第2話 サファイア、戦闘の口火を切る。
まさかルビーがクロードを選ぶことになるとは思いもしなかった。
――トパーズがルビーを選ばない可能性は十分あると思っていたけれど、その逆だけは絶対にないと思っていた。
魔王が復活したこともそうだけれど、今日は本当に訳の分からない一日だ。
チラリと横目でルビーの顔を覗けば、唇まで真っ青になっていた。
彼女の中で一体どんな葛藤があったのかは想像もつかない。
……そこまで思いつめるのならば、素直にトパーズの元へ行けばよかったのに。
本当に訳が分からない。
アリスはこちらに視線を寄越すと私にも声を掛けてきた。
――さも、ついでのように。
「――サファイア? 貴女は――」
私はその言葉を遮るように、無言のまま彼女の眉間に向けて矢を放つ。
彼女は驚いた様子もなく、難なく短剣の刀身で弾いてみせた。
別に最初から当てようとも思っていない。
――これが返事よ!
私はありったけの殺意を込めて睨みつけた。
誰が女王国の世話になんてなるものか! ……どうせ本気で誘っている訳でもないくせに! 初めから断るって分かっていたのでしょう?
ただ単にクロードを揺さぶりたかっただけなのでしょう?
……この卑怯者!
アリスは私の視線に気を悪くした様子もなく「……でしょうね」とポツリと呟く。そして軽く口角を上げて見せた。
……あぁ! 本当にこの女は最悪だ!
今の私の一矢が引き金となり、そのまま戦いが始まった。
正直連戦に次ぐ連戦で体力と集中力が持たない。
それでも私はアリスに対する殺意で何とか身体を動かせていた。
――まずは早く敵の数を減らさないと!
私は積極的にアリスを狙いにいった。
憎いというのも否定はしないが、装甲が薄く体力も少ないであろう彼女を先に潰して数的優位をつくる為だ。
少なくともクロードの剣を真っ二つに出来るようなレッドさんや、あのシーモアと一対一で渡り合うトパーズよりは弱いはず。
しかしアリスは私の射かける矢を嘲笑うかのように、華麗な動きで避けていく。
……やはり簡単ではない。
彼女の「私たちを倒す」という言葉はただの戯言ではないらしい。
私は広い謁見の間を上手く使いながら、十分に距離を取って仕掛けていく。
今度は二本同時に番えて放ってみるが、彼女はそれも余裕の笑みを浮かべながら避けてみせた。
本当にすばしっこい!
この動きは間違いなく盗賊のソレだった。
……それにしても、女王のクセに盗賊だとは全くもって恐れ入る。
次々と国や人を盗んでいく女には、これ以上ない程お似合いの職業だ。
アリスも私が殺したがっているというのを感じたのだろう、まずは私を潰そうとこちらに向かって突っ込んできた。
私が適正距離を作る為に少し下がった瞬間、彼女は急に進行方向を変えてみせた。その先にいるのはまだ呆然と突っ立ったままのルビー。
――なんて抜け目のない女!
ほんのさっきまで仲間に誘っておきながら、味方にならないと分かれば今度は容赦なく狙うという。彼女が自国の重鎮の姪であろうと、そんなの一切関係なしだ。
「……危ない! 逃げて!」
私が叫ぶとルビーはようやく我に返ったようだ。
そして自分に向って突っ込むアリスに気付き、慌てて距離を取ろうとする。
だけどアリスはそんな彼女よりも遥かに速い。
私は足止めの為、彼女の足元に何本も矢を打ち込むが、それを軽やかに跳ねながら回避していく。
そしてアリスは一気に距離を詰めると、勢いを殺さずルビーに膝を打ち込んだ。
ルビーは何とか腕で止めていたようだが、さすがに痛みまでは抑え込めないようで、苦悶の表情を浮かべている。
それでも飛ばされることなく、その場に踏み止まり――。
「火の玉!」
一番簡単で詠唱の短い魔法を下に叩きつけた。
ルビーの手から放たれた魔法は直接床に当たり、一気にその場が燃え上がる。
彼女自身が巻き込まれるのも覚悟の上だった。
ルビーのその思い切った行動にアリスも目を見開くと、慌てて飛び退き距離を取った。
「そっちは二人でアリスを仕留めろ! その間、俺がこの二人を足止めするから!」
クロードの声が飛んでくる。
そちらを見ればクロードが残り二人相手に凌いでいた。
どう考えても援護が欲しいだろうに、それでも二人を引き受けるというその気概に改めて惚れ直す。
「わかったわ!」
私がクロードの言葉に返事して、アリスに攻撃しようとした瞬間、彼女は急に反転する。そしてこちらに背を見せながらクロード目がけて突っ込んでいった。
チラリと見えた表情は例によって満面の笑み。
まさかこちらの作戦通りにさせないという、ただその為だけに動いたとでも?
底意地の悪さは戦闘においても遺憾なく発揮されるようだ。
――だけどこの私に後ろを見せるとは、ホントいい度胸だわ!
