第6話 クロード、アリスの正体を知る。
俺たちは神の声に従い、うっそうとした森の奥に進む。
雑草が生え放題の小道を歩き続けると、やがて開けた場所に出た。
古びた石造りの神殿ような建物が見える。
――そんなことよりも、何だ、この感覚?
教会で祈っているときのように心が安らぐのを感じる。いやそれ以上だ。
どうやら聖域というのは本当らしい。あきらかに空気が澄んでいるのを感じる。
彼女たちも何かを感じ取ったのか、顔を見合わせ深呼吸していた。
マール信者だとか、神の声が聞こえる聞こえないは関係ないらしい。
『……ここが聖域だ』
再び神の声が聞こえ始める。それも今までよりも遥かに綺麗な音で、だ。
流石聖域というだけはある。
『この神殿の敷地内にいる間は安全だ。凶暴なモンスターも入れないようになっているから安心して身体を休めるといい。……拠点として使うように』
「……拠点? 何の?」
『もちろん魔王討伐の為の、だ』
……あぁ、思い出した。
魔王復活のことを聞かなければいけなかったのだ。
「そんなことより、聞かせてくれよ! 一体何が起きているんだ!」
俺は叫んだ。
『全て話してやるから、そう焦るでない。神殿内に落ち着ける場所があるから、我の言うことを聞け。……魔王城直通の移送魔方陣もそこにある。……それらを確認する為にも、まずは中へ入るのだ』
「……いそう、まほうじん、だって? ……分かるか?」
振り向いてルビーに尋ねるが、彼女も無言で首を振る。
仕方ない、一旦は中に入るか。
そうしないと話にならないようだ。
神殿の中に入るとやや薄暗いものの、埃っぽい感じではなかった。
こんな寂れた神殿を誰が手入れした訳でもないのに、不思議なことだ。
建物内には部屋がいくつもあり、石造りの寝台が備え付けてあるものやら、武具屋で見かけるような設備が置いてある部屋など様々な種類が用意されていた。
その中でも一番広い部屋には大きな机と沢山の椅子があり、部屋の隅には井戸もあった。覗き込むと中は暗いが、変な臭いなどはしなかった。
汲み上げると予想以上に綺麗な水。
思い切って口に含んでみるが、普通に美味しかった。
俺の様子を見て二人も代わる代わるその水で喉を潤す。
そして思い思いに荷物をおろして落ち着いた。
「……これが移送魔方陣っていうヤツなのかなぁ?」
ルビーが光る床の周りをグルグルと回りながら観察していた。
『その中に入れば魔王城に行ける。……あちらにも同じ魔方陣があるからいつでもこちらに帰ってこれるようになっている』
なるほど、だからここが拠点ということか。
危なくなったら安全なここに引き返せばいいと。
『それでは――』
みんなが椅子に腰を掛けるとマールは語り出した。
俺はそのまま神の声を口に出して、二人に聞かせることに専念する。
質問は後でまとめてしようと決めておいた。
ルビーの言うようにまずは聞かないと始まらない。
自称マール神が本当に神なのか、それともアリスが言うように神を騙る魔王なのか、それすらも今の俺たちには判断出来なかった。
まずマールは魔王と皇帝の関係から話し始めた。
これは概ね宰相の話通りだった。
『――魔王を完全に滅ぼす為には、まず復活させなければならなかった。その為には封印を解く――即ち皇帝を殺さなければならなかったのだ。その後魔王城に乗り込み魔王を滅殺する――』
それが出来るのは神に選ばれた勇者のみだとマールは言う。
それこそが勇者の存在意義なのだと。
俺はレスターを助けたことでそれに選ばれたのだ、と。
勇者はレジスタンスに協力し、皇帝を殺す。
そして復活した魔王を倒し、英雄になる。
これこそが本来あるべき形なのだ、と。
「――でも私たち、今は完全に悪者じゃない!」
サファイアが叫んだ。
最初は黙って最後まで聞くはずだったが、彼女の言葉が切っ掛けになり俺も言わずにはいられなかったことを言う。
「そうだよ! 俺たちはちゃんとその流れに従って戦ってきたのに、何故こんな森に逃げ込まなければいけないハメになっちまったんだよ! ……そもそも俺たちのような人間が魔王なんてモノを倒せるのか?」
どれだけ強いのかもわからない魔王だ。
しかもトパーズがいなくなって、目に見えて戦力が低下した。
お尋ね者になってしまった俺たちと一緒に魔王を倒してくれるような人間などいないだろう。
しかし神は自信たっぶりに言い放つのだ。
『倒せる! 現にメイスは倒せた。……彼奴もお前たち同様三人で挑んでいた』
「……だからメイスって誰だよ!」
以前からちょいちょい出てくる名前だった。
マールの敵らしいということぐらいは分かるが。
『だから我は何度も伝えているだろうが! アリスのことだと! ……彼奴は魔王を滅ぼしたぞ!』
「そっちこそ何を言っているんだ! ……アリスが魔王を滅ぼしたっていうのなら、何でまた復活してるんだよ! 完全に滅んだんじゃなかったのかよ!」
『だから、その点は今から説明するから黙って聞けといっているだろうが!』
