第3話 クロード、戦略的撤退を決断する。
サファイアがアリスの強烈な肘打ちを喰らって倒れ込んだ。
一瞬のスキを突かれる形だった。
意識は失っていないようだが、どう考えても戦線に復帰するのは難しいだろう。
こればかりは殺されなかっただけマシだと思うしかない。
トパーズがいつも注意していた通りになってしまった。
――味方撃ちを恐れて、位置を頻繁に確認する癖がある。もっと自分から大胆に動いてもいいのではないか、と。
悔しいけれど、的確に見抜いて助言できる彼の戦闘センスは抜群だと思う。
何度か手合わせをしたけれど、結局最後まで一対一では勝てなかった。
あの馬鹿強いシーモアと渡り合ったぐらいだから無理もない。
俺の前にはいつもいつもトパーズが立ち塞がった。
どれだけ頑張っても二人の間には歴然たる実力と評価の差があった。
本来ならばパーティのリーダーである俺が得るべき名誉も、ロレントさんやヴァイス将軍といった重要人物との友好関係も全部全部彼が持って行った。
――その上ルビーまでも。
男として、それがどうしようもなく情けなかった。
それでも今、俺がこんなにも落ち着いていられるのは、ルビーがもう一度俺を選び直してくれたからだろう。彼女の中で何があったのかは分からない。
だけど彼女が味方として傍にいてくれるだけで、俺の中で何か特別な力が湧いてくるのを感じていた。
もちろん気持ちだけで数的不利を覆すことなど出来るはずもない。
レッドさんとトパーズの二人掛かりで攻撃してくるが、正直受け切るだけでギリギリという状況なのだ。この上アリスまでも合流してしまえばもう勝ち目はない。
「――クロード!」
不意にルビーの声が聞こえた。
そちらに目を遣れば、彼女の手のひらが随分と下に向いていることに気付く。
――了解。
俺は呼吸を止めて魔法に備えた。
「炎の暴発」
次の瞬間、俺までも巻き込むような爆発魔法が放たれた。
彼女は暇さえあれば魔法を使い勝手のいいように改造していた。
今のも間違いなくソレに違いない。
魔法が床に炸裂すると、凄い勢いで黒煙が舞い上がってきた。
これは煙で視界を遮り、ついでに呼吸を困難にさせる特別仕様だ。
今ルビーは俺のことだけを考えてくれている。
だから俺も彼女のことは何でも分かるのだ。
きっと俺たちはそういう風に出来ている。
思い起こせばアノ夜も物凄く相性が良かったのを覚えている。
あれから何度もサファイアを抱いたが、あのとき程満ち足りた気分にはなれなかった。
やっぱり俺にはルビーが一番合っているんだと思った。
ルビーはサファイアのように俺から何かを求めようとはしなかった。
サファイアのようにいつも何かを試そうとはしなかった。
……ただ側で俺を支えてくれていた。いつも俺に与えてくれた。
それなのに、あの頃の未熟だった俺はその有難さに気付けなかった。
――そして、そんな些細なボタンの掛け違いの結果、彼女の心がトパーズに向いてしまうことになってしまったのだ。
そのとき俺は初めて気付いたのだ。――失ったモノの大きさに。
仕方なくサファイアで心の隙間を埋めようとしたが、ダメだった。
だけど、それでも、ルビーは今この場所で、この大事な場面で、もう一度俺とやり直すコトを選んでくれた。
トパーズではない! この俺を、だ!
