第5話 ルビー、トパーズのことを想って泣き崩れる。
アタシが目を開けると一面の緑が広がっていた。
何が何だかよくわからないけれど、森の中で寝ていたようだ。
まずはゆっくりと身体を起こして状況を確認する。
「……もう身体を起こしても大丈夫なのか?」
アタシの起き上がる気配を感じたのか、近くにいたらしいクロードが声を掛けてきた。
「うん、たぶん大丈夫だと思うケド――」
思わずそう答えたものの、正直よくわからない。
そもそもここはどこなのか?
何故アタシはこんなところで寝ていたのか?
クロードが教えてくれるには、アタシは白銀城での戦闘中に気を失って、そのままずっと今まで目が覚めていなかったらしい。
取り敢えず帝都を離れてこの森に逃げ込んだとのこと。
サファイアは帝都まで様子を見に行っているという。
……あの戦い。
アタシはトパーズに――。
それを思い出した瞬間、急に息苦しくなって胸を押さえた。
もしかしたらトパーズは生きていないかもしれない。
たとえ命は助かったとしても、おそらく最前線で戦える身体ではない。
――アタシは何て事をしてしまったのだろう?
もう彼のそばにいることは出来ないし、そんなコトは許してもらえない。
そもそも彼とは敵同士になったのだ。
彼の温もり、彼の優しい顔、彼との幸せな未来、それら全てをアタシは自分から棄て去ったのだ。
――何でクロードを選んでしまったのだろう?
こんなにも後悔しているのに、こんなにも胸が痛いのに。
アタシは帰るべき故郷すらも失ってしまった。
女王であるアリスちゃんに危害を加え、名実ともに女王国の敵になったのだ。
今更聖王都にも戻れないし、伯父様とも両親とも合わせる顔がない。
――何でこんなことになったのだろう?
アタシはもう何度目になるのか分からない自問自答を繰り返していた。
気が付けば頬に一筋の涙が流れていた。
「大丈夫か?」
そんなアタシをクロードが抱きしめてくる。
「……イヤ!」
反射的に拒絶するが、どうしても身体に力が入らない。
「ダメだよ! こんなところをサファイアに見られたら……、彼女が悲しむから……」
悲しむというのは少し違うだろう。……もっと激しい何かだ。
今の弱っている状況で、これ以上面倒なコトに巻き込まれたくない。
何とかしてクロードを突き放そうとするが、彼はアタシを離そうとしない。
「……大丈夫だから、……落ち着いて、ね?」
小さい子供にするように背中を軽くポンポンと叩いてくれる。
あの夜のような性欲に満ちたモノではなく、親が子供を包み込むようなどこか優しくて温かい抱擁。
何が大丈夫なんだか。……勝手なことを言わないでよ。
もうアタシには何も残っていないのに!
アタシの帰る場所は無くなったのに!
……でも何故だろう? 心が安らぐのを感じていた。
ここが――クロードの腕の中こそが、アタシの本当の居場所なのだと錯覚してしまうぐらいに。
どれぐらいの時間クロードの腕の中に包まれていたのだろうか、心地いい気分で背中を撫でられていると不意に悪寒がした。
覚悟を決めてゆっくりと振り返れば、やはりそこには鬼の形相のサファイアが立っていた。
「……何をしているのよ!」
案の定というか、何というか……。
もう放っておいて欲しかった。
「泣いているルビーを慰めていただけだ! 何もやましいことはしていない!」
クロードが不満そうな口ぶりで言い返す。
それは本当のことだ、あの時のようなことは何もない。
だけど彼女からすれば、そんなことはどうでもいいのだ。
目に見えるものが全てだ。
かつて自分が偵察でその場を離れている間に裏切った二人が、今回も同じように抱き合っているというその事実だけが全てだった。
「二人とも早く離れなさいよ!」
そう叫びながらサファイアはアタシに向けて矢を番えた。
「やめろ! サファイア、キミは自分で何をしているのか分かっているのか!?」
クロードも叫ぶ。
サファイアは涙をポロポロと零しながら首を何度も振った。
「クロードは黙っててよ! ……もう私には貴方しか残っていないのよ!? ねぇ、なんで分かってくれないの!?」
サファイアが泣き叫ぶ。
本当に泣きたいのはこっちだ。
それから好きだ何だとグダグダな感じの問答が続き、最終的にクロードが荒ぶるサファイアを抱きしめて、落ち着かせることに成功した。
アタシはそれら一連の流れを黙って眺めていた。
「――ねぇ、ルビー、あなたはトパーズでしょ? そう決めたじゃない! 私からクロードを取らないでよ」
サファイアはクロードの腕の中からアタシを睨みつけてきた。
言われなくても、最初からクロードをどうこうするつもりなんてなかった。
アタシは今でもトパーズを愛しているのだ。
たとえ離れ離れになっても、それだけは絶対に揺るがない!