マールは忌々しげに舌打ちすると、再び説明を始めた。
そしてマールはアリスが何者なのかという話を始める。
彼女は元々メイスという名前の勇者だったらしい。
神の声に従って行動し、皇帝を殺し魔王を復活させ、そしてそれを滅ぼし見事英雄になった。
そして魔王を倒したときに手に入れた宝具<逆巻きの懐中時計>を使って2周目を始めたのだと――。
「……2周目?」
聞きなれない言葉だった。
彼女たち二人も首を振る。
『そうだ、彼奴は再び勇者としてこのセカイに転生したのだ。……それを我は2周目をプレイすると呼んでいる』
メイスは名前、容姿、性別、そういったモノ全てを変えて、もう一度セカイをやり直したのだと。
正直意味が分からない。
しかしルビーだけが何やら納得したように頷いていた。
マールは俺の困惑など気にすることなく続ける。
『――しかし忌々しいことに、彼奴はこのセカイに転生した途端、勇者としての役割を放棄したのだ』
レスターを救わずに見殺しにしようとしたのだと。
それではこのセカイは救われない。
勇者としての物語が始まらないのだとマールは言う。
――だから、俺が新しい勇者として指名されたのだ、と。
アリスは始めから俺たち一行の動きを気にしていたそうだ。
ずっとそのことに気付いていたが、神の声が届かない状況ではそれを伝えることも出来なかったのだという。
そもそもその時点では彼女が何を考えているか見当もつかなかった。
アリスは手出しできないマールを嘲笑うかのように、着々と手を打ってきた。
脆弱な水の公国を乗っ取り、さらに聖王国を支配した。ついに山岳国をも奪って瞬く間に一大勢力を築き上げた。
ホルスさんの娘を治したのもアリスだった。そうすることで彼の心を掴んだ。
本来彼の娘を救い、彼をレジスタンス側に引き入れるのは、勇者の重要な役目の一つだったらしい。
そうやって俺たち勇者一行は名声を上げなくてはいけなかった。
アリスはそれを知っていたから、常に勇者とマールの先手を打つように動いてきたのだと言う。
そもそもレジスタンスという組織は、勇者に頼らないとまともに皇帝と向かい合うことも出来ないのだと。
勇者の獅子奮迅の活躍があって、やっと宰相に対抗出来るようになるらしい。
しかしアリスは女王国の力を使って物資や人材を提供し、レジスタンスを勇者の力など借りなくても戦える新しい組織に作り変えてしまったのだ、と。
さらにアリスはヴァルグランでの内戦を利用してより強大な影響力を手にし、このセカイを意のままに動かす立場を手に入れたのだ、と。
そしてあの場に宰相とともに現れると、よりにもよってマールを魔王扱いしたのだと――。
「――ちょっと待て!」
今、何かが引っ掛かった。
『……なんだ?』
うんざりしたかのようなマールの声が聞こえる。
「……アリスは神の声の存在を知っていたのか?」
『何を今更、元勇者なのだから当然だろう? さっきから何度も言っているはずだ。……彼奴は我の声に従って魔王を倒したのだ、と』
露骨に溜め息をつくのが聞こえた。
さっきから舌打ちだとか溜め息だとか、妙に人間くさい。――自称神のくせに。
……そんなことは分かっている。その先が聞きたいんだ。
お前は黙って俺の聞きたいことだけを話せばいい。
「……ということは知っていながら『神の声』が聞こえる俺を頭のおかしい人間扱いして馬鹿にしていたと?」
これは確認だ。別に怒りはない。
今までの俺なら怒り狂っていただろうが。
それよりも、もっと大事なコトがあるのだ。
『……そうだな。彼奴はお前がちゃんと神の声が聞こえていることを知っていた。おそらく我が彼奴の姦計に気付いていることにも気付いていた。皇帝を殺し魔王が復活した直後、一時的に我の声が聞こえなくなることも前回の経験で知っていた。その上で彼奴は姑息にも我の声が魔王のモノだと抜かしたのだ。……証明する手立てがないのをいいことに! ……何という不届き!』
そうか、全部知っていたのか。
あの状況を上手く利用して、俺一人を悪者にしてセカイを手中に収めたと。
……なるほど。
何となく俺が引っ掛かっていたモノの端っこを掴むことが出来そうだった。
『だが、無事メイスの野望は潰えた! 実に喜ばしいことだ! ……それにしてもあの取り乱しようは今思い出してもおかしい!』
あの叫び怒り狂っていたアリスを思い出したのか、マールが盛大に笑い出す。
しかし俺は笑う気にはなれなかった。
……潰えた? 本当にそうなのか?
俺が引っ掛かっていたコトがまさにそこだった。
『――おそらく皇帝の血を繋ぎ、魔王復活させないセカイで覇者になる予定だったのであろうな。いやはや神に逆らおうなど片腹痛いわ』
それは分かる。
彼女は魔王復活阻止の為に手を打っていたのはまず間違いないだろう。
おそらくセカイ中の誰もが理解していることだ。
だがアリスの願いむなしく魔王は復活し、セカイは混乱の中にある。
――表向きは。
もしアイツが初めからこの状況になることを想定して動いていたとしたら?