二人して随分と遠回りをしてしまったが、ようやくお互いの気持ちを確かめ合うことが出来たのだ。
やはり頭のどこかでそんなことを考えながら、剣を突き出したのがいけなかったのだろう。
「――チッ、ハズレかよ」
こんなときにハズすなんて、本当にツイてない。
出来れば先にトパーズの方を仕留めておきたかったのだが。
それでも最低限の仕事は出来たということで、自分自身を納得させる。
煙が晴れ、徐々にその光景が全員の目に晒されていく。
俺の剣がレッドさん鎧を貫いて脇腹に深く突き刺さっている、その様を。
誰が見ても間違いなく致命傷だった。
俺は剣を握り直すと彼の身体の内部に直接雷撃が撃ち込んだ。
一瞬レッドさんの身体がピクリと跳ね上がる。
やがて彼は力なくその場に崩れ落ちた。
……取り敢えず一丁上がりだ。
俺は目の前に転がる死体から強引に剣を引き抜き、改めて周りを見渡した。
煙を吸ったせいで呼吸の荒いトパーズと無表情のままのアリスが二人してこちらを睨みつけていた。
それに対して俺は笑顔で睨み返してやる。
「――まさか殺すとまでは思っていなかったとか言わないよな? ……悪いが俺はアンタたち程甘くないよ? 俺を魔王の手先だなんて寝言を言うのなら、ちゃんと殺すつもりで掛ってこいよ!」
俺は血まみれの剣の切っ先をアリスに向ける。
これで互角。ようやく面白くなってきた。
トパーズはルビーの魔法を掻い潜りながら、俺に狙いを絞って拳や蹴りを撃ち込んできた。
俺はそれを冷静に盾で受け止めながら、いつか絶対にやってくるスキを待ちつつタネを仕込み始めた。
やがてトパーズの攻撃の中に体重の乗せた直線的なモノが増えてくる。
盾越しでもダメージが通る様にと考えたのだろう。
俺はその動きに呼吸を合わせると、彼の単調になった一撃を正面から受けず、盾に角度を付けながら斜め後ろに受け流した。
そして身体を反転させながら一気に彼の懐に入り込むと、交差気味に当て身を食らわせる。
――アンタに教えてもらった動きだよ。
まさかぶっつけ本番で使うとは思っていなかったが。
トパーズは思ってもいなかった俺の反撃で、完全に体勢を崩した。
連戦、それもシーモアとの激戦の後で精魂尽き果てていたのか、踏ん張りが利かないようだ。
俺はそれを好機と見て、いつもより大振りで斬りかかった。
当然アリスはその動きを潰す為に突っ込んでくる。
彼女は物凄い速さで距離を詰めると、踏み切って膝を突き出しながら飛び掛かってきた。
――残念だったな! 罠を仕掛けることが出来るのはお前だけじゃない!
ルビーの角度からはちゃんと見えていたはず。
盾で口元を隠しながら続けていた無駄に長い詠唱が。
もうアレしか考えられないだろう?
この上なく使い勝手の悪い魔法。
しかも魔法使用中の俺は両手が塞がり完全に無防備ときた。
本当に笑えてくる。
――全く、誰がこんなくだらない魔法なんて使うんだよ。……なぁ、アリス!
俺は剣と盾を放り投げると彼女に向けて両手を突き出した。
「捕縛!」
次の瞬間アリスが宙に浮いたままで固まった。
俺は両手をアリスに向けたまま精神を集中させる。
――今だ! やっちまえ!
俺はルビーに目をやれば彼女も頷き返す。当然彼女も詠唱も完了していた。
「原初の篝火!」
目標はもちろん無抵抗のアリスだ。
ルビーの魔力全てを一点に注ぎ込んだ極大火炎魔法が発動する。
イーギスで見た彼女の伯父の放ったあの魔法と同程度の威力があるという。
眩しくて周りが見えなくなる中、ルビーとアリスの間に何かの影が飛び込んでくるのが見えた。
――トパーズだ。
そしてアリスを庇う様に両手を広げた彼に、ルビー渾身の魔法が直撃した。
あまりにも威力が大きすぎて、ルビー以外の全員が吹っ飛んでしまう。
直撃したのはトパーズだけで、俺は軽く巻き添えを食っただけなのにも関わらず、剥き出しになっている肌の部分が火傷を負っていた。
俺は慌てて起き上がると、自分に回復魔法を掛ける。
この程度で済んでよかったと思わないと。
何せ巨大なモンスターも一撃で屠るような魔法なのだ。
あれを喰らって大丈夫な人間など、このセカイに存在しないだろう。
案の定トパーズはピクリともしなかった。
見た感じ身体全体に火傷を負っている。
少なくとも回復魔法程度でどうにかなるケガではなかった。
そんな彼の下敷きになっていたアリスが、上に圧し掛かっていた彼の巨体を押しのけながら、ゆっくりと身体を起こした。
そして俺たちに背を向けるようにして立ち上がる。
魔法の衝撃でリボンが外れたのか、肩まで伸びた髪がほどかれていた。
幾ら庇ってもらえたとはいえ、彼女も無事では済まないだろう。
ここが狙い目だと感じ、あまりにも無防備な彼女に斬りかかろうとした瞬間、濃い緑色の光が彼女を包み込んだ。
――回復魔法が使えるのか? しかも詠唱無しで?
