じてそちらを見ると、どこもかしこも真っ赤に染まったクロードが、うっすらと笑みを浮かべて呆然とするアタシを眺めていた。
慌てて逃げようと後退るけれど、クロードはそんなのお構いなしに大股で一歩一歩アタシに近付いてくる。そしてあっという間に距離を詰められたかと思えば、アタシの胸にも剣が突き刺さっていた。
抵抗することもアリスちゃんに助けを求めることも出来なかった。
痛い。熱い。泣きたい。
……何でこうなっちゃったんだろう。
トパーズを選べなかったこともそうだけど、そもそも冒険者養成学校から逃げ出したときにクロードなんか待たずに、素直に家に帰っておけばよかった。
……? ……学校?
何だっけ、学校って。
クロードと初めて会ったのは学校だよね……?
……あれ? え? ……わかんない。
お父様とお母様の顔も思い出せない。ケニー伯父様ってどんな人だっけ……?
……あれ?
……そもそもアタシって……誰だっけ……?
もう、よくわかんない。
……ねぇ、アタシってナニ?
薄れゆく意識の中で最後に浮かんできたのは男の人だった。
誰だっけこの人? 大柄でちょっとコワいかも。
……でも何故だろう? 胸が奥がポカポカと暖かくなってきた。
だからきっとアタシの大切な人だ。
その彼が優しく微笑んでいた。
そんな彼を見つめているだけで不思議と痛みが和らいでいく。
――そしてアタシは安らかな気持ちで意識を手放した。