私は迷いなくその背中目がけて渾身の一矢を撃ち放つ。
しかしその矢は彼女の背中に到達する前にレッドさんの盾に跳ね返された。
結局クロードの作戦も空しく、六人による大乱戦が始まるのだった。
味方撃ちにならないように位置取りに気を付けるのだけど、アリスはそれを嘲笑うかのように常にクロードやルビーの影に隠れて動いていた。
本当に厄介な女だ。嫌がらせの引き出しが多すぎる。
「――炎の矢!」
その中でルビーの不意打ち気味の魔法がレッドさんの背中に直撃した。
――三発四発と連続して当たる。
ダメージよりもその衝撃にレッドさんが態勢を崩した。
その隙をクロードが見逃す訳がなく彼目がけて襲いかかる。
だけどトパーズがそれに横から割って入り、鋭い足払いでクロードを床に転がした。
それに追い討ちをかけようと今度はアリスが突っ込んだ。
私はそうはさせないと彼女の足もとに矢を立て続けに撃ち込む。
上手い具合に不意を突けたのだろうか、アリスは厳しい顔をしながら宙に飛び上がって避けるも、着地の際に体勢を崩し短剣を一本落としてしまう。
それに気を取られて一瞬クロードから視線を外した。
いつの間にか起き上がっていたクロードが、今度こそこの機会を逃すまいとアリスに斬りかかる。
だけどアリスはそれを待ち構えていたように、その斬撃を残されていたもう一本の短剣で簡単に受け流し、一気にクロードの懐に潜り込むと彼の身体を一回転させ床に叩きつけた。
「かはぁ!」
クロードがその衝撃に悶絶する。
やっぱりスキを見せたのは彼女の罠だったのだ。
どれだけ姑息なのか。
倒れたままのクロードの止めをさそうと、彼に馬乗りになりながら短剣を振りかぶるアリスに、ルビーの正確に制御された火矢が襲いかかった。
アリスはそれを短剣の青く光る刃で受け止める。しかし衝撃までは殺しきれなかったようで、もう一本の短剣も派手に飛んでいった。
クロードにはそれで十分だったらしく、自分に馬乗りのままのアリスを強引に蹴り飛ばし、床の上をゴロゴロと転がりながら距離を取る。
だけどいつの間にか距離を詰めていたトパーズが、まだ床に膝をついたままのクロードに渾身の蹴りを放つ。
クロードがさらに悶絶しながら吹っ飛んだ。
私はなおも追い打ちを狙うトパーズを後ろから狙うも、その前に盾を持ったレッドさんが立ち塞がった。
――あぁ! 本当に上手くいかない!
背中あわせのトパーズとレッドに向かって、ルビーが魔法を放った。
威力が小さいからおそらくクロードを助ける為のものだろう。
それでも彼らはいきなり飛んできた魔法に驚き、慌ててその場を飛び退いた。
そのおかげでクロードが何とか立ち上がることが出来たようだ。
一瞬のうちにあらゆる人間が入り乱れる戦い。
それもこの場にいるのはこのセカイで最高峰の実力を持つ者たちだ。
――不覚にも私はほんのちょっとだけ楽しいと思ってしまった。
だけどそんな悠長なことを考えている時間はない。
あちらは急造の組み合わせなのにも関わらず、完全に連携が出来ていた。
トパーズがあちらに回った今、こちらで近距離戦ができるのはクロードだけ。
どう考えても彼の負担が大きすぎた。
何とかしないと――。
こちらが手を拱いているうちに、今度はレッドさんが広間の隅まで距離を取っていたルビーに狙いを定めて一気に詰め寄ろうとする。
クロードが彼女を守る為に動くもトパーズがそれを許さない。
仕方なく私がレッドさんの背中を狙う。だがそれは完全に読まれていたようで振り返りざま盾で受け止められた。
全員が広間に散らばってしまう。
ルビーとレッドさんの位置を確認。
クロードとトパーズはそこで対峙している――。
……アリスは? ……どこ? どこに消えたの!?
「――ここよ」
私の心の声に返事をするかのように、耳元でアリスの声が聞こえた。
そちらに視線だけを寄こせば、肘を突き出した彼女がすぐそこまで迫っていた。
――今更避けるのは不可能!
ならばせめて――。
私はその攻撃を無抵抗で受け止めると同時に、致命傷だけを避けるようにして軸をずらした。
アリスの肘が私のあばら骨を軋ませながら、脇腹にめり込んでくる。
そのまま私の身体を持ち上げるようにして下から突き上げた。
痛みよりも先に、吐き気を伴う気持ち悪さに襲われる。
足が地面から離れるのを感じて、――目の前の景色がぐるりと一回転した。
次の瞬間、私は床に倒れこみ胃液をまき散らしながら、うめき声をあげていた。
おそらく意識を失ったのは一瞬のことだったはず。
私は何故かこの状況を冷静に把握していた。
「……なんで落ちないの? そんなに当たりが弱かったの?」
アリスが本気で驚いていた。
彼女にそんな顔をさせたのがたまらなく快感に思える。
もちろんちゃんと必殺の一撃だった。
普通に食らっていたならば絶対にオチていた。
だけど私はそんな態度は一切見せず、全然効いていないとばかりに口元を歪めて見せた。
――ザマアミロ!
声が出ない代わりに、辛うじて自由の利く唇の動きで言ってやる。
きちんと読み取ってくれたのだろう、彼女は楽しそうに声を上げて笑った。
「……馬鹿ね。……だけどその気迫は本当に素晴らしいわ」
……アンタに褒められてたところで、嬉しくも何ともないっての。
気を失うことがなかったとはいえ、もはや指一本動かせない私を置いてアリスは離れていった。




