第1話 ルビー、決別宣言をする。
――魔王が復活した。
あんなのただのおとぎ話だと思っていたのに。
この場にいた誰もが信じていなかったハズ。
アリスちゃんが言うコトだから、どうせ『魔王』という言葉も何かのたとえのようなモノだと思っていた。『魔王が復活する』ぐらいの混乱だとか、『魔王級』の恐慌が起きるとか、そんな感じで。
……まさか本当に本物の魔王だったなんて!
鐘が鳴り響き、空が紫色に染まった瞬間、アタシはセカイが変質してしまったコトを肌で感じ取った。人間の中にまだ辛うじて残っている、か弱い動物の本能によって無自覚のうちに魔王の復活を知らされたのだ。
強大で恐ろしく禍々しい存在が、確かにこのセカイに現れたのだと――。
人間というのは起こりえないことが起きてしまうと思考が止まってしまう生き物だと聞いたことがある。考えることを簡単に放棄し、人間を人間たらしめる要素である理性をあっさりと放り投げてしまうそうだ。そして誰もが想像出来ないような行動を取ってしまったりする。
――いわゆる最悪の状況で最悪の判断をするというアレだ。
今まで勇敢で人望の篤かった将軍が前後不覚に陥った瞬間、配下たちを見捨てて脱兎の如く逃げ出したりする。それはどんなことをしてでも生き延びたいという獣の本能が、将軍としての理性を凌駕してしまったから。
逆に今まで冷静だった人間が、いきなり凶暴になって暴れだしたりもする。それも理性で押さえつけていた獣の本能が暴走してしまった結果だ。
そしてそのどちらにもならなかった人間は、なけなしの理性を総動員して取り乱すことなく冷静に判断して、その場にいる一番強いモノの命令に従う。
――だがそれも、やはり獣の本能でしかないのだ。
まさにアタシの目の前でその光景が繰り広げられていた。
この場での絶対強者はもちろんアリスちゃんだ。
国や組織を動かしてきた偉い大人たちが一人残らず彼女の指示に従い、大広間を一斉に飛び出して行った。
みんな本能で彼女に服従することを選んだのだ。
もしこれが何かの実験なのだとしたら大成功だろう。
人間も獣でしかないと言うことの何よりの証明だった。
そして――。
謁見の間は先程と違い、すでにガランとしていた。
残っているのはアタシたちだけ。
「……クロード、……何故皇帝を殺した? あれ程皆が止めたのに! アリスの言うように魔王復活の為か? 我々パーティはお前に騙されていたのか? ……神は今、何と言っている? 答えろ!」
トパーズはアタシたちとアリスちゃんとの中間地点まで歩くと、ゆっくり振り返った。そしていつになく冷たい目をしながら告げる。返答次第ではあちらにつくつもりだろう。
――いや、彼はすでに女王国につくと決めていたはずだ。
だからこれはただの確認なのだ。
心おきなくクロードを見切る為の。
「……聞こえないんだよ! さっきまであれだけ俺の頭にうるさいぐらい響いていたのに! ……今は何も聞こえないんだ!」
クロードが駄々っ子のように叫びながら何度も首を振る。
それを見てトパーズは溜め息をついた。
「……そうか、分かった。……もういい」
そして彼は再びあちらに向いて歩きだすとアリスちゃんの隣に立ち、こちらに向いて構えた。
いつかこんな日が来ると知っていた。単純に今までは考えないようにしていただけのこと。
――そのときがきたら。
何度も何度もアタシたちの会話の中に出てきた言葉だ。それでいてずっとずっと先延ばしにしてきた言葉。
それが今だった。
アタシたちパーティはいつまでも仲間ではいられない。
誰も口には出さないが、いつか必ず別れ道がやってくるのだと知っていた。
そして今トパーズは女王国につくと表明し、クロードは皇帝を殺すことでアリスちゃんの敵に回った。
アタシにも決断のときがやってきたのだ。
「ルビー……キミはどうする? 私と一緒にこちらで戦ってくれないだろうか?」
トパーズが優しい目でアタシを見つめていた。
凄く嬉しかった。
迷うことなど何一つない。
アタシはすぐにでもトパーズの元へと駆けて行くつもりだった。
――だけど何故だろう?