今思い出せば、魔王が復活してからの、あのやりとりは慎重に言葉を選んでいたとも受け取れる。
あれだけ感情を爆発させていたのも、あの場にいた人間に「自分は健気にもセカイを守ろうと必死で動いていたのだ」と印象付ける為の振る舞いだと考えられる。
――あの言動全てが計算づくだったとしたら?
あの場において、皇帝を殺せば魔王が復活すると本当の意味で知っていたのは、アリスたった一人だけだった。
彼女だけが完璧に対策を打つことが出来たのだ! 2周目だから!
レッドさんもあの突入前日の会議の時に言っていたではないか。
――アリスは最悪の事態に向けて動いていると。
この魔王復活という絶好機を上手く利用すれば、彼女はこのセカイの頂点として円満に確固たる地位を築くことが出来るのだ。
実際サファイアからの報告でも女王国を中心に魔王城から飛来するモンスターを迎撃し民衆から絶大な信頼を得ているとあったのだ。
……神は本当にそれを理解しているのか?
もしかして願い通り魔王が復活したことで、浮かれているのか?
アリスを出し抜くことが出来たと、勝手にそう思い込んで?
この状況こそアイツが最初から狙っていた唯一の道なのかもしれないのに?
それこそ俺がずっと引っ掛かっていたことの根っこの部分だった。
――アリスの本当の目的は何だったのか?
今思えば俺の心が折れかけたあの瞬間、再び皇帝を殺すように突き動かしたのは彼女の挑発めいた言葉だった。
あれはつまり――。
もう少しで答えに手が届きそうだったのに、思考を遮ったのはマールだった。
『――さぁ、これからが本番だ。……勇者よ魔王を倒せ!』
あまりにも尊大な言い方に流石の俺もカチンときた。
「あぁ? ……ふざけんなよ! さっきから勝手なことばかり言いやがって! 大体魔王が復活するってんなら、何故先にそれを言わなかったんだよ!」
『……では聞くが、お前は魔王が復活すると分かっていて皇帝を殺せたか?』
「そんな訳ねぇだろうが!」
『だから、だ。……これは仕方ないことなのだ。実は以前一度だけ、そのときの勇者に教えたこともあったが、その勇者は結局皇帝を殺せなかった』
だろうよ! ……普通殺さねぇよ!
民衆をどん底に突き落とすようなマネを誰がするというのか!
だから仕方なく勇者を騙して皇帝を殺させるってか? 悪質にも程がある!
「……もう知らねぇよ。俺は降りるからな!」
これ以上コイツらのお遊びに付き合う義理などない。
誰が好き好んで魔王に挑もうとするのか。
「私、山に帰りたい……」
サファイアも泣きそうな顔をしている。
その中でルビーだけは目を瞑ったまま俯き、不自然なまでに沈黙を続けていた。
そして彼女は何度も頷くとゆっくり口を開いた。
「……分かった。魔王を倒せばいいんだね?」
「「……エッ?」」
その言葉に俺たちは声を揃えて聞き直した。
一体何を考えているんだ?
恐る恐るルビーを窺うと、彼女はゆっくりと目を開いた。
いつもと違う何処か荒んだ目をしている。
彼女の何かが吹っ切れたような感じがした。……それも悪い方向に。
サファイアもどこかおかしくなったのに、その上ルビーも、なのか?
彼女は呆然とした俺たちを見ると、フフッと口元を歪めて笑った。
――何故分からないの? と言いたげに。
そして再び口を開く。
「……だって、魔王を倒したらその宝具とやらが手に入るんでしょう?」
俺も一拍遅れてルビーの思考に追いつくことが出来た。
そうだ!
アリスは魔王を倒した後、その宝具で2周目を始めたのだ。
マールは確かにそう言った。
つまり俺たちもそれさえ手に入れることが出来れば、新しいセカイに旅立つことが可能なのだ。
サファイアにも理解出来たのか、身を乗り出してくる。
「……なぁ、どうなんだ?」
俺は少しかすれた声でマールに問いかけた。
『……あぁ、魔王を倒せば宝具は必ず手に入る』
神はそう言い切った。
それならば話は変わってくるというもの。
魔王を倒すことの意味を見出せた。
『ただし、宝具―――――――。――――――――』
マールが説明を続ける。
俺は二人に気付かれないように息を飲み込んだ。
深呼吸して心を落ち着かせる。
「……どうかした?」
サファイアが聞いてくる。
「……いや、何でもないよ。ただマールにいいように乗せられているなと思ってさ……」
「確かにそうかも。……でも、これでみんな幸せになれるよね?」
彼女は出会った頃を思い出させるような、はにかむ笑顔を見せていた。
……これでいい。
今はこれでいいのだ。
「よし、みんなで魔王を倒して宝具を手に入れよう! ……そして、新しいセカイで今度こそ幸せになろう!」
俺たちは三人で顔を見合わせると、お互いを鼓舞するように大きく頷いた。