「……おい。今はそんな話をしている場合じゃないだろう!」
クロードがサファイアをなじる。
それに対して彼女が身を捩りながらキレた。
「……だからなんでさっきからルビーの肩ばっかり持つのよ? クロードは私の彼氏なんだよね? 婚約者なんだよね? 私のモノなのよね? 私の味方をするのよね?」
「おい。さっきからちょっとおかしいぞ? ……だから、何でそんな話になるんだよ?」
クロードも収まらないのかサファイアを突き放して睨みつける。
だけど彼女は止まらなかった。どこか熱に浮かされたように続ける。
「邪魔者のトパーズが死んだから、ルビーをどうにかしようと思っているんでしょう? ……そんなの絶対に許さないんだからね!」
……えッ?
……死んだの? ……トパーズが?
……アタシが殺したの?
……あの魔法で?
信じられないという気持ちと、やっぱりという諦めていた気持ちとがごちゃごちゃになる。
「そんなんじゃないって言っているだろう!? ……だからさっきから何を訳のわからないことを言っているんだよ!」
クロードが叫ぶ。
さらにそれに覆いかぶせるように何かを叫ぶサファイア。
だけど二人の話は全く頭に入ってこなかった。
気が付けば、ひたすら号泣するアタシの背中をクロードがさすってくれているところだった。
サファイアをチラリと見ると、物凄く怖い目でこちらを睨みつけていたものの、この状況は仕方ないと判断したのだろう。特に何も言って来なかった。
アタシが落ち着いたところで、不貞腐れた表情のサファイアが帝都で調べたことを話し始めた。
魔王軍が襲来したものの、女王国軍と帝国軍さらにレジスタンス軍が力を合わせて撃退したらしい。特に女王国の貢献は凄まじいモノで帝都凱旋の際は大歓声で迎えられたそうだ。
――そして、あの戦闘でトパーズもレッドさんも死んでしまった。
彼らは命を挺して女王を守り抜いた英雄として、国を挙げて祀られるという。
「……考えてみればトパーズも馬鹿な男よね」
報告を終えるとサファイアが口元を歪めながらポツリと呟いた。
彼への侮辱だけは聞き捨てならない。
アタシは彼女を睨みつけた。
しかしサファイアはどこか馬鹿にしたような目でアタシを睨み返してくるのだ。
今までになく荒んだ眼をしていた。
「言いすぎだぞ、サファイア」
クロードも窘めるのだが、サファイアは鼻で笑うのだ。
「だって私、あのことをちゃんと彼に教えてあげたのよ?」
「……あのこと?」
泣きすぎたのか声がかすれてちゃんと出てこない。
それでも彼女にはちゃんと聞こえたはずだ。
だからこそ今のアタシの問いに笑顔を見せて答えたのだ。
――「あなたが私からクロードを寝取ったアノ夜のことに決まっているじゃない」と。
「ルビーはズルいわ。伯父さんはアリスの部下であの会議にも出ていたし……」
サファイアは爪を噛みながら、血走った眼でアタシを睨みつける。
あの会議とはポルトグランデで行われた最後の会議のことだろう。
――女王国陣営勢揃いの。
それを言うならば、アリスちゃんの側近で白銀城の謁見の間にも一緒に現れたパールは彼女の妹だ。しかも女王国の前身である水の公国は彼女の祖国でもある。
「……だからって何故トパーズにそんなことを言ったんだよ?」
クロードとしてもトパーズには知られたくなかったことだろう。
今の彼の言葉が引き金になったのか、サファイアが物凄い剣幕で捲し立てた。
「ルビーとトパーズの二人がのうのうと女王国で幸せになるのが許せなかったからに決まっているじゃない! トパーズはあの戦いが終わったら、間違いなく女王国に行くわ。そうしたらルビーもついていくじゃない!? ……だってあなたもポルトグランデのお店で勧誘されていたし! ……『そのときが来たらお世話になるかもしれません』なんて言っちゃってさぁ! 完全にその気だったじゃない!」
「……なんで……知っているの?」
声がかすれる。
「私もあの店にいたからに決まっているじゃない! 弟と妹が一緒に女王国で働こうって誘ってきたのよ! ……もちろんその場で断ったわ、私はね!」
そう言い放つと、どうだと言わんばかりにクロードを熱っぽい目で見つめた。
その視線を受けた彼が小さい声で「……俺には誰も言ってこなかった」と呟くのが聞こえた。
……いや流石に女王国から目の敵にされているクロードに勧誘はないだろう。
「――絶対に許さないわ! ヒトの男を寝取っておきながら、自分だけは優しくて一途な彼氏を手に入れて! 勝ち組の女王国でもちゃんとした地位を手に入れて、ぬくぬくと!? ……そんなこと絶対にさせない! ……人生はね、そんなに甘くないのよ!」
支離滅裂だった。
自分だって勧誘されていたのに。自分だって女王国で生きていけるのに。
……何でアタシだけこんなにも目の敵にされなきゃいけないの?