身体が動かないのだ。
アタシの本能がこの場に――クロードの隣に留まれと命令しているのだ。
「……もちろん女王国は貴女のことも歓迎するわ」
アタシが一歩も動けないのは自分に理由があるのだと判断したのだろう、アリスちゃんも一緒になって誘ってくれる。
彼女はケニー伯父様が罠にかかって逆賊扱いを受けていたときも、アタシたちの一族を守ってくれた。それだけでアリスちゃんには十分すぎる程の恩義がある。彼女に忠誠を誓う理由になる。
――そして何より女王国の人たちはいつも楽しそうにしていた。
停戦期間中にポルトグランデのお店でケニー伯父様と女王国の秘蔵っ子とも呼ばれているウィル君と三人でご飯を食べる機会があった。
連れて行かれたのは冒険者にはちょっと手が出せないようなお店。
そんな店の更に奥まった場所にある貴人しか入れないような個室に案内された。
「――これは僕からのプレゼントです」
挨拶もそこそこにウィル君が細長い箱をアタシに差し出してきた。
頂いてもいいのだろうかと、伯父様を窺うと彼も笑顔で頷いた。
一呼吸おいて箱を開けてみるとそこにあったのは輝石のペンダント。
しかも見たこともない程の立派な石だった。
アタシの胸元の掛けられているそれとは比べようがない。
少なくとも傍流貴族の娘には過ぎたモノだった。
「――こんな立派なモノ、頂けません!」
慌てるアタシを見て二人は楽しそうに笑うのだ。
そして説明してくれた。
輝石は山岳国でもずっと昔から採掘されていたモノらしい。――しかも聖王国よりも上質な物が大量に。
ただあの国ではイマイチ使い道のない石として、子供の玩具やちょっとした家具の装飾品ぐらいにしか利用していなかったそうだ。
そんなひと山幾らでしかない石を、元聖王国の人間は喉から手が出るほど欲しがっている。それを耳にした新執政官のユーノスが安価で供給するように手配をしたという話らしい。
「……だから、ほら」
そういって伯父様が懐から指輪を取り出した。
子供の頃から知っている輝石をあしらった指輪。――父のモノだ。
伯父様は水の入った瓶も取り出すと、ウィル君はさりげなく伯父様の前に使っていない皿を差し出す。そして二人して頷くと、伯父様はその中に水を流し込み指輪を沈めた。
次の瞬間、映像が浮かび上がる。
懐かしい顔だった。元気そうな父と母。
――『元気か? 大丈夫か?』
アタシを気遣うそんな他愛のない言葉が続き、そして消えた。
思いがけない再会に涙が止まらなかった。
「……と、まぁ、こんな風にいつでも好きなときに使うことが出来るようになった、と」
「ですが、貴重な聖水をこんなコトの為に……」
アタシはそれを取りに向かった身だから、その大事さを知っているつもりだ。
「それのことだが――」
伯父様はなおも笑顔で続ける。
実は聖水も元公国では本来全く使い道のない水だったらしい。
苦くて飲めないし料理にも使えない。
それでも勝手に湧き出てくる水をどうする事も出来ず、結局は湖に垂れ流していたらしい。
――なんてもったいないことを!
