第8話 ケイト、自らに課した戒めを解き放つ。
魔王復活から一月が経った。
その間に帝都とイーギスに分散していた本部機能は全て帝都に統合された。
それに伴って主だった人間はほぼ全員こちらに移って来ている。
現在帝都では宰相である伯父様とパパとママが国の中枢として指示を出し、私や他の政務官がそれに従って馬車馬のように駆けずり回るという状況だった。
ロレントさんやブラウン将軍など戦える人たちも毎日軍を率いて身体を張る。
そうやって物資を回しモンスターの襲来を防ぎ、民の不安を取り除いていく。
本当に理想的な布陣だった。
よく考えればたった一月なのだ。
いくらアリシア女王と伯父様が準備していたとは言え、恐ろしい早さでその布陣が整ったと思う。
――そしてその立役者は間違いなくママだった。
やっぱりママは凄かった。
この非常事態だからこそ、その器の大きさを知ることが出来た。
……アレな感じに一層の拍車がかかっていたけれど。
帝都入りしたママはアリシア女王から全権を委任されると、内政だけでなく軍務でも積極的に指揮を執るようになった。
レジスタンス、帝国、女王国と所属関係なく全員がママに従う。
ママもそれに臆することなく堂々と振る舞っていた。
娘として本当に誇らしいと思えた。
それに伯父様と一緒だと、ときどき『メルティーナ』に戻るのも面白かった。
ちょっとだけアリシア女王っぽくなるのだ。
そういう意味では、やっぱりあの二人は似た者同士だった。
だからこそロレントさんはママを女王国に送り込んだのだろう。
あの人もどれだけママのことが好きなんだか……。
ちなみに「ロレントさんから昔の話を聞いたよ」と白状したときのママは最高に良かった。――苦り切った表情で「あの馬鹿! 絶対に殺す!」って。
それから数日の間、ロレントさんは空いている時間に海が見える場所でぼんやりとすることが増えた。きっと現実逃避というヤツだと思う。
せっかくの機会を逃す訳にはいかないと、私は親身になって彼を慰めておいた。
私も積極的にママの仕事を手伝うようになっていった。
今まで少しばかり受け身だったのかもしれない。
――将来的にママがしている仕事を引き継ぐ。
そのつもりで仕事をしていたら見えてくるモノがあった。
ただ目の前に積まれた仕事こなすのではなく、これにどういう意味があるのかを考えながら動いていたら、次にどんな仕事が振られるのか予想がつくようになる。
それに対してある程度準備をしておけば効率よく動けるのだ。
そしてそれを得意にしていたのが、従兄のフリッツさんだった。
こうでもしないと伯父様が振ってくる殺人的な仕事量をこなせないらしい。
温和な笑みを浮かべながらも、仕事に対するその厳しい姿勢は素直に尊敬することが出来た。
取り敢えず今の目標はそんな従兄の背中だ。
肝心のアリシア女王陛下は体調を崩しているという話だった。
とは言え、私自身詳しいことは知らない。
会うことが許されるのはママと山猫だけとなっていた。
パールちゃんは「これ以上アリス様を扱き使うな! ゆっくりさせろ!」と部屋に近付こうとする人間に対して片っ端から吠えまくっているらしい。
大した忠犬だと思う。――山猫なのに。
しかしどう考えても、あの女王の中に激務程度で体調を崩すような可愛げが残っていたとは思えないのだ。
どうせ自分以外でもこなせる雑事だから私たちに丸投げを決め込んだのだ。
その間に彼女は集中できる場所で、次に向けて頭を働かせている、と。
更に踏み込んで考えるならば、女王が隠れているというこの状況で誰がどう動くのかを見極めているというのもあるだろう。
――使える人間、そうでない人間。
――信頼できる人間、そうでない人間。
そういう割り切りこそが、あの女王の本当に恐ろしい部分なのだと、私は個人的にそう考えている。
最悪は回避されたが、それでもまだ帝国全土に広がった被害は未だ終息していない。一応兵士は足りている。その点では一連の内戦で被害を出さない戦術を取ってくれた女王に感謝しなければいけないだろう。
しかし物資がまだ不足気味なのだ。
誰も口には出さないが、数字を見ることが出来る立場の人間ならば皆が思うことだった。無いものはない。だから言っても仕方がない。そんな感じだ。
――だけど私にはアテがあった。
「……ちょっと顔を出してきます」