彼女はいつからこんな感じになったの?
得体のしれない寒気がした。
出会った頃の野に咲く花のような可憐さはそこにはなかった。
「でも、トバーズの為にはよかったはずよね? ……だって男とみれば誰彼構わず股を開くような女と一緒になる前に、本性を知ることが出来たのだから」
言いたいことは言ったのか、サファイアは一転して穏やかな笑みを浮かべる。
だけど今度は逆に目に生気が感じられない。
彼女の精神そのもののように、どこか歪だった。
アタシはふと疑問に思うことがあって、彼女に訊ねてみた。
「……ねぇ、それっていつの話なの? ……トパーズはそれをいつ聞いたの?」
「帝都に来てからよ、決戦前夜ね」
サファイアはこともなげに答えた。
それを聞いてアタシは愕然とする。
彼は直前にそれを知らされながら、それを誰にも言えずに抱えこんだまま戦っていたのだ!
その上であの時アタシと一緒になる未来を選んでくれたんだ!
――キミの今と未来がほしいってそういうコトだったんだ。
全部知った上でそれでもアタシを受け入れてくれるという意味だったんだ!
それなのにアタシは!
今までと比較にならない程の胸の痛みに襲われ――。
アタシは気を失った。
「――今頃出てくんなよ!」
いきなりのクロードの叫び声で目が覚めた。
びっくりして心臓が止まるかと思った。
見渡せばいつの間にか周りは真っ暗。
焚火だけが唯一の明りだった。
声のする方を窺うと、クロードが中空を見ていた。
サファイアも何事かと身体を起こしていた。
「――だからお前は誰なんだよ、ちくしょう!」
「――そんなことはどうでもいいっつってんだろうが! 俺が聞きたいのは、魔王が復活するって分かっていたのかってコトだ!」
「――っ、だから! アリスのせいって、おまえはさっきからそればっかりじゃねぇか! ……なんだよ!」
どうやら再び神の声聞こえるようになったようだ。
彼は話にならないと言いたげに手元に生えていた雑草を毟って投げ捨てた。
「……ねぇ、なんて言っているの?」
サファイアが心配そうにクロードに近寄ると、彼の腕に抱きつく。
そしてアタシを睨みつけると、顔をクロードの胸に埋めた。
「……この森の奥に聖域があるからそこに行けって。……誰が行くかよ!」
彼がそう吐き捨てると、闇の中で長い沈黙が続いた。
その静寂の中、アタシは幾らかマシになった頭を必死になって回していた。
「……ねぇ、アタシたちには知らないことが多すぎると思わない?」
アタシの冷静な声が森の中に響いた。
二人からすれば意外な反応だったのかもしれない。
彼らは顔を見合わせてからこちらを窺う。
どうせもうこのセカイにアタシの味方は一人もいないのだ。
……違う。……アタシが自分から敵になったのだ!
……家族の! 大好きな人の! ……女王国の!
そして最愛の人を殺したの!
アタシのことだけを愛してくれていた人を殺したの!
もう、笑うしかない。
アタシは自分の愚かさに呆れてしまい口元を歪めた。
どうせこの暗がりだ、二人にも見えていないだろう。
さぁ、どうすればこの状況を打破出来るのかを考えようか。
……って、そんなのは決まっている。
何かが変わるまで、ひたすら足掻けばいいんだ。
――どうせこれ以上の最悪なんて存在しない!
だったらメチャクチャにしてやればいい!
「――取り敢えずその聖域っていうところに行って話を聞こうよ? それから判断しても遅くないんじゃない?」
本当は神の声なんてどうでも良かった。それこそ今更だ。
だけど、前へ進む為の口実が欲しかった。
神の声を無視するのは簡単だけれど、それでは完全に足が止まってしまう。
そうなってしまえば、もうどうすることも出来ない。
――後ろから忍び寄ってくる現実に捕獲されてしまう。
そうならないように動けるうちに動く。
多少無理な理由をつけてでも動く。
ヒトはそれを現実逃避と呼ぶのだろうが、アタシの知ったことではない。
前に進むことだけを考える。絶対に余計なことは考えない。
そうすることで何かが変わるのを待つコトぐらいしか、今のアタシに残された道はないのだ。
だったら徹底的に足掻いてみせる。
アタシはそう心に誓った。
『女王国の日常』の方も投稿しました。
ツッコミ役は在りし日のレッドです。




