第2話 パール、姉との幸せな未来を夢見る。
アリス様は周りの景色に目移りすることもなく、森の奥へと入っていく。
ボクはただその後ろをちょこちょこと付いていくだけ。
誰かがこの森に潜んでいたのは間違いないらしく、焚き火の跡も見つかった。
しばらく道なき道を進むと、森の雰囲気が一変したのを感じた。
急に目の前の風景が鮮やかに色づき、頭がスッキリする。
イヤなことなんて全部忘れてしまえるような、そんな感じ。
何気なく足元に目をやると、花を避けるようにして走ったような痕跡があった。
ボクはそれを見て一瞬で理解する。
……あぁ、お姉ちゃんだ。
あの頃の優しいサファイアお姉ちゃんが帰ってきたのだ。
気が付けば涙が頬を伝っていた。慌ててそれを服の袖で拭う。
「……どうかしたの?」
驚いたアリス様がボクの顔を覗き込んできた。
「いいえ、……その、この花は、何ていう花なのかなって思いまして……」
ボクは少し恥ずかしくなって、無理やり話を逸らす。
その態度に何かを察したかもしれないけれど、アリス様は「ごめんなさい、わからないわ」と横に首を振るだけだった。
山暮らしだったボクでも知らない花なのだから、アリス様も知らなくて当然だ。
でもお姉ちゃんだったら、多分知っていると思う。
本当にこういうのは詳しかったから……。
「……この奥よ」
更にしばらく進むとボクたちは開けた場所に出た。
そこあったのは、いかにも古い感じの石造りの神殿。
ここだけ時間の流れから切り離されたような、そんな変な感じがする。
「さぁ、中に入りましょう」
「……あ、あの、注意してください!」
誰かが潜んでいたらと思って身構えたけれど、アリス様は何の警戒もしないまま神殿内に入って行く。
慌ててボクもその後を追いかける。
確かに中にモンスターのいるような気配なんてなかった。
――だけど、敵はモンスターだけじゃない。
レッドさんの仇でもある、あのクロードがいるかもしれないのだ。
お姉ちゃんだって敵なのだ。
「――昨日来た時のような消耗品類が一切残っていないわね。……一足遅かったか。置いてあるのは不要と判断した装備品だけ……。それにしてもこの傷の付き方を見れば、今まで相当激しい戦いをしてきたみたいね」
アリス様が膝を付きながら、残されていた荷物を丁寧に調べている。
「……うん。これで魔王の手先という話は無くなったわね」
アリス様は大きく溜息をついた。
一応他の部屋も一つ一つ丹念に調べていく。
「……もしかしたら、もうここへは戻ってくるつもりはないのかも」
「それは、今日で決めるということでしょうか?」
ボクの真剣な問いかけにアリス様も無言で頷いた。
「……それじゃ、私たちも行こっか?」
そしてボクたちは例の魔方陣があるという部屋へと向かうのだった。
魔王城の敵は想像していたよりも遥かに強かった。
アリス様と二人掛かりでも厳しい。
かなりいい武器を使わせてもらっているのにも関わらず、だ。
物陰に潜み、敵モンスターの隙を狙う。
呼吸を合わせて目で意思疎通を図り、二人同時に動く。
何となく公国の宮殿にシルバーさんと三人で侵入したときのことを思い出した。
あのときは何も出来ないただの泣き虫娘だったけれど、あれから少しは修羅場も潜ってきたつもりだ。アリス様にも是非今の成長した姿を見てもらいたい。
ボクは短剣を強く握りしめた。
「ほら、無理はしないの。……これは偵察なんだからね」
横から肩をポンポンと叩かれる。
ボクの気負いなんてお見通しらしい。
流石気配り上手で知られるアリス様だ。
本当にそういったところが素敵すぎる。
不謹慎なのは分かっているけど、今ボクは心の何処かで楽しんでいた。
アリス様と二人っきりでお出かけというのが、ずっと無かったからだ。
今までは宰相さんを訪ねて古い教会だとか、他にも色々一緒にいろんなところへ行くことができた。
だけど魔王復活以降のアリス様は城に籠ってお仕事に追われる日々。
ボクも近くで護衛をしていたけれど、今までのように楽しいおしゃべりなんてする余裕はこれっぽっちも無かった。
それにアリス様の近くにケイトさんのような新しい人たちが増えてきた。
クロエさんも最近はちょっとだけ怖い感じがするし。
優しいのは変わらないけれど、ちょっと違うというか何というか……。
マイカもアリス様の側を離れて、めちゃくちゃ忙しそうにしているし。
だんだんボクの居場所がなくなってきたような気がして、寂しかったのだ。
アリス様の一番の護衛はシーモアさん。
軍を率いての戦いならブラウンさんやロレントさん。
アリス様の補佐としての難しいお仕事はクロエさんにケイトさん、他にもいっぱいいる。
そのうちボクは用無しになるかもしれない。
ただでさえボクのお姉ちゃんはセカイを混乱に陥れたクロード一味だ。
逆賊の妹は信用出来ないと思われているのかもしれない。
毎日そんなことばかり考えて、怯えていた。
そんな鬱々としていた中で、突然アリス様が魔王城に行くと言い出したのだ。
普段のボクならば絶対に止めていたと思う。
危険なことをするアリス様を止めるのが側近の仕事なのだ。
だけどあのときボクは喜んでしまったのだ。
偵察任務ならアリス様の傍にいられるかもしれない、と。
山猫部隊隊長のボクならば誰よりも適任だと胸を張ることが出来た。
だからあのとき勇気を振り絞って、「ついて行きたい」と声を上げたのだ。
あのときボクが余計なコトを言い出さなければ、アリス様は今でも安全な城の中にいたかもしれない。
きっとボクは側近失格なのだと思う。
それでも今、確かに、ボクはアリス様と一緒に居られる幸せを噛みしめていた。
――だからこそボクは、そんな身勝手で国を振り回したボクを絶対に許さない。
「……そんな顔しないで。もっと楽しいことを考えなさいな」
気が付けばアリス様がボクの顔を覗き込んでいた。
「……楽しいことですか?」
正直ピンとこない。
「そうね、じゃあ彼らの戦いを見届けた後のこと、とかはどうかしら?」
「この戦いの後……ですか?」
考えたこともない。
魔王を倒した後、という発想がそもそも思い浮かばない。
やっぱりボクたちのアリス様は凄い!