誰も無駄口一つ叩くことのない対策本部の一室で私の声が響いた。
「どこに?」
ママが目の前に積まれた書類の蔭から顔を出して聞いてくる。
「……絞り取れそうなところ、かな?」
「……教会か?」
ぼかしたような言い方をしたのだけれど、伯父様がズバリと言い当ててきた。
私は苦笑しながらも口を開く。
「えぇ、こんなこともあるかと思いまして、予め繋ぎを作っておきました」
今の私の言葉のドコに反応したのか分からないけれど、ママが少し不機嫌そうに顔をしかめた。
……もしかして今ので何かに気付かれたのかもしれない。
不用意な発言はしていないつもりだったけれど、ママならば分からない。
「……わかったお前に任せよう」
疲れきって言葉に元気の無いパパから同意を得たので、机にかじりついたままのパパの背中をぎゅっと抱きしめると、逃げるように部屋を後にした。
こんなことというのは、何も物資不足という事態だけを指す言葉ではない。
――魔王軍襲来の混乱が残る中、帝都の教会本部でオランド神官長が何者かに暗殺されたのだ。
私は馬車を使って教会本部に向かった。出迎えの者に名前を告げるとすぐに通される。朝のうちに面会の予約を取っておいたのだ。
案内の者が大きい扉を開けると、会議室にはすでに主要人物が揃っていた。
中央の席には枢機卿が座る。――相変わらず影の薄さではレオナール殿下に負けず劣らずの御方だ。
「不躾な訪問にも関わらず、お目通り頂き感謝いたします」
私は深々と居並ぶ面々に一礼した。
女王が提示した例の『先延ばし案』を教会に持ち込んだときから、ずっと彼らとの折衝は私に一任されていた。
私の裁量ではあるが、レジスタンス内部や女王国の情報は話せる範囲のモノは全てこちらに流してきた。おかげで彼らとはそれなりの信頼関係を築くことが出来たと自負している。
――だからこそ分かることがあった。
「こちらと致しましても立て込んでおりますので――」
「もちろん存じ上げておりますよ」
神官の一人が切り出してくるが、私はその言葉を遮った。
現在彼らはオランドの喪に服する体を取りつつ、彼の後釜を狙った小競り合いの真っ最中なのだ。
彼のような強烈な個性を持った人間が消えたことで、皆が浮足立っているのだ。
だが今の教会では誰が上に立ったとしてもあまり変わり映えしないだろう。
「――ちなみにオランド神官長暗殺事件のウラにいるのはゴールド卿ですわ」
私の言葉に皆が目を見開いた。
「皆様はそれを朝からずっと探っておられたのでしょう? ……一体この中の誰がやったのか、と」
疑心暗鬼の中で内輪揉めしながら。
それでいて不用意な発言の結果、違う意味で次のオランドにならないようにと怯えながら。
「証拠もないのに――」
「私が彼を唆しましたから」
別の一人がどこか咎めるような視線で私に話し掛けるが、再度私は遮った。
小娘でしかない私のあまりにも不躾な態度、そして口から発せられた言葉に今度こそ皆が絶句した。
「――皆様に喜んで頂けたようで何よりですわ」
出来るだけ自信たっぷりの表情で笑ってみせる。
彼らは口を半開きにして私を見つめる。
教会の内部でもオランドに対する反発はあった。
オランドは枢機卿でもある次兄殿下の側近の地位を手に入れてからは、完全に調子に乗っていた。
教会が上手く立ち回れているのは、自分の力あってこそだと誇示していた。
神官長に上り詰めてからは更にそれが顕著になった。
次第に自らの庇護者である枢機卿をも蔑ろにし始めた。
しかし不用意な行動を取ると即粛清の対象になってしまう。
だから彼らは息を殺しながら、「早くオランドに罰をお与え下さい」とマール神に祈りを捧げ続けてきたのだ。
「……何故そのようなことを?」
枢機卿が小さな声で呟いた。
「何故とは、そんな暴挙をしたことでしょうか? それとも何故この私がそれを企てたのかという意味でしょうか?」
私は首を傾げて見せる。ちょっとだけママを意識してみた。
きっとママならば、こんな感じで会話を楽しむはず。
「何故、君が……だ」
枢機卿が例によって、聞こえるか聞こえないかという小さな声で返事する。
その完全に怖気づいた姿に、私は思わず噴き出してしまった。
彼らはそんな私のことを未知のモンスターを見るかのような目で見てくるのだ。
もしかしてアリシア女王扱いされていたりするのかしら?