……それも全回復だと?
そして彼女はこちらにゆっくりとこちらに振り返る。
下を向いたままだった。髪のせいで表情が全く見えない。
それが逆に恐ろしさを感じさせる。
常にアリスは喜怒哀楽を示し続けてきた。――過剰なまでに。
そんな彼女の表情を見ることが出来ないという状況、それだけで背筋が凍る思いに駆られる。
「……ルビー!」
助けを求めるように振り返ったのだが、彼女はただ愕然とした表情で立ち竦んでいた。
そして何かを呟きながら崩れ落ちる。
もしかしてまだトパーズのことを引き摺っていたのだろうか?
――もう俺を選んだのだから、いい加減切り替えろ!
とはいえ、あの魔法で彼女の魔力はすっからかんだ。
彼女の仕事はこれで終わりということだ。
「しかたねぇ。あの状況から一対一なら上等か……」
俺は剣を構えた。
キズこそ癒したが連戦で魔力が尽きかけている俺に対してあちらはまだまだ余裕がありそうだ。
武器は手放したといえ、まだまだ引き出しもありそうだし、下手すりゃ飛び道具なんかも用意している可能性がある。
……ちょっと勝てる気しない。
しかしアリスはいつまで待っても構えようともしないし、そもそもこちらを見ようともしなかった。
――だがスキもない。
本当にやりにくい。シーモアのときの感覚に似ている。
そんなことを考えていると不意にアリスの口角が上がった。
だが相変わらず下を向いたまま。
どうした? ……気でも触れたのか?
これなら勝てるか? ……いや無理に突っ込むのは危険すぎる!
俺が逡巡している中、アリスはゆっくりと右手を上げるとバルコニーを指差した。
さっきサファイアの妹が飛び出して行った場所だ。
――そういうことなのか?
そこから逃げろと?
それは疑問ではなく、確認だった。
相変わらずアリスの表情は見えなかったが、間違いなく彼女はそこから脱出しろと言っているのだと確信した。
「……わかった、ありがとよ!」
俺はアリスに礼を告げると、床にうつ伏せになったままのサファイアに駆け寄った。
「立てるか?」
肩を貸すようにして抱え起こすと、彼女は小さく「大丈夫」と呟く。
そして今度は失神して倒れこんでいたルビーを抱き上げると、そのままバルコニーまで走った。
――ここは3階だから大丈夫のはず。
俺は深呼吸して覚悟を決めると手摺りを乗り越えた。
落下するときに内臓が縮こまる感覚に襲われるが、しっかりと意識を保つ。
そして衝撃を殺す為、着地と同時に転がりながら受け身を取った。
一応失神したままのルビーには回復魔法をかけておく。
バルコニーと見上げるとサファイアがまだアリスの方を見ていた。
「――飛び降りろ! 早く!」
彼女は俺の声にハッとしたようにこちらを見下ろすと、軽やかな身のこなしで簡単に飛び降りてきた。
「取り敢えずあそこに見える森まで走るぞ!」
俺は足元に転がっていた誰かの道具袋を反射的に拾い上げると、ルビーを抱きかかえながら走り出す。
サファイアはまだバルコニーを見上げていたが、何かを断ち切るようにブンブンと首を振ると、俺たちを追いかけてきた。
紫の空に自分がやってしまったコトの重大さを思い知らされるけれど、今は逃げ延びることだけを考えてがむしゃらに足を動かしていた。