だからこそ女王国はセカイを制したのだ!
アリス様はニッコリと微笑む。
「ルビーちゃんは……、あの子は頭良さそうだし血筋もいいから政務官向きよね?」
きっとキャンベルのおじさまは喜ぶだろうな。
デレデレになった姿を簡単に思い浮かべることが出来た。
「……サファイアちゃんは山猫入り確定ね。……隊長はもちろん貴方のままよ。思いっきり扱き使ってあげなさいな」
「……お姉ちゃんもいいのですか!?」
ボクの問いかけにアリス様は満面の笑みで頷く。
――そっかぁ、お姉ちゃんと一緒に山猫かぁ。
ちゃんと山猫のルールを教えてあげないといけないよね。
いっつも教えてもらうばっかりだったから、そういうのが凄く楽しみだ!
アリス様の言う通り、楽しい未来を想像すると自然と笑顔になってくる。
「……やっぱりクロードも女王国に誘わないといけないわよね? ……サファイアちゃんがヘソ曲げちゃうから」
あぁ、わかる。
でも、クロードはちょっと、なぁ……。
「実際聖騎士であそこまで強くなれるというのは相当凄いことだと思うわ。それに責任を感じて魔王を倒しに行く程度の良識も持っている。……ちゃんと話し合うことが出来れば、案外私とも上手くやっていけると思うわ」
……そうかなぁ?
「ねぇ、みんなで仲良くやれたら素敵だと思わない? ……って、もう、そんなイヤそうな顔しないの!」
そう言いながらアリス様は怪訝な表情をしたままのボクのほっぺをぐにぐにと引っ張ってくる。
ボクはアリス様にされるがままになっていた。
「いひゃいれふ(痛いです)」
――女王国が誕生してすぐの頃は、いつもこんな風にみんなでワイワイ過ごしていた。マイカもシルバーさんも……レッドさんも。
……ブラウンさんは今でもこんな感じだケド。
そんなに年月が経った訳でもないのに、すごく懐かしい。
まだ小さかった頃の女王国に戻りたいという訳ではないけれど、それでもあの頃は今と違ってみんなに会いたいと思ったときに会うことが出来た。
近い距離で顔を突き合わせて、今ほど豪華ではないけれどあったかくて美味しいご飯を食べながら、まだ見ぬ輝かしい未来の女王国を夢見てお話をした。
……この気持ちは何だろう?
やっぱり寂しい……のかなぁ?
こんなにも女王国が立派になったというのに、本気で喜べないボクって一体何なんだろう?
このセカイを制した女王国になる為、レッドさんを含めたくさんの仲間が亡くなってしまったのに、ボクは何でこんな風にしか考えられないのだろう?
ウィル君のお父様だって敵という立場だったけれど、この未来を創る為の礎になってくれたのに。
ボクは何て自分勝手な人間なんだろう。
「……ちょっと待って?」
アリス様は急に立ち止まると横の壁を何度も触り始めた。
そして壁に向かって思いっきり体当たりをする。
首を傾げながらもう一度。壁がちょっとだけ崩れた。
……隠し通路? 隠し部屋?
「手伝います!」
二人して何度か体当たりするとようやく壁が崩れた。
小さな部屋だ。全然気付かなかった。
そこにあるのは――。
「……宝箱ですか?」
「……えぇ」
罠を調べながら、アリス様が慎重に箱を開ける。
ボクも一緒になってそれを覗き込んだ。
中には物凄く立派な弓が入っていた。
「……弓?」
アリス様はどこか呆然した表情をしていた。
今まで見たこともない感じで、ただ固まっていた。
「……どうかししたのですか?」
「……え、えぇ。……ちょっと弓が入っているなんて想像もしていなかったから……」
アリス様がぎこちない笑みで答える。
ちょっと言っている意味が分からなかった。
「……じゃあ何が入っていると思っていたのですか?」
ボクが思い切って尋ねてみると、アリス様は小さく首を傾げる。
「……斧、……とか?」
「……え?」
ますます意味が分からない。
「私、何か大きな勘違いをしていたのかもしれないわね」
そう言いながらアリス様は難しそうな顔で考え込んだ。
本当に意味が分からない。
「……あ! 忘れていたわ!」
アリス様は急に立ち上がると袋から瓶を取り出した。
そしてボクの手の上にちょこんと乗せる。……これは霊薬だ。
「息のあるうちに飲まないと死ぬからね」
「……はい」
そういえば、あのときの霊薬はどうなったのだろう?
道具袋に入れてバルコニーの下に置いてきた分。
最悪の場合に備えてアリス様が飲む用の。
割れないように入念に綿でくるんだ2瓶。
結局アリス様はバルコニーを降りることなく、大広間から出てきたそうだ。
あの後、誰かが回収してくれたのだろうか?
……それとも、ずっとあそこに残っているのだろうか?