さすがにアレと同類だと思われるのはイヤかも。
私はまだ人間を辞めたつもりはないのに。
……別に大したことではない。ただ、吹っ切れただけの話だ。
――私も楽しんでいいんだ、と。
子供の頃から私は自分のコトが大嫌いだった。
人の内面を覗いては、この人はこうすればこう動いてくれると夢想するクセがあった。何故か悪知恵ばかりが頭に浮かんだ。
だけど優しくて潔白なパパと綺麗で穏やかなママの娘として、そんなはしたない考えをする自分を戒めてきたのだ。
二人の娘に相応しく、真面目で理知的な女性になろうと常に心掛けてきた。
だけどあの日、自分が気まぐれで打った一手にハマったゴールド卿の、あの悔しそうな表情を見てゾクゾクしたのだ。
その後ロレントさんからあの昔話を聞いた。
――ママが宰相の一族の人間だった、と。
曾祖父は頭こそ抜群に切れるが、ロクでもない人間だった、と。
ママはその血を色濃く引いていたのだ、と。
実はママも、中身はあのロクでもないアリシア女王と同類なんだ、と。
それを聞いて思った。
――私だけがワルい子じゃないんだ。そういう血を引いているんだ。それならば仕方ないよね。この状況で遊びたいと思ってしまったとしても、我慢しなくていいんだよね? と。
だから私はあの日、自らに課していた戒めを解き放つことにしたのだ。
あの後パパは何故ママは姿を消したのか、何故自分を選んだのかと、そんな些細なことを気にしていた。
「……逆なんじゃないの? パパと一緒になりたかったからママは新しい人間になったのよ。だってパパがアンダーソン一族の娘と結婚したいって言ったとしても、家族からは絶対に許してもらえなかったでしょう?」
面倒臭いから私はパパが喜ぶであろう言葉を返しておいた。
パパは「そうかもしれないな……」と照れたように苦笑いしていたケド。
――もちろんそんなのは嘘に決まっている。
おそらくあのままメルティーナとして過ごす人生に、何の意義も見出せなかったというのが真実だ。
女性だから宰相やそれに準じるような国を動かす立場になれない。
時期が来たら自分たちの派閥の適当な男性と結婚をして子供を産んで、夫の支えになる為の女性人脈を作って……。
そんな退屈な人生を歩むぐらいならば、思い切って別人に生まれ変わって新しい人生を歩こうと考えただけ。
きっとそんな子供じみた、場当たり的で、ある日突発的に思いついてしまったという、そんな単純な話。
それにどんな人生になろうとも、幸せになれる自信もあったのだろう。
もしかしたら幼馴染のロレントさんのビックリする顔が見たかったという、ちょっとした茶目っ気もあるかもしれない。
少なくとも純愛だとか大義だとか深慮遠謀だとかそんなご立派なモノではない。
今の私ならば自信を持って断言できる。
「――何故と聞かれましても……オランドが邪魔だったからです、……ケド。……何か問題でも?」
生憎私はそれ以外の答えを持ち合わせていなかった。
私にとっては当然の帰結だった。
だが、目の前の彼らは揃いも揃ってマヌケな顔を晒しているのだ。
そんな彼らを見渡しながら、私は大袈裟に溜め息をついて見せた。
――この人たちと違ってオランドは本当に抜け目のない男だった。
今回ママは私を呼び寄せるのにも、教会の伝書鳩を使わず早馬で済ませた。
私もそれを察して誰にも何も言わず、部下に後事を託す書置きだけを残してひっそりとポルトグランデを抜け出した。
それなのにも関わらず、彼も空の異変と結びつけて何かを察したのだろう。
私から僅かに遅れるだけで、彼もまもなくイーギスに姿を見せた。
そして事情を掴むとすぐさま独自の判断で機敏に動き出したのだ。
援助物資を小出しにしながら教会の権威を維持し続け、ママと伯父様が手を組んだと知ればすぐさま二人の意思に沿うように動き始めた。
女王国の政務官が本国から現れると、あっという間に彼らとも良好な関係を築き始めた。
本部機能が帝都に移ると当然のように彼も一緒についてきた。
全員が変質し混乱したセカイに対処しようと必死になって動いている中、オランドだけは『新しい女王国』での自身の立ち位置を意識しながら動いていた。
――正確にはオランドと私の二人だけが。
私は彼がそういう人間なのだと知っていた。
そうやって組織の頂点にまで上り詰めた男なのだ、と。
彼を生かしておけば絶対に私と衝突する日が来る。
その時になってから動くようでは遅すぎるのだ。
本格的に『新しい女王国』が動き出す前にオランドを消しておきたかった。
だからゴールド卿に話を持っていったのだ。
それなのにも関わらず、いつまで経ってもあのジジイは動かない。
この期に及んで、まだ私が動くかもしれないとでも思っていたのだろうか?