しかもそんな利用価値のない水をフォート公はさも貴重品のように扱い、アタシたちに仕事を吹っかけてきたと。
現在公国領の執政官をしているシルバーという人が、聖水の本当の価値を知ると、すぐさま定期便で元王国領に格安で売り込む手配を始めたらしい。
それからというもの、聖水はあっという間に庶民にまで行き渡ったそうだ。
「……今や輝石と聖水は元聖王国民にとって簡単に手に届くモノになったのだよ。……いやはや東方3国の統合で一番いい思いをしたのは間違いなく我々だな」
聖王国では魔法を使えない人たちの代行で輝石に映像を残すという新しい商売まで生まれたらしい。
「いえいえ、輝石という新しい市場が生まれたことで山岳州もずいぶんと豊かになったそうですよ?」
ウィル君も楽しそうに笑った。
それを言えば今まで湖に垂れ流していた水を金に換えることが出来た元公国も同じだろう。
女王国は本当に上手くやっているようだ。
「……アタシも両親に輝石の映像を届けてもいいですか?」
そういって胸元から今までつけていたペンダントを外した。
そして笑顔で頷く伯父に手渡すと、アタシは深呼吸して故郷の両親に向けて語りかけたのだ。
その後もご飯を食べながらいろんな話を聞くことが出来た。
今年も四神祭が開かれたこと。――それも例年よりも盛大に。
伯父様はこちらにいたので戻ることは出来なかったが、それでもお祭りの準備を担当していたとのこと。
父は火神の祭司として去年よりも張り切っていたらしい。
ウィル君からも元山岳国領の今を教えてもらった。
これはトパーズへの土産話だ。
父子というにはやや歳が離れすぎ、祖父孫というには少し近い、そんな微妙な年齢差の二人が本当に楽しそうに話していたのだ。まだまだやらなければいけないことが山程あるが、毎日が充実しているのだ、と。
それが何とも言えず微笑ましかった。
出てきた料理を全て食べ終えた頃、ウィル君がまっすぐな目でアタシを見つめてきた。アリスちゃんを彷彿とさせる、本当に吸い込まれるような目だった。
「――どうですか? ルビーさんも僕たちと一緒に女王国で働きませんか?」
……おそらくこれが本題だったのだろう。
この言葉を告げる為に開かれた会食だ。
だからアタシもその気持ちに応えるように笑顔で答えた。
「ありがとうございます。……今はまだ決められませんが、そのときが来たらお世話になるかもしれません」
女王国がアタシを求めてくれるのが嬉しかった。
形の上では保留だったけれど、心はもう決まっていたようなものだった。
女王国でイキイキと働く未来のアタシは光り輝いていた。
その横にトパーズがいてくれるのであれば尚更――。
考えれば考えるほど、アタシの居場所は女王国にあった。
今の言葉に込められた意味を正確に受け止めて貰えたのだろう、二人は明るい表情で頷いてくれた。
そんなやりとりがあったにも関わらず、今のアタシはまだ決断できずにいた。
いつまで経っても動かないアタシに何かを感じたのか、トパーズの表情に焦りが浮かんでくる。
「ルビー、何を迷うことがあるんだ? ……私はキミと一緒にいたい。女王国も迎え入れると言ってくれているんだ!」
分かっている。……ちゃんと分かっている。
アタシは女王国に付くべきだ。
そもそも迷ってすらいない。
ただ、身体が思いどおりに動かない。
――本当にそれだけなのだ。
「……私はキミの過去ではなく、今と未来がほしい! どうか私の手を取ってくれないか? ……お願いだ!」
トパーズが叫んだ。
真剣なそれでいて全てを包み込んでくれるような暖かい瞳で。
アタシは何をためらう必要があるのか?
トパーズがいるのに!
何よりトパーズがアタシと一緒にいたいと言ってくれるのに!
彼の隣がアタシの場所なのに!
……でも、どうして?
どうしてアタシの身体はいうことをきいてくれないの?
アタシの本能は何を望んでいるの?
――本能というのは、こんなにも人間の思考を妨げるモノだったの?
「……アタシはクロードと一緒に戦うわ」
気が付けば、何故かアタシの口は勝手にそう動いていた。
……そんなつもりはないのに!
クロードはみんなの静止を振り切って勝手に皇帝に剣を突き刺したバカなのに!
だけど、どうしてもアタシの本能はクロードを敵に回すことを拒否するのだ。
「……そうか。……やっぱりキミは今でもクロードのことが――」
違う!
絶対にそれだけはないから!
アタシが好きなのはトパーズだけだから! お願い!
……どうか、それだけは、信じて!
涙が出てきた。
どうか……お願い!
ねぇ、アタシの身体! 言うことをきいてよ!
「ごめんね、トパーズ……」
だけど出てきた言葉は彼への決別宣言だった。
結局アタシも本能に逆らうことは出来ない獣だったという笑い話。
愚かにもアタシは、アタシだけはそんなことにはならないと信じていた。
どんな事態に直面しようと冷静にその状況を判断できると信じ切っていた。
――理性と精神制御に長けた存在である魔法使いなのだから、と。
アタシはどこか遠いところでトパーズの悲しみに歪む顔を見つめていた。