それとも自分がどれ程追い詰められているのかも分からないほどに耄碌していたのだろうか?
やはり自分が動くべきだったのかと悩んだ夜もあった。
そんな中、ようやく今朝になって待ちに待った報告を受けたのだ。
――「オランド神官長が昨晩何者かによって暗殺されました」と。
オランドは今までそうやって生きてきた男だった。だからこそ自身の身辺警護はしっかりとしていた。
それを掻い潜れるような人間を探すのはさぞかし苦労したに違いない。
魔王復活による混乱が私たちの追い風になってくれたとはいえ、一応無事に仕事を成し遂げたあのジジイもそれなりに優秀だったと認めてやらないでもない。
何なら褒めてやってもいいだろう。
……あとは捨て駒としてどれほどのモノなのか、という話だ。
「――私は生まれ変わったこの国でどこまで出来るのか試したいのです。皆様はどうですか? ……新しい女王国で生き抜く覚悟は出来ましたか?」
私の言葉に一同はポカンとした顔を見合わせるばかり。
この目まぐるしく変化していくセカイに未だ対応出来ていない彼らでも分かるように、私は優しく伝えてあげることにした。
「いいですか皆様。……軍隊を使って一度に何千人という兵士が死んでいく戦争は確かに終結致しました。しかしこれより今回の一件のように勢力争いという名の、裏で人知れず血が流れるという、違う形態の戦争が始まるのです。……さて、どうしましょう? 皆様はこの先どうやって教会の舵取りをしていきましょうか? ……私は今それをお尋ねしたのですよ?」
今の言葉を理解した彼らの顔色が徐々に青ざめていく。
私はそれを冷静に眺めていた。
彼らは慣れすぎたのだ。オランドという強烈な指導者の存在に。
今までは彼がそういったコトの全てを取り仕切っていた。
そして私が謀らなければ、これからも彼はそうするつもりでいたはずだ。
オランドは彼らの支配者であると同時に保護者でもあったのだ。
その彼はもうこの世にはいない。
「……私ならば新しい女王国でも引き続き皆様の居場所を用意することが出来ますよ。……どうします? 私に乗ってくれませんか?」
――ねぇ、貴方たちは不安なのでしょう?
これからこのセカイがどう動いていくのか?
自分たちは新しい秩序の中でも今まで通り利益を享受することが出来るのか?
「……私の発言力になってもらえませんか?」
発言力とは、すなわち勢力の大きさだ。
ケイトという小娘の言葉は無視できても、教会を後ろ盾にした人間の言葉ならば絶対に無視できない。
私が強い視線で一人一人見つめていくとチラホラ同意する目が返ってきた。
――ホラ、なんて可愛らしく、かよわい存在なのだろうか!
こんな彼らをこのまま放っておけば、きっと誰か喰い散らかすに違いない。
だからその前に私が守ってあげるのだ。――混乱が続いている今のうちに。
「私が貴方たちを導いて差し上げましょう」
――迷える子羊を救うのは本来ならばマール様のお役目でしょうけれど、私はこれっぽっちも神の存在を信じておりませんので。
ですから今より私が彼らの神になりましょう!
私の微笑みに彼らは縋るような眼で頷いた。
「まず、ゴールドを捕えてください。殺害の証拠ならば皆様で用意できるでしょう? ……あのときのように」
ロレントさんの決定的な証拠を用意したのは教会だった。
どうせゴールドには皇帝殺害教唆という『余罪』もあるので極刑は免れない。
まさか彼も魔王が復活するとは思わなかっただろうが。
その引き金を引かせた彼が、今更何を話そうが誰も相手にしないだろう。
「それと私の要請に応じたということで、今まで貯め込んでいた物資を差し出してください」
民衆も喜び、教会のメンツも保たれる。そして私の求心力も高まる。
教会に話を通すときはきっと私が間に入ることになるだろう。
今回、教会はほぼ無傷だ。その力を私が有効に使ってあげる。
枢機卿が黙ったまま私の目を見て頷いた。
私も彼の目を見て頷き返す。
さぁ、私の戦いは今日ここから始まるのだ。
私はもう一度だけ念を押すようにゆっくりと彼らを見渡した。




